忘れられし被害者・二見華子 その人生と殺人事件について

須崎正太郎

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ある被害者の証言

30.ある被害者の証言

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 どうも。
 おかげさまで助かりました。
 一命を取り留めるって、こういうことをいうんですかね、はは。

 ええ、大丈夫です。
 答えることができます。
 ただ、なにを話したらいいのか……。

 まず、あの犯人のこと、私は記憶にないんですよ。
 ええ、私は会ったことがあるのかどうか、まるで覚えていない。
 だから、どうしてこんなことになったのか。なぜ、私が襲われなければならなかったのか、少しも分かりません。

 当時の状況ですか。
 家を出ようとしたんですよね。
 小腹が空いたので、コンビニにいこうと思って。
 服を着替えて、財布と携帯とカバンを持って、靴を履いて、ドアを開けて、玄関を出て――

 後ろにいました。
 ええ、いきなり背後です。

「こんにちは」

 驚きましたよ。
 抑揚のない声で挨拶をされました。

 ぼさぼさの黒髪に、血走った眼、腫れぼったいまぶた。
 ヨレヨレのTシャツに、チェック柄のロングスカート。
 焦点が合っていないような、うつろな眼差しで、

「わたしのことを覚えていますか?」

 私は首を振りました。
 実際、相手の姿に見覚えはありませんでした。

「本当に覚えていないのですか? 分かりませんか? あなた、あれだけのことをわたしにしておいて」

 不気味な声でした。
 人間の、それも若い女性の声音とは思えません。
 音声データを逆再生したような、それは奇妙な声で、彼女は続けます。

「わたしはあなたを覚えています。観察しました。幸せそうでなによりです。よかったですね。本当によかった。自分の発言も行動も、そこまで綺麗さっぱり忘れられるのであれば、人生は薔薇色でしょうとも。そうでしょう。そうでしょうとも」

 女はゆっくりと近付いてきます。
 右手に、銀色のなにかを持っている。
 それに気が付いたとき、冷や汗をかきました。

 殺される。
 直感しました。
 それなのに、身体が金縛りにあったみたいに動きません。

 夢か、幻か。
 あるいは蜃気楼でも見ているようでした。
 現実の光景とは思えないままに、私は彼女の刃を何度も何度も、何度も……。



 ええ、まったく身に覚えがないんです。
 どうして私がこんな目に遭わないといけないのか。
 分かりません、なにも分かりませんよ。誰なんですか、あの犯人は。

 捕まったんですか? どうなんですか?
 あれは恐らくまた、次の犠牲者が出ますよ。

 気をつけてください。
 家を出たら、本当に、いきなり後ろにいました。

 気配も足跡もなにもなく。
 幽霊かなにかのように。

「わたしのことを覚えていますか?」

 この言葉に気を付けてください。
 この言葉に、なによりも……。



(了)
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