上 下
106 / 818
第一部 宰相家の居候

180 シーカサーリ王立植物園(1)

しおりを挟む
※1日複数話更新です。お気を付け下さい。

 シーカサーリの街は、元々は修道院とその生活を支える為の小さな集落だったと言う。

 とは言え〝蘇芳戦記〟の世界は宗教色が薄く、修道院と言っても、アンジェスでは、孤児院やDVを受けた女性や児童虐待を受けた子供たちの避難場所的な役割があり、ギーレンにおいては、メインは刑務所に近い役割があって、罪人を教導する為の「教官」がいて、懺悔の時間を除いては、国の歴史や法を説き、読み書きや算術なども教えたりしているらしい。

 ちょっとした職業訓練所の様な扱いかも知れないが、平民の識字率がそれほど高くはない現状、罪を償った後の再就職先は、むしろ探しやすいのかも知れなかった。

 教官となるには一定の知識や礼儀作法を知る必要があり、いきおい、街の有力者としての地位を持つようになってくる為に、住民からの依頼を受けての冠婚葬祭の執行も、徐々に業務として加わっていき、そんな教官の「教導授業」も、やがて学のない平民たちにも無料開放されるようになって、学問的な研究の場としても、修道院は徐々に発展をしていったらしかった。

 修道院は、罪人に労働と共同生活の尊さを教える場でもあるため、基本が自給自足。修道院の庭では様々な植物が育てられ、食用から薬用まで、多種多様な研究が同時に行われて、薬草から治療薬を精製したり、薬草を酒に溶かし込んだ薬草酒(リキュール)を製造したりと言うのは、全て修道院がその発祥になったそうだ。

 ベクレル伯爵家は、元々はその「教官」の一人が祖先であり、研究分野で多くの貢献を国に対して行ったとして叙爵され、更に現伯爵家に婿として入ってから、現代に繋がっているらしい。

 シーカサーリ王立植物園に行く前に、ベクレル伯爵は街と伯爵家の生い立ちとして、そんな事を説明してくれた。

「と言っても、研究が盛んになってくると、その研究をしたいがために、軽微な罪を犯して修道院に入ろうとする人が出てくるものだから、ある時から、研究棟と本来の修道院とが切り離されたんだ」

「ああ…私の国は、修道院に罪人を養う義務はなくて、専用の刑務所と言う所が別にあったんですが、それでもそこは、捕らえられている間は、最低限とは言え衣食住が保証されるから、わざと捕まろうとする人がいるって聞いた事はあります」

「なるほど。似たような事はどこでも起こりうると言う事か。なら、理解は早いのか…もちろん、修道院の規模によっては、切り離さないままの所もある。あくまでシーカサーリは、切り離したと言う事だ。そしてシーカサーリの植物研究棟はどんどんと規模が大きくなり、やがて王命の研究施設を抱えるまでになった」

 王都から馬車で30分と言う距離の近さも影響を与えたに違いない。

「ただ今でも、深夜や早朝に修道院の方から掃除や水やりなんかに人は来る。もちろん、揉め事を起こすような人間が来る事はまずないんだが、さすがにゼロとも言えない。特殊な紋様を制服に縫い付けてあるから、もし遭遇してもすぐに分かるとは思うが、気を付けるようにはしておいて欲しい」

「分かりました。シャーリーのお父様の家名に泥を塗るような事は致しません」

 食事の席で「レイナ」「シャーリー」と呼びあっていると言った時、夫妻はとても嬉しそうだった。

 自分達を親戚の小父おじ小母おばくらいに思ってくれて構わないとまで言ってくれた。

 なので有難く、植物園で夫妻の話をする時には、そうさせて貰う事にした。

「もっとも、修道院にしろ研究施設にしろ、シャーリーの事やこちらの伯爵家を侮辱する様な振る舞いをなさる方がいらした場合には、徹底的に反撃させて頂きますので、そこは予めご承知おき下さい」

 一般的に婚約破棄と言うのは、女性にとっての瑕疵と捉えられがちな世界だ。

 研究馬鹿で世俗の事情を無視するタイプか、研究に行き詰まり、伯爵家に取り入ろうとして、上から目線で婚約破棄の一件を蒸し返すか、どちらのタイプも研究施設にいるだろうと思えた。

「あまり危ない事は――」

「大丈夫です。腕力に訴えるような事はやりません。私がやるなら、ジワジワと家ごと干上がらせて潰します。直接こちらの家に上位貴族からの圧力はかからず、気付いた時にはむしろこちらに縋るしか道がないように追いこんでおきますので、その時放置されるか、手を差し伸べて貸しを作るかは、状況に応じてご判断下されば良いようにしておきます」

