学院の魔女の日常的非日常

只野誠

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夏の終わりは地底で涼みながらの虫駆除な非日常

夏の終わりは地底で涼みながらの虫駆除な非日常 その5

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 巣穴自体が朽木様と始祖虫の戦いの影響で大きく揺れ動く。そんな巣穴に設置されている角灯に照らされた影も激しく揺れ動く。不規則に揺れ動く影に潜みつつも黒次郎は簡易魔法陣が掛かれている巻物に近づく。
 あと一歩のところまで近づくと、黒次郎が潜んでいる影ごと、どこからともなく始祖虫の触手に打ち払われる。
「クソッ、またダメですね…… 放置されている簡易魔法陣に近づくと攻撃されます。恐らくあの魔法陣は始祖虫に知覚されてますね」
 マーカスは苦痛の表情を浮かべ手を床に打ち付けた。
 これで三度挑戦して三度とも寸前の、同じところで、始祖虫に打ち払われている。
「ん? じゃあ、なんでその虫は魔法陣をそのままにしているんだ?」
 エリックが疑問に思ったのか、そんなことを口にした。
 確かに始祖虫であれば簡易魔法陣を破壊することなど造作もないことだ。
 簡易魔法陣を取られるのが嫌なら、簡易魔法陣自体を破壊してしまえばいいはずだ。
「恐らくは、陣が生きているからだ。陣が完成し、周囲の魔力が魔法陣に流れ込んで微弱ながらにも神と繋がっているんだろう。だから始祖虫も無暗に攻撃はできないのではないか?」
 その疑問にハベル教官が答える。
「虫が? 虫は神を敬うどころか恐れたりもしないわよ」
 とスティフィが反論する。
 それに対してもハベル教官が答える。
「始祖虫とて生物だ。それも恐らくは通常の虫とは違い高い知性を持つな。相手が自分より強大な存在であれば、自分からは手は出しはすまい。しかも相手は戦の神だ、始祖虫とて手を出し難いのかもしれぬ」
「それは…… なるほど。一理あるわね。さすがは教官」
 スティフィもその答えに素直に納得する。
 野生生物も基本はそうだ。かなわないと分かっている相手には自分からは喧嘩を売ったりはしない。
 始祖虫とてそうなのかもしれない。
「始祖虫とはいえ、さすがに神族相手だと分が悪いんですかね? しかし、どうします? これは何度やっても無理ですよ」
 マーカスは気だるそうにそう言った。酷く疲労しているのがわかる。
 遠隔で幽霊犬の黒次郎に指示を出すのは精神的に疲弊するし、口に出してはないが黒次郎が打ち払われるごとにマーカス自身が精神的に追い込まれて行っている。
「よく朽木様と争いながら、そんなことまで気にかけれますね」
 ミアがまだ頭が痛むのか手で額を抑えながらそう言った。
「人間とはそもそもの造りが違うんでしょうな。触手の先についてるの、あれ、どう見ても複眼ですよ。つまり眼ですよ、眼。眼で殴りかかってくるような奴ですよ」
 マーカスが少し興奮気味にそう言った。先ほどまで疲れているように見えたが、生き物好きなマーカスは伝説上の虫種の生態を知れて興奮しているようだ。
「そう言うことなら、あの先端には脳なような判断機関も内蔵されているのではないか? どんなに速くても的確に対象を打ち据えるのは触手自体が瞬時にその場で判断しているからなのでは?」
 それにハベル教官がマーカス達から聞いたことから推察されることを述べた。
 普通では考えれないことだが、そもそも眼で殴りかかってくるような生物だ。
 その眼の中に脳のような物があっても不思議ではない。
「あの触手で血も啜ってたので、口でもありますね、もう顔面そのものを武器にしていると言ってもいいのでは?」
 それに更に、マーカスが見てきたことも付け加える。
 マーカスは半分冗談のつもりで言ったが、言った後に妙にしっくりと来るものがある。
 複眼で多角的に視認し、即座にその場で判断し正確に打ち据える。
 始祖虫にとって、それらの器官もさほど重要な物でもないのかもしれない。
「そういうことかもしれんな」
 ハベル教官はそれらの話をまとめ、そう判断した。
 だとすると囮を作って撹乱する作戦なども、触手の本数以上の囮を用意しないと意味がなさそうだ。
 無数にある触手相手にそれは無理は相談であり、例え囮を用意できたところであの攻撃では一瞬ももちやしない。
