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志は高くとも
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宵闇が、空を侵食する。
忠臣ルイ記念大聖堂の裏手は、正面以上に重く暗い気体を孕んでいた。
「ほお、この墓場ときたら、随分と、新仏の、多いこって」
赤く腫れ上がった左頬を引きひきつらせたブライトが、口角ににじむ鮮血を拭いながら視線を注いでいるのは、大聖堂裏に広がる墓地だった。
古い墓碑のくすんだ灰色の間に、真新しい墓石の白が、ぽつりぽつりと浮かんで見える。
十指に余る白のはかなさが、辺りの闇を一層深く見せた。
「ツォイクで流行病が発生したとか、大きな事故があったとは聞きませんが」
赤く腫れ上がった右拳をさすったエルが、袖口ににじむ返り血を気にしながら視線を注いでいるのは、大聖堂の裏口から出て来た葬列だった。
重い足取りの先頭は、目が痛くなるくらいに白い僧衣をまとった、顔色の悪い司祭。
次に、聖水の瓶を掲げ持つ、ひどく痩せた尼僧。
続いて、白い布をかぶせられた三つの亡骸を六人掛かりで運ぶ、くたびれた表情の修道僧達。
殿軍は、泣くことに飽いた様子の、年老いた遺族達。
一行は押し黙ったまま、墓地の一画の、奇妙に開けた空間に陣取った。
わずかに高い土の上に、亡骸が置かれた。
司祭が、何かを詠ずる。
尼僧は彼に、聖水の瓶を差し出す。
受け取る左手が、わずかに強張っている。
修道僧達が、白い布をまくり上げる。
遺族とクレールは、一瞬目を背けた。
逆に、ブライトは刮目した。
見えたのだ。……継が当たってはいるが、昨日洗ったばかりの清潔なズボンと靴を履いている、朽ち始めた枯れ木のような足が。
石畳の上に墜ちたヒヨドリの雛のように干上がった、人の形ををしたモノが。
「やれやれ、厄介だな。こんなイナカまで来てお仕事とは」
ブライトは血の混じった唾を吐き捨てた。
彼は嘆息で肺の空気を全部出し切った後、信じられないくらい真面目な表情を作った。
「行くかね」
クレールと自分自身に言い聞かせるように呟くと、彼は、葬列に向かって呼び掛けた。
「教父よ!」
司祭が土気色の顔をこちらに向けた。
「子等よ、何故そこに立っているか?」
「我らは天を父と仰ぎ、大地を母と慕う旅の児。兄弟達のために祈らせてください」
「来なさい。天に祝福され、大地に愛される、我が子等よ」
ブライトと司祭の、礼儀にかなったマニュアル問答に、クレールは『慇懃無礼』という単語を思い出していた。
「お腰のモノを、お預けください」
宿坊の入り口で、尼僧が言う。
「聖なる寺院では、人を傷付ける道具を禁忌としておりますゆえ」
「心得ております」
クレールが己の細身の剣と師の幅広の剣とを、尼僧に差し出した。
受け取った尼僧が、それらの軽さに怪訝な顔をする。
ブライトは『営業用スマイル』を浮かべた。
「竹光です。我らも、人を傷付ける道具が嫌いでね」
「それは、良いお心懸け、ですね」
背後から、しわがれた声がした。
「ツォイク教区を、任されておる、ヘルムス・モルトケ、です」
司祭が満面に穏やかそうな笑みを湛えて立っている。
大寺院の大司祭自ら客を客室に案内してくれた。……破格の待遇、であるらしい。
ブライトとエルは宿坊で一番広いという部屋に通された。
そこはどうやら、ここ数年使われていない様子だ。掃除は行き届いているのに、何となく埃臭く、火の気のあるはずが、どうにも寒々しい。
そう思うと、膳の手配をする尼僧の仕草も、どことなく空々しく思えてしまう。
「御辺らは、いずこより旅出でて、いずこに向かわれるか?」
司祭は、疲れた顔で微笑んだ。
クレールはちらとブライトを見やった。
彼は、テーブルに両肘を突き、祈るときのように両手を拱んでいた。
目玉が、『お前さんに任す』と言っている。
「我らに故郷はなく、行き先もございません。……と申しますのも、実は私ども、身内を全て失うたが故に、旅に身を投じた次第でして……」
