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然后鳳凰抱鳳雛(そして鳳凰は鳳雛を抱く)

164:多生曠劫(五)

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 彼の気持ちが分からぬ凰黎ホワンリィではない。
 大切なものを守るために、全力を尽くしたい。
 未来を変えたい。
 蓬莱ほうらいのことは嫌いだと思っていたが、彼のその想いにだけは少なからず凰黎ホワンリィは共感した。
 ならば、なぜなのか。

「……ならばなぜ。仙界せんかいを救うために協力して欲しい、とは仰らなかったのですか? 大切なものを守りたいのは皆おなじでしょう。それなのに、なぜ貴方は誰かの大切なものを奪うのですか」

 なぜ強引に凰黎ホワンリィを家族から引き離そうとしたのか。
 なぜ鬼燎帝きりょうてい――煬鳳ヤンフォンの祖父を唆してまで、翳冥宮えいめいきゅうを貶めたのか。
 なぜ閑白シャンバイを使って翳黒明イーヘイミン翳白暗イーバイアンの間に蟠りを作り、翳冥宮えいめいきゅうが滅びる切っ掛けをつくったのか。
 火龍を唆し睡龍すいりゅうを危機に陥れようとしたのか。

 あまりにも理不尽なことが多すぎる。
 彼は確かにこの仙界せんかいを愛しているのかもしれない。守りたいと願うのかもしれない。しかし、守るためにいかなる手段をも行使するとしても、彼はあまりにも自分以外の者たちに犠牲を強い過ぎたのだ。

「そなたは他人の大切なものを守れ、己の大切なものと同様にと儂に言うが、所詮は綺麗ごと。仙人の力をもってしても力には限界がある。だからこそ儂は万晶鉱ばんしょうこうに触れ、目を失った」

 よもや仙人の口から『綺麗ごと』などという言葉が飛び出すとは思わなかった。
 仙界せんかいに住まう者といえば徳を積み俗世への執着を捨てた、人々の憧れであると思っていたはずだ。
 にもかかわらず目の前に立つこの老人は、あまりにも世俗的であまりにも執着が強く、あまりにも残酷な人であると思わずにはいられない。

「……しかし凰黎ホワンリィよ」

 蓬莱ほうらい凰黎ホワンリィを見た。微かに彼の目が押し上げられ、不気味な赤黒い闇が大きく開かれる。底知れぬ闇の深さを感じて反射的に凰黎ホワンリィは後退りそうになったが、なんとかそれを堪えることができた。

凰黎ホワンリィ。そなたは本当に類まれな存在。万晶鉱ばんしょうこうに触れたにもかかわらず、無傷で、そして心を壊すことなく生き延びた。儂ですら、未来を垣間見たときにに両眼を失ったというのに、だ。――実に素晴らしい。そなたこそ真に神に選ばれし存在よ」
「止めて下さい。貴方が目を失ったのは、貴方が欲を出したからですよ」

 仙界せんかい凰黎ホワンリィがやってきたことで、蓬莱ほうらいは既に凰黎ホワンリィを手に入れた気でいるのだ。だからこそ弁舌になって、彼の質問に何でも答えてくれる。

 仮に凰黎ホワンリィ仙界せんかいの者になることを拒み、首を縦に振らなかったとしても、最悪尸解仙にしてしまえばいい。彼らの考えることはいつも身勝手で傲慢で、実に分かりやすいのだ。

「そなたには類まれな才覚がある。なのに、そなたはこのごろつき風情に終始心を傾けて、儂の話を聞こうとはしない。未来永劫にだ。どんなに五行盟ごぎょうめいを使って揺さぶりをかけても、そなたはごろつきに心を砕いた!」

 煬鳳ヤンフォンのことを思い出して、蓬莱ほうらいは怒りに任せ叫ぶ。己の思い通りにならないのは煬鳳ヤンフォンのせいである、そう思っているのだ。
 もしも彼の目の前に煬鳳ヤンフォンがいたのなら、ここまでの話をする前に煬鳳ヤンフォンは殺されていただろう。

 ――かつて彼に万晶鉱ばんしょうこうが見せた、あの光景のように。

 だからこそ凰黎ホワンリィは恐れた。
 彼と蓬莱ほうらいとが対峙することを。

(やはり、煬鳳ヤンフォンを連れてこなくて本当に良かった……)

