江戸から来た花婿

三矢由巳

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第三章 雷土颪は見た! 知り過ぎた女奉公人とカステイラ の謎は湯煙の彼方に

07 婿二人(R18)

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 城下で見つかった女の死体が郡奉行所の中間である千蔵の姉で、その姉は御分家に仕えていた。
 それがもし事実なら、大変な醜聞であった。

「なにしろ、千蔵に半年に一度送ってこられる物の中には珍しい菓子があり、先だってもカステイラが送られてきたそうで」

 カステイラ。江戸では金を出せば菓子屋で買うことができる。源三郎は買ったことがない。買えるような銭を持たされていなかったからである。
 カステイラを作ることのできる者を台所に雇っている大名家もある。江戸にいる頃、源三郎は山置家で飼っている鶏の卵から作られたカステイラを御馳走になったことが二回ある。回数を覚えているくらいだから、めったに食べられない菓子なのだ。
 当然、香田角でもカステイラを食べられる者は限られている。城の台所に江戸から連れて来た料理人がいて、殿様一家のために十日に一度くらい作ると聞いている。必要な卵が多い上に夏場は産卵が減るので頻繁には作れないのだ。源三郎も婚礼前に間食として三回だけ食べたことがあった。
 舅の弾正ももしかしたら殿からカステイラを下賜されることがあるのかもしれない。奉公人に配るほど大量にもらったのなら、婿である自分にもまわってくるはずである。だが、婿入り後、茶会を除いて、カステイラを食べたことはない。
 それはさておき、カステイラを手に入れることができる千蔵の姉の奉公先が普通ではないことはは明らかだった。

「カステイラなど、最近見たことはないが」
「そういえばそうでございますね」

 小者の亥吉は源三郎と違い、比較的自由に屋敷の内外を動ける。他の奉公人が珍しい贈答品の噂をすればすぐ耳にすることができる。

「大体、女の奉公人で、三十から四十というと、誰がいる。奥向きにはいないぞ」
「はい。手前も心当たりがおりません。下働き達には三十、四十の女子はおりますが、一昨日のことでございましょう。こちらへ出立した日でしたから、皆が見送っておりました。死体が見つかったのはその日の昼前。死んでから時が少々たっていたということですから、当家の奉公人とは思えません」
「ちょっと待て。死んでから時が少々立っていたというのは、噂か」

 熊田は死んでからどのくらい時がたっていたとか話してはいなかったのだ。

「はい。皆そのように噂しております」

 相変わらず香田角の噂は速いだけではないようだった。
 もし、まことに殺されたのが奉公人だとしたら、これは湯治をやっている場合ではない。岳父からすぐに帰宅せよと命令があってもおかしくない。ことによっては殿様が命じるかもしれない。

「亥吉、予定よりも早く帰ることになるかもしれぬ。そのつもりで」
「かしこまりました」

 亥吉が下がった後、源三郎は部屋に戻った。
 壱子はすやすやと眠っていた。寝息の艶めかしさに心が揺れた。
 いや、艶めかしいのは息だけではない。布団から覗く白い首筋が匂い立つようだった。源三郎は引き寄せられるように壱子の首筋に口づけた。
 温かく滑らかな感触に、源三郎の身体が疼いた。
 昨夜は熟睡していたようだから疲れはとれたに違いない。源三郎はそう判断した。
 それに、今日帰ることになったら、今夜はできないかもしれない。夜は明け切っていないようだから、まだ時はある。
 唇を離し、壱子の床の中に滑るように入った。

「お壱」

 耳元で囁いた。何も言わずに身体に深く触れるわけにはいかない。

「ううん」

 小さな吐息が漏れた。

「お壱、よいか」
「……源三郎さま」

 まぶしそうに見上げるまなざしに源三郎は胸の高鳴りを覚えた。なんと愛らしいことか。

「疲れがとれたようだな」

 そう言いながら、寝間着の身八つ口から手を入れた。まだ眠りから完全に醒めていない壱子はぼんやりとした表情のままである。
 指先が寝間着の下に隠された乳首に触れた瞬間、壱子はあっと声を上げた。

