江戸から来た花婿

三矢由巳

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第三章 雷土颪は見た! 知り過ぎた女奉公人とカステイラ の謎は湯煙の彼方に

34 千代の訴え

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 散らかるほどの物もない家は狭かった。襖で仕切られた奥の部屋には病の妻が寝ているとかで台所の続きの狭い板の間に山井忠兵衛、森左源太、山迫嘉兵衛、高岡又三郎、壱子、源三郎の六人が車座になった。本来なら上座に壱子と源三郎が座らねばならぬのだが、狭い板の間ではそのような座り方は不可能だった。
 忠兵衛の娘の千代はすり切れそうに薄くなった円座わろうだを壱子と源三郎に勧めお茶を出すと、奥の部屋へ退いた。精一杯のもてなしを無下にはできぬと源三郎は座布団に座った。壱子もそれに倣った。
 まず嘉兵衛が口を開いた。
 
「ここに集まった方々は先だってのおかつ殺しの一件の探索をする者、何らかの関わりがある者であると某は思うのだが、間違いはないか」
「おかつは当家に勤めていた者ゆえ関わりがある」

 壱子は堂々と言った。源三郎にはここまで強く言い切ることはできない。千蔵からいろいろ話を聞いているといっても、源三郎は生きているおかつにも死んだおかつにも会ったこともないのだ。源三郎は自分はただの野次馬かもしれぬと思う。強いて関わりを探せば、自分の養子先の御分家におかつが仕えていたということだけである。
 森左源太は肯いた。

「まことにその通り。では、おひい様は下手人に心当たりがおありですか」
「心当たりはない。なれど六助という者ではないと思う。そう思ったので、先ほど、夫玄蕃に、柳町の往観寺前の水茶屋から鍛冶屋町、辰巳町を通って橋の下まで背負ってもらった。背丈のある夫が何の苦もなく私を背負うことができたなら、六助が死んだおかつを背負って坂瀬川のほとりに置いてきたというのはまことのことであろうと思っていた。確かに夫は橋の下まで背負ってくれた。なれど、かなり背負うのに難儀をしておった。六助は力持ちかもしれぬが、二つの町を通って死人を運ぶというのはそうたやすいこととは思えぬ。手伝う者がいたか、あるいは荷車でもなければ。それに六助という男が捕まる前にやったことを聞くと、まるで捕まえてくれと言わんばかりで。人を殺して捕まれば死罪は免れぬもの。下手人は捕まりたくないはず、しばらくはわからぬように目立たぬようにしているはず。それなのに、六助のやったことと言うのは目立つことばかり。まるでまことの下手人をかばっているかのよう」

 「まことの下手人をかばっているかのよう」という言葉に源三郎は驚いた。確かに六助の行動には不自然なところが多かった。
 だが、森も嘉兵衛も高岡も壱子の話の内容にはさほど驚いてはいなかった。それよりも城下にいなかった壱子がそこまで考えていたという事実に驚愕していた。
 嘉兵衛は尋ねた。

「お姫様、それはお一人で考えたことですか」
「いえ、夫の助けあればこそ」

 なんだかこそばゆい感じがする源三郎だった。
 左源太は肯いた。

「なるほど。奉行も六助の振舞はまことの下手人を隠すためではないかと申しておりました。某もそう思っております」

 左源太や奉行の意見と一致したことに壱子はまあっと小さく声を上げていた。

「では、京屋へはまことの下手人を捜すために行くということか」

 嘉兵衛と左源太は顔を見合わせた。どこまでこの姫様に話せばよいのか。どうもこの姫様は頭の回転が良過ぎる。

「京屋とは柳町のか。どういうことだ。あそこに人殺しがいるということか」

 それまでむっつりと黙っていた忠兵衛が声を荒げた。嘉兵衛は声が大きいと唇の前に指を立てた。

「兄上、まだそうと決まったわけではない。ただ、不審なことが多いのだ。兄上が聞いた夜明け前の
舟の音にしても」
「それについて、詳しく聞かせてくれぬか」

 左源太は忠兵衛を見つめた。

「舟の音とは」

 源三郎も忠兵衛を見た。壱子も固唾を呑んで忠兵衛を見つめた。
 忠兵衛は不機嫌そうな顔である。

「やれやれ、また同じ話をしろってのか。こいつに話したからもうよかろう」

 忠兵衛は高岡に向けて顎をしゃくった。

「だが、それだけではわからぬこともある。詳しく知りたい」

 左源太の真剣な表情を見た忠兵衛は突然ニヤリと笑った。

「もし、わしの話でおかつ殺しに決着がついたら、同心に戻してくれるか」
「それとこれとは話が別だ」

 にべもない左源太の返答であった。

「親父と一緒で冗談の通じない男だ」

 忠兵衛は目の前に置かれた茶をごくりと飲んだ。

「この茶、どこのだ。うちには茶なんてないぞ。さては又三郎か、どっから借りてきた」
「……隣からです。山井様、どうかもう一度思い出して話してください」

 高岡は頭を下げた。
 源三郎はこれは厄介な男だと思った。どうやら何か失態をして同心を免ぜられ、今は身を持ち崩し家族が苦労を強いられているらしい。貧しい暮らしを送るうちに酒に溺れ誇りも何もかも失ってしまったのだろう。だが、この男の話が重要な手がかりになるらしい。
 このままでは森も高岡という若い同心もここまで来た意味がない。
 源三郎は思いきって口を開いた。

