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07 ノーラの話
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年越しの前日、回復したエルンストは敷地内の使用人用の小屋に戻った。
けれど、事態は決していい方向には進んでいなかった。
グスタフは小屋に戻ったエルンストを見舞いに行き襲撃現場に残されていた黄色いバラの刺繍のハンカチーフを見せた。
エルンストは絶句した。
「これはアデリナ様の」
公爵夫人アデリナは持ち物に黄色いバラの刺繍を入れている。館の者なら誰でも知っている。それを暴漢が持っていたということは彼らは公爵夫人の関係者だということになる。
エルンストは母親である乳母から、グスタフの生母ヴェルナー男爵未亡人ブリギッテが公爵夫人から憎まれていると聞いたことがあった。ブリギッテと同じ赤毛のグスタフのことも嫌っているのだと母は言っていた。だが、それだけで刺客を送ってくるものだろうか。
「何かが都で起きているかもしれません」
「何か?」
「たとえば、公爵様の御身体に何かあったのかもしれません」
エルンストは公爵が領地に極秘に戻って来た日に、いくばくかの現金と貴金属類を預かっていた。公爵夫人と折り合いが悪くなって館にいられなくなったらこれをグスタフに持たせるようにと言われて。
公爵が想定した事態はまだ先のことだと思っていたが、そうでもなさそうだった。
「まだ、冬ではないか」
「え?」
「父上は、夏までもたぬと。医者が言っていたそうだ」
グスタフはエルンストに公爵の語ったことは知らせていなかった。話せば、それを認めてしまうような気がした。父にはまだ生きていて欲しかった。いくら領地の館に放っておかれたとはいえ、父は父だった。
そこへ乳母がやって来た。エルンストの姉ノーラが弟の負傷を知りやっと都から戻って来たのだ。
すぐにノーラは弟の部屋にやって来た。都で銀行業を営む公爵領出身の大商人の屋敷に奉公しているノーラはすっかり垢ぬけていた。弟を案じて急いで戻ってきたからドレスは地味なものだが、質がよかった。化粧も都会風で眉をきれいに整えていた。
一家水入らずを邪魔するわけにはいかぬとグスタフが部屋を出ようとすると、ノーラは止めた。
「若様、折り入ってお話が。お母さん、席外してもらえるかしら」
乳母が出て行くと、ノーラは細い眉をしかめた。
「グスタフ様、都は大変なことになっています」
グスタフもエルンストもノーラの話に耳を傾けた。
ノーラの奉公先ゴルトベルガー家は銀行業を営んでいる。商人だけでなく宮廷に仕える貴族も領地での事業のためにゴルトベルガー銀行と取引をしている。当然のことながら、レームブルック公爵家とも取引をしている。金が動けば同時に情報も動く。ゴルトベルガー氏はレームブルック公爵家や他の貴族を通じて宮廷の情報を得ていた。
屋敷の女中であるノーラ達もまた宮廷の出来事を耳にする機会が多い。無論、他言してはならぬと採用される時に言われているから、皆口は堅い。情報を洩らした奉公人はいつの間にか屋敷からいなくなっている。
だが、今回帰郷するにあたり、主のゴルトベルガーはノーラに告げた。
『グスタフ様に今の宮廷の事情を伝えるように。事と次第によっては我々はグスタフ様を支援する』
ノーラにはすぐにその意味がわかった。彼女とてだてに三年都で奉公しているわけではないのだ。
まずノーラはグスタフに問いかけた。
「今の国王陛下ハインツ3世について、若様はどれほど御存知ですか」
「前のオイゲン国王が年取ってから生まれたお世継ぎで今8歳。三年前に即位なさった。御生母はディアナ妃殿下」
テストならこれで満点である。
「では、政務は? 8歳の子ですよ」
「宰相のライマンが実権を握っている」
「その通りです。さて、8歳の陛下はいまだ王妃も娶っておらずお子様もおいでになりません。もし重いご病気にかかられたらどうなるでしょうか」
エルンストは仮定の話ではないのだと気付いた。グスタフは考える。
「重い病気……ということは、次の陛下を選ばないとならないな」
「はい、そうです」
「まさか、陛下は……」
グスタフも気づいた。
「十一月の中頃から床に伏しておられます」
「八つの子どもには辛かろう」
グスタフの呟きをノーラは聞いたが話を続けた。
「前国王陛下にはハインツ様以外の御子はおりません。ローテンエルデ王国の継承法では第一継承者はどなたになるかわかりますか」
「前国王の父上フランツ様の弟フリッツ様か」
「はい。77歳です。お噂では高齢者特有の病であるとか」
「となるとフランツ様の父上である前前王の王子かその子孫だな」
「はい。ですが、そちらには存命している男子はおりません」
ローテンエルデでは男子にしか継承権が認められていない。王に男子がいない場合は前の代の王の男系子孫が継承者となる。それでもいなければさらにさかのぼって男子の継承者を探すことになる。
「つまり三代前の国王陛下の王子の子孫……レームブルック公爵家が?!」
グスタフは驚きで目を丸くした。
