江戸から来た花婿

三矢由巳

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第一章 三男坊、南へ

17 とこなつ

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 さて、城の御座の間では源三郎と舅となる山置弾正啓哲の対面が続いていた。

「とこなつとは撫子」

 啓哲はあっさりと答えた。

「なでしことは花の」
「さよう。後撰集に人知れず我がしめし野のとこなつは花咲きぬべき時ぞ来にけるという歌がある。それをふまえて文を送ったのだが」

 源三郎の背筋に冷たい汗がたらりと流れた。今は五月。夏である。それなのに。
 文とは先日、白川常右衛門が持って来た文のことだった。あれはただ単に庭の花が咲いたという時候の挨拶ではなかったのだ。人知れず大切に育てている撫子が咲く、つまり、うちの可愛い娘が花開くという意味だったのだ。源三郎とて歌の中で撫子が「かわいい我が子」を意味することは知っている。だが、「とこなつ」という別名があることは知らなかった。それに後撰集も読んだことがない。

「申し訳ありません。存じませんでした」
「これを機会に学んでくださればよいこと」

 そう言った啓哲の穏やかな表情に源三郎は安堵した。これ以上とこなつ一つでネチネチと言われてはたまらない。
 だが、啓哲の胸の内では怒りの炎が燃え盛っていた。知らぬことを平然と存じませんと言う。恥ずかしいとは思わぬのかと。少しは顔を赤らめればかわいげもあるものを。やはり年下と侮っているのではないか。こんな男を当家の婿にせねばならぬとは屈辱ではないか。いくら本家とはいえ、いくら元老中の子息とはいえ、かような男を選んだ上に年齢を偽るとは。年齢は書面の上のことだけで、まことは子年と言えばよいものを。
 そんな舅の胸の内も知らず、源三郎は崖崩れの修復の礼などを伝えた。

「いえいえ、これは当然のこと。飛騨守様の初めてのお国入りなれば、粗相のないようにと思い。山道やまじ越えむとする君を心に持ちておりましたゆえ」

 啓哲の言葉に源三郎はびくりとした。後半は恐らく、何かの歌を下敷きにした表現であろう。だが、悲しいかな、源三郎には理解できなかった。だから、それを受けての返事ができなかった。
 啓哲は内心焦っているであろう源三郎を見て、やはりと思った。もし意味がわかったら平然としてはいられまい。

「心に持ってくださり、まことにかたじけない」

 源三郎にはこれが精一杯の返答だった。



 啓哲は次は当家での宴で会いましょうと言って部屋を出た。源三郎は初めての舅との対面にすっかり疲れてしまった。旅の疲れもさることながら、心が疲れた。
 そこへ隆礼が戻って来た。酒が入っているせいか、表情が緩んでいる。

「いかがであったか、対面は」

 他人事だと思っていると源三郎は思った。わざとらしくため息をついてみた。

「あれが舅か。祝言の前に歌詠めとか言われるんじゃないか」
「源三郎様には絵と剣術があるではありませんか」
「剣術って、挨拶に来た小ヶ田氏とか井村氏とか、あれは何だ。俺、殺されるんじゃないかと思ったぞ。香田角の家中にあのような手練れがおるとはな。剣術が得意などとはとても言えぬな」

 少々大袈裟に言ってみた。
 
「では井村道場にでも習いに行かれては。源三郎様が通うようになれば、井村先生も喜びましょう」
「冗談でもやめてくれ。御家中の方々はまことに腕の立つ方々がそろっておるのだな。江戸ではあそこまでの殺気を感じさせる道場主はいないぞ」

 隆礼はさすがにそれは大袈裟なと思ったのか、話を変えた。

「それはそうと、姫に一度会いにおいでになったら」

 その言葉に源三郎はぎくりとした。隆礼は美しい姫であったように思うと言った。そうかもしれぬ。あの絵姿通りならば。父親も顔かたちが整っていた。父親に似ているのなら美しいかもしれぬ。

「これで姫が不細工だったら、俺は江戸に帰るぞ」

 おどけて言ったが、それが不可能なことは源三郎にもわかっていた。

「あちらが嫌だと言うかもしれません」
「願ったりかなったりだ」

 姫に嫌われ、普通の会話に歌を交える男を舅と呼ばねばならぬくらいなら、江戸に帰ったほうがましに思えた。だが、江戸に居場所はなかろう。
 明日の話をした後、源三郎は自分に宛がわれた御殿の中の部屋に入った。客分として城内の御殿に宿泊できるというのは大変な厚遇だった。寝具も旅の間よりも一段といいものだった。けれど、夢の中で啓哲にわけもわからず叱られたり、絵姿の壱子に逃げられたりしたせいか、朝の目ざめは最悪だった。



 その夜、啓哲が城から屋敷に戻ると、壱子が出迎えた。背後では白川がいつものごとく冷静な顔で控えていた。

「父上、お話があります」
「何かあったのか」

 出迎えの時に、壱子から話があると言われたことはめったになかった。よほどのことに違いない。
 着替えた後座敷に行くと、壱子が一人端座していた。白川はいなかった。どうやら壱子が人払いしたらしい。

「して話はなんだ」

 城で会った婿のことをきくわけではないようだった。壱子の顔は嫁入り前の娘というよりは戦いに臨む者のようであった。

「父上、此度こたびの縁談の相手の本当のお年を知っておいでですか」

 どうやら壱子の耳にも入ったらしい。城でもこそこそと話している者がいるのは気付いていた。さすがに城代の川合や家老の沢井は口にしなかったが、知っていてもおかしくない。だが、どういうわけで話が広まったのか、啓哲は不思議で仕方がなかった。白川常右衛門に下賜された鼠の根付のことは啓哲と常右衛門の家族しか知らぬはずである。それはともかく、壱子はどう思っているのか、知る必要があった。いずれ離縁させるにしても、とりあえず祝言を挙げて子どもをしてもらわねば困るのだから。

「知っておる。三十五であろう」
「いつ知ったのですか」
「昨夜だ」

 そう言った途端に、壱子の切れ長の目の目尻から涙がこぼれた。これには啓哲も驚いた。壱子はめったなことでは泣かない娘だった。実の母親が死んだ時も涙をこらえていたのだ。

「ひどい。父上はたばかられたのですね」

 たばかられた。確かにそうかもしれない。だが、泣くほどのことなのか。啓哲としては、今回の件で本家に貸しができたと思っている。当主より年上の婿を文句も言わずに黙ってもらうのだから、それ相応の見返りを要求してもバチは当たるまい。
 だが、娘は父が騙されたと憤っているようだった。まずかった。もし祝言が嫌だなどと言われ縁組を断ったら、逆に本家に借りを作ることになる。本家も加部家にはそれなりに礼を尽くして縁組話に尽力しているのだから。それを猫の子をやりとりするように源三郎を元の家に戻すなど、簡単な話ではない。
 これはよほどうまく娘を説得しなければとんでもないことになる。

「お壱、すでに結納も交わし、決まった話なのだ。たばかられたなどと言うものではない」
「父上とて最初からご存知ではなかったのでしょう。いくら殿様とはいえ、年齢を偽るなど、武士のすることではありません」
「御公儀に届け出る時に年を変えて書類を出すことは珍しうない。飛騨も悪気はなかったのであろう。それにまことの年齢を知らなかったかもしれぬ。源三郎殿は若く見える方ゆえ」

 実際、そうだった。源三郎は若く見えた。頭が軽いから若く見えるのだと啓哲は思っている。

「では、お相手の加部様が飛騨守様をたばかったのですか」
「たばかるつもりはなくとも、飛騨はまだ若いゆえ、年がわからなかったのであろうよ。縁談が決まって、年齢を知ったのかもしれぬ」
「でも、父上、源三郎という方は貞眞院様の兄上。年齢も知らぬのに縁談を決めるなどということがあるのでしょうか」

 壱子は涙を拭く事も忘れて言った。その表情が亡き妻に似ていて、啓哲は恐ろしくなった。妻は口喧嘩では負けたことがなかった。

「江戸表のことはようわからぬ。だが、貞眞院様は貞淑な貴婦人と聞いている。かような方が人をたばかるつもりで縁組の話を持ち出すはずがない。恐らくは、そなたには年の近い男よりも、思慮深い年の離れた男が似合っているとお考えになったのではないか。いつぞや、そなた、貞眞院様にお悔みの文を送ったであろう。あれをご覧になって、そなたがしっかりした娘だと思われたのやもしれぬ」