「源三郎さま、今いったい何時なんどき
「まだ七つくらいだろう」

 明け六つを過ぎても曇り空のせいで暗いのを幸いに、源三郎は少しばかりごまかした。

「じきに夜が明けます。それなのに」

 壱子の声にはどこか非難めいたものが感じられた。今までそんなことはなかった。源三郎は不安を覚えた。もしかすると、朝方にこういう行為をすることにうしろめたさを感じているのかもしれない。だが、夜だけでなく昼間でも人は愛の行為をするものである。夫婦なのだから、そういうことにも慣れてもらわねば困る。

「そなたが愛しいのだ」

 壱子は目を閉じた。承諾の印だと思い、乳首を指先で摘んだ。

「申し訳ございません」

 吐息ではない声が口から洩れた。

「お許しください」

 おかしい。これは一体どういうことなのか。
 身体に触れてから壱子が拒むというのは、これまであまりなかった。初めての口吸いの時にうろたえたぐらいで、壱子は乳房に触れられれば、いや、恥かしいと口では言うけれど身体は素直に源三郎を受け入れていた。
 源三郎は身八つ口から手を出し、思い切って裾を割り、手を両足の間に入れた。

「いけません」

 手荒なことはしたくなかったので、ほとのあたりをぐるりと指先でなぞってみた。そこに湿り気はなかった。いつもなら潤いがあり、愛撫をすればたちまちしとどになるというのに。

「これは……」

 初めてのことに源三郎は動揺した。まさか、身体が受け入れてくれぬとは。
 自分は何か壱子の身体に苦痛を与えるような行為をしたのだろうか。だから身体が受け付けぬのか。だが、心当たりはない。一昨日の晩はあれほど互いに求め合い、快楽に溺れたというのに。

「お壱、いかがした。私がいけないのか」

 身体から手を離した源三郎は、真剣な表情になっていた。
 壱子は唇をわずかに震わせるように言った。

「いえ」
「嫌な事があるのなら、教えてくれ。無理強いするつもりはない。朝はしたくないのか」

 無理強いして、源三郎との行為に嫌悪を感じるようになってしまったら元も子もない。

「そういうわけではありません」
「だったら、よいではないか。それともまだ疲れがとれぬのか」
「疲れはとれました。ただ、今はそういう気持ちになれないのです」
「何故、気持ちになれぬのだ」

 壱子は目を伏せた。

「お許しください」

 わけがわからなかった。月のものは終わっているし、昨夜も夕食はほぼ全部食べていた。夜もぐっすり眠っている。壱子の身体に支障があるとは思えない。ましてや気持ちになれぬとは。
 鶏の鳴き声が遠くで聞こえた。そろそろ里久が部屋の前まで来る頃である。
 ここは引き下がるしかあるまい。源三郎は壱子の布団から這い出した。

「申し訳ありません」

 小さな声を背中に聞きながら、源三郎は思う。
 何故、そういう気持ちになれぬのか。
 もしや自分に原因があるのではないか。あるいは、壱子の心に変化をもたらすような何かが起きたのか。
 それとも、父が原因なのか。大久間の別邸に行くことが決まったことを告げた時、壱子は父もともにと願っていた。殿様の命に背く不忠者になると言ったから諦めたものの、実際に大久間に来てみれば、湯はいいし食事もうまい。父を連れてこれなかったのを申し訳なく思い、自分だけが楽しんでいる状況を気に病んでいるのではないか。
 千々に心乱れ源三郎は小さなため息をついた。





