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フライパンを叩いた日

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「危ない事をしちゃダメだろう?侯爵にもこの事は言うよ」
「構いませんわ。お父様に言ったって」
「うっ…そうなると侯爵夫人…トーティの母上にもバレるよ」

「えっ?それは困ります。御浸しに削り節をカットされてしまいますわ。あ、カットと言っても削減される方のカットですわよ?やっと本枯れ節が手に入ったのにっ」

ウルウルとした瞳で見つめられるとそれ以上トーティシェルには何も言えない。
甘いんだ。ハインリヒ。ここはガツンと言うべきところなのだが、削り節をトッピングした御浸しが好きだという情報が本人から語られたので溜飲を下げてしまうのだった。

「ところで、こいつらは想定の範囲内だったのかい?」

「えぇ。勿論。この辺を牛耳っている反社組織はみかじめ料としてオシボリや観葉植物、雑誌などを飲食店などに卸していたのです。この孤児院にはそこに転がっている芽が出たジャガイモ。1袋に5個入っておりますが8千キジですわ。芽がでれば八百屋ではもう廃棄処分。それをここに卸しているのです。子供たちが誤って食べてしまえば食中毒の原因にもなりますが、食べる物がなければ…お判りでしょう?」

「神父はそこまで腐っていたのか…」

「根腐れしているのにラウンドアップでも枯れないので、侯爵家としても以前から頭を抱えておりましたの。この辺りは炊き出しを週に1回行っておりましたが内部には踏み込めなかったので」

「そう言えばイヴェル侯爵家はどうしてこの地にそんなに手を入れるんだ?」

「いい所に気が付きましたわね。この地は立地的に最高なんですの。わたくしが侯爵家でお父様より7歳の時から農林業を任されているのはご存じでしょう?」

「うん、知っているよ。でもまた伐採した木は乾燥中と聞くし…農産物は最近ヌキナだっけ?市場に出荷が始まったよね」

「それらをどこか1カ所に集めて全国展開したいと考えていて探して見つけたのがこの地なのですが、下手に土地を購入すると地価が上がってしまいますし、先程のような反社組織が勢力をもっていますからね。その上インフラ整備が他の地域より格段に遅れていて未だに井戸ではなく川から水を汲んで水瓶に貯めている。貯めた水にボウフラが沸いて流感の発生源にもなっているし…やる事山積みですの」

話をしている間もぐりぐりと破落戸の太もも裏にヒールの踵を当てていると、ちょっと破落戸をチラ見しているハインリヒが今にも「僕も」と言い出しそうな雰囲気になってくる。

雑草は踏まれて強くなるというが、世の男性は踏まれて強くなるのだろうか。

ふいに孤児院の子供たちがモジモジと近寄ってくる。

「あら?どうされたのかしら?このおじさんを一緒に踏みたいの?」
「いえ、踏むのも踏まれるのも癖になると困るので」
「うふっ。若いのに達観されておられるのね。で?どうされたの?」
「僕たちちょっとお手伝いに行かなきゃいけなくて。行ってもいいですか?」
「お手伝い?どんなお手伝いをするの?」

すると、1人の女の子が顔色を窺うように話をした。

「ゾルグナ商会さんの荷物を運ぶ幾つかの馬車に荷物を載せるの」
「荷物を載せるって…子供がそんな事をしているの?!」
「だって…行かないと叱られるから」

チラっとハインリヒの顔を見ると、苦虫を嚙み潰したような顔をしている。
まだ6、7歳。せいぜい10歳目前かという子供たちが叱られるから働くという事を目の当たりにして、それを報告書で読んだ事はあっても、誰かが何とかするだろうと思っていた自分にも腹が立つし、これが現実だという自分の国にも腹が立ったのである。

ハインリヒは少女の目線にしゃがみこむと、頭を優しく撫でた。

「今日は行かなくていい。私が商会と話をしよう。悪いようにはしない」
「えっ?でも行かないと…」
「君を叱ったり怒ったりする者はいないよ」

すくっと立ち上がると、子供たちや教会で働いていた労働者の前に立ち深く頭を下げた。
従者たちも騎士もハインリヒ同様に頭を下げた。

「今まで我慢を強いて苦労をさせてしまった事、本当に申し訳ない」

「お、王子様っ!止めてくださいっ。そんな…頭をあげてくださいっ」
「お兄さん、王子様なんだ‥‥知らなかった」

「でも、お仕事には行かないと荷物を運ぶ人も馬も困るから行ってもいい?」

仕事熱心なのではなく、行かなければ誰かが困るからという子供たちにハインリヒは「自分が行く」と言い、子供たちにはここにいるように指示をする。
トーティシェルを見ると、うんうんと頷いている。ハインリヒは3人の騎士を連れて護衛の騎士から馬を借りると場所を案内するという一番背の高い子供を乗せて出かけて行った。

「さぁ!皆さんにはやって頂く事が御座いますわ。先ずは掃除を致しますが掃除道具もまともにありません。そこの奥様方。いつも雑貨はどちらで購入をされてますの?」

ボッタクリ価格と思われるゾルグナ商会で買っているとは思えない。
スラムだとはいえ、まともに商売をしている者もいるはずなのだ。ただそれがスラムだというだけで蔑んだ目で見られ冷遇をされているだけ。トーティシェルはそういう商会も発掘をしたかった。
侯爵家の調査だけでは足らない、実際に住んで利用している者の声を拾い上げたい。

「ウ、ウチはいつもゲオルゲさんの所で買ってるけど…」
「ワタシも!あそこは安いし夜中でもタオル一枚でも店を開けてくれるよ」

一緒に行きたいが、トーティシェルはまだする事がある。護衛の騎士を2人付けて子供たちとご婦人に買い物をお願いし、同じように食材を調達するためもう一組買い物に行く班を作った。

「さて、騎士様」

子供たちに台所から鍋とお玉を幾つかセットで持ってくるように頼むと、残った数人の騎士と教会の労働者と共に孤児院の前の通りで人を集めてもらう。
全員は来ない。来られるはずがないからだ。
しかし、トーティシェルは持ってきてもらった重ねたミカン箱の上に飛び乗ると声をあげた。

珍しさからチラチラと見るものはいるが、足を止めるまでに至らない。
子供たちが台所から持ってきてくれたフライパンの底をお玉でガンガンと叩き大きな音をさせた。
子供たちも残った鍋とお玉を手にしてガンガンと鳴らす。

大きな音は人の足を止めただけでなく、「なにごとだ?」と窓や玄関から顔を出す者、「何か始まったみたい」と人づてに聞いた者達を集める事に成功した。

空に向かってフライパンとお玉を突き上げ、トーティシェルは大声を出した。

「皆さまっ!ごきげんようですわ!!」

一斉に人々がトーティシェルを見た。

――ワフゥ!猫集会みたいだわっ!――

先ほどとは違う、これから起こそうとしている期待感がトーティシェルのウィスカーパッドを膨らませた。
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