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死者の出ない戦闘
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『ビンゴ、か』
ブライトの禽獣のような眼光が、モルトケの姿をしているモノの全身を射抜いた。
何かを探している。
目に見えない、何かを。
その隣で彼の相棒が、同じように鋭い視線を、同じモノに向けていた。
「誰も、あなたのことだとは言っていませんよ。自称・忠臣のルイ・ワン殿」
エル=クレール・ノアールは、立ち上がりざま、己の腰に手を伸ばした。
「それとも、少しは後ろ暗く思っておいでですか?」
黒い声が、司祭の顔に嘲笑を作った。
『愚かはうぬであろう』
司祭の左拳が、糸をもって引き上げられたマリオネットのそれと同様の動き方で、クレールの眼前に突き出された。
『うぬの剣はこちらにある!!』
語尾が消える直前、それの拳が、赤黒い光を発した。
無数の光の筋。
意思を持った数多の鞭が、うなりを上げて突き進む。
ブライトが、床に伏せた。
テーブルの下を転がり、悲鳴をあげることすらできず立ちすくむ若い尼僧を抱き、彼女を部屋の隅に押し込めると、体を返した。
視線は、上に向けられていた。
天井と、禍々しく紅い「鞭」の隙間に、エル=クレール・ノアールが飛んでいる。
羽毛のように軽く、彼女は司祭の姿をしたモノの背後に降り立った。
振り向きざま、唱える。
「我が愛する正義の士よ。赫き力となりて我を護りたまえ」
クレールの腰から――そう、服の下の肉体から――紅い輝きがほとばしった。
「【正義】!!」
明けの陽光のような、暖かく澄んだ光が、一振りの剣となって、彼女の腰から引き抜かれた。
『うぬっ! 【魂】か!?』
「そうですよ。これはあなたと同様の存在。現世に心を残して冥府に旅立った者の思念の結晶。心強く生きる者に力を与え、心折れた生ける屍を蠢かす輝石」
花びらのような柔らかいカーブを描く唇が吐き出すのは、美しい真実。蠱惑の言葉。
「もっとも、私に力を貸してくれているこの【正義】は、あなたのような、人の弱味につけ込んでその心を操り、あわよくばその体を奪おうなどと言う、質の悪い出来損ないではありませんけれど」
エル=クレール・ノアールの微笑みには、ぞっとするような艶があった。さながら、命を得た大理石の彫刻か、白磁の人形か。何であるにせよ、人のモノとは思えない。
水分の抜けきった司祭の形をしたモノが、頬を赤黒く染め、エルと真紅の剣とを見比べている。
『出来、損ない……だとっ!』
朽ちた血色の筋が、クレールに襲いかかる。
一閃。
しなやかな剣舞の前に、それらは形を保つ力を失って、床に散った。
溶けた血のゼリーが、古びた床を濡らす。
『おおおっ』
それが、膝を落とした。
『おのれっ、おのれっ、おのれっ! 貴様に何が解る!? 我の深慮、我の憂国、我の決断。青二才に、解るはずもなし!!』
「ええ。理解できませんね。モルトケ殿がなぜあなたなどに自身の心と体を奪われるなどという失態を演じ、また、あなたが多くの若者達の命と肉体とを奪うのを見逃すなどという失策をていしているのか」
『失態? 否! これは英断だ!! 失策? これも否! これまさに妙策なり!! モルトケも我もツォイク公国を護らんとしているっ! 無敵の兵団、不死の士に依って』
人の姿をした、人ではないモノが、吠えた。同時に、部屋は破壊音で満たされた。
鉛ガラスと、木枠と、日干し煉瓦の砕け散るその音。
湿気たカビの胞子を吐き出す、腐った土をまとったその兵団は、声にならぬ咆吼とともに、壁を、床を、突き破って現れた。
まだ新しいはずの死体達が、朽ち木のような腕を伸ばし、生きている者達ににじり寄る。
クレールの身が、硬直した。
予想外だった。彼女は敵が目の前の一体だけだと思いこんでいた。
今まで、流れるような挑発を紡ぎだしていた唇が、突如として整わない言葉を発し始める。
「何ということを……。司祭殿、あなたはここまで望んだのですか? 死体を【グール】に堕とすなど……冒涜です! あなたはっ」
言葉が、途切れた。
赤黒い、腐った蛇の一軍が、彼女に襲いかかり、その身体を捕らえ、まとわりつく。
瞬間のできごとだった。
紅い剣を降る暇もなかった。
断ち切った「鞭」が、復元したのか。あるいは、隠し球を繰り出したのかも知れない。
モルトケ司祭の形をしたモノの肩口から不自然に生えた、幾筋も赤みを帯びた黒い筋が、クレールの細く柔らかな身体を締め上げる。
「あっ……ン……ああ、っく」
苦痛の吐息が漏れる。身をよじり、足掻き、悶える。
息を呑むほどにおぞましく、息を吐くほどに美しかった。
その様子を、ブライトは、鼻の下を伸ばして眺めている。
「俺のクレールちゃんってば、相変わらずいい声で鳴くねぇ……。できれば俺様のテクで、ああ鳴かせたいんだがなぁ」
悠長に、まるで危機感無く、むしろ涎を垂らさんばかりに凝視している。
生ける者の肉を求むる死者の腕が、彼自身の足元にからみついてなお、この男はにやけ顔を崩さなかった。
司祭を操るモノは、彼の肺腑の内の気体を全て押し出し、高笑いしていた。
『私の言を入れぬ者には、破滅が訪れるぞ。我が不滅の兵団は敵対する者全てから、この国を護ろうぞ』
エル=クレールの紫に褪せた唇が、笑みを形作った。
苦しみながら、彼女は言う。
「ふっ……不滅……? あれが、不滅……の兵団だ、と言うの……ですか……?」
彼女の潤んだ、しかしハッキリとした視線を、よどんだ、しかもどんよりとした視線が追う。
そこには無数の人影があった。
大半は床に伏している。
立っているのはわずか二人。
ブライト・ソードマンと、尼僧。
「おたくの兵隊さん達、まるで日が経って湿気っちまったバケットみたいだぜ。外はバリバリ、中はグズグズでさぁ」
ブライトは笑む。不敵に、大胆に。
尼僧は失神しかけていた。
『何が起きた? 何時の間に、何をした!? まさか【グール】を……素手で屠っただと!?』
司祭の姿をしたモノは、ピクリとも動かない彼の兵士達を、呆然と見た。
「中途にまじめなヤツは、これだからいけねぇや。自分は完璧だと思い込んで、前にしか進まねぇ」
『莫迦力ばかりの下郎が、聞いた口をっ』
ブライトは手を拱むと、それを前に突き出した。
「莫迦はどっちだ? 俺の腕力で【グール】が倒れたとしか見えない……いや、見ようとしないおまえさんじゃねぇのか?」
『うぬっ!』
司祭は拳を握った。左のそれの皮膚が、中から持ち上げられたように、もぞっと動いた。
「見つけたっ!!」
掌に力を入れると、ブライトは叫んだ。
「我が親友よ! お前達の赤心、借りるぜ!!」
拱まれた指の間から、炎のような赤がほとばしった。
『なにっ? まさか貴様も!?』
「正解!」
結んだ指を解き放つ。
「出よ、【恋人達】!」
叫びと共に、腕はこじ開けられたように広がる。
掌から発する光が、二筋の紅い軌跡を描く。
二つの紅蓮は、一対の剣と成った。
ブライトは身を縮め、踏み込むと、低い弾道の跳躍で、グロテスクな人型に寄った。
左腕を袈裟懸けに振り下ろし、同時に右腕を逆袈裟に振り上げる。
「死人の分際で、生きてる者の足を引っ張ってンじゃねぇ!」
切っ先は、かの「鞭」と、司祭の肩口とを捕らえた。
拘束していた「鞭」が切り落とされた拍子に、エルは膝を落とした。
一方、司祭の肉体は猛烈に床に叩き付けられた。
肩口からドロリとしたものを吹き出しながら、そいつがわめく。
『何故だ、何故だ、何故だ! 我の不死の兵が、我の不死の肉体が! 何故崩れる!?』
「自分の進む道は正しい。自分の考えは正しい。脇道や、他人の考えなど見向きもしない。だから行き詰まった。
……国を護るという遺志には同意したモルトケ殿が、【グール】を作り出すことには反対していたのを、自分の正面しか見えていないあなたは、気付けなかったから……」
ブライトに助け起こされながら、クレールが答えた。
『我は……われ……わ……わたし……私は』
床に叩き付けられた肉体が、うめく。
「私は……生きている?」
モルトケ司祭は切り裂かれたはずの肩口に手をあてがった。
傷口などなかった。
衣服にはほつれもない。
赤黒い液体で汚れたはずの床には、一滴の水気すらない。
だが、身を起こし辺りを見回せば、そこは確かに戦禍の跡だった。
見上げれば、二人の剣士が立っている。
赫いきらめきを携え、微笑んでいる。
「最初に言ったはずですがね」
「我々は、人を傷つける道具は嫌いなんですよ」
ブライトの禽獣のような眼光が、モルトケの姿をしているモノの全身を射抜いた。
何かを探している。
目に見えない、何かを。
その隣で彼の相棒が、同じように鋭い視線を、同じモノに向けていた。
「誰も、あなたのことだとは言っていませんよ。自称・忠臣のルイ・ワン殿」
エル=クレール・ノアールは、立ち上がりざま、己の腰に手を伸ばした。
「それとも、少しは後ろ暗く思っておいでですか?」
黒い声が、司祭の顔に嘲笑を作った。
『愚かはうぬであろう』
司祭の左拳が、糸をもって引き上げられたマリオネットのそれと同様の動き方で、クレールの眼前に突き出された。
『うぬの剣はこちらにある!!』
語尾が消える直前、それの拳が、赤黒い光を発した。
無数の光の筋。
意思を持った数多の鞭が、うなりを上げて突き進む。
ブライトが、床に伏せた。
テーブルの下を転がり、悲鳴をあげることすらできず立ちすくむ若い尼僧を抱き、彼女を部屋の隅に押し込めると、体を返した。
視線は、上に向けられていた。
天井と、禍々しく紅い「鞭」の隙間に、エル=クレール・ノアールが飛んでいる。
羽毛のように軽く、彼女は司祭の姿をしたモノの背後に降り立った。
振り向きざま、唱える。
「我が愛する正義の士よ。赫き力となりて我を護りたまえ」
クレールの腰から――そう、服の下の肉体から――紅い輝きがほとばしった。
「【正義】!!」
明けの陽光のような、暖かく澄んだ光が、一振りの剣となって、彼女の腰から引き抜かれた。
『うぬっ! 【魂】か!?』
「そうですよ。これはあなたと同様の存在。現世に心を残して冥府に旅立った者の思念の結晶。心強く生きる者に力を与え、心折れた生ける屍を蠢かす輝石」
花びらのような柔らかいカーブを描く唇が吐き出すのは、美しい真実。蠱惑の言葉。
「もっとも、私に力を貸してくれているこの【正義】は、あなたのような、人の弱味につけ込んでその心を操り、あわよくばその体を奪おうなどと言う、質の悪い出来損ないではありませんけれど」
エル=クレール・ノアールの微笑みには、ぞっとするような艶があった。さながら、命を得た大理石の彫刻か、白磁の人形か。何であるにせよ、人のモノとは思えない。
水分の抜けきった司祭の形をしたモノが、頬を赤黒く染め、エルと真紅の剣とを見比べている。
『出来、損ない……だとっ!』
朽ちた血色の筋が、クレールに襲いかかる。
一閃。
しなやかな剣舞の前に、それらは形を保つ力を失って、床に散った。
溶けた血のゼリーが、古びた床を濡らす。
『おおおっ』
それが、膝を落とした。
『おのれっ、おのれっ、おのれっ! 貴様に何が解る!? 我の深慮、我の憂国、我の決断。青二才に、解るはずもなし!!』
「ええ。理解できませんね。モルトケ殿がなぜあなたなどに自身の心と体を奪われるなどという失態を演じ、また、あなたが多くの若者達の命と肉体とを奪うのを見逃すなどという失策をていしているのか」
『失態? 否! これは英断だ!! 失策? これも否! これまさに妙策なり!! モルトケも我もツォイク公国を護らんとしているっ! 無敵の兵団、不死の士に依って』
人の姿をした、人ではないモノが、吠えた。同時に、部屋は破壊音で満たされた。
鉛ガラスと、木枠と、日干し煉瓦の砕け散るその音。
湿気たカビの胞子を吐き出す、腐った土をまとったその兵団は、声にならぬ咆吼とともに、壁を、床を、突き破って現れた。
まだ新しいはずの死体達が、朽ち木のような腕を伸ばし、生きている者達ににじり寄る。
クレールの身が、硬直した。
予想外だった。彼女は敵が目の前の一体だけだと思いこんでいた。
今まで、流れるような挑発を紡ぎだしていた唇が、突如として整わない言葉を発し始める。
「何ということを……。司祭殿、あなたはここまで望んだのですか? 死体を【グール】に堕とすなど……冒涜です! あなたはっ」
言葉が、途切れた。
赤黒い、腐った蛇の一軍が、彼女に襲いかかり、その身体を捕らえ、まとわりつく。
瞬間のできごとだった。
紅い剣を降る暇もなかった。
断ち切った「鞭」が、復元したのか。あるいは、隠し球を繰り出したのかも知れない。
