忘れられし被害者・二見華子 その人生と殺人事件について

須崎正太郎

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7 菱沼市連続殺人事件 容疑者の供述書

29.菱沼市連続殺人事件 容疑者の供述書 ⑥

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 あとは簡単です。
 わたしは、恨み重なるあのひとたちに会いにいくことにしました。

 秋吉瀬奈は、SNSに旧姓まで載せて、自分の顔写真と自宅の写真をアップしていたので、あっさり特定できました。自分のことを、殺したいほど恨んでいる人間がこの世にいるなんて、考えもしなかったんでしょうね。

 乙原光昭は秋吉瀬奈が現在の勤め先をぽろっと漏らしたことで居場所が分かりましたし、岩下久美は、テレビ番組の定食屋特集で顔と名前を出していたので、現在の勤め先が分かりました。宮地理人は相変わらずあの美容室にいましたし、篠原みどりとお父さんは、当然ながら蜂谷クリニックにいます。

 わたしは、彼女の遺体を夜の間にドブ川まで運び、放置して、そのまま街に繰り出して、公園のベンチに座り込んだまま一晩過ごすと、床屋さんと服屋さんに行って、髪型と服装を整え、新聞記者として秋吉瀬奈たちに接触することにしました。
 そうでもしないと、会うことさえできないと思ったからです。

 家電量販店のテレビで、自分のことに関するニュースが報道されているのを見たときには、ゾクゾクして笑ってしまいました。自分の死が報道されているのを見るって、けっこう乙なものですよ、刑事さん。

 もっとも。
 あの女性の死体、二見華子だとは、どこのテレビも断定していませんでした。
 だから警察やマスコミが、わたしの生存にたどり着くのは、すぐだろうと思っていました。

 それでもいいんです。
 いずれ露見することです。
 でも、せめて秋吉瀬奈たちに、二見華子の死についてどう思うか。

 それだけでも知りたかった。
 二見華子について、あなた方は、どう思っているのか。
 それを知らなければ、わたしは死ぬこともできません。

 わたしは、秋吉瀬奈。
 結婚して、いまは芥川瀬奈という名前になった彼女に、連絡を取りました。
 彼女はSNSをやっていましたから、取材と称して会うのは簡単でしたよ。

 あとのことは……。
 録音データがすべてを物語っているでしょう。
 新聞記者に化けるために購入したICレコーダーでしたが、貴重な証拠になってしまいましたね。

 そうです。
 あの女は、秋吉瀬奈は、わたしのことなんかろくに覚えていなかった。

 存在は記憶していても。
 いじめたことなんて。少しも。

 いじめって、やられたほうは覚えているが、やったほうは少しも覚えていない。
 そう言いますけれど、あれは本当だったんですね。あの女はわたしへの罪悪感なんてこれっぽっちもなくて、家を建てて、結婚して、子供まで……。

 最後の瞬間に、わたしだと気付いたときの、あの女の表情は見物でしたよ。
 どうして、そんな、という顔をしていました。そこへわたしの刃物がずぶり、と――
 スッキリしましたね。ええ、とても、とても、腹の底から、快感でした。ざまあみろ、と思いました。

 ですが。
 気持ちが良かったのは最初だけです。

 それからのわたしは、次々と、恨みを持つ人物に会いに行きましたが、そのたびに強い悲しみに襲われました。
 誰も、わたしのことを覚えていないんですから。
 本当に、まともに覚えていないんですから……。

 わたしのことなんて、誰もほとんど記憶に残していない。
 残していたとしても、それはわたしじゃない。

 みんなが語る二見華子は、どれも二見華子のようで、微妙に二見華子じゃないんです。

 わたしはそんなことしていない。
 わたしはそんなことを言っていない。
 そんなことだらけです。

 乙原も、岩下も、宮地も篠原も。
 わたしについての人間像が、みんな違ったでしょう?
 みんな、いかに適当にわたしと接していたか。わたしのことなんて、誰も、誰も覚えていなくて。殺しにいけばいくほど、誰も二見華子を覚えていなくて腹が立って、腹が立って。

 そもそもわたし自身が、目の前にいるのに。
 わたしが二見華子のことを尋ねているのに、誰も気が付いてくれなくて。

 いくら昔と比べて、年を重ね、体重が変わり、髪型や服装が違うといっても。
 お父さんでさえ、そうでした。いくら何年も会っていないとはいえ、父親でさえ。

 そうです。
 もしも秋吉瀬奈たちが、わたしを覚えていれば。
 目の前のわたしに気付いていれば。そして謝ってくれたら。

 わたしは。
 殺したりなんか、しなかった。

 わたしがあのひとたちを殺した理由。
 それはもちろん、過去のいじめや、騙されたこともありますが。
 一番は、わたしのことを忘れ、そしてわたしに気が付かなかったことなのです。

 わたしはこれほど恨んでいるのに。
 わたしはこれほど憎んでいるのに。
 わたしはこれほどあなた方と会いたがっているのに。

 あなた方はわたしにひとつの関心も持っていない。
 あれほど、わたしを傷つけておきながら。わたしをいたぶっておきながら。わたしを苦しめておきながら。

 わたしとの関係を忘れ、わたしを傷つけた記憶をなくし、あるいは改ざんし、または嘘をつき。
 挙げ句の果てには、このわたしが、目の前にいるのに。それなのに気付きもせず、……気が付きもせず。

 こんなにも、恨んでいるのに。
 あのひとたちは。

 わたしは、あのひとたちに言いたかった。
 あなたにとっては、記憶に残らないほどささいな言葉や行動だったかもしれない。
 目の前にわたしがいても気が付かないほど、わたしのことなんか覚えていなかったのかもしれない。

 けれどもわたしにとっては。
 何ヶ月も何年も、何十年経っても、忘れることが決してできない痛みなのです。

 しつこいですか?
 いつまで昔のことを、とお思いですか?
 この気持ち、分からないひとには、決して分からないでしょうね。



 刑事さん。



 あなた。
 ええ、あなたに言っています。
 あなたは普段、まったく忘れているんでしょうけれど。

 あるんじゃないですか。
 あなたがひとの心を傷つけたこと。
 けれどもあなたは、すっかり忘れてしまっていること。

 でも、覚えておいてくださいね。
 やられたほうは、決して忘れていませんから。
 あなたが幸せの絶頂に立ったときに、ある日、家を一歩出たら、そこには。

 あなたのことを、一生恨んでいる人間が、ひっそりと。
 立っているかもしれませんよ。
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