 凰黎ホワンリィは心の底から彼を置いてきたことに安堵した。
 仮に蓬莱ほうらい煬鳳ヤンフォンを殺そうとしても、彼の傍には鸞快子らんかいし――もう一人の凰黎ホワンリィがいる。彼は唯一蓬莱ほうらいと対等にやりあえる存在だ。煬鳳ヤンフォンのことも必ず守ってくれるはずだと、安堵し、そして蓬莱ほうらいに言い放つ。

「そこまでご存じなのでしたら、今こうして私と話していることも無意味だとは思わないのですか?」
「甘い。儂は垣間見た最悪の未来を変えるために今まで手を尽くしてきたのだ。そなたは我々に必要な人材だ。数百年……いや、数千年に一人の逸材。手に入れるためなら何だってしよう。それが我等の繁栄の道」

 ――冗談じゃない。

 心の底から、凰黎ホワンリィ蓬莱ほうらいに叫んでやりたかった。

「買いかぶり過ぎでしょう。私にはそのような大それた力はありません。荷が重すぎます」
「そなたは賢いのだから、よく考えなさい。もしもあやつの命が潰えればどうだ? ごろつき一人の命を潰すことなど、儂にとっては簡単なこと」

 凰黎ホワンリィは溜め息をついた。
 穏やかな言葉の奥底には常に『脅し』が隠れている。
 彼は本当に、凰黎ホワンリィの幼いころより何一つ変わっていないのだ。

「本当に……貴方はどこまでも誰かを犠牲にしないと気が済まないのですね。煬鳳ヤンフォンは絶対に殺させたりしません。万に一つ彼が死んだとしても、貴方の元に行くことはないでしょう。その未来を貴方は見なかったのですか?」

 静かに、しかし鋭い語気で凰黎ホワンリィ蓬莱ほうらいに告げた。同時に彼の身体は淡い燐光りんこうに包まれる。

「儂と、やりあうと? この五仙が一人にして頂点である、蓬莱ほうらいと戦うというのだな?」

 ある程度予想していたかのように蓬莱ほうらいは彼の提案を受け入れる。

「よかろう。そなたが望むのであれば、儂も最低限そなたの望みに応えたことになろう。そのあと儂がどうしようとも、全てはそなたが戦いを挑んだことに帰結する。それは儂にとっても好都合というものよ」
「――本性を現しましたね」
「はて、なんでのことであろうか」

 結局のところ、彼は凰黎ホワンリィが呆れ果て戦いを挑むのを待っていたのだ。


 凰黎ホワンリィ神侯シェンホウを滑らせ蓬莱ほうらいへと差し向ける。蓬莱ほうらいは己の剣を持ってはいなかったが、向けられた攻撃の全てを指一つ動かさずにいなした。

「もう少し賢い子だと思うておったが。儂とそなたとの実力の差は天懸地隔てんけんちかく。到底埋められるようなものではないぞ?」

 それでも無言で凰黎ホワンリィ蓬莱ほうらいへの攻撃の手を緩めることはなく、大きく、ときに小さく剣の軌跡は動きを変えながら蓬莱ほうらいに襲い掛かる。
 それでも燐光りんこうの輝きは空しく空を切るだけで、柳緑桃紅りゅうりょくとうこうの穏やかな世界に蓬莱ほうらいの嘲笑だけが響く。

 何度かの連撃のあと、凰黎ホワンリィはよろけたふりをして袖の奥に忍ばせた露双ルーシュアン蓬莱ほうらいに向かって飛ばした。

「っ……!」

 蓬莱ほうらいの深淵の瞳がびくりと反応を見せ、驚くほどの速さで彼の身体が傾ぐ。すんでのところで露双ルーシュアンの一つをかわしたが、もう一本の片割れが音もなく気配もなく忍び寄っていたとは気づかなかったようだ。

「小僧!」

 万晶鉱ばんしょうこうの刃で傷つけられた首元には赤い筋が滲む。殆ど傷とは言えないささやかな筋だったが、蓬莱ほうらいの自尊心を傷つけるには十分すぎるほどの大きな傷だった。
 我を忘れ烈火のごとく怒る蓬莱ほうらいは、凰黎ホワンリィの腕を掴むとぎりぎりと締め上げる。

