61 / 101
14 叛乱-8-
しおりを挟む
「それは私も訊きたいところだな」
手にしていたタードナイトを足元に置き、彼は言った。
「彼女に何をしている? コルドー君」
白衣姿の彼は後ろからリエの右腕をひねり上げ、彼女の喉元にメスをあてがっている。
「見てのとおりです」
コルドーは彼に分かるようメスの角度を変えてみせた。
白い肌が刃先をわずかに押し当てられて赤みを帯びる。
「こそこそ何をしているのかと思えば……施設を私物化してこんなものを作って、挙げ句にクジラ様に近づこうというのですか――?」
とんでもない思い上がりだ、と彼は糾弾した。
”クジラ様”という表現にカイロウは眉を顰めた。
「きみはクジラに反感を持っていたのではないのか?」
単純な疑問だったが、これは会話を引き伸ばしコルドーの注意を逸らすのに役立つ。
リエはよほど胆が据わっているのか、表情に怯えの色は見えない。
だが締め上げられた腕が痛むようで、時おり苦しそうに呼吸を乱している。
「昔はそうでした。でも今はちがいます。ドクターはクジラ様のありがたみを知らないのでしょうね」
「ありがたみ? なぜきみはここで働いているんだ?」
「金になるからですよ。恵みにすがろうと急ぐ者が負傷すれば、たいていここに運ばれますからね。需要があって大金も手に入る。誰が不満に思います?」
「だったら、どうして――」
「でも考えが変わったんです。いや、生まれ変わったんですよ。あれは心が洗われるような体験でした」
コルドーは笑んだ。
その際に一瞬だけ注意が散漫になったが、事態を好転させるほどの隙にはならなかった。
「彼はクジラ教の信者です」
口惜しそうにリエが言った。
「教祖様のお言葉で目が覚めましたよ。今までクジラ様を憎んでいましたが、それは間違いだと気付かされました」
「クジラのせいで家族を喪ったと言っていたではないか?」
「試練をお与えになったんですよ。僕がひとりでも強く逞しく生きていけるように。そしてその試練を乗り越えたと認められれば死後、僕も楽園に行くことを許されるんです」
「バカバカしい……」
カイロウは彼を憐れに思った。
死んだ後のことなど誰にも分からない。
分からないからどう考えようと自由だ。
だがそれと目の前で起こっていることは別問題である。
コルドーがどこの信徒だろうと、リエを人質にとって自分たちの邪魔をするのは許せることではない。
「クジラ様に近づこうとする愚か者どもを更生させたとなれば、僕も徳を積んだことになる。教祖様に認めていただける……!」
照明を受けてメスがぎらりと光った。
コルドーの双眸はたったひとつしかない選択肢をカイロウに突きつけている。
「せめてもの情けです。ドクター、あなたに自ら生まれ変わる機会を与えますよ」
彼はカイロウの足元に目を向けた。
部品を組み立てるのに使ったドライバーが転がっている。
「それでも喉や腹を突き刺すくらいできるでしょう? クジラ様に盾突こうとした罪を悔いながら死になさい。そうすればリエさんは助けてあげましょう」
「………………」
「妙な真似をすれば――分かっていますね?」
メスを小さく振って彼は哂笑した。
「崇高なクジラ教の信者にしては、ずいぶん卑怯な手を使うわね……」
リエが呼吸を整えながら言った。
「悪を正すには必要なことですよ。クジラ様もきっと許してくださるでしょう」
「きっと許してくださる? たかが末端の信者のくせに、そうやってクジラの気持ちを勝手に解釈するほうがよほど冒涜しているんじゃないかしら?」
「………………!!」
言葉に詰まり、コルドーはあやうくメスを持つ手を引いてしまうところだった。
「ま、前から生意気な女だと思ってたんですよ。でもとんだバカでしたね……! 自分の立場も分からないとは――」
カイロウの頬を冷や汗が伝う。
(おいおいリエ君、勘弁してくれ! あまり感情を逆撫でするようなことを言うんじゃない!)
