江戸から来た花婿

三矢由巳

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第一章 三男坊、南へ

18 ここは魔境か仙境か

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 翌日早速寺社参詣が始まった。
 藩主の無事帰国を神仏に報告するためだが、今回は源三郎が分家の婿になるということで、挨拶まわりの意味もあった。寺社は信仰の対象であるが、それ以外にも領内では影響力を持っている。寺では現代で言えば戸籍原簿にあたる宗門人別帳を作成しており、彼らが切支丹でないことを証明していた。また、寺社はそれぞれに田畑を有しており農民を抱えていた。無視できない勢力だった。
 一日目は山置家一族の菩提寺玄龍げんりゅう寺、城下西側にある安寧あんねい寺、隣接する尼寺照妙しょうみょう寺に参詣した。この三つの寺は領内でも由緒ある寺とのことだった。
 玄龍寺では本家だけでなく分家の代々の当主の墓所にも参った。どれも藩主のものほどではないがそれなりの大きさがあった。が、一つだけ他と比べて小さな墓石があった。源三郎は危うく足をひっかけて石を倒しそうになった。控えていた弥右衛門は冷や汗をかいた。源三郎は人が足を引っかけそうな場所に墓を建てるとはと文句を言いたくなったが、悪かったととりあえず墓に手を合わせた。勿論、父に言われたように山置隆朝の墓にも詣でた。
 安寧寺は明暦の頃にあった火災の死者を弔う寺だった。向島の回向院のような寺だと源三郎は思った。
 最後に参詣した照妙寺には隆礼の生母の墓があった。また先代の隆迪の生母の墓もあった。どうやら側室はこの寺に埋葬されるらしい。隆礼は二つの墓に長く手を合わせていた。
 寺には尼寺らしく身よりのない女性や子どもを預かる施設があった。子どもは手習い、女性らは糸繰や機織りに精を出していた。寺の敷地には桑が植えられ養蚕が行なわれ、蚕の供養塚もあった。織られた布は領内の商人に売られ施設の運営費になるということだった。
 ここで側室が城内で蚕を育て、糸を寺に寄進していると聞いて、源三郎は驚いた。加部家の正室や側室は狆や猫は可愛がるが、蚕を育てたりしない。

「いやはや、これはすごい。加部の母など狆のことばかりだ。領内の者にかような目配りをするとは、お国の御方様は少し違うな」

 思ったことをそのまま言うと、隆礼は少し照れたようだった。

「先先代の殿の御方様がきちんと道筋を立ててくださったのです」
「分家としても何か手伝わせてもらわねばな」

 源三郎の言葉に隆礼は嬉しそうに微笑んだ。

「かたじけない」

 源三郎もまた自分がすでに分家の一員になる気になっていることが自分でも不思議だった。



 城下から六里離れた陰陽神社参詣はその翌日から一泊二日の小旅行となった。
 源三郎が乗り物に乗りたくない、馬に乗りたいと言うと、隆礼は承知してくれた。とはいえ、何かあった時のために源三郎用の乗り物の用意もしてあったが。
 道中、山川平四郎は興奮しっ放しだった。源三郎も驚く景観が広がっていたが、それ以上に平四郎の興奮のほうが驚きだった。彼は歩きながら、ああ凄い、これはいいと言い、木の葉を拾って紙に挟んでいた。後で押し葉を作るのだと言う。鹿や猿は江戸からの旅で散々見てきたはずなのだが、ここの生き物はまた違うと言う。なんでも子ザルが丸々としていて、餌が豊富なのだと言う。
 休憩場所の近くに川床に白い石ばかりが見える浅瀬があった。平四郎は碁石が敷き詰められたようだと目を輝かせた。
 その日は白石という村にある殿様の御休息所という屋敷に宿泊した。殿様一族しか泊まれぬ屋敷で、源三郎はその一室に入った。
 源三郎は疲れた身体を休めていたが、しばらくすると千崎弥右衛門が茶を持って入って来た。

「今、殿様の小姓の小ヶ田与五郎から聞いたのですが」

 そう前置きして弥右衛門はとんでもないことを語った。
 
「飛騨守様が雷土いかづち山の木を伐り出す許しを得るために山伏を召したそうです。話を終えた後、山伏はいづこともなく消えてしまったそうです。屋敷を出る姿を誰も見ていないとか」
「夢でも見ていたのではないか」

