クレール 光の伝説「迷走の【吊られた男《ハングドマン》】」

神光寺かをり

文字の大きさ
上 下
4 / 5

死者の出ない戦闘

しおりを挟む
『ビンゴ、か』

 ブライトの禽獣きんじゅうのような眼光が、モルトケの姿をしているモノの全身を射抜いた。
 何かを探している。
 目に見えない、何かを。
 その隣で彼の相棒が、同じように鋭い視線を、同じモノに向けていた。

「誰も、あなたのことだとは言っていませんよ。自称・忠臣のルイ・ワン殿」

 エル=クレール・ノアールは、立ち上がりざま、己の腰に手を伸ばした。

「それとも、少しは後ろ暗く思っておいでですか?」

 黒い声が、司祭の顔に嘲笑を作った。

『愚かはうぬであろう』

 司祭の左拳が、糸をもって引き上げられたマリオネットのそれと同様の動き方で、クレールの眼前に突き出された。

『うぬの剣はこちらにある!!』

 語尾が消える直前、それの拳が、赤黒い光を発した。
 無数の光の筋。
 意思を持った数多の鞭が、うなりを上げて突き進む。
 ブライトが、床に伏せた。
 テーブルの下を転がり、悲鳴をあげることすらできず立ちすくむ若い尼僧を抱き、彼女を部屋の隅に押し込めると、体を返した。
 視線は、上に向けられていた。
 天井と、禍々しく紅い「鞭」の隙間に、エル=クレール・ノアールが飛んでいる。
 羽毛のように軽く、彼女は司祭の姿をしたモノの背後に降り立った。
 振り向きざま、唱える。

「我が愛する正義のもののふよ。赫き力となりて我を護りたまえ」

 クレールの腰から――そう、服の下の肉体から――紅い輝きがほとばしった。

【正義】ラ・ジュスティス!!」

 明けの陽光のような、暖かく澄んだ光が、一振りの剣となって、彼女の腰から引き抜かれた。

『うぬっ! 【魂】アームか!?』

「そうですよ。これはあなたと同様の存在。現世に心を残して冥府に旅立った者の思念の結晶。心強く生きる者に力を与え、心折れた生ける屍を蠢かす輝石」

 花びらのような柔らかいカーブを描く唇が吐き出すのは、美しい真実。蠱惑の言葉。

「もっとも、私に力を貸してくれているこの【正義】ラ・ジュスティスは、あなたのような、人の弱味につけ込んでその心を操り、あわよくばその体を奪おうなどと言う、質の悪い出来損ないではありませんけれど」

 エル=クレール・ノアールの微笑みには、ぞっとするような艶があった。さながら、命を得た大理石の彫刻か、白磁の人形か。何であるにせよ、人のモノとは思えない。

 水分の抜けきった司祭の形をしたモノが、頬を赤黒く染め、エルと真紅の剣とを見比べている。

『出来、損ない……だとっ!』

 朽ちた血色の筋が、クレールに襲いかかる。
 一閃。
 しなやかな剣舞の前に、それらは形を保つ力を失って、床に散った。
 溶けた血のゼリーが、古びた床を濡らす。

『おおおっ』

 それが、膝を落とした。

『おのれっ、おのれっ、おのれっ! 貴様に何が解る!? 我の深慮、我の憂国、我の決断。青二才に、解るはずもなし!!』

「ええ。理解できませんね。モルトケ殿がなぜあなたなどに自身の心と体を奪われるなどという失態を演じ、また、あなたが多くの若者達の命と肉体とを奪うのを見逃すなどという失策をていしているのか」

『失態? 否! これは英断だ!! 失策? これも否! これまさに妙策なり!! モルトケも我もツォイク公国を護らんとしているっ! 無敵の兵団、不死の士に依って』

 人の姿をした、人ではないモノが、吠えた。同時に、部屋は破壊音で満たされた。
 鉛ガラスと、木枠と、日干し煉瓦の砕け散るその音。
 湿気たカビの胞子を吐き出す、腐った土をまとったその兵団は、声にならぬ咆吼とともに、壁を、床を、突き破って現れた。
 まだ新しいはずの死体達が、朽ち木のような腕を伸ばし、生きている者達ににじり寄る。
 クレールの身が、硬直した。
 予想外だった。彼女は敵が目の前の一体だけだと思いこんでいた。
 今まで、流れるような挑発を紡ぎだしていた唇が、突如として整わない言葉を発し始める。

「何ということを……。司祭殿、あなたはここまで望んだのですか? 死体を【グール】に堕とすなど……冒涜です! あなたはっ」

 言葉が、途切れた。
 赤黒い、腐った蛇の一軍が、彼女に襲いかかり、その身体を捕らえ、まとわりつく。

 瞬間のできごとだった。
 紅い剣を降る暇もなかった。
 断ち切った「鞭」が、復元したのか。あるいは、隠し球を繰り出したのかも知れない。
 モルトケ司祭の形をしたモノの肩口から不自然に生えた、幾筋も赤みを帯びた黒い筋が、クレールの細く柔らかな身体を締め上げる。