 同じ頃、城下の町奉行所内にある倉島重兵衛宅の離れの床の中では若夫婦が早朝から戯れていた。

「お志佳しか……」

 平兵衛は妻の慎ましやかな胸を揉みしだきながら、抽送を繰り返していた。彼の身体の動きにつれて妻の喘ぎは激しくなっていく。

「あ、あっ、あああっ、だ、だんなさまあああ」

 同い年の二人は相性が合うのか、結婚当初から仲睦まじかった。父の重兵衛が川合家の平兵衛を婿に選んだのは彼の器量もさることながら、娘の志佳の思いを汲んだためでもある。
 江戸に出る前、戌亥町の小ヶ田道場に通っていた平兵衛は大手町の町奉行所の前をよく往来していた。血気盛んな道場通いの若者達を重兵衛は時折奉行所内の自宅に招き、団子などを馳走した。娘の婿になるような見どころのある若者を探すためである。眼鏡にかなったのが、平兵衛だった。快活なだけでなく作法をわきまえており、周囲の状況をよく見て行動していた。年少の者達も平兵衛を頼りにしていた。剣の師である小ヶ田頼母も平兵衛の人柄を高く評価していた。
 娘の志佳もまた団子を食べに来る平兵衛を他の若者に対する視線とは違う視線で見つめていた。町奉行である父親は母親よりも早く娘のまなざしにこもる熱に気付いた。
 そうこうするうちに、平兵衛の江戸詰めが決まった。娘の思いつめたような顔を見て、父親は決断した。
 小ヶ田頼母を介して城代家老に話を通すと、驚くほどたやすく話は決まった。家中では先代の殿の御生母梅芳院、先代の殿、その異母弟竹之助が相次いで亡くなり、祝い事は控えねばならなかったので公にはしなかったが、重兵衛は自分にもしものことがあっても安心と思った。
 ところが、意外なところから横槍が入りかけた。
 御分家から川合家に平兵衛を娘の婿にと話があったのである。川合平右衛門は倉島家との縁談を理由にきっぱりと断った。それを知った時、重兵衛は肝を冷やした。格上の御分家との縁談を断るなど普通の家の者にはできない。さすが城代様と感じ入った。
 後に平右衛門は重兵衛にこっそりと語った。

『あのような舅では、倅はいびり殺されてしまいかねん。わしとて三日ももたぬわ』

 平兵衛は自身の縁談を帰国前に江戸で知った。彼もまた同じことを思っていた。いくら壱姫が可憐であっても、その父親は別である。それに彼の記憶の中の志佳はよく笑う娘だった。平兵衛は志佳の笑顔と声を好ましく思っていた。
 というわけで、平兵衛はこの日も朝から志佳の声を堪能していた。

「もっと声を出してよいのだぞ」
「恥ずかしうございます。あっ、そんな、まあっ、いや、いいいっ」

 奥を幾度も突かれて志佳は時も忘れて、声を上げ続けていた。

「今宵は、できぬゆえ、その分までな」
「ひっ、はあっ、旦那さまあ、そこは、おゆるしを……ああ……」

 そろそろ起きて母屋に行き、母の手伝いをせねばならぬのにと思いながらも志佳は夫の身体から離れられなかった。少女の頃に見初めた少年が夫となっただけでも幸せなことなのに、夫から夜ごと、日ごと愛される日々は甘露のようであった。志佳の身体は夫なしではいられなくなっていた。ましてや、夫は今日大久間に御用のために出かける。数日は帰って来られぬのだ。今宵の寂しさを想像すると離れがたかった。
 それでも何事にも終わりはやってくる。
 平兵衛は不意に動きを止め深い息を吐いた。志佳は幸福な昂ぶりを感じていた。
 しばらく抱き合ったままでじっとしていると、不意に口吸いをされた。このひとときが志佳は好きだった。この城下に自分以上に幸せな女がいるだろうか。

「留守を頼む」
「はい」

 寂しいとは言えない。養子の平兵衛は父の後を継ぐために様々な仕事をしなければならないのだ。仕事ができなければ養子失格。志佳との先々の幸せもない。





 それから一刻ほどたった頃、倉島平兵衛は馬上の人となっていた。
 義父重兵衛の命令である。
 昨夜遅く、山置弾正の屋敷から戻って来た重兵衛は平兵衛を私室に呼んだ。何事かと思った平兵衛が見たのは不機嫌さを隠そうともせぬ重兵衛の表情だった。

「何があったのでございますか」
「どうにもこうにも、弾正め」

 御分家の当主を呼び捨てにするとは尋常ではない。おかつの件で御分家の屋敷に行った義父は恐らく弾正から話を聞くことができなかったのだろう。

「おかつという女子はいたが、すでに奉公を辞めておるので当家に関わりはないと言う。では奉公人から内々に話を聞かせてもらえぬかと言えば、何と言ったと思う」
「町奉行の関与することではない、と」
「その通りだ」

 その通りと言われても、あまり嬉しくない話であった。

「目付を通せと。だがな、そんなことになったら事が大袈裟になる。大袈裟にならぬようにわざわざ暗くなってから密かに参ったというのに」

 重兵衛はけんもほろろの扱いを受けたらしかった。

「まことに目付を通せば、いかなることになりましょうや」
「森殿は容赦せぬ。そなたもよく知っておるだろう」

 同じ道場の先輩にあたる森左源太は気性のまっすぐな男であった。仕事ぶりも真面目である。目付として、年上の者達からも恐れられていた。

「御分家の兄の隠居の件は知っておろう」
「はい」

 その事件は幼い時の話であまり記憶に残っていないが、それでも沢井清兵衛が腕を負傷した話はよく覚えている。江戸詰めの時に小姓長屋でふとした折に話題になり、年上の者から話を聞かされて概要は知っていた。