 源三郎は笑ったが、その夜、隆礼本人から山伏との会談の内容を聞かされてみれば、まんざら嘘とも思えなかった。



 翌日は白金しらかね川原という白い石の川床の見える坂瀬川上流の川原で身を清めた後、徒歩で陰陽神社へ参詣した。殿様といえど、乗り物に乗っての参詣は許されないのだ。
 ここで源三郎と三人のお供、亥吉はとんでもないものを見ることになった。
 陰陽神社は室町時代に山置家の初代が川岸にそびえる陰陽石に跡継ぎに恵まれるように祈願したところ、男子が誕生したことを祝い、建立された神社である。御神体は勿論陰陽石である。以来、領内は勿論、他の土地からも、子宝祈願、安産祈願の善男善女が参詣するようになったという。
 源三郎は神社のある村の入口の橋の上から見える御神体の威容におおっと声をあげた。こんな大きな陽石を見たのは初めてだった。関東近郊の神社で御神体の陽石を神輿にしている祭りがあると聞いたことはあるが、これは神輿に乗るような代物ではない。
 供の三人も、亥吉もやはり驚きで目を見張った。一行は鳥居をくぐり、社殿の前を通って御神体へと向かう。
 高さ九間(約十六・三メートル)余りの陽石は近づけばいよいよ神々しい。川の対岸の崖にある陰石も溝の長さ二間一尺(約三・九メートル)余り。見事な御神体であった。
 有難い御神体に皆頭を垂れずにはいられなかった。

「あれはなんだ」

 唐突に千崎弥右衛門が叫んだので、皆顔を上げた。
 源三郎は冷たいものを顔に感じた。雨ではない。頬を拭うと白い液体が手に付いた。どこから落ちたのか見上げると、陽石の最上部からである。勢いが次第に増し、対岸の崖の陰石めがけて液体が飛んで行く。当然のことながらしぶきは陽石の根元にいる源三郎達にも飛んできて、羽織を白く汚した。
 源三郎はこれ以上汚すわけにはいかぬと陽石から離れた。だが、隆礼は何を思ったのか、白い水が降り注ぐ川岸へ向かって駆けてゆく。彼は頭から羽織まで白い水を浴びているにもかかわらず、興奮したようにおおっと幾度も叫んでいた。
 やがて、水は勢いを失ってぴたりと止まった。
 周辺の人々は我に返ったように、陽石に向かって頭を垂れた。
 源三郎も慌てて頭を下げたが、一体これは何なのか、わけがわからなかった。豊後の沖を船で航行している時に、平四郎が豊後の別府という出湯の里には地獄というのがあって地中から熱い湯が四半時おきに噴き出してくると話していたが、その類であろうか。だが、この液体は熱くなかった。それに定期的に起きることでもないらしく、皆驚いていた。大体、石から水が吹き出すなどどう考えても理屈に合わない。石の隙間から水が漏れることはあるかもしれないが、果たしてこれほど勢いよく飛び出すものであろうか。

「一体、これはなんだ」

 山川平四郎も不思議に思ったようで、すぐに禰宜ねぎらにあれこれと質問していた。
 一方、隆礼は目を輝かせていた。

「これが見たかったのだ」

 どうやら、初めて起きた現象ではないらしい。それにしても隆礼をこれほどまでに狂喜させるとは。源三郎は改めて石を見上げた。石は何事もなかったようにただ聳えていた。人々が興奮していようが喜んでいようが、石は石のままである。

「なんという恐ろしい石だ」

 自分の身体が震えているのに源三郎は気付いた。先ほどのありさまを絵に描いても江戸の者は誰も信じないだろう。それほどありえない光景だったのだ。いくら考えても、源三郎の知識では理解できなかった。いや、恐らくここにいる者皆理解できない事態だったのだ。神が存在して、この現象を起こしたと解釈しない限りは。

「一体、ここは、香田角というのは、どういう場所なのだ。神がおわすのか」

 その問いに誰も否とは答えなかった。


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