「あっ……ン……ああ、っく」

 苦痛の吐息が漏れる。身をよじり、足掻き、悶える。
 息を呑むほどにおぞましく、息を吐くほどに美しかった。
 その様子を、ブライトは、鼻の下を伸ばして眺めている。

「俺のクレールちゃんってば、相変わらずいい声で鳴くねぇ……。できれば俺様のテクで、ああ鳴かせたいんだがなぁ」

 悠長に、まるで危機感無く、むしろ涎を垂らさんばかりに凝視している。
 生ける者の肉を求むる死者の腕が、彼自身の足元にからみついてなお、この男はにやけ顔を崩さなかった。
 司祭を操るモノは、彼の肺腑の内の気体を全て押し出し、高笑いしていた。

『私の言を入れぬ者には、破滅が訪れるぞ。我が不滅の兵団は敵対する者全てから、この国を護ろうぞ』

 エル=クレールの紫に褪せた唇が、笑みを形作った。
 苦しみながら、彼女は言う。

「ふっ……不滅……? あれが、不滅……の兵団だ、と言うの……ですか……?」

 彼女の潤んだ、しかしハッキリとした視線を、よどんだ、しかもどんよりとした視線が追う。
 そこには無数の人影があった。
 大半は床に伏している。
 立っているのはわずか二人。
 ブライト・ソードマンと、尼僧。

「おたくの兵隊さん達、まるで日が経って湿気っちまったバケットみたいだぜ。外はバリバリ、中はグズグズでさぁ」

 ブライトは笑む。不敵に、大胆に。
 尼僧は失神しかけていた。

『何が起きた? 何時の間に、何をした!? まさか【グール】を……素手で屠っただと!?』

 司祭の姿をしたモノは、ピクリとも動かない彼の兵士達を、呆然と見た。

「中途にまじめなヤツは、これだからいけねぇや。自分は完璧だと思い込んで、前にしか進まねぇ」

莫迦ばか力ばかりの下郎が、聞いた口をっ』

 ブライトは手を拱むと、それを前に突き出した。

「莫迦はどっちだ? 俺の腕力で【グール】が倒れたとしか見えない……いや、見ようとしないおまえさんじゃねぇのか?」

『うぬっ!』

 司祭は拳を握った。左のそれの皮膚が、中から持ち上げられたように、もぞっと動いた。

「見つけたっ!!」

 掌に力を入れると、ブライトは叫んだ。

「我が親友ともよ! お前達の赤心せきしん、借りるぜ!!」

 まれた指の間から、炎のような赤がほとばしった。

『なにっ? まさか貴様も!?』

「正解!」

 結んだ指を解き放つ。
「出よ、【恋人達】ラヴァーズ!」

 叫びと共に、腕はこじ開けられたように広がる。
 掌から発する光が、二筋の紅い軌跡を描く。
 二つの紅蓮は、一対の剣と成った。
 ブライトは身を縮め、踏み込むと、低い弾道の跳躍で、グロテスクな人型に寄った。
 左腕を袈裟懸けに振り下ろし、同時に右腕を逆袈裟に振り上げる。

「死人の分際で、生きてる者の足を引っ張ってンじゃねぇ!」

 切っ先は、かの「鞭」と、司祭の肩口とを捕らえた。
 拘束していた「鞭」が切り落とされた拍子に、エルは膝を落とした。
 一方、司祭の肉体は猛烈に床に叩き付けられた。
 肩口からドロリとしたものを吹き出しながら、そいつがわめく。

『何故だ、何故だ、何故だ! 我の不死の兵が、我の不死の肉体が! 何故崩れる!?』

「自分の進む道は正しい。自分の考えは正しい。脇道や、他人の考えなど見向きもしない。だから行き詰まった。
 ……国を護るという遺志には同意したモルトケ殿が、【グール】を作り出すことには反対していたのを、自分の正面しか見えていないあなたは、気付けなかったから……」

 ブライトに助け起こされながら、クレールが答えた。

『我は……われ……わ……わたし……私は』

 床に叩き付けられた肉体が、うめく。

「私は……生きている?」

 モルトケ司祭は切り裂かれたはずの肩口に手をあてがった。
 傷口などなかった。
 衣服にはほつれもない。
 赤黒い液体で汚れたはずの床には、一滴の水気すらない。
 だが、身を起こし辺りを見回せば、そこは確かに戦禍の跡だった。
 見上げれば、二人の剣士が立っている。
 赫いきらめきを携え、微笑んでいる。

「最初に言ったはずですがね」

「我々は、人を傷つける道具は嫌いなんですよ」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

〈完結〉遅効性の毒

ごろごろみかん。
ファンタジー
「結婚されても、私は傍にいます。彼が、望むなら」 悲恋に酔う彼女に私は笑った。 そんなに私の立場が欲しいなら譲ってあげる。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

処理中です...