「ぐっ……」

 腕の痛みに耐えきれず、小さく苦痛の声を漏らす。
 蓬莱ほうらい凰黎ホワンリィの片腕を捩じり上げたまま、高く吊しあげた。

「やってくれたものだな。この儂が、誰かによって傷を負うなど! 何千年ぶりのことであっただろうか? 面白い。この落とし前はそなたの命と、これからの仙界せんかいでの行いをもって償わせようぞ!」

 勝ち誇ったように蓬莱ほうらいの笑い声が響く。
 凰黎ホワンリィは既にこうなることも見越して、蓬莱ほうらいに自分を尸解仙にはさせぬよう手立てを打ってきた。
 覚悟は決まっている。
 大切な人を守り、己を守る、そのためなら恐れるものは何もないのだから――。

 刹那。
 赤い閃光が眼下の雲を切り裂いて、紅蓮に空を染め上げた。
 迸る無数の火の粉が空を覆い尽くし、散華のように降り注ぐ。

 先程まで見ていたはずの景色全てが、一瞬で炎の中に飲み込まれ花弁と化す。

「なんだ……!? 一体何事だ!? どうしたというのだ!?」

 常に悠然としている蓬莱ほうらいさえも動揺を隠せず、辺りの惨事を見つめるのみ。
 見下ろす雲の裂け目から、何かの咆哮が聞こえたような気がした。
 凰黎ホワンリィはその声のほうに目を向け、凍り付く。

 紅蓮の海と化す厚い雲。その雲の裂け目から赤く輝く何かがやってくる。
 炎を散らしながら空を渡ってゆく姿は龍にも見えるが、大きく翼を広げた姿は鳳凰にも見える。よくよく見れば肉体全てが炎でできており、やってきた生き物の真の姿がなんであるのか、はっきりとは分からない。
 けれど紅い炎の中に時折見える昏さは、煬鳳ヤンフォンや黒明が扱っていた翳炎えいえんによく似ていた。
 いよいよ雲を突き破った炎の獣は、凰黎ホワンリィたちの方へ大きく羽ばたく。

「馬鹿な! 人界から、空をこじ開け仙界せんかいに乗り込んできたというのか!?」

 驚愕する蓬莱ほうらいの声。
 赤く昏く、燃える翼をゆっくりと羽ばたかせ仙界せんかいとの境目を超えようとする炎の獣は、どこか凰黎ホワンリィの知る誰かに似ているように思えて仕方ない。

煬鳳ヤンフォン……!」

 信じられないものを見るように、凰黎ホワンリィ瞠目どうもくした。
 赤く燃える獣は凰黎ホワンリィの声に応えるように大きく羽ばたく。けれど羽ばたくたびに炎の翼は零れ落ち、落ちた炎はまた雲や山を赤く染める。

「止めろ! ここは仙界せんかいぞ! 貴様のような、なりそこないが荒らして良い場所ではないのだ! さっさとここから――」

 炎の獣は蓬莱ほうらいに向かって飛びあがると、炎の顎で彼の身体を飲み込んだ。
 断末魔は燃え盛る炎の音に消え、灰すらも残らない。
 仙人が不死であるとはいうものの、このような状態になっては一体どのようになってゆくのか。一連の顛末を見ていた凰黎ホワンリィにも分からなかった。

煬鳳ヤンフォン!」

 凰黎ホワンリィは叫ぶ。微かに炎の獣がこちらを見たように思えた。
 咲き誇る花のように炎を散らせゆく巨大な獣の身体は、強大で美しくも、どこか儚げだ。こうして見つめ合う今でさえも、少しずつ形を失ってゆく。
 もしもあの龍が煬鳳ヤンフォンであるのならば、彼があのような力を行使するためにいかほどの負担を己に強いているのだろうか。そう考えるだけで恐ろしくてたまらなかった。

 炎の翼を広げ、獣が一声咆哮をあげる。
 その声は獣の声とは異なっており、燃え続ける炎の生み出す不協和音のほうが近しいかもしれない。
 堪らずに凰黎ホワンリィは炎の獣に向かって手を伸ばす。
 彼には目の前の獣が……煬鳳ヤンフォンが、炎の熱に苦しんでいるように思えてならなかったのだ。

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