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13.僕じゃなかった
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寝台の上で屈強な肉体に組み敷かれながらオスカーは考えを巡らせていた。彼の子どもを授かることは可能だろうか――と。
今の彼は子どもを欲しがっている。子どもさえいてくれたら、もし彼が記憶を取り戻した後冷たくされようと寂しくはないだろう。もしかすると、冷たい夫の心が溶ける可能性だってある。記憶を失っただけでこんなに自分を求めてくれるのだから、何かきっかけさえあれば、彼の愛情を取り戻すことだってできるかもしれない。
体中を優しく撫でられ、あちこちにキスされる。発情フェロモンで昂ぶった彼の感情は読めないが、求められる喜びにオスカーは酔った。甘い香りに包まれ、大きな手のひらで腰を掴まれる。
「オスカー、愛してる」
彼に貫かれた部分は柔らかく、アルファのものを奥深くに受け入れようと絡みつく。オスカーは彼の動きに合わせて自ら身体を擦り付けた。汗ばんだ彼の肌は自分の皮膚よりも張りがあって固く、あちこちに傷跡が残っている。オスカーは押し寄せる快感の波に呑まれそうになり彼の肩にしがみついた。
「ヘルムート、もう……」
「このまま中に、いいな?」
彼の息が上がり、頬にかかる吐息が熱を帯びる。官能的な芳香に誘われてオスカーは彼の体を太ももでぎゅっと締め付けた。
「――ください。そのまま……」
オスカーの言葉を聞いた夫が低くうめいてオスカーの下腹部に身体を強く押し付けた。アルファの雄はオメガを孕ませるため時間を掛けて注ぎ込む。身体の奥に彼の生命を感じ、オスカーは恍惚となった。同時に自分の欲望も弾け、彼の腹を濡らす。
このアルファの子どもが欲しい――もうそれしか考えられなかった。
彼の胸の力強い鼓動を聞きながらまぶたを閉じる。面倒なことなど何もかも忘れ、ひとつになったまま眠ってしまいたかった。
◇
ヘルムートがあの恐ろしい表情でこちらを見つめている。
胸を締め付けられるような息苦しさでオスカーは目を覚ました。
一瞬自分がどこにいるのか混乱しかけたが、自分のベッドで夫に抱きしめられているとわかって安堵する。彼の腕の重みと先ほどの行為に対する罪悪感で悪夢を見ただけだ。
彼を起こさないようにじっとしたまま息を整える。
――きっと大丈夫……。子どもができたとして彼が怒ると決まったわけじゃない。
オスカーは夫の腕から抜け出そうと身を捩った。すると力を込めて抱き寄せられる。
「行くな……」
寝ぼけた声でそう言われてオスカーは思わず頬を緩ませた。
――この間も僕が出ていくことを心配していたけど、そんなことありえないのに。
記憶を失ったことでただ不安になっているのだとはわかっていた。それでも彼に必要とされていると思うとオスカーは嬉しかった。傷だらけの腕をそっと撫でると、彼はオスカーの首筋に鼻先を擦り付けてきた。くすぐったくてまた身じろぎする。
「行くな、オリヴィア……」
オスカーは彼の言葉にびくりと身体をこわばらせた。
――え? オリヴィアって、誰だ……?