モルトケ司祭の顔が曇った。
「では、もしや……いや、まさか……。各地に、魔性の物があらわれ、村町を襲い、国を滅ぼしてい、と言う噂を…………聞き流しておったが、真実と思って、良いのでしょうや?」
クレールは悲しげに小さくうなずいてから、聖職者の顔をじっと見た。
「あなたの言う【魔性の物】を、ギュネイ皇帝は【堕鬼】であるとか【オーガ】であるとか呼んで、見つけ次第誅殺せよとの勅令を発しています」
司祭は力無く頭を振った。……否定、というよりは、否認の素振りだ。
「【オーガ】どもは、人の命が持つ『力』を食らうが為に町村を襲っている。そして命の抜け殻、つまるところ死体を操って、国を滅ぼしている。その死体のコトは、【グール】なんて呼んでるがね……帝都の玉座でふんぞり返っている旦那は」
ブライトがつぶやく。周りの人間によく聞こえるような、小さな声で。
ヘルムス・モルトケは、目をつむり、天を仰いだ。
「先ほどの葬儀……亡骸は、普通の死に様ではなかったように見受けられました」
よく通るエルの問いかけに、司祭は再度頭を振る。
「若者ばかりが、命を失っておられるのでは?」
モルトケ司祭はびくりと顔を上げた。怪訝な顔で、クレールを見つめる。
「……参列者が、ご老体ばかりでした。子や孫に先立たれたショックで、泣くこともできぬ程、憔悴しきっておられた」
一瞬、モルトケ司祭の顔に厳しい嫌悪が現れた。
が、
「良う、お気づきになる……」
と、声を絞り出したときには、彼の「基本的」には柔和な顔が、その尖った感情をすっかり隠していた。
ブライトは、乾いた皮膚を引きつらせて笑む大司祭殿を横目で見、またつぶやく。
「どうやら、世ずれしたマトンより、純なラムの方が、美味い上に扱いやすいってのを、やつも知ってるようだ」
彼の声が聞こえたのか聞こえなかったのか、司祭は目を堅く閉じた。唇と、肩と、指先と、脚とを、小刻みに震わせている。
「万一……あの子等の、命を奪った者が……その【オーガ】などという、人外の物で、あったとして……。その……【オーガ】……とは、何でしょう? いや、もし、そのようなモノが居たとして、ですが」
モルトケ司祭の口振りは、否認を続ける罪人のようですらある。
「人間、ですよ」
ブライトがくぐもった声を出した。
エル=クレールが後を接ぐ。
「人はすべからく、心に闇を抱えているものです。心強き者は、その闇を信念の光で照らすことができます。ですが、脆弱な心にはそれができないのです。
そのような弱い人々の、畏れと不安に満ちた心が、自身の中に渦巻く恐怖に取り憑かれ、堕ちてしまうのです。……【オーガ】になることが、恐怖を打破する術だと勘違いして」
深いため息が、語尾を飾った。
すると再びブライトが、拱んだ手の上に顎を乗せたまま、語る。
「……きっかけがありさえすれば、誰もが堕落の道を歩むでしょうな。大天使ですら慢心の末に堕ち、年経た蛇だの悪龍だのと呼ばれる。況や、人間をや……。弟子が師に教える事もないこってすがね」
そして、あの鋭い目を、ちらと聖職者に向ける。干からびた青黒い顔に。
モルトケ司祭は、唇を噛み締めていた。
鋭く尖った犬歯の下から、黒紫の血が滲み出た。
同時に、眼光が急激に険しくなった。
だが、どういった訳か、瞳は濁り、淀む。
その眼に、赤い光が映り込んだ。
赫い紅玉髄の珠。
「それは……?」
「きっかけ、に、なりうる物……とでも申しましょうか。ご存じでしょう?」
エル=クレールの掌の上で、それは無機質に輝く。
「こちらの至宝、【ルイ・ワンの魂】。私どもは【吊された男】と呼んでおります。もっとも、これは、レプリカですけれど。……本物は、司祭様の手中にある筈ですから」
新たな、そして決定的な物証を提示する検察官のように、彼女はそれを机の上に置いた。 そうして、微笑むのだ……総毛立つほどに冷ややかな、且つ熱い眼差しで。
「脆弱な心をそそのかす強い魂……。それが悪であると見抜けない間抜けと、独善を他人に押しつける愚か者とでは、どちらが悪いのでしょうね」