「すまぬが、山井殿、私と妻は舟の音の話というのを知らぬのだ。教えてもらえないか」
「これはこれは、御分家の婿様。じきじきの御下問ですか」

 自分を見る目つきの悪さは目のせいだとわかっていても、いい気分はしなかった。

「御分家は評定所の後見のお家柄。さような方が話を教えてもらえぬかなどと仰せになるとは。さては此度の一件、目付の森様もおいでということは武家に関わりのある話ということか」
「おかつは当家に奉公していた女ゆえ。岳父は評定所後見だが、私はそちと同じ無役の身。役目とはまったく関わりない。妻の心配事の種をなくしたいだけだ」
「養子というのは大変ですな。奥方の御機嫌取りとは」
「兄上、いい加減にしてくれ。無礼ではないか」

 嘉兵衛が声を荒げた。
 忠兵衛は顔を背けた。
 これでは埒があかぬと思った時だった。
 襖が開いた。先ほど茶を出した千代が立っていた。目が潤んでいるのが薄暗い部屋でもわかった。
 
「父上、見苦しうございます」
「千代さん……」

 高岡の切なげな呟きを源三郎は聞き逃さなかった。

「森様も山迫の叔父様も高岡様も一生懸命、探索をなさっておいでなのです。奉行所の方々の中にはあちこち走り回って風を引いた方が何人もいるというではありませんか。それなのに父上は、酒ばかり呑んで、真面目にお役目を果たそうとしている人に力を貸そうとはなさらない。お茶の葉が買えずに隣から借りねばならぬことよりも父上の今の姿が千代は恥ずかしうございます」

 忠兵衛は娘の悲痛な訴えから顔を背け、その場にいる者にしか聞き取れないような声で言った。
 
「話さないとは言ってないぞ」

 千代の顔に安堵の色が見えた。

「では、もう一度お願いします」

 高岡は再び頭を下げた。忠兵衛は高岡を一顧だにせず話し始めた。

「では話す。あれは十日の夜明け前だった。その前の晩に飲み過ぎて早く寝床に入ったせいか、妙に早くに目が覚めた。まだ妻子は寝ておったので、部屋を動きまわって物音を立てるのもあれだから、住まいを出て辰巳町との境の橋まで行ってぼんやりしていた。すると舟を漕ぐ音が聞こえて橋の下を通り抜けて行った。櫓の音がギイギイと聞こえた」
「待った。漕ぎ手は見えなかったのか」

 左源太の問いに忠兵衛は見えなかったと断言した。

「夜明け前で暗い上に、わしは目が悪い。その上、舟は提灯もつけておらん。見えるはずがなかろう。で、音がすぐに聞こえなくなった。寒いので、そろそろ戻ろうかという頃になってまた櫓の音がした。ギイギイと音をさせて下流へと遠ざかっていった」
「音が聞こえるまでどれくらいの時があった」
「四半刻もなかったな」
「人の声や物音は聞こえなかったか」
「何の音もしなかった。川の流れる音だけだ」
 
 高岡が聞いたとのほぼ同じ内容だった。

「東の山のほうが白くなってきたから家に戻った。千代が起きて水を汲んできたところだったな」
「はい。父が橋のほうから戻ってくるのを見ました」
「その後は橋の方へは行かなかったのだな」
「飯を食ったら眠くなったので寝たよ。目が覚めたのは夕方だった。娘から橋の近くの川原で女の死骸が見つかったと聞かされた」

 つまり、忠兵衛はおかつが運ばれたかもしれない舟の音を聞いたということかと、源三郎は理解した。

「泊の日誌は調べたんだろう」

 今度は忠兵衛が嘉兵衛に尋ねた。

「日誌だけでなく、泊の役人からも話を聞いた。その日の朝早くに泊に着いた大黒屋の舟は死骸を運ぶ隙間もないほど大根を運んでいた。日向屋からの依頼で白石村の大根を運んだそうだ。他の舟は午後になってから泊に到着している。時を考えると死骸を運んだとは考えられぬ」
「つまり、わしが聞いた舟の音は大根を運ぶ舟だったわけか」
「それがそうでもないのだ。高岡、例のことを」

 嘉兵衛に促され高岡は話し始めた。

「おかつの足取りを調べましたところ、柳町の京屋近くの長屋を出てから誰も姿を見ていないのです。死体のあった場所で殺された形跡がないので、城下の空き家を調べましたが、ここも人の出入りした跡がどこにもありません。まるで柳町から出ていないかのようで。柳町の茶屋は客をもてなすために屋根のついた小舟を持っております。舟は廓のそばを流れる小堀川を往来することしか許されておりません。ですが、修理のために船大工のところへ運ぶため、水門を開けて坂瀬川に出ることは可能です。実は十日の夜明け前に、水門を開けて坂瀬川に出た舟がありました。京屋の舟です」
「なんてこった」

 忠兵衛は額を右の手のひらで叩いた。

「つまり、おかつは京屋の舟で運ばれたということか」

 壱子の言葉に嘉兵衛は軽く肯いた。

「そう考えるのが妥当かと」
「柳町から坂瀬川までお姫様を背負った婿殿は骨折り損だな」

 忠兵衛はクッと笑った。

「申し訳ございません。私の考えが浅はかでした」

 壱子ははっとして源三郎に詫びた。が、源三郎は微笑んだ。

「申し訳ないなど。そなたを背負う機会などそうあるものではない」

 壱子の重みだけでなく、柔らかさも香りも感じられたのだから。
 そんな源三郎と壱子の眼差しのやりとりを高岡はまぶしげに見つめていた。



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