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20:花火
しおりを挟むグリコを終えた後も、二人で山道を歩きながら、クロはその子について色々と話してくれた。
今から五十年以上前に、幽体離脱をした女の子。
年は十歳に届くか届かないかといったところで、服装は、私と同じように浴衣を着ていたという。
「そういえば、昔の人は普段から着物を着てたんだっけ」
「いや、そこまで昔の話じゃない。その日は街の方で花火大会があったから、祭りを見に行く装いだったんだ」
街の方で開催される花火大会、というと、おそらくは今も続いているあの花火大会のことだろう。
奇しくも、その子は私と同じ、花火大会の日に幽体離脱をしたのだ。
「ちょうどお前と同じような浴衣を着ていた。白地に、藤の柄が入っていたんだ」
もう五十年以上も前のことなのに、まるでついさっき見たことのように、クロは細かいところまで具体的に説明してくれる。
「『アヤ』という名前の子どもだった」
「アヤ……」
口にしながら、心の中で、おばあちゃんと同じ名前だ、と思った。
『彩る』と書いて、彩。
いつだったか、母がそう教えてくれたのを覚えている。
「当時はこの辺りにもまだいくつか古い家が残っていて、アヤはそこに住んでいた。その日は年に一度の花火が見れるのを楽しみにしていたのに、アヤは当日になって風邪をひいてしまったんだ」
いつになく饒舌に語るクロ。
その様子を見ていると、当時のことはきっと大切な思い出なのだろうな、というのが伝わってくる。
「床に臥せって、高熱にうなされて……気がついたときには、体から魂が抜け出していたらしい。体が危険な状態だったというのもあるだろうが、何より、花火を見たいという気持ちが強すぎて、生き霊になったんじゃないかとオレは思う」
魂だけの姿となった彼女は、一人で花火会場を目指そうとして、山の中で迷子になってしまった。
当時は山道もろくに舗装されていなくて、よほど土地勘のある人間でなければすぐに道に迷ってしまう状態だったという。
次第に日も暮れて暗くなった山の中で、ひとり泣いていた彼女の声を聞きつけて、クロは彼女の元へ向かった。
「物怖じしない子どもだった。オレが途中まで案内すると言ったら、花火が終わってしまうから早くしろと急かされた。オレの右手に触れられることに気づいた途端、アヤはオレの手を引っ張ってすぐに走り出した」
二人で手を繋いで、山の中を走り抜けた。
そうして山の出口までやってきたとき、開けた土地——今はミドリさんの体のある辺りから、遠い夜空に打ち上がる花火の光を見た。
「じゃあ、二人で一緒に花火を見たんだね」
よかったね、という気持ちで私は言ったのだけれど、
「いや。オレは見えなかった」
クロはそう言って、わずかに表情を曇らせた。
「オレは、山の出口の辺りまでしか行けない。オレは、ギリギリ見えないんだ。山に遮られて、この目では見られない。音はよく聞こえるけど」
珍しく、俯きがちになるクロ。
花火が見れなかったのが、よほど残念だったというのがわかる。
「それからは毎年、この