モルトケの左手が、激しく机を叩いた。
死人のように青黒い指が、小刻みに動いている。
『愚か者とは誰のことぞ?』
左手の主の唇を震わせたのは、地の底から押し出されたような、黒い声だった。
忠臣ルイ記念大聖堂の裏手は、正面以上に重く暗い気体を孕んでいた。
「ほお、この墓場ときたら、随分と、新仏の、多いこって」
赤く腫れ上がった左頬を引きひきつらせたブライトが、口角ににじむ鮮血を拭いながら視線を注いでいるのは、大聖堂裏に広がる墓地だった。
古い墓碑のくすんだ灰色の間に、真新しい墓石の白が、ぽつりぽつりと浮かんで見える。
十指に余る白のはかなさが、辺りの闇を一層深く見せた。
「ツォイクで流行病が発生したとか、大きな事故があったとは聞きませんが」
赤く腫れ上がった右拳をさすったエルが、袖口ににじむ返り血を気にしながら視線を注いでいるのは、大聖堂の裏口から出て来た葬列だった。
重い足取りの先頭は、目が痛くなるくらいに白い僧衣をまとった、顔色の悪い司祭。
次に、聖水の瓶を掲げ持つ、ひどく痩せた尼僧。
続いて、白い布をかぶせられた三つの亡骸を六人掛かりで運ぶ、くたびれた表情の修道僧達。
殿軍は、泣くことに飽いた様子の、年老いた遺族達。
一行は押し黙ったまま、墓地の一画の、奇妙に開けた空間に陣取った。
わずかに高い土の上に、亡骸が置かれた。
司祭が、何かを詠ずる。
尼僧は彼に、聖水の瓶を差し出す。
受け取る左手が、わずかに強張っている。
修道僧達が、白い布をまくり上げる。
遺族とクレールは、一瞬目を背けた。
逆に、ブライトは刮目した。
見えたのだ。……継が当たってはいるが、昨日洗ったばかりの清潔なズボンと靴を履いている、朽ち始めた枯れ木のような足が。
石畳の上に墜ちたヒヨドリの雛のように干上がった、人の形ををしたモノが。
「やれやれ、厄介だな。こんなイナカまで来てお仕事とは」
ブライトは血の混じった唾を吐き捨てた。
彼は嘆息で肺の空気を全部出し切った後、信じられないくらい真面目な表情を作った。
「行くかね」
クレールと自分自身に言い聞かせるように呟くと、彼は、葬列に向かって呼び掛けた。
「教父よ!」
司祭が土気色の顔をこちらに向けた。
「子等よ、何故そこに立っているか?」
「我らは天を父と仰ぎ、大地を母と慕う旅の児。兄弟達のために祈らせてください」
「来なさい。天に祝福され、大地に愛される、我が子等よ」
ブライトと司祭の、礼儀にかなったマニュアル問答に、クレールは『慇懃無礼』という単語を思い出していた。
「お腰のモノを、お預けください」
宿坊の入り口で、尼僧が言う。
「聖なる寺院では、人を傷付ける道具を禁忌としておりますゆえ」
「心得ております」
クレールが己の細身の剣と師の幅広の剣とを、尼僧に差し出した。
受け取った尼僧が、それらの軽さに怪訝な顔をする。
ブライトは『営業用スマイル』を浮かべた。
「竹光です。我らも、人を傷付ける道具が嫌いでね」
「それは、良いお心懸け、ですね」
背後から、しわがれた声がした。
「ツォイク教区を、任されておる、ヘルムス・モルトケ、です」
司祭が満面に穏やかそうな笑みを湛えて立っている。
大寺院の大司祭自ら客を客室に案内してくれた。……破格の待遇、であるらしい。
ブライトとエルは宿坊で一番広いという部屋に通された。
そこはどうやら、ここ数年使われていない様子だ。掃除は行き届いているのに、何となく埃臭く、火の気のあるはずが、どうにも寒々しい。
そう思うと、膳の手配をする尼僧の仕草も、どことなく空々しく思えてしまう。
「御辺らは、いずこより旅出でて、いずこに向かわれるか?」
司祭は、疲れた顔で微笑んだ。
クレールはちらとブライトを見やった。
彼は、テーブルに両肘を突き、祈るときのように両手を拱んでいた。
目玉が、『お前さんに任す』と言っている。
「我らに故郷はなく、行き先もございません。……と申しますのも、実は私ども、身内を全て失うたが故に、旅に身を投じた次第でして……」
モルトケ司祭の顔が曇った。