身動きできないまま心臓だけがどくどくと早鐘を打つ。彼が起きる気配はなく、ただの寝言のようだ。しかし情事後の幸福感でぼんやりした頭が急激に覚めて、これまでのちょっとした疑問や違和感が胸を去来する。
――どうしてこれまでこの可能性を考えなかったんだろう。ヘルムートが愛してるのは僕じゃない……別の人だったんだ。
記憶を失った彼が自分を見初めて恋したのだと勝手に思い込んでいた。だけどそうじゃなかった。ヘルムートには元々想い人がいたのだ。以前彼があんなに取り乱したところを見ると、おそらく彼女は彼のもとを去った。それでヘルムートはオスカーがいなくなるのを極度に怖れているのだ。でもそれはオスカーのことを引き止めたかったんじゃない。オスカーにオリヴィアという女性を重ねていただけ――。
オスカーが皇太子に嫁ぐ予定だったように、ヘルムートにもきっと別の相手がいたのだろう。だけどその縁談がうまくいかなかった。そして母が結婚相手を募り、ヘルムートが手を上げた。
――最初から僕は望まれてなんていなかった。彼はオリヴィアという人と結婚したかったんだ。だから、ヘルムートはずっと僕に冷たかった。当然だ――だって望んだ相手との結婚ではなかったのだから。
それなら全て納得がいく。他に想い人がいるのだからベッドも共にしたくないし、つがいにもなりたくない、それに当然子どもなど欲しくない。
彼の腕の中が急に居心地悪く感じられ、オスカーはベッドから逃れた。窓際に立って庭を眺めたが、月に雲がかかっており外はよく見えなかった。気づけば頬を温かいものが伝っている。
「僕はなんて馬鹿なんだ」
ほんのいっとき優しくされただけで彼のことを好きになるなんて。彼が記憶を失ったりしなければこんな思いをせずに済んだのに――。いや、自分が彼との約束を破って快楽に溺れたから罰が当たったのだ。
オスカーは涙を拭うとキャビネットから薬箱を取り出した。発情期はまだ一日目で、これから約一週間続く。これ以上夫に抱かれる気にはなれなくて、オスカーは多めに発情抑制剤を飲んだ。そしてもちろん避妊薬も――。
ブランケットをかぶり長椅子に横になる。あまりの虚しさに涙が止まらなかった。
翌朝、ベッドを抜け出し長椅子で眠っている妻を見てヘルムートは大げさに騒いだ。
具合が悪いと言ってオスカーは彼を部屋から追い出した。心配した夫は主治医を呼んだが、オスカーはアルファのフェロモンで気分が悪くなると嘘を言い夫を部屋に入れないよう医師に頼んだ。
今の彼は子どもを欲しがっている。子どもさえいてくれたら、もし彼が記憶を取り戻した後冷たくされようと寂しくはないだろう。もしかすると、冷たい夫の心が溶ける可能性だってある。記憶を失っただけでこんなに自分を求めてくれるのだから、何かきっかけさえあれば、彼の愛情を取り戻すことだってできるかもしれない。
体中を優しく撫でられ、あちこちにキスされる。発情フェロモンで昂ぶった彼の感情は読めないが、求められる喜びにオスカーは酔った。甘い香りに包まれ、大きな手のひらで腰を掴まれる。
「オスカー、愛してる」
彼に貫かれた部分は柔らかく、アルファのものを奥深くに受け入れようと絡みつく。オスカーは彼の動きに合わせて自ら身体を擦り付けた。汗ばんだ彼の肌は自分の皮膚よりも張りがあって固く、あちこちに傷跡が残っている。オスカーは押し寄せる快感の波に呑まれそうになり彼の肩にしがみついた。
「ヘルムート、もう……」
「このまま中に、いいな?」
彼の息が上がり、頬にかかる吐息が熱を帯びる。官能的な芳香に誘われてオスカーは彼の体を太ももでぎゅっと締め付けた。
「――ください。そのまま……」
オスカーの言葉を聞いた夫が低くうめいてオスカーの下腹部に身体を強く押し付けた。アルファの雄はオメガを孕ませるため時間を掛けて注ぎ込む。身体の奥に彼の生命を感じ、オスカーは恍惚となった。同時に自分の欲望も弾け、彼の腹を濡らす。