 そんなことはこの場にいる全員が理解できている。
 だからだろうか、ミアがそわそわと何か言い出せずにいるのに、スティフィが気づいて先手を打ってそれを止める。
「あ、ミア、荷物持ち君はダメだからね? 絶対よ?」
「は、はい……」
 スティフィに先手を取られ、ミアも黙り込んだ。
 確かに荷物持ち君なら一本の触手なら防げるかもしれない。けれど、始祖虫の触手は無数にある。
 一度に複数から狙われたら荷物持ち君でも防ぎ様がないし、朽木様の根ですら簡単に破壊していたのだ。荷物持ち君とてまともに触手の攻撃を喰らえばただでは済まない。
「しかし、現状では手がないですな。お手上げです。無駄に黒次郎をいたぶるのはやめたいですね」
 一息ついてから、マーカスがそんなことを言った。
 そこでミアが初めてマーカスの異変に気づく。
「マーカスさん? 凄い汗かいてますけど大丈夫ですか?」
「いやね、痛みはないですが、死ぬ体験は黒次郎を通して伝わってくるんですよ」
 そう言ってマーカスは苦笑いをした。
 マーカスはこの短い時間に何度も黒次郎を通して、あの触手に打ち払われ、死ぬ感覚を何度も体験している。精神的に疲弊してきても当たり前だ。
「うえ、それは嫌ね。何度も体験したいものじゃないわよね」
 と、スティフィはミアの方を見て、ミアの精霊に殺されかけたことを思い出しながら言った。
「ん? ということは打つ手なしって感じ?」
 エリックが能天気にそんなことを言うが、それに反論がある者も、良い手がある者もいない。
「次に黒次郎が復活したら、私の連弩を取ってこれるか試してくんない?」
 とスティフィが何の気なしにマーカスに言った。
 あの連弩は便利だ。片手で扱えるのに精度も威力も良い。ミアを担ぐために捨てて来てしまったが、回収できるなら回収しておきたい。
「ああ、なるほど。それで、さっきの、始祖虫がマジール教官が残した魔法陣を警戒しているっていう仮説の証明にはなりますね。証明したところで、ってのはありますがね。まあ、物は試しです」
 マーカスはそう言った後、地面に体を投げだして、疲労した精神と黒次郎の回復を待った。

「あっさり取ってこれましたね。やはりハベル教官の仮説は正しいのでは?」
 連弩を取ってくるのはあっさりできた。
 連弩に対しては始祖虫は何の関心も示さなかった。朽木様との戦闘中に余計なことをしている暇はないとでも言っているかのようだ。
 それと同時に、
「つまりあの虫野郎はあの魔法陣に手出しはできないほどには、神は恐れてるってことよね」
 スティフィもそう言っているが、それがどれほどまでなのかは見当もつかない。
 始祖虫も生物である以上、自分以上の存在には自分からケンカを売りに行くようなことはしない。
 でたらめに見えても、虫であり生物であることは変わらない。
 だが、それは魔法陣を持ち出されてもそうなのか、ただ捨て置かれているだけだからそうなのか、その差が判断できない。
「それがリュウヤンマに対して有効打になると理解していってことですか? だから警戒しているんですか?」
 ミアがそんなことを言うが、ミア自身は半信半疑だ。虫という種がそこまで高度な思考をできるとは思えない。
 虫種はもっと本能に従って思考なく動く生物だとミアは認識している。
 だからこそ、法の神が虫種に呼びかけ、返事をしなかったにもかかわらず法の書にその名を書かれた、ともミアは講義で習っている。
 始祖虫の行動はそれを否定するかのようなものだ。
「もしくは自身に対しても?」
 スティフィがミアの言葉を聞いてそう言った。
 リュウヤンマにではなく自身にも効果があるのだとしたら、それは虫種行動して正しいのではなないか、そう思えなくもない。
「ん? なんでだ? 人の身を通じて再現している竜炎ですら効かないってのに?」
 スティフィの発言にエリックが疑問を持つ。ただしこれはエリックがまじめに講義を受けてないせいだ。
「あれは召喚陣! 人の身を通して再現された物でなく、神が使う雷をそのまま召喚するものよ。さすがに神自身が使うものより遥かに劣るけど、人の身を通して再現したものじゃないのよ」
「じゃあ、その召喚陣ならあの虫にも……」
 だから、マジール教官はその召喚陣を使おうとして即座に殺された、のかもしれない。
「それはやめておいた方が良い」
 ハベル教官はその召喚陣を始祖虫に使うことには反対の意を示す。
「何でです?」
 と、ミアがハベル教官を見上げる。
「今我々が始祖虫から攻撃されないのは、奴にとって危険度が低いからだ。だから朽木様の対処を優先している、それだけのことだ」
 ハベル教官がそう答え、
「有害だけど倒しやすい相手がいたらどうするかって話ね。魔法陣を確保出来たら、即リュウヤンマを倒して即撤退よね?」
 スティフィがハベル教官に同意するように提案する。
「そうだ。その手はずで準備も上で進めている。奴に下手に手を出そうと思うな」
 さらにハベル教官がそう釘を刺した。
 下手に始祖虫の注意を引いて攻撃されたら、今度こそひとたまりもない。
 現状ここからではその姿を見ることはできないが、触手がここまで届かないという保証もない。
 恐らく触手を伸ばせはこの辺りまで、始祖虫には視覚でき、触手による攻撃もできるに違いない。
「まあ、確かに。見つかった瞬間に死が確定するようなもんだもんな、ありゃ」
 エリックもあの惨状を思い出して、心底怖気ずいている。
 あれは人がどうこうできる存在ではない。エリックにもそれが理解できている。
「でも、取ってこれないんじゃ、そもそもどうしょうもないんじゃない? 黒次郎でリュウヤンマを倒せないの?」
 スティフィは逆に幽霊犬でのリュウヤンマの討伐を提案する。
 リュウヤンマ相手なら、霊体の黒次郎は優位に戦えるはずだ。
「出来ればやってますよ。黒次郎は冥界の住人なので大地から、それほど離れられないんですよ。空を飛んでいるような相手の対処は無理ですね」
 マーカスは言いたくなかった、とばかりに幽霊犬の弱点を晒す。
 特にスティフィには、知られたくなかったことだが場合が場合だ。
「スティフィのなんか黒くする魔術はダメなんですか?」
 ミアがスティフィに聞くと、スティフィは少し呆れた表情を見せた。
「あれはそもそも本来攻撃用じゃないのよ。死体を腐らせて身元をわからなくするための術で。それほど飛距離があるわけでもないし、なにより使徒魔術を避ける化物でしょう?」
「げ、あれ腐らせてたんですか…… 暗黒の力で、なんかこう…… 黒くしている物とばかり思ってましたよ」
 ミアがその真相を知り、少し引いた眼でスティフィを見ている。
「希望は見えましたが、中々うまくいかない物ですね」
 マーカスがそう言って、寝っ転がったまんまため息を漏らす。
 度重なる黒次郎を通しての死の体験で精神的にも疲弊しているのだろう。
「そもそも実体のない黒次郎をどうやって攻撃しているんですか?」
 ミアが疑問を口にすると、ハベル教官がそれに答える。
「恐らくは始祖虫には魔力に対する高い耐性があり、その耐性故、霊体にも干渉できるのだろうな」
 耐性があると言うことは、防ぐことができるというわけで、つまりはその力に干渉することができると言うことだ。
 防ぐことができるのであれば、それで殴ればそのまま実体のない物も干渉できてしまうということなのだろう。
「そんな無茶くなちゃ…… でも存在自体が無茶苦茶な奴だもんな」
 エリックが呆れながらそう言う。
 ここでスティフィが決断する。
 もうこの巣穴も、そしてマーカスの精神も限界が近い。
 出し惜しみしている場合ではない、と、一つの賭けに出るつもりでいるが、その勝率もあまり高くはない。
「ねえ、仮に黒次郎が簡易魔法陣までたどり着けて、魔法陣を盾にしたらそのままここまで戻って来れると思う?」
 そんな言葉にハベル教官が眉をピクンと反応させる。
「五分五分だな。あの虫がどれほど神を恐れているかにもよるが未知数だ」
「その口ぶりだと簡易魔法陣までは行けると?」
 マーカスがそうスティフィに聞き返すと、
「一発だけなら攻撃を受けても耐えるかもしれない。幻術なんで見破られる可能性はあるけど」
 と、スティフィは自分の奥の手を晒す。
 スティフィの奥の手、それは攻撃的な魔術ではなく敵を欺く幻術だった。
「幻術か…… 複眼、つまり目で判断しているのであれば、あるいは?」
 そう言って少しハベル教官は考え込む。
 分の悪い賭けなことはわかっているが他に良い方法もない。
「使徒魔術のね、私の隠し玉なんだけど。ほんとはこんなところで明らかにしたくはないんだけど、このままじゃ埒が明かないし、この巣穴も限界が近いでしょう」
「そう言えば、デミアス教の狩り手という話だったな」
 ハベル教官がスティフィを改めてみた。
 正面切って戦えば負けることはないだろうが、不意を突かれればそれも分からない、とハベルはスティフィを評価する。そのための幻術なのだろう。
「元よ。元。もうこの手じゃ狩り手なんてやっていけないもの」
 スティフィは左腕をぶらんぶらんと振って見せた。
 揺れる左手には一切の力が込められていない。
「試してみますか? スティフィの言う通り、この巣穴がいつまで持つかもわからないですし」
 マーカスが上半身を起こしてその案に乗る。
「そうだな。この揺れだからな。いつ崩落してもおかしくはないだろうな」
 そう言っている内にもかなり大きな地響きが鳴り響き、巣自体が揺れている。ハベル教官の言う通り誰が見てもいつ崩れ始めても不思議ではないと思えるほどだ。
 それにハベル教官にも良い代案が浮かぶこともない。
「じゃあ、決まりね。黒次郎を出して。術を使うから」

「これが幻術ですか…… 黒次郎が二匹に見えます」
 ミアが驚いたように二匹の黒次郎を見比べているが、ミアにはどちらが本物なのかもよくわからない。
「こっちが私が作り出した幻体。幻体の方は私が動かすから、マーカスはいつもと同じように簡易魔法陣まで行って」
 そう言いつつもスティフィ自身は黒次郎が打ち払われるところを見たわけではない。
 幻体を通して得れる情報から判断して、その一瞬の機会を事前に見つけ出さなければならない。それは相当な至難の業だ。
「わかりました。黒次郎、頑張ってくれ。うまくいけばこれで最後だ」
 そう言ってマーカスは霊体の幽霊犬を撫でまわす。
 もちろんすり抜けてしまうが、それでも黒次郎は嬉しそうにしている。
「なあ、その幻術って見た目だけなん?」
 エリックが少し不安げにそんなことをスティフィに聞いてくる。
 確かに見た目はそっくりだが、それだけであの始祖虫を騙せるとは思えない。
「デミアス教の秘術の一つよ、五感全てに、そこにいると思わせる優れものよ。まあ、人間相手になら、だけど。そんなに長い距離は無理だけど、遠隔操作もできるし、視覚も共有できるわよ。だから、私の奥の手なのよ。それを黒次郎と重ねておいて、さっき狙われた位置の寸前で、飛び出るわ。まあ、最後は賭けね。幻影が狙われるって祈っててね」
 スティフィの説明にマーカスも頷く。
「最初から二匹いたら両方狙われて終わりですからね、そうするしかないでしょう」
 始祖虫の厄介なところは、凶悪無比な触手が何本も生えているところだ。
 ただ今のところ、触手の攻撃に絶対の自信でもあるのか黒次郎を狙ってくる触手はまだ一本だけだ。それを一度でもかわせれば簡易魔法陣まではどうにかたどり着けるかもしれない。
「五感がある…… とするならば、煙幕とか実は有効じゃないんですか?」
 ミアが思いついたようにそんな提案をする。
 皆、伝説の虫種に煙幕など効かない、なんか得体のしれない感知方法で感知して攻撃してきていると、思い込みがあったが、触手の先についているのはどう見ても虫の眼の複眼に思える。
 あれが本当に複眼であるのなら、視覚で情報を得て判断していることには違いない。つまり煙幕は有効なのかもしれない。
 それにハベル教官が飛びつく。
「それはありだな。試す価値はありそうだ。煙幕のほうは吾輩がどうにかしよう、エリック、すまないが上に言って風の精霊魔術師を一人呼んできてくれ」
「了解ッス!!」
 敬礼をし、返事をした後エリックは風の精霊魔術師を呼びに行くべく駆け出していく。
「あ、それとこれを黒次郎に持たせてください!」
 そう言ってミアは小さな緑色の玉をマーカスに渡した。
「これは?」
 と、マーカスが聞き返す。
「遊びのつもりで作った匂い玉です、ラダナ草の濃縮された匂いの元が入っています。スティフィにあげようと思ってたんですが、もうこの臭いは好きじゃないと言うことで」
「え? ミア? それを私にってどういうことよ?」
 と、スティフィがその会話を聞いて若干驚きながらも、顔を引きつらせてそう聞いてきた。
 ラダナ草の濃縮された匂い玉などろくなもんじゃない。催涙兵器とそう変わらないものだ。
「まあ、遊びというか冗談のつもりで作ったんですが、想像以上にどぎつい匂いがします。私でも鼻が曲がります」
 そう言ってミアは顔をしかめた。
「だからなんでそれを私に?」
「お、驚くかなって思って!!」
 そういうミアの眼はなぜか輝いている。
「ミア、あんたねぇ……」
 スティフィもそう言いつつも初めてできた友達というのであれば、そう言ったいたずらもしたくはなるか、と半ばあきらめた表情を見せた。
「いや、これは案外いいかもしれませんよ。まあ、始祖虫の触手に五感があるという前提ですがね。嗅覚があるのならば良いはずですし効果抜群じゃないんですかね?」
 マーカスは玉の状態の匂い玉とやらを嗅いでみる。確かにほのかにラダナ草の匂いがあふれ出ている。
 これが割れるとラダナ草の匂い元の凝縮液が飛び出て来るとのことだ。
 恐らく一度触手の攻撃をかわせれば、簡易魔法陣が書かれている巻物の影に入り込め、始祖虫が戦の神を恐れるのであれば攻撃は止むはずだ。
 そのまま離れていくならば、始祖虫も過度に反応しないかもしれない。
 これが最後の機会となるかもしれない。どちらにせよ、やるしかないのだ。
 
「じゃあ、行くわよ」
 スティフィは地面に座り込み幻体の方へと意識を集中させる。
 マーカスも匂い玉を黒次郎に噛ませたまま、陰に潜ませる。
「では、火竜マブウスの吐く白煙、それをお見せしよう」
 ハベル教官が力をため、右手を振り上げる。拝借呪文を唱え、借りた魔力を振り上げた右手に集中させる。
 その右手からもくもくと白い煙が湧き出て来る。
 さらに振り上げた右手に力をためる様にハベル教官が力を込めると、一気に硫黄の匂いと共に白い煙が吹き上がる。
「いまだ、風で押し流せ! この白煙はそう簡単に離散しない! 全力で押し流してくれ!」
 エリックによって呼ばれてきた精霊魔術師が魔力の水薬の瓶を割り、その中の魔力を全て取り出して精霊に与える。
 それにより精霊は風を起こし、突風となって竜の白煙を押し流していく。
 ここが巣穴という限定されている空間なのもあり、白煙は霧散することなく風によって運ばれていく。
 簡易魔法陣があるところまでは一本道のため、このままいけば十分に煙幕として役に立ってくれるはずだ。
「では、あの煙幕の中に沿って行きますよ、スティフィ」
「あんたに合わせるから好きに動いて良いわよ」
 煙幕と共に黒次郎は進んでいく。
 始祖虫と朽木様の根は未だに激しく争っている。
 驚くべきことに串刺しにされた始祖虫の傷が既にふさがっているところだ。戦いながらもその傷を癒せる再生能力まで持ち合わせているようだ。
 だが、そんなことを気にしている場合ではない、始祖虫のことは朽木様に任せておく方が良い。
 煙幕が簡易魔法陣の所に届いたところで、マーカスは影に潜むことをやめて最短最速で簡易魔法陣を目指す。
 簡易魔法陣の影に入り込めても、さらにそこから始祖虫が攻撃して来るかどうかの賭けにもなるが、まずはそうしないと始まらない。
 白煙の中をゆっくりと始祖虫の触手の一本が様子を探るように進んでくる。煙幕の中を何かを探すように動き回っている。
 急に不可視で不可避の攻撃をしてこない辺り、煙幕は効果があると言うことだ。
 一瞬遅れてだが幻体を操るスティフィも、その触手の存在に気づく。
 スティフィは幻体を黒次郎から引きはがし、一歩先に簡易魔法陣へと向かわせる。
 その瞬間スティフィの幻体で作り出した黒次郎が打ち払われ、幻体は霧散する。
 幻体が霧散する際、強い衝撃を与えてくれるはずだが、始祖虫の触手には大した効果はないようだ。
 だが、その衝撃の余波で幻体が打ち払われたことはマーカスにも知ることはできた。
 すぐに匂い玉を強く噛め、とマーカスは命令を出す。次の瞬間、黒次郎を通して、尋常じゃない臭いと苦みがマーカスに情報として伝わってくる。
 それはいたずらでやっていい範囲を何重にも飛び越えた物だった。
 なんとか、その情報の衝撃にも耐え、黒次郎は簡易魔法陣を目指すようにに命令を飛ばす。
 打ち払ったのが偽物だと気づいた触手が黒次郎を捕らえるが、匂い玉から発せられた激臭と苦味に戸惑い一瞬、黒次郎を見失う。
 その隙に、黒次郎は簡易魔法陣の巻物の影に滑り込む。
 そして、それを背にしてその場から離れる様に運び出す。
 それを知覚した触手は煙幕の中から諦める様に撤退していく。
「やった、攻撃されない! 賭けに勝ちましたよ!」
 マーカスがそう叫んだ瞬間、白煙の中から触手の代わりにとばかりに大きな影が現れた。
 それはオオグリヤマアリだった。
 ただし、その大きさは兵隊アリの大きさよりはるかに大きい。


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