「では、もしや……いや、まさか……。各地に、魔性の物があらわれ、村町を襲い、国を滅ぼしてい、と言う噂を…………聞き流しておったが、真実と思って、良いのでしょうや?」
クレールは悲しげに小さくうなずいてから、聖職者の顔をじっと見た。
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司祭は力無く頭を振った。……否定、というよりは、否認の素振りだ。
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ブライトがつぶやく。周りの人間によく聞こえるような、小さな声で。
ヘルムス・モルトケは、目をつむり、天を仰いだ。
「先ほどの葬儀……亡骸は、普通の死に様ではなかったように見受けられました」
よく通るエルの問いかけに、司祭は再度頭を振る。
「若者ばかりが、命を失っておられるのでは?」
モルトケ司祭はびくりと顔を上げた。怪訝な顔で、クレールを見つめる。
「……参列者が、ご老体ばかりでした。子や孫に先立たれたショックで、泣くこともできぬ程、憔悴しきっておられた」
一瞬、モルトケ司祭の顔に厳しい嫌悪が現れた。
が、
「良う、お気づきになる……」
と、声を絞り出したときには、彼の「基本的」には柔和な顔が、その尖った感情をすっかり隠していた。
ブライトは、乾いた皮膚を引きつらせて笑む大司祭殿を横目で見、またつぶやく。
「どうやら、世ずれしたマトンより、純なラムの方が、美味い上に扱いやすいってのを、やつも知ってるようだ」
彼の声が聞こえたのか聞こえなかったのか、司祭は目を堅く閉じた。唇と、肩と、指先と、脚とを、小刻みに震わせている。
「万一……あの子等の、命を奪った者が……その【オーガ】などという、人外の物で、あったとして……。その……【オーガ】……とは、何でしょう? いや、もし、そのようなモノが居たとして、ですが」
モルトケ司祭の口振りは、否認を続ける罪人のようですらある。
「人間、ですよ」
ブライトがくぐもった声を出した。
エル=クレールが後を接ぐ。
「人はすべからく、心に闇を抱えているものです。心強き者は、その闇を信念の光で照らすことができます。ですが、脆弱な心にはそれができないのです。
そのような弱い人々の、畏れと不安に満ちた心が、自身の中に渦巻く恐怖に取り憑かれ、堕ちてしまうのです。……【オーガ】になることが、恐怖を打破する術だと勘違いして」
深いため息が、語尾を飾った。
すると再びブライトが、拱んだ手の上に顎を乗せたまま、語る。
「……きっかけがありさえすれば、誰もが堕落の道を歩むでしょうな。大天使ですら慢心の末に堕ち、年経た蛇だの悪龍だのと呼ばれる。況や、人間をや……。弟子が師に教える事もないこってすがね」
そして、あの鋭い目を、ちらと聖職者に向ける。干からびた青黒い顔に。
モルトケ司祭は、唇を噛み締めていた。
鋭く尖った犬歯の下から、黒紫の血が滲み出た。
同時に、眼光が急激に険しくなった。
だが、どういった訳か、瞳は濁り、淀む。
その眼に、赤い光が映り込んだ。
赫い紅玉髄の珠。
「それは……?」
「きっかけ、に、なりうる物……とでも申しましょうか。ご存じでしょう?」
エル=クレールの掌の上で、それは無機質に輝く。
「こちらの至宝、【ルイ・ワンの魂】。私どもは【吊された男】と呼んでおります。もっとも、これは、レプリカですけれど。……本物は、司祭様の手中にある筈ですから」
新たな、そして決定的な物証を提示する検察官のように、彼女はそれを机の上に置いた。 そうして、微笑むのだ……総毛立つほどに冷ややかな、且つ熱い眼差しで。
「脆弱な心をそそのかす強い魂……。それが悪であると見抜けない間抜けと、独善を他人に押しつける愚か者とでは、どちらが悪いのでしょうね」
モルトケの左手が、激しく机を叩いた。
死人のように青黒い指が、小刻みに動いている。
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