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第一章 愚王と愚妹による婚約破棄

第六話   目撃者はリヒト・ジークウォルト 

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「さすがに王都で仕事をするのは無理なようね……」

 私は王都の大通りを歩きながら、ぼそりとつぶやいた。

 マーカスさんの病院を出て1時間ぐらいは経っただろうか。

 私はダメもとで他の医療施設にも働き口を求めたが、やはり返ってきた答えはマーカスさんと同様だった。

 ――申し訳ありませんが、アメリアさまを雇うことはできません

 と、全員の医師に告げられてしまった。

 どうしてこのような厳しいお達しが王宮から下されたのかはわからなかったが、王宮からも実家からも追い出されてしまった今の私には知ることができない。

 私はため息を吐くと、大通りから少し離れた小さな石垣の上に腰を下ろした。

 賑わっていた大通りをじっと見つめる。

 平日の昼過ぎにもかかわらず、大通りには多くの人間たちが行き交っていた。

 王都の人間たちはもちろんのこと、王都以外から商品や農産物を売りに来ている商人や農民の姿も多い。

 そして大通りには露店も多く軒を連ね、特に食べ物を売る露店が目立つ。

「いらっしゃい! 美味しいパンがたくさんあるよ!」

「うちの果実水ジュースはいらんかね!」

「甘いお菓子だよ! どうぞ、寄っていってちょうだい!」

 飲食を扱う露店の店主たちの掛け声がそこら中に響いている。

 ……美味しそう。

 その中でも私は、蒸しパンやを売っている露店を食い入るように見つめた。

 ぐううう……。

 同時に私の胃袋が猛烈な抗議をしてくる。

 昨日の夜から何も入ってこないので、早く食べ物を入れて満足させてくれと。

 しかし、今の私には露店の食べ物を買うことはできなかった。

 理由は簡単だった。

 お金が1リルドたりともないのである。

 王宮内でも私は、豪華なドレスや装飾品は一切身に着けていなかった。

 結界部屋で魔力水晶石に魔力を流し込むのにドレスなど必要なく、王宮内の医療施設や王都中の病院を回るのにはドレスよりもシャツやスカートのほうが断然動きやすかったからだ。

 当然のことながら王宮内では奇異な目で見られていたが、私の仕事は〈防国姫〉としてこの国の国民たちを病気から守ることだったため、私自身は変な目で見られても一向に気にしなかった。

 だが、今となってはそれがあだとなってしまった。

 現在、私は動きやすい純白のシャツに、真っ赤なスカートを履いている。

 昨日の夜にアントンさまから婚約を破棄されたあと、豪華なドレスや装飾品はすべて没収され、普段着である今の格好のまま王宮を追放されたからだ。

 そう、私の持ち物はこの服だけだった。

 せめて髪留めやネックレスの類があればそれを売ってお金に変えられるのだが、生憎とそのような装飾品はまったく身につけていない。

「……恥を忍んでマーカスさんにお金を借りればよかったかな」

 何気なくつぶやいてからハッとなる。

 いけない、いけない。

 王都中にある病院も十分な貯えがあるわけじゃないのよ。

 最近は諸物価高騰のせいで薬の原材料も上がっていると聞く。

 それにお金を借りられたしても、そのお金を返すアテがない。

 病院などがない辺境や田舎の地域に自ら趣き、医術や施術で人々を怪我や病気から助ける〈放浪医師〉の仕事も、まさにこれから始めようとしているのだ。

 それなのに、最初から借金を背負った状態で始めてしまうのは幸先が悪すぎる。

 でも、このままだと仕事を始める前に飢え死にするかも。

 ぐううううう…………。

 などと思っていると、先ほどよりも胃袋が激しく食べ物の催促をしてきた。

 と、そのとき。

 ボタッと目の前で何かが地面に落ちた音がした。

 私は地面に落ちた何かを見る。

 パンだった。

 だが、小麦粉だけを使った柔らかく触感のよい白パンではない。

 ライ麦を使って作る、固い触感の黒パンだ。

 どうして地面に黒パンが……。

 ふと周囲を見渡すと、大量の袋に黒パンを詰めた行商人さんが遠ざかっていく姿が見えた。

 おそらく行商人さんが私の目の前を通り過ぎたとき、袋から黒パンの1つが零れ落ちてしまったのだろう。

「あ、あのう――」

 私はすぐに行商人さんに声をかけようとしたが、行商人さんは急いでいたのかあっという間に人だかりの中へ消えてしまった。

 私は行商人さんが消えた方向から視線を戻し、再び周囲を見渡す。

 大勢の通行人たちは地面に落ちている黒パンなど見向きもしない。

 そもそも、地面に落ちている黒パンの存在に気づいていないのだろう。

 私が思いっきり手を伸ばせば、確実に掴めるだろう黒パンのことなど。

 ごくり、と私は黒パンを見つめながら生唾を飲み込んだ。

 ダメよ、アメリア!

 いくらお腹がすいているとはいえ、地面に落ちた食べ物を拾うなんてそんな真似は貴族の恥じよ!

 などと自分自身に言い聞かせた直後だ。

 ぐううううううううううううう――――ッ!

 胃袋からの猛抗議を受けて、私は貴族のプライドをあっさりと捨てた。

 背に腹は代えられない!

 私は素早く手を伸ばして黒パンを拾うと、すぐさま周囲から隠すように両手で抱き締めた。

 おそるおそる周囲を見回す。

 通行人の表情や歩行に変化はない。

 誰も私が黒パンを拾ったことなど見ていないのだろう。

 ほっと胸を撫で下ろした私は、黒パンの表面に付着していた土を払い落とす。

 こんなこと父上が知ったら卒倒するわね。

 そして母上も間違いなく卒倒するだろう。

 ミーシャなどは「あらあら、お姉さまは一夜にして〈防国姫〉から乞食に成り下がったんですね」と馬鹿にしてくるかもしれない。

「……あいつなら今の私を見てどう思うのかしらね」

 不意に私の頭に1人の青年の顔が浮かんだ。

 フィンドラル家の専属護衛騎士として屋敷内に住んでいた青年の顔が。

 アントンさまと婚約してフィンドラル家を出てからは諸事情で一度も会っていなかったが、あいつのことだから今の私を見たらこう言うだろう。

「お嬢さま、拾い食いはやめてください。鋼鉄の胃袋を持つお嬢さまでもお腹を壊しますよ」

 私は口から心臓が飛び出るほど驚いた。

 頭の中で想像した言葉通りのことを、真後ろから本物の声で浴びせられたのだ。

 私はゆっくりと顔だけを振り向かせる。

「探しましたよ、アメリアお嬢さま」

 私の後ろには、いつの間にか黒髪の青年が佇んでいた。

「り、リヒト?」

「はい、リヒト・ジークウォルトです」 

 顔全体から血の気が引いた私とは違い、リヒトは澄み切った青空のような笑顔を浮かべていた。
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