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9.お茶会

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 ヘルムートは次の日も、そのまた次の日も寝室にやってきた。
 オスカーは発情期中のことだから彼を受け入れても仕方がないと自分に言い聞かせていた。しかし、ヘルムートはオスカーの発情期が終わった後も寝室を訪れ続けたのだった。

 オスカーは今まで見向きもされなかった夫に求められ、肉体だけでなく精神的にも満たされていくのを感じた。しかし一方で記憶を失った夫を騙しているような罪悪感はぬぐえない。

 行為の最中にオスカーのうなじが無傷なのに気づいた彼が「うなじを噛みたい」と訴えてきたときは焦った。性交自体が約束に反した行為なのに、つがいになってしまえば取り返しの付かないことになる。
 オスカーは咄嗟に「皮膚が弱いから治療が済むまでうなじを噛まないでほしい」とその場しのぎの嘘をついた。妊娠することも避けなければならないと思い、オスカーは密かに宮廷医師の従兄弟から避妊薬を受け取って飲んだ。

 真夜中、雨に濡れる庭を窓から眺めつつぼんやり考える。

 彼に優しく触れられ、愛情に満ちたフェロモンを浴びせられるのはとても気持ちが良い――自分からも愛情を返したくて、以前よりも笑うようになった。
 発情期じゃなくても、二人きりで散歩するときや部屋でくつろいでいるときにお互いのフェロモンを相手に注ぐことも覚えた。だけどふと我に返って冷静になると、自分が彼の愛を受け取る資格があるのか――と自己嫌悪に陥る。

 それでも彼に触れられた部分から『愛しい』『大切にしたい』という言葉が聞こえると、どうしても嬉しいと思ってしまい拒むことができないのだった。
 ため息をついたとき、寝台で夫の身じろぎする気配がした。

「オスカー、眠れないのか?」
「あ……その、雨音で目が覚めてしまって」
「おいで。寝付くまで俺が抱きしめてあげよう」

 これまで実の母親ですら本心では何を考えているのかわからないような家で育ってきた。アルファの後継ぎを望んでいた父親はオメガである自分には無関心だったし、母はオスカーを皇太子の妃にすることしか頭になかった。オスカーに兄弟はなく、親戚も年が離れていたから幼い頃同年代の子どもたちと遊んだ記憶もない。

 オスカーはおずおずと寝台に上がり彼の腕の中に収まった。

「君は体が冷えやすいんだから、もっと近寄って」
「でも今は夏ですよ」
「ふふん、俺が触れたいだけなのがバレたか?」

 彼の腕で抱きしめられ、温かい手のひらで背中を撫でられる。すると冗談めかした態度とは裏腹に『大切な妻』『悩みごとか?』と心配げな声が聞こえた。彼の気持ちをありがたく思いながらオスカーは目を瞑る。

 今まで人との触れ合いが極端に少なかった。それがヘルムートに日中は優しく労られ、夜になると激しく求められるようになった。恋愛の一つもしてこなかったオスカーの心は徐々にヘルムートへの思慕で満たされていった。



 翌日ヘルムートは庭に面したテラスでお茶の席を用意してくれた。テーブルの上にはアーモンドたっぷりのタルトや杏子のケーキ、宝石のように艶めくチョコレートなど様々な菓子やサンドイッチがきれいに並べられている。いつになく手の込んだもてなしにオスカーは目を輝かせた。

「最近は雨が続いていたが久々のいい天気だ。外に出たら気分も晴れやかになるだろう?」

 昨夜オスカーが夜中起きて憂鬱そうにしていたのを心配して気分転換のために準備してくれたらしい。些細なことでも気にかけてくれるのが嬉しかった。

「これは北部の山岳地帯で採れた珍しい茶だ。君に是非飲んでもらいたくて取り寄せたのが今朝届いたんだ」
「わざわざありがとうございます」
「最近君は考え事をしているようだからね。あまり悩むのは体に良くない」

 女の使用人がカップに茶を注いでいたが、彼女が誤って手を滑らせた。テーブルの上でガシャンと音がしたかと思うとティーポットの中の熱い茶がオスカーの手にかかる。

「あっ!」
「オスカー!」

 ヘルムートが椅子から立ち上がって駆けつけた。使用人はおろおろして今にも泣き出しそうだ。

「も、申し訳ありません奥様……!」
「何をしているんだ、ぐずぐずしていないで冷やすものを持ってこい!」
「はい只今――」

 使用人は慌てて駆けていった。ヘルムートはオスカーの手の甲をハンカチでやさしく拭う。

「赤くなっている。痕でも残ったら大変だ」
「大丈夫です。お茶が少しかかっただけですから」

 しばらくすると使用人が冷たい水を器に入れて持ってきた。オスカーはそこに手を浸す。彼女は泣きながら平謝りし、ヘルムートが下がって良いと言うと肩を震わせながら去っていった。

「すまないオスカー。こんなはずでは――」
「気になさらないでください。誰にでも失敗はありますから、あの使用人をあまり叱らないでくださいね」
「だめだ。俺の大切な妻に怪我をさせたんだからあいつはもうお払い箱だ」

 この騒動が起きるまでの穏やかさから一転して険しくなったヘルムートの表情にオスカーは息を呑んだ。

――まるで僕が嫁いできた頃のよう……。

 使用人に向けた「お払い箱だ」という言葉がまるで自分に向けられたように心に突き刺さり、手の痛みなど忘れそうなほどだった。

「ヘルムート、お願いです。僕からきちんと彼女に話をしますから」
「……どうしてあの女をかばうんだ?」

 彼が心底理解できないという顔をして尋ねてくる。記憶喪失になって優しくなったと思ったのに、そうじゃないのだろうか。彼の気持ちが気になって、怪我をしていない方の手を彼の手の上に重ねる。するとそこからは不安と労りの感情が流れ込んできた。彼はどうやら本当にオスカーのことを心配しているだけのようだ。

「使用人の教育を怠ったのは僕の責任でもあります。あなたの妻としてもっと屋敷内のことにも気を配るべきでした」
「そんなことはない。しかし君がそこまで言うなら解雇はしない」
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