江戸から来た花婿

三矢由巳

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第二章 天狗騒動

16 墓の掃除

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 翌朝、源三郎は啓哲とともに仏間にいた。
 分家では城の本家同様に当主と世継ぎは朝食前に仏間の御先祖様の位牌にお参りするのが習わしだった。
 本来なら、祝言の翌日にともに仏間に参るはずだったのだが、貞蓮院の一件で啓哲が早朝出仕したのでこの日が初めてのそろってのお参りとなったのである。
 初めてということで、啓哲は位牌の持ち主について説明をした。

「こちらが当家開祖の寛樹院様のご位牌。寛樹院様は諱を啓幹たかもと様といい……」

 と延々と続いた。
 源三郎は空腹をこらえて話を聞いた。

「それからこちらは我が父真輝院。これは先代の圓篤えんとく院。以上」

 圓篤院の位牌だけが小さかった。恐らく、これは本家を憚ってのことなのだろうと源三郎は推測した。藩主の血を引く子どもを害しようとしたとなれば、まともに祀ること自体憚られるに違いなかった。しかもその子どもが藩主となった今は口にすることもできぬ名かもしれない。
 その後、礼拝をしてやっと長いお参りが終わった。この後は、またも啓哲との朝食である。昨日のことを思い出すと気乗りはしないが、空腹には勝てない。
 麦の混じった飯と干し椎茸で出汁をとった味噌汁、焼いた豆腐、豆の煮物、青菜の漬物と、茶色の多い朝食だった。源三郎には飯と汁が温かいというだけで満足だった。兄達が食べた残りの冷や飯を食っていたからである。
 すべて平らげた後、一礼すると、啓哲が言った。

「朝からよく飯が入るな」
「はい。おかげさまで腹だけは丈夫で」
「食べるのだけは一人前か」

 反論したくてもできない。啓哲が昨日言ったように、自分は山置で何もできなかったのだから。

「今日は昼まで評定所に参る。そなたは盆の準備として、玄龍寺に参り御先祖方の墓の掃除をしておくように。午後は追って沙汰をする」
「かしこまりました」

 どうやら仕事がなくて暇をもてあますということはなさそうだった。



 啓哲の出仕を玄関で見送った後、源三郎は井上徳兵衛、亥吉とともに玄龍寺に向かった。千崎弥右衛門は文庫方の、山川平四郎は山奉行の加勢に行くことになっているので、加勢を頼めなかった。
 通りは出仕のため城へ向かう者達が多かった。皆、源三郎に気付くと一礼した。墓の掃除に行くだけなのにと思うと、面映ゆかった。
 秋になったとはいえまだ暑く、玄龍寺に着いた頃は身体中から汗が噴き出していた。
 寺に行き、庫裏くりにいる若い僧に声を掛けると、驚かれた。

「婿様がお清めになるのでございますか」
「これが婿の仕事と言われたゆえな」
「さようでございますか、それならばご案内いたします」

 源三郎はなんとなく嫌な感じがした。徳兵衛も眉を顰めて小声で言った。
 
「まことに婿の仕事なのでしょうか」 
「父上が言うのだからそうなんだろう」

 ここで文句を言っても仕方あるまい。それに先祖の墓をきれいにするというのは子孫としては当然のことだった。今朝仏間で教えられた戒名のおさらいにもなると源三郎は案内の僧について行った。一度は参詣したことがあったが、初代の寛樹院の大きな墓石以外は皆似たような大きさで、区別がつかなかったのだ。
 墓石は思いの他に多かった。以前、参詣したのは当主の墓だけだったので大した数はないと思っていた。ところが、当主四人以外にその夫人達、結婚せずに亡くなった子ども等合わせて二十基近くあった。中には次男、三男として生まれ家から出ることなく亡くなった者もおり、源三郎は自分もそうなっていたかもしれぬと思うと、なんともいえぬ気持ちになった。
 壱子の母のものもあった。戒名は妙観院といい、小さな墓だった。隣に一基分の空き地があったので、そこに啓哲もいつか入るのだろう。さらにその手前の空き地には自分と壱子が入るのかと思うと不思議な気がした。
 だが、五代目に当たる圓篤院こと啓幸の名を書いた墓石はなかった。出家してこの寺に入ったというのにおかしなことだった。

「つかぬことを聞くが、圓篤院様の墓はどちらに」

 若い僧は不思議そうな顔をした。

「えんとく院様ですか。上の者にきいて参ります」

 若い僧が戻るまで、とりあえず墓の掃除をすることにした。襷をかけて股立ももだちをとり、屋敷から持って来た藁を丸めた束子を手に一番大きな寛樹院の墓から掃除を始めた。
 以前、墓参りに行った時、さほどきれいとは思えなかった苔むした土台の石まですべてこすり水で流すとすっかりきれいになった。
 墓の掃除であっても、何かをやり遂げたという満足感が源三郎の気分を高揚させた。
 寺の井戸から水を運んで来た亥吉もこれは大したもの、これだけきれいになったら御先祖様もお喜びでしょうと言った。
 徳兵衛と競うように洗っているうちに、以前に足を引っかけそうになった小さな墓石に気付いた。戒名も書いていないから、幼い頃に亡くなった子どものものであろうと思った。束子でこすってすっかりきれいにして水を流した。あの重兵衛とりつの赤子のことが思い出された。