「御分家は殿の御勘気をこうむってもおかしくはないのだ。なれど、御老中を勤めた加部豊後守様の子息であり、殿の奥方様の叔父である方を婿に迎え少々強気になっておられる。そこへこの一件だ。目付としては、御分家に釘を刺しておきたいであろうな。おかつが元奉公人とわかれば、御分家の内情を容赦なく取り調べ、殺害に関わりがなくとも、わずかでも落ち度があれば厳しく対することになろう。そんなことになれば、江戸の奥方様やそのご実家加部家の御機嫌を損ねることになる」

 確かにそうなるだろう。森は忖度ということをしない。目付にはうってつけの性格と言えるが、事と次第によっては面倒なことになる。
 重兵衛が事が大きくならぬうちに町方だけで取り調べて解決したいというのは、見ようによっては「事勿れ」、平穏無事に済ませたいという消極的なやり方だが、御分家に傷をつけぬ配慮であるとも言えた。
 それが御分家にはわからぬはずはないのだが。

「本当に目付に話してもいいと思っておいでなのでしょうか」
「できるものならやってみよということであろう。こちらが下手に出たのを幸い、うやむやにして欲しいのであろうよ」
「まさか」
「辞めたから関わりのない奉公人ゆえに町方で調べよということだ。なれど、町方だけを調べて分かるものとは思えぬ。文助という奉公人が京屋へ来た翌日におかつが店を出たというのが気になる」
「では、奉公人が外に出た折に話を聞くというのは」
「恐らく、奉公人どもも主の意を受けて何も語るまい。こうなったら別の方向から調べねばならぬ」

 と言われて命じられたのが大久間行きだった。

「大久間の出湯にある別邸に、弾正の娘夫婦が滞在している。おかつがなぜ屋敷を辞めたのか、娘ならば詳しいことを知っているかもしれぬ」
「確かに」
「それから、玄蕃殿にも屋敷の内情をきいてくれ。そなたなら、うまく聞きだせるはず」

 同じ婿養子という立場を利用しろということらしい。

「玄蕃殿の此度の大久間行きは殿の命だ。ゆえに、弾正が帰って来いと命じても帰るわけにはゆくまい」
「もし、御分家様が殿様に帰宅を願い出たらいかがなりましょうか」 

 他の家臣ならともかく弾正は殿の一族である。病になったとでも言って娘夫婦を大久間から戻すように殿に命じさせることもできよう。そうなれば、屋敷から出さず町方が近づけぬようにすることも可能だろう。

「そんなこともあろうかと、岡部へ寄って参った」
「岡部惣左衛門ですか」

 重兵衛はうなずいた。
 岡部惣左衛門は平兵衛もよく知っている。殿とは兄弟同様に育ち、同じ小ヶ田道場に通った仲である。殿の用人として仕え、気性をよく把握していた。彼なら弾正が何を言ってきても、うまくかわしてくれるだろう。
 
「殿はこの一件をご存知だ。岡部が申すには、殿は詳細を知りたがっておいでのようだ」

 さもありなん。殿は卯之助と呼ばれていた頃から好奇心旺盛だった。立場上、今はあれこれ口にすることはできないが、興味を惹かれているはずである。

「明日は城へ出仕する。恐らく、その折にこの件をお尋ねになるであろう」
「殿のことですから、よく調べよと仰せになりましょう」
「なぜなぜ小僧だからな」

 重兵衛も殿の幼い頃のあだ名を知っていた。平兵衛は笑いそうになったが堪えた。





 倉島家の馬は城で飼われていた名馬香月の血を引いている。平兵衛を乗せた水無月もまた香月の血ゆえか、強い脚を持っていた。普通の馬なら二刻かかる道のりを一刻と半分で走ってしまう。
 途中の村で一回だけ休憩し、昼前には大久間郷の見える峠に着いた。
 峠から見下ろせば、湯煙があちこちから立ち上っている。
 湯治ならさぞかし楽しかろう。だが、ここへ来たのは義父の命である。平兵衛は息を整え、気を引き締めた。





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