どうにか助け出す手立てはないかと模索しているのに、当人が自ら窮地を招いてどうするんだ。
文句のひとつでも言ってやりたいと思ったときだった。
手にしていたタードナイトを足元に置き、彼は言った。
「彼女に何をしている? コルドー君」
白衣姿の彼は後ろからリエの右腕をひねり上げ、彼女の喉元にメスをあてがっている。
「見てのとおりです」
コルドーは彼に分かるようメスの角度を変えてみせた。
白い肌が刃先をわずかに押し当てられて赤みを帯びる。
「こそこそ何をしているのかと思えば……施設を私物化してこんなものを作って、挙げ句にクジラ様に近づこうというのですか――?」
とんでもない思い上がりだ、と彼は糾弾した。
”クジラ様”という表現にカイロウは眉を顰めた。
「きみはクジラに反感を持っていたのではないのか?」
単純な疑問だったが、これは会話を引き伸ばしコルドーの注意を逸らすのに役立つ。
リエはよほど胆が据わっているのか、表情に怯えの色は見えない。
だが締め上げられた腕が痛むようで、時おり苦しそうに呼吸を乱している。
「昔はそうでした。でも今はちがいます。ドクターはクジラ様のありがたみを知らないのでしょうね」
「ありがたみ? なぜきみはここで働いているんだ?」
「金になるからですよ。恵みにすがろうと急ぐ者が負傷すれば、たいていここに運ばれますからね。需要があって大金も手に入る。誰が不満に思います?」
「だったら、どうして――」
「でも考えが変わったんです。いや、生まれ変わったんですよ。あれは心が洗われるような体験でした」
コルドーは笑んだ。
その際に一瞬だけ注意が散漫になったが、事態を好転させるほどの隙にはならなかった。
「彼はクジラ教の信者です」
口惜しそうにリエが言った。
「教祖様のお言葉で目が覚めましたよ。今までクジラ様を憎んでいましたが、それは間違いだと気付かされました」
「クジラのせいで家族を喪ったと言っていたではないか?」
「試練をお与えになったんですよ。僕がひとりでも強く逞しく生きていけるように。そしてその試練を乗り越えたと認められれば死後、僕も楽園に行くことを許されるんです」
「バカバカしい……」
カイロウは彼を憐れに思った。
死んだ後のことなど誰にも分からない。
分からないからどう考えようと自由だ。
だがそれと目の前で起こっていることは別問題である。
コルドーがどこの信徒だろうと、リエを人質にとって自分たちの邪魔をするのは許せることではない。
「クジラ様に近づこうとする愚か者どもを更生させたとなれば、僕も徳を積んだことになる。教祖様に認めていただける……!」
照明を受けてメスがぎらりと光った。
コルドーの双眸はたったひとつしかない選択肢をカイロウに突きつけている。
「せめてもの情けです。ドクター、あなたに自ら生まれ変わる機会を与えますよ」
彼はカイロウの足元に目を向けた。
部品を組み立てるのに使ったドライバーが転がっている。
「それでも喉や腹を突き刺すくらいできるでしょう? クジラ様に盾突こうとした罪を悔いながら死になさい。そうすればリエさんは助けてあげましょう」
「………………」
「妙な真似をすれば――分かっていますね?」
メスを小さく振って彼は哂笑した。
「崇高なクジラ教の信者にしては、ずいぶん卑怯な手を使うわね……」
リエが呼吸を整えながら言った。
「悪を正すには必要なことですよ。クジラ様もきっと許してくださるでしょう」
「きっと許してくださる? たかが末端の信者のくせに、そうやってクジラの気持ちを勝手に解釈するほうがよほど冒涜しているんじゃないかしら?」
「………………!!」
言葉に詰まり、コルドーはあやうくメスを持つ手を引いてしまうところだった。
「ま、前から生意気な女だと思ってたんですよ。でもとんだバカでしたね……! 自分の立場も分からないとは――」
カイロウの頬を冷や汗が伝う。
(おいおいリエ君、勘弁してくれ! あまり感情を逆撫でするようなことを言うんじゃない!)
どうにか助け出す手立てはないかと模索しているのに、当人が自ら窮地を招いてどうするんだ。
文句のひとつでも言ってやりたいと思ったときだった。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します
白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。
あなたは【真実の愛】を信じますか?
そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる