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12.それぞれの不安

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 ヘルムートが頭痛により休暇を取った数日後、オスカーは自身の体調の変化に気づいた。おそらくこれがヘルムートと睦まじく過ごせる最後の発情期になるだろう。

 オスカーはまだ動けるうちに着替えをし、ここ数日寝室にこもりがちだったヘルムートの部屋を訪れる。彼はベッドの上で朝食をとっていた。小卓の上に紅茶とトースト、卵とフルーツが乗っている。

「おはようございます、ヘルムート。体調はいかがですか?」

 オスカーはベッドに腰掛け、彼の手を取った。

「ありがとう、今日は調子がいいよ」

 そう言うと彼はさりげなく手を引っこめた。一瞬触れたとき彼の心が沈んでいるようだったのが気にかかる。今までなら彼の方からオスカーの手に触れたり、肩を抱き寄せたりするのが普通だったから、オスカーはなんとなく違和感を覚えた。

「あとで少し庭を散歩しませんか? 実は朝から少し身体がだるくて、明日からは外に出られないと思うのです」

 すると彼が意図を察してこちらを見た。

「もうそんな時期か――わかった。すぐに支度するよ」

 わざわざ散歩に誘わなくても彼はきっとオスカーがヒートを起こしたと知ったら部屋に来てくれるだろう。しかしオスカーは今のうちに少しでも彼と長く一緒に過ごしたかった。

 散歩中、彼は上の空だった。いつも隣を歩けば手をつなぐか腕を組んでくれていたのに、彼はそうしなかった。

――具合が悪いのか、それとも記憶が戻りかけて僕への気持ちが既に離れていってる?

 初夏に彼と散歩したときは絢爛に咲き誇っていた庭の薔薇も葉ばかりになっていた。秋の庭は真夏と比較して咲いている花が少なく、オスカーの気持ちさながら寂しげに見えた。ガゼボの横を通りかかると、はじめてヘルムートに出会ったときのことを思い出す。

――あのとき彼の手が背中に触れて……彼の心の声をはじめて聞いた。

 先日取り乱した彼が「俺のフェロモンが嫌になったのか」と言っていたことが引っかかる。彼は自分の感情がオスカーに漏れ聞こえていることを自覚しているのだろうか――。ぼんやり考えていると、急に彼が立ち止まった。

「オスカー、君に話したいことがある」
「なんですか?」

 彼が碧色の瞳でこちらを静かに見つめた。

「君との子どもがほしいんだ」

 前回のヒートのとき、彼と初めてベッドを共にした。その件については彼の記憶が戻った後もフェロモンのせいだったと言えば申し開きができるだろう。
 しかし子どもまでできてしまえば、記憶の戻った彼に激怒されるのではないかと恐ろしかった。それを回避するため従兄弟に処方してもらった薬のおかげで前回オスカーは妊娠を免れていた。

 ヘルムートは今まで何も言わなかったが、オスカーが妊娠しなかったことを気にやんでいたのだ。

「ヘルムート……それは、僕もそうですけれど子は授かりものですから」
「わかっている。しかし、前回の君はあまり妊娠に積極的ではなかった。ちがうか?」

 オスカーは何度も抱かれながら、なるべく彼が中で果てることのないようにしていた。それに気づかれていたらしい。

「そんなことはありません。僕だって、あなたとの子を望んでいますから」

――記憶を失くす前の彼との子など想像もできなかったが、今は心から彼との子を望んでいる。

「本当だな?」

 彼がこちらを窺うような眼差しを向け、手を伸ばしてきた。
 その手が頬に触れると、期待と不安の入り混じった感情が流れ込んでくる。『子どもさえいれば君を繋ぎ止められるだろうか』そう問いかけられたような気がしてオスカーは答えた。

「もちろんです、僕はあなたの妻なのですから」

 オスカーの言葉に彼が口元をほころばせると、フェロモンがふわりと香った。いつもの爽やかな香りに少し甘さが混じる。

「変なことを言って困らせたくないのに、最近妙に不安なんだ。君がどこか遠くへ行ってしまうような気がして」

 オスカーは彼の手に自分の手を重ねた。

――あなたを失うのを怖れているのは僕の方なのに。

「ヘルムート、僕はどんなことがあってもあなたのそばにいます」

 彼が自分を邪険に扱うようになっても、きっとそばを離れられないだろう。彼の手に頬を擦り寄せると、広い胸に抱き寄せられた。

 彼のフェロモンを吸い込むだけで憂鬱な気分は吹き飛び、ベッドで味わったあの蠱惑的な香りのことで頭がいっぱいになる。それはヘルムートも同じだったらしく、彼がいたずらっぽく笑ってオスカーの手を引いた。

「美味しそうな香りがしてきた。そろそろ部屋へ戻ろう」
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