「玄蕃様」

 そこへ若い僧とともに年配の僧侶が現われた。

「お忙しいところ、わざわざありがとうございます」

 源三郎は僧侶に会釈した。

「おそれおおいことにございます。圓篤院様のお墓でございますが、その石がそうでございます」

 僧侶は源三郎の足元に目を向けた。そこには先ほど洗ったばかりの小さな墓石があった。

「これが……」

 いくらなんでもこれは小さ過ぎるのではないか。位牌は石の大きさに合わせたということか。前に参詣した時は危うく足を引っかけて倒すところだったのだ。この先、またそういうことがあるかもしれぬのに。

「かたじけない。教えてもらわねばわからなかった」

 僧侶は辺りを見回し、源三郎達しかいないことを確認し小声で言った。

「あまり、圓篤院様のことを口にせぬがよろしいかと存じます。誰が見ているかわかりませぬゆえ」

 やはり圓篤院の名はいまだに城下では口にするのも憚られるらしい。
 
「わかった」

 僧侶たちはその場を離れた。

「圓篤院様というのは先代の方ですね」

 徳兵衛も名は聞いているようだった。

「何かあったのでしょうか」
「その件は後で話す。まずは終わらせよう」

 掃除を終え、墓に線香を供え手を合わせた。桶や束子を洗って来た亥吉が戻って来た。

「旦那様、方丈様がお茶をいかがかと」

 方丈とは曹洞宗での住職の呼び方の一つである。まだ昼には少し間があったので、源三郎は接待を受けることにした。



「圓篤院様は、まことに立派な方でございました」

 玄龍寺の方丈清圓せいえんは静かに微笑んだ。齢七十を越えているという清圓の歯は前歯数本しか残っていない。だから時々、口から息が漏れてはっきり聞き取りにくいところもあった。「様」が「しゃま」と聞こえてしまうのも致し方なかった。

「貴方様が御分家の婿においでになって、さぞかし喜んでおいででしょう」
「おそれいります」

 そう答えながらも源三郎は方丈の言葉の意味を考えていた。圓篤院こと啓幸は、幼かった隆礼を殺そうと謀った人物である。そんな人物をまことに立派と言うのは、まずいのではないか。しかも、それに賛同したりしたら、源三郎もまた隆礼に対して含むところがあるのではないかと邪推されかねない。なにしろ、この箱庭のような領内はすぐに噂が駆け巡るのだ。命取りにもなりかねない。

「祖先の墓を磨き清めるのは子孫として当然のことでございますから」

 あくまでも祖先の一人でしかないという意味で源三郎は言った。

「いえいえ、あのような小さな墓石まで清められるとは、誰にでもできることではございません。御覧になられた通り、他の墓に比べ少々ぞんざいにされておりました」

 確かに新しい墓石の割にはあまりきれいではなかった。苔が三分の一以上を覆っていた。まるで早く朽ちよと言わんばかりの扱いであった。
 だが、この墓のことをこれ以上話題にするのは危険だった。話題を変えることにした。壱子の母のことなら差し支えあるまい。

「ところで、方丈様は分家のことにお詳しいようなので伺いたいのですが、妙観院様のことを教えていただきたい。妻の母のことを私はよく知らぬので」

 妻という言葉を発した時、少しばかり胸が高鳴った。壱子のことを妻というのに、まだ慣れぬせいかもしれない。いつ慣れるのだろうか。

「心のきれいな信心深い方でございました」

 僧侶が女人の美醜を口にするわけにはいくまい。結局内面のことになるのであろう。それに、奥方と顔を合わせることはあまりなかったのかもしれない。

「京からおいでになったとか。さぞや風流を好む方だったのでしょう」

 源三郎も知らないから推量でしか言えない。

「さようでございます」
「妻が源氏の物語などに詳しいので、母御もさぞやと」

 僧侶に源氏の物語のことを言ったのはまずかったと思ったが後の祭りだった。作者の紫式部が源氏物語という虚構の色恋の話を書いたために地獄に落ちたという話もあるくらいなのだ。
 だが、清圓は穏やかに微笑んだ。

「さようでございます」

 源三郎は安堵した。だが、これ以上長居をするととんでもないへまをして噂になるやもしれぬ。
 茶菓子の落雁を懐紙に包み、かたじけない、これにてと挨拶して部屋を出た。
 外で待っていた徳兵衛と亥吉は庫裏で冷えた飴湯をもらったとのことだった。

「ここの水は冷たくて結構ですね。江戸の冷やし飴よりもうまい」

 亥吉はよほど寺の飴湯が気に入ったようだった。
 山門を出ると、朝とは違い町人の往来が多かった。それでも子どもの姿はほとんどない。いてもしっかり親が手を握っていたり抱いていたりする。

「天狗のせいですね」

 亥吉の言葉に、源三郎ははっとした。

 

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