「はい。第三王子ヨーゼフ様を祖とするレームブルック公爵家、第四王子エンゲルベルト様を祖とするシュターデン公爵家の二つの家に継承権があります」
けれど、事態は決していい方向には進んでいなかった。
グスタフは小屋に戻ったエルンストを見舞いに行き襲撃現場に残されていた黄色いバラの刺繍のハンカチーフを見せた。
エルンストは絶句した。
「これはアデリナ様の」
公爵夫人アデリナは持ち物に黄色いバラの刺繍を入れている。館の者なら誰でも知っている。それを暴漢が持っていたということは彼らは公爵夫人の関係者だということになる。
エルンストは母親である乳母から、グスタフの生母ヴェルナー男爵未亡人ブリギッテが公爵夫人から憎まれていると聞いたことがあった。ブリギッテと同じ赤毛のグスタフのことも嫌っているのだと母は言っていた。だが、それだけで刺客を送ってくるものだろうか。
「何かが都で起きているかもしれません」
「何か?」
「たとえば、公爵様の御身体に何かあったのかもしれません」
エルンストは公爵が領地に極秘に戻って来た日に、いくばくかの現金と貴金属類を預かっていた。公爵夫人と折り合いが悪くなって館にいられなくなったらこれをグスタフに持たせるようにと言われて。
公爵が想定した事態はまだ先のことだと思っていたが、そうでもなさそうだった。
「まだ、冬ではないか」
「え?」
「父上は、夏までもたぬと。医者が言っていたそうだ」
グスタフはエルンストに公爵の語ったことは知らせていなかった。話せば、それを認めてしまうような気がした。父にはまだ生きていて欲しかった。いくら領地の館に放っておかれたとはいえ、父は父だった。
そこへ乳母がやって来た。エルンストの姉ノーラが弟の負傷を知りやっと都から戻って来たのだ。
すぐにノーラは弟の部屋にやって来た。都で銀行業を営む公爵領出身の大商人の屋敷に奉公しているノーラはすっかり垢ぬけていた。弟を案じて急いで戻ってきたからドレスは地味なものだが、質がよかった。化粧も都会風で眉をきれいに整えていた。
一家水入らずを邪魔するわけにはいかぬとグスタフが部屋を出ようとすると、ノーラは止めた。
「若様、折り入ってお話が。お母さん、席外してもらえるかしら」
乳母が出て行くと、ノーラは細い眉をしかめた。
「グスタフ様、都は大変なことになっています」
グスタフもエルンストもノーラの話に耳を傾けた。
ノーラの奉公先ゴルトベルガー家は銀行業を営んでいる。商人だけでなく宮廷に仕える貴族も領地での事業のためにゴルトベルガー銀行と取引をしている。当然のことながら、レームブルック公爵家とも取引をしている。金が動けば同時に情報も動く。ゴルトベルガー氏はレームブルック公爵家や他の貴族を通じて宮廷の情報を得ていた。
屋敷の女中であるノーラ達もまた宮廷の出来事を耳にする機会が多い。無論、他言してはならぬと採用される時に言われているから、皆口は堅い。情報を洩らした奉公人はいつの間にか屋敷からいなくなっている。
だが、今回帰郷するにあたり、主のゴルトベルガーはノーラに告げた。
『グスタフ様に今の宮廷の事情を伝えるように。事と次第によっては我々はグスタフ様を支援する』
ノーラにはすぐにその意味がわかった。彼女とてだてに三年都で奉公しているわけではないのだ。
まずノーラはグスタフに問いかけた。
「今の国王陛下ハインツ3世について、若様はどれほど御存知ですか」
「前のオイゲン国王が年取ってから生まれたお世継ぎで今8歳。三年前に即位なさった。御生母はディアナ妃殿下」
テストならこれで満点である。
「では、政務は? 8歳の子ですよ」
「宰相のライマンが実権を握っている」
「その通りです。さて、8歳の陛下はいまだ王妃も娶っておらずお子様もおいでになりません。もし重いご病気にかかられたらどうなるでしょうか」
エルンストは仮定の話ではないのだと気付いた。グスタフは考える。
「重い病気……ということは、次の陛下を選ばないとならないな」
「はい、そうです」
「まさか、陛下は……」
グスタフも気づいた。
「十一月の中頃から床に伏しておられます」
「八つの子どもには辛かろう」
グスタフの呟きをノーラは聞いたが話を続けた。
「前国王陛下にはハインツ様以外の御子はおりません。ローテンエルデ王国の継承法では第一継承者はどなたになるかわかりますか」
「前国王の父上フランツ様の弟フリッツ様か」
「はい。77歳です。お噂では高齢者特有の病であるとか」
「となるとフランツ様の父上である前前王の王子かその子孫だな」
「はい。ですが、そちらには存命している男子はおりません」
ローテンエルデでは男子にしか継承権が認められていない。王に男子がいない場合は前の代の王の男系子孫が継承者となる。それでもいなければさらにさかのぼって男子の継承者を探すことになる。
「つまり三代前の国王陛下の王子の子孫……レームブルック公爵家が?!」
グスタフは驚きで目を丸くした。
「はい。第三王子ヨーゼフ様を祖とするレームブルック公爵家、第四王子エンゲルベルト様を祖とするシュターデン公爵家の二つの家に継承権があります」
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