「そ、そうか」

「ふふっ、もしもの場合ですよ、もしもの」

「あー…ただこのお嬢さん、現在進行形でを干上がらせつつあるんで、そこはもう、誇張なくやると思っといて下さい」

 援護射撃になっていないファルコの物言いに、とりあえず思い切り足を踏ん付けておいた。

「何と言うか…手紙を受け取った時は少し半信半疑だったが、確かに、アンジェス国の国王陛下と、娘の為に交渉をしてくれてもおかしくないのだと思えてきたな……」

 ――私は聞かなかった事にしておいた。

*          *          *

「ようこそ、シーカサーリ王立植物園へ。私が研究施設サイドの室長、クノフローク・キスト。植物園の園長や修道院の教官などは、必要に応じてまた紹介しよう」

 金髪碧眼、世間的には甘いマスクと言われていそうな、意外に若手な室長サマだ。
 多分、イザクあたりが年齢的にも近そうな気がする。

 もっとも、金髪碧眼=サイコパスな某国の国王陛下を知る身としては、露ほども心を動かされない。

 むしろ警戒対象になりそうだ。

「ユングベリ商会にて、この度新しく立ち上げます薬草部門の責任者となりました、レイナ・ユングベリと申します。この度は学びの場を与えて頂き深謝申し上げます。後ろにいますのが、当商会専属薬師イザクと、従業員のです。普段からイザクの補佐をしておりますので、良い機会かと思い同行させました」

 シーグには、そのままだとどこでバレるか分からないと言う事で、私の国で「春のアルビレオ」と、その明るさを讃えられるニ連星「蟹座のイオタ星」からとった偽名を名乗るようにと説明をした。

 本当は、某アニメの、空から落ちて来た女の子っぽく、おさげ髪にヘアバンド風リボンを付けさせて「シータ」と名乗らせたかったけど、よく考えたら、そちらはオリオン座の四重星が由来になるなので、残念ながら没。

 だけど恰好くらいはそれシータでも良いかと、私の趣味で変装させました。はい。

 シーグ本人も、なるほどと頷いて、受け入れてくれたようなので――それ以上の苦情はどこからも受け付けません。決定です。

 齟齬に気付くのは、きっと確実にアニメを見ているだろうシャルリーヌだけだし。

「薬草部門ですか……」

 キスト室長は、少し怪訝そうな表情を浮かべていた。

「失礼ですが、大抵の街には医師がおり、薬屋がその近くにある現在、何故商会でその部門を新設されるのかを伺っても……?」

「もちろんです。実は商会で以前働いておりました者が、あまり聞き覚えのない遠い異国の出身でして。その者の国では〝薬食同源〟と言い、体によい食材を日常的に食べて健康を保てば、特に薬など必要としない――という面白い考え方が根付いていると言っておりました」

「ほう」

「私が聞いただけでも、例えば『緑色の葉物野菜を毎日食べていると、記憶力と思考能力の低下を抑えられる可能性がある』とか、他にもあれこれとありまして。この王立植物園は、薬用にしろ食用にしろ、屈指の量と種類がありますでしょう?ですからぜひ、此方で植物が持つ可能性の限界を見極めさせて頂きたいと思いまして」

「それは……我が国でも初の試みだ……!遠い異国とは言え、その様な考え方がなされていようとは!」

 やはり研究施設を預かるだけあって、この室長もかなり薬草オタクの部類に入る人なんだろう。
 いきなり目が爛々と輝き始めた。

 そして今更ながら、私は薬より食材としての研究が希望とした方が良いと言った、イザクの意見が全面的に正しかった事を知った。

「イザクとイオタは、せっかくですから本職である薬用植物の研究を学ばせたいのですが、私は薬に関してはそこまで詳しくありませんし、むしろ、この新しい研究に全力を注ぎたいと思っているのです。商会の未来もかかっていますから」

「ええ、そう言う事であれば、当研究施設は貴女がたを歓迎致しますよ!ユングベリ嬢、貴女の研究には、ぜひ私も加わらせて頂けませんか?研究成果を横取りするつもりは決してありません。室長となって以降、なかなか研究の前線に立てる機会もありませんでしたので、無償でも良いくらいですから、何とぞ!」

「………え」

 ――果たして上手く入り込めそうな事を喜ぶべきなのか、研究オタクの執念におののくべきなのか。

 今の私には、判断がつかなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

竜人の王である夫に運命の番が見つかったので離婚されました。結局再婚いたしますが。

重田いの
恋愛
竜人族は少子化に焦っていた。彼らは卵で産まれるのだが、その卵はなかなか孵化しないのだ。 少子化を食い止める鍵はたったひとつ! 運命の番様である! 番様と番うと、竜人族であっても卵ではなく子供が産まれる。悲劇を回避できるのだ……。 そして今日、王妃ファニアミリアの夫、王レヴニールに運命の番が見つかった。 離婚された王妃が、結局元サヤ再婚するまでのすったもんだのお話。 翼と角としっぽが生えてるタイプの竜人なので苦手な方はお気をつけて~。

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

【完結】初めて嫁ぎ先に行ってみたら、私と同名の妻と嫡男がいました。さて、どうしましょうか?

との
恋愛
「なんかさぁ、おかしな噂聞いたんだけど」 結婚式の時から一度もあった事のない私の夫には、最近子供が産まれたらしい。 夫のストマック辺境伯から領地には来るなと言われていたアナベルだが、流石に放っておくわけにもいかず訪ねてみると、 えっ? アナベルって奥様がここに住んでる。 どう言う事? しかも私が毎月支援していたお金はどこに? ーーーーーー 完結、予約投稿済みです。 R15は、今回も念の為

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。