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53.嫌な記憶 

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「ボス?」


「…………」


 ボスが固まってしまった。目をまん丸くして固まってしまった。


「…………ツキ。お前それマジで言ってんのか?」


 あ、動いたっす。


「はいっす」


「…………」


「…………」


「…………」


 ……なんか、気まずいっすね……。


 頷いたもののボスは今度は俯いて固まってしまった。部屋もシーンとしていてすごく居心地が悪い。なんとかこの状況から抜け出そうとモゾモゾと動いてみるも脱出はできず、ボスも動いてくれない。どいてほしいなんて言える雰囲気でもなく、ましてや押し除けるのもなんかダメなような気がした。だが、この体勢はもっとダメなような気がするし、早く逃げなければと思った。……こう、なんだかゆらゆらと立ちこめてくる重い圧、空気というものをボスから感じるのだ。


「ボ、ボス? あの、ちょっと退いてほしいんっすけど……」


「…………」


 ……。……勇気出したっすのに無視されたっす(泣)。えーと、じゃあどうすれば……あ!


 この状況を打破する一つの方法を思いついた。


 モージーズー! この空気壊して下さいっす!!


 必殺人任せ!!


 シーン……


「…………」


「…………」


 ……っほんっとあいつらこういう時には全っ然こないっすね!! モー、ジー、ズー!!!!


 心の中でいくら叫んでも三人は来てくれない。こんな時にやってきてくれるとすればモー達しかいないのに。あの能天気なノリでこの空気をぶち壊してほしい。何故、こういう時に限って全然こないのか! 


 もう誰でもいいっすから助けてっすー!!!


「……はぁぁぁぁあ」


「ビクッ⁉︎」


 重い重い深い溜息。そんな溜息を吐いた後、ボスは俺の首元に顔を埋めた。


 な、なんすか? なんかすっごく緊張するんすけど……。


 さっきまでの気まずい感情はもうない。ないが、今度はまるで急所を押さえられたかのような緊張感に体が固まった。やはり助けてほしいモージーズー、レト兄、イーラさん! フレイ君!! ……と、内心で叫んでいれば、ボスは吐き出すよう乾いた笑みをこぼした。


「…………ハッ……ほんとツキ、お前は生意気だよな?」


「ボ、ボス?」


 そして――


「くそとぼけた面晒して、んな時に雰囲気壊す思考して……――俺を見ず、他の男のこと考えてんじゃねぇよ」


 俺の首筋へと歯を立てた。


「い゛っ!!」


 い゛っだぁぁぁあ!!!


 言葉では「い゛っ」しか出なかったが、心の中では思いっきり叫んだ。それほど思いっきり噛まれたのだ。めちゃくちゃ痛かった。かったじゃなくて今もすごく痛い。けど痛すぎて声が出ない。


 絶対血でたっす!!


「……なぁツキ」


「ぅぅ……はいっす」


 痛みに目には涙が滲んでる。そんな目で見てもわかる。ボスの口元には血がついている。


 やっぱり血出たんっすね。だって痛かったっすもん……。


「……散々思わせぶりな態度とりながらムカつく笑顔で恋愛とは違う好きだとか意味わかんねぇこと言ってんじゃねぇぞてめぇ。っふざけんな」


「ボ――はむンっ?」


 真剣で、どこか悔しげなボスを見上げていれば、俺の口が何かに塞がれた。ほんとの目の前にボスの顔がある。


 ……一瞬のようで長く感じた時間。ゆっくりとボスが俺から身を浮かせると、それと同時に口元の何かも離れていった。


「ツキ、愛してる。お前が何を考えての言葉かは知らねぇけどな、その嘘くさい笑顔をやめろ馬鹿が。……ずっと昔から好きだったんだ。いい加減俺のものになれ、ツキ」


「……」


 ボスが何かを言っている。だが、それよりも目に映るボスの口元の赤がすごく鮮明に映った。……ドクドクと心臓が大きな音を立て始める。


「ツキ? ……やべ、ちょっと強く噛みすぎたな」


 ボスがさっき自分が噛んだ俺の首元に手を持っていきそこを拭った。……その手にも赤いものが付いていた。


 赤……


「悪りぃ。結構強く噛みすぎたかも。血ィ出ちまってるな」


 血……?


 血と言われてまた、ボスの口元の赤に目が行く。自分の口の中がほんのりと鉄臭かった。そうしてやっとわかった。


 ……もしかして俺……今ボスとキスしたんすか?


「――ヒッッ!!!」


 キスをしたのだとわかった瞬間、息の仕方がわからなくなった。


 嫌っす嫌っす嫌っす嫌っす嫌っす!!!!!


 恐怖と共に、思い出したくなかった過去の記憶が蘇る。真っ暗闇の中、ドス黒い血を垂れ流しながら地面へと横たわるボスの姿。


「あ……ぁあ゛ッッ!!!」


 怖い怖い怖い怖い怖い嫌嫌嫌嫌嫌嫌!!


「っツキ!?」


「っっうわぁぁぁぁあ!!!!! ごめんなさいっす! ごめんなさいっす! ごめんなさいっす! ごめんなさいっす! ごめんなさいっす!!!」


「ツキ!? っおい!!」


 悲鳴のような叫び声が自分の口から飛び出した。ボロボロと涙が溢れ出る。遠くの方でボスの声が聞こえるが、必死に手を伸ばしてその声追いやった。いつもは大好きで大切な声なのに今は嫌で聞きたくない。必死に耳に手を当てた。見たくなくて必死に目を瞑った。


 離れてっす離れてっす離れてっす!!嫌っす怖いっす、嫌っす、俺に近づかないでっす、もう離れていなくならないでっす!!。


「うあ゛ぁぁぁ……ッッあ゛ぁ…………っ!!」



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