このアルファの子どもが欲しい――もうそれしか考えられなかった。
彼の胸の力強い鼓動を聞きながらまぶたを閉じる。面倒なことなど何もかも忘れ、ひとつになったまま眠ってしまいたかった。
◇
ヘルムートがあの恐ろしい表情でこちらを見つめている。
胸を締め付けられるような息苦しさでオスカーは目を覚ました。
一瞬自分がどこにいるのか混乱しかけたが、自分のベッドで夫に抱きしめられているとわかって安堵する。彼の腕の重みと先ほどの行為に対する罪悪感で悪夢を見ただけだ。
彼を起こさないようにじっとしたまま息を整える。
――きっと大丈夫……。子どもができたとして彼が怒ると決まったわけじゃない。
オスカーは夫の腕から抜け出そうと身を捩った。すると力を込めて抱き寄せられる。
「行くな……」
寝ぼけた声でそう言われてオスカーは思わず頬を緩ませた。
――この間も僕が出ていくことを心配していたけど、そんなことありえないのに。
記憶を失ったことでただ不安になっているのだとはわかっていた。それでも彼に必要とされていると思うとオスカーは嬉しかった。傷だらけの腕をそっと撫でると、彼はオスカーの首筋に鼻先を擦り付けてきた。くすぐったくてまた身じろぎする。
「行くな、オリヴィア……」
オスカーは彼の言葉にびくりと身体をこわばらせた。
――え? オリヴィアって、誰だ……?
身動きできないまま心臓だけがどくどくと早鐘を打つ。彼が起きる気配はなく、ただの寝言のようだ。しかし情事後の幸福感でぼんやりした頭が急激に覚めて、これまでのちょっとした疑問や違和感が胸を去来する。
――どうしてこれまでこの可能性を考えなかったんだろう。ヘルムートが愛してるのは僕じゃない……別の人だったんだ。
記憶を失った彼が自分を見初めて恋したのだと勝手に思い込んでいた。だけどそうじゃなかった。ヘルムートには元々想い人がいたのだ。以前彼があんなに取り乱したところを見ると、おそらく彼女は彼のもとを去った。それでヘルムートはオスカーがいなくなるのを極度に怖れているのだ。でもそれはオスカーのことを引き止めたかったんじゃない。オスカーにオリヴィアという女性を重ねていただけ――。
オスカーが皇太子に嫁ぐ予定だったように、ヘルムートにもきっと別の相手がいたのだろう。だけどその縁談がうまくいかなかった。そして母が結婚相手を募り、ヘルムートが手を上げた。
――最初から僕は望まれてなんていなかった。彼はオリヴィアという人と結婚したかったんだ。だから、ヘルムートはずっと僕に冷たかった。当然だ――だって望んだ相手との結婚ではなかったのだから。
それなら全て納得がいく。他に想い人がいるのだからベッドも共にしたくないし、つがいにもなりたくない、それに当然子どもなど欲しくない。
彼の腕の中が急に居心地悪く感じられ、オスカーはベッドから逃れた。窓際に立って庭を眺めたが、月に雲がかかっており外はよく見えなかった。気づけば頬を温かいものが伝っている。
「僕はなんて馬鹿なんだ」
ほんのいっとき優しくされただけで彼のことを好きになるなんて。彼が記憶を失ったりしなければこんな思いをせずに済んだのに――。いや、自分が彼との約束を破って快楽に溺れたから罰が当たったのだ。
オスカーは涙を拭うとキャビネットから薬箱を取り出した。発情期はまだ一日目で、これから約一週間続く。これ以上夫に抱かれる気にはなれなくて、オスカーは多めに発情抑制剤を飲んだ。そしてもちろん避妊薬も――。
ブランケットをかぶり長椅子に横になる。あまりの虚しさに涙が止まらなかった。
翌朝、ベッドを抜け出し長椅子で眠っている妻を見てヘルムートは大げさに騒いだ。
具合が悪いと言ってオスカーは彼を部屋から追い出した。心配した夫は主治医を呼んだが、オスカーはアルファのフェロモンで気分が悪くなると嘘を言い夫を部屋に入れないよう医師に頼んだ。
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