 お悔みの件はたまたま思い出したことである。実はまことに貞眞院がそれを読んで縁組の相手は源三郎がいいと思ったことなど、啓哲は知らなかった。

「ならば、最初から本当の年を知らせればよいはず。父上は悔しくないのですか」
「悔しいものか」

 本当は違う。だが、ここで娘に言っても始まらない。

「今日、源三郎殿にお会いしたが、素直な方であった」

 本当は無知で恥知らずだと言いたかったが、それはおいおいわかるだろう。娘も馬鹿ではない。わかったら、その時離縁すればいい。

「そなたのことだけを大事にしてくれそうな男であった。さような婿はなかなかおらぬぞ。悔しいなどと言うたら罰が当たる」

 人は見かけによらないから本当のところはわからないが。
 壱子の涙は止まったようだった。

「まことですか」
「この父が言うのだから間違いない」
「父上がおっしゃるなら、壱は加部様を婿にいたします」

 あっさりと、壱子は引き下がった。あまりにあっけないので、啓哲は物足りなく思ったほどだった。

「年はよいのか」
「はい。父上がおっしゃるなら間違いはありません。それに父上が悔しいと思っておいでにならないなら、壱はいいのです」

 壱子はにっこりと笑った。
 啓哲は安堵したものの、この笑顔をいずれ婿に見せるのかと思うと、少しばかり腹立たしかった。



 あれは一体、なんであろうか。理解しがたい。
 白川は今日の日記を書き終えると、大きくため息をついた。
 壱子に呼ばれた後、縁組相手の年齢が父より二つも上だと聞いたがまことかと問われた。おたかがしゃべったに違いない。病のおたかが来るはずがないと思っていたのが間違いだった。乳母は忠義者と決まっている。姫様の一大事と無理をして押しかけたのだ。あの後、別室で休ませた後、家族に引き取りに来させた。家族には病人をきちんと看病するようにと言っておいたから、当分は押しかけて来ることはあるまい。
 さて、壱子からの問いにまことのことだと答えると、父上がお可哀想、騙されてと訴えた。
 白川はしばし唖然となった。なぜ父上なのだと。普通、若い娘であれば、そんな年上の人と祝言なんて嫌と言うものだろう。もし白川が十六だったら、絶対にそう言う。ことと場合によっては懐剣を出して自害を考えるかもしれない。
 落ち着いてください、姫様はこの家の惣領娘なのですからと言えば、すぐに声は落ち着いた。だが、相変わらず父上が、である。親孝行と言うには少々しつこ過ぎた。若い娘というのは、もっと身勝手なものではないのか。父親よりも自分が可愛いはずなのだ。
 自分の十六の時と同じだったら、説得のしようもあろう。我儘は通用しない、御分家という家に生まれた定めです、国許に側室のいる殿様も江戸で年の離れた奥方様と祝言を挙げていますとでも言えば、納得したかもしれない。
 だが、壱子は父上が侮られた、たばかられたと言うばかりである。
 これは自分の手に余ると思い、白川は言った。

『父上にご相談なさいませ。父上はおひい様の悪いようにはなさいません』

 その一言で、壱子は落ち着いた。
 ただ、啓哲が婿の年齢を理由に縁組を取りやめる恐れもあった。その時は啓哲を先に説得する必要があった。隣の部屋に控えて父と娘の話を聞いていたが、幸いにも啓哲は破談にするつもりはないようだった。
 壱子も父親の言葉に納得したようだから、破談になることはなかろう。
 それにしても、あれは何なのだろう。壱子はやたら父上が、父上がと言う。縁組は家のことではあるとはいえ、壱子は一番の当事者なのだ。壱子自身が騙されたと嘆くのが普通ではないか。まるで自分よりも父親が大事なような……。
 祝言を挙げても、今と同じように父上、父上と言っていたら、婿は果たしてどう思うか。男性と交際したことのない白川であっても、言い知れぬ不安を覚えるのだった。



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