モルトケ司祭の形をしたモノの肩口から不自然に生えた、幾筋も赤みを帯びた黒い筋が、クレールの細く柔らかな身体を締め上げる。
「あっ……ン……ああ、っく」
苦痛の吐息が漏れる。身をよじり、足掻き、悶える。
息を呑むほどにおぞましく、息を吐くほどに美しかった。
その様子を、ブライトは、鼻の下を伸ばして眺めている。
「俺のクレールちゃんってば、相変わらずいい声で鳴くねぇ……。できれば俺様のテクで、ああ鳴かせたいんだがなぁ」
悠長に、まるで危機感無く、むしろ涎を垂らさんばかりに凝視している。
生ける者の肉を求むる死者の腕が、彼自身の足元にからみついてなお、この男はにやけ顔を崩さなかった。
司祭を操るモノは、彼の肺腑の内の気体を全て押し出し、高笑いしていた。
『私の言を入れぬ者には、破滅が訪れるぞ。我が不滅の兵団は敵対する者全てから、この国を護ろうぞ』
エル=クレールの紫に褪せた唇が、笑みを形作った。
苦しみながら、彼女は言う。
「ふっ……不滅……? あれが、不滅……の兵団だ、と言うの……ですか……?」
彼女の潤んだ、しかしハッキリとした視線を、よどんだ、しかもどんよりとした視線が追う。
そこには無数の人影があった。
大半は床に伏している。
立っているのはわずか二人。
ブライト・ソードマンと、尼僧。
「おたくの兵隊さん達、まるで日が経って湿気っちまったバケットみたいだぜ。外はバリバリ、中はグズグズでさぁ」
ブライトは笑む。不敵に、大胆に。
尼僧は失神しかけていた。
『何が起きた? 何時の間に、何をした!? まさか【グール】を……素手で屠っただと!?』
司祭の姿をしたモノは、ピクリとも動かない彼の兵士達を、呆然と見た。
「中途にまじめなヤツは、これだからいけねぇや。自分は完璧だと思い込んで、前にしか進まねぇ」
『莫迦力ばかりの下郎が、聞いた口をっ』
ブライトは手を拱むと、それを前に突き出した。
「莫迦はどっちだ? 俺の腕力で【グール】が倒れたとしか見えない……いや、見ようとしないおまえさんじゃねぇのか?」
『うぬっ!』
司祭は拳を握った。左のそれの皮膚が、中から持ち上げられたように、もぞっと動いた。
「見つけたっ!!」
掌に力を入れると、ブライトは叫んだ。
「我が親友よ! お前達の赤心、借りるぜ!!」
拱まれた指の間から、炎のような赤がほとばしった。
『なにっ? まさか貴様も!?』
「正解!」
結んだ指を解き放つ。
「出よ、【恋人達】!」
叫びと共に、腕はこじ開けられたように広がる。
掌から発する光が、二筋の紅い軌跡を描く。
二つの紅蓮は、一対の剣と成った。
ブライトは身を縮め、踏み込むと、低い弾道の跳躍で、グロテスクな人型に寄った。
左腕を袈裟懸けに振り下ろし、同時に右腕を逆袈裟に振り上げる。
「死人の分際で、生きてる者の足を引っ張ってンじゃねぇ!」
切っ先は、かの「鞭」と、司祭の肩口とを捕らえた。
拘束していた「鞭」が切り落とされた拍子に、エルは膝を落とした。
一方、司祭の肉体は猛烈に床に叩き付けられた。
肩口からドロリとしたものを吹き出しながら、そいつがわめく。
『何故だ、何故だ、何故だ! 我の不死の兵が、我の不死の肉体が! 何故崩れる!?』
「自分の進む道は正しい。自分の考えは正しい。脇道や、他人の考えなど見向きもしない。だから行き詰まった。
……国を護るという遺志には同意したモルトケ殿が、【グール】を作り出すことには反対していたのを、自分の正面しか見えていないあなたは、気付けなかったから……」
ブライトに助け起こされながら、クレールが答えた。
『我は……われ……わ……わたし……私は』
床に叩き付けられた肉体が、うめく。
「私は……生きている?」
モルトケ司祭は切り裂かれたはずの肩口に手をあてがった。
傷口などなかった。
衣服にはほつれもない。
赤黒い液体で汚れたはずの床には、一滴の水気すらない。
だが、身を起こし辺りを見回せば、そこは確かに戦禍の跡だった。
見上げれば、二人の剣士が立っている。
赫いきらめきを携え、微笑んでいる。
「最初に言ったはずですがね」
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