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10.使用人の話
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その後オスカーは先ほどの使用人を呼ぼうとした。しかし思い直して自分から彼女の元へ出向くことにする。
オスカーが厨房に現れたのを見て彼女はまた泣き出しそうになった。
「奥様、先程は本当に申し訳ありませんでした」
「さっき先生が侯爵様の診察にいらして僕も治療してもらったから大丈夫だよ」
「すみません……解雇されてもおかしくありませんでしたのに、奥様が恩情をかけてくださったと聞きました。ここを追い出されては行くところもなく、本当に感謝しております」
「もう気にしないで。それより今少し話をしても?」
すると彼女が背後を振り返って申し訳なさそうに言う。
「あの、それが――私のせいで夕食の支度が遅れてしまいそうなのです。夕飯の後でもよろしいでしょうか」
厨房を覗くと皆忙しそうにしており、殺気立った雰囲気だ。自分が彼らの邪魔をしているのに気づく。
「忙しそうだね。いつもこんなに人が少ないのか?」
「季節によりますが、今は畑の作物の収穫時期でして外の作業に人手が借り出されているのです。私は本来厨房担当じゃないのですが、じゃがいもを剥かなければいけなくて」
オスカーは今まで使用人が何をしているか気にしたこともなかった。それが急に恥ずかしくなる。
「じゃあ、僕も皮剥きを手伝うよ」
「とんでもございません! そんなことをしていただいたなんて旦那様に知られたら叱られます。それに奥様は手が……」
「あ、そうか。怪我していたんだった。ごめん、手伝えないけど見ていてもいい?」
「それはもちろんようございますが……」
厨房は暑いし汚いので外に出ようと提案された。彼女はたくさんのじゃがいもが入った桶を持って井戸のそばにしゃがみ込む。オスカーは実家の屋敷でも厨房や裏方の作業など目にしたことはなかったから、彼女がナイフで皮を剥くのを興味深く眺めた。
「実は私、お茶を出したことがなかったんです。それで今日はあんな粗相をしてしまって大変申し訳ありません」
「そうだったのか?」
「はい。普段は洗濯や繕い物の仕事を仰せつかっていて、今日はたまたま給仕担当が出払っていたもので……」
ヘルムートがオスカーのために思いつきで突然準備させたお茶会だった。それで使用人たちも慌てたのだろう。今まで日中は部屋にこもりがちだったから、この屋敷の使用人の事情も何も知らなかった。
侯爵家が裕福だということは嫁ぐ前に母親から聞かされていた。実際に屋敷もオスカーの実家より広い。それなのに使用人が少ないし、屋敷全体が質素だということに今更気づかされる。
「これでも奥様が嫁いで来られるのに合わせて使用人が増えたんです。旦那様が戦災孤児を引き取っていらっしゃるのはご存知ですか?」
「戦災孤児を――?」
「はい。旦那様は近衛騎兵隊に配属される前は前線に出ていらっしゃいました。遠征先で孤児になった子どもを引き取って、その中から一部はこちらのお屋敷で雇ってくださったんです。私も十二歳のときにここに引き取られました」
――彼がそんなことを……?
「ですから、私を含めてここの使用人は身分が低い者が多いんです。皆田舎者ばかりですから。あ、執事のウォレスさんは違いますけれど」
「そうか……」
「ただ、奥様が高貴なお方だからなるべく粗相のないようにと旦那様は婚前に口を酸っぱくして私達におっしゃったんです。なにせ奥様は皇室に嫁ぐ予定だったほどのお方だから――と」
「ふふ、それはだめになってしまったけどね」
オスカーが苦笑すると彼女がハッとして頭を下げた。
「私ったら申し訳ありません! 無礼なことを申し上げました」
「大丈夫、もう気にしてないから」
「あの、それでその……旦那様は奥様がお見えになるというのでお屋敷もなるべく華やかになるようにと随分気を遣われていらしたんです」
「え?」
――ヘルムートが、僕の嫁いでくる前に? そんなはずは……。
「何かの間違いじゃ?」
「いいえ、本当です! 特に奥様のお部屋は、家具や調度なども意匠の凝ったものを取り揃えるようにと」
記憶を失った後の彼ならともかく、婚前に彼が自分のためにそんなことをするとは到底思えなかった。
オスカーのためというよりは、妻を迎える貴族の義務としてそのようにしたのかもしれない。
しかし、戦地からわざわざ孤児を引き取るだなんてなかなかできることではない。以前の彼も冷たいように見えて思いやりがある人間だったのかもしれない。そう、初対面でオスカーのことを助けてくれたときだって彼は紳士的だった。
――ではなぜ僕が嫁いできたときはあんなに邪険に扱われたんだろう?
オスカーが厨房に現れたのを見て彼女はまた泣き出しそうになった。
「奥様、先程は本当に申し訳ありませんでした」
「さっき先生が侯爵様の診察にいらして僕も治療してもらったから大丈夫だよ」
「すみません……解雇されてもおかしくありませんでしたのに、奥様が恩情をかけてくださったと聞きました。ここを追い出されては行くところもなく、本当に感謝しております」
「もう気にしないで。それより今少し話をしても?」
すると彼女が背後を振り返って申し訳なさそうに言う。
「あの、それが――私のせいで夕食の支度が遅れてしまいそうなのです。夕飯の後でもよろしいでしょうか」
厨房を覗くと皆忙しそうにしており、殺気立った雰囲気だ。自分が彼らの邪魔をしているのに気づく。
「忙しそうだね。いつもこんなに人が少ないのか?」
「季節によりますが、今は畑の作物の収穫時期でして外の作業に人手が借り出されているのです。私は本来厨房担当じゃないのですが、じゃがいもを剥かなければいけなくて」
オスカーは今まで使用人が何をしているか気にしたこともなかった。それが急に恥ずかしくなる。
「じゃあ、僕も皮剥きを手伝うよ」
「とんでもございません! そんなことをしていただいたなんて旦那様に知られたら叱られます。それに奥様は手が……」
「あ、そうか。怪我していたんだった。ごめん、手伝えないけど見ていてもいい?」
「それはもちろんようございますが……」
厨房は暑いし汚いので外に出ようと提案された。彼女はたくさんのじゃがいもが入った桶を持って井戸のそばにしゃがみ込む。オスカーは実家の屋敷でも厨房や裏方の作業など目にしたことはなかったから、彼女がナイフで皮を剥くのを興味深く眺めた。
「実は私、お茶を出したことがなかったんです。それで今日はあんな粗相をしてしまって大変申し訳ありません」
「そうだったのか?」
「はい。普段は洗濯や繕い物の仕事を仰せつかっていて、今日はたまたま給仕担当が出払っていたもので……」
ヘルムートがオスカーのために思いつきで突然準備させたお茶会だった。それで使用人たちも慌てたのだろう。今まで日中は部屋にこもりがちだったから、この屋敷の使用人の事情も何も知らなかった。
侯爵家が裕福だということは嫁ぐ前に母親から聞かされていた。実際に屋敷もオスカーの実家より広い。それなのに使用人が少ないし、屋敷全体が質素だということに今更気づかされる。
「これでも奥様が嫁いで来られるのに合わせて使用人が増えたんです。旦那様が戦災孤児を引き取っていらっしゃるのはご存知ですか?」
「戦災孤児を――?」
「はい。旦那様は近衛騎兵隊に配属される前は前線に出ていらっしゃいました。遠征先で孤児になった子どもを引き取って、その中から一部はこちらのお屋敷で雇ってくださったんです。私も十二歳のときにここに引き取られました」
――彼がそんなことを……?
「ですから、私を含めてここの使用人は身分が低い者が多いんです。皆田舎者ばかりですから。あ、執事のウォレスさんは違いますけれど」
「そうか……」
「ただ、奥様が高貴なお方だからなるべく粗相のないようにと旦那様は婚前に口を酸っぱくして私達におっしゃったんです。なにせ奥様は皇室に嫁ぐ予定だったほどのお方だから――と」
「ふふ、それはだめになってしまったけどね」
オスカーが苦笑すると彼女がハッとして頭を下げた。
「私ったら申し訳ありません! 無礼なことを申し上げました」
「大丈夫、もう気にしてないから」
「あの、それでその……旦那様は奥様がお見えになるというのでお屋敷もなるべく華やかになるようにと随分気を遣われていらしたんです」
「え?」
――ヘルムートが、僕の嫁いでくる前に? そんなはずは……。
「何かの間違いじゃ?」
「いいえ、本当です! 特に奥様のお部屋は、家具や調度なども意匠の凝ったものを取り揃えるようにと」
記憶を失った後の彼ならともかく、婚前に彼が自分のためにそんなことをするとは到底思えなかった。
オスカーのためというよりは、妻を迎える貴族の義務としてそのようにしたのかもしれない。
しかし、戦地からわざわざ孤児を引き取るだなんてなかなかできることではない。以前の彼も冷たいように見えて思いやりがある人間だったのかもしれない。そう、初対面でオスカーのことを助けてくれたときだって彼は紳士的だった。
――ではなぜ僕が嫁いできたときはあんなに邪険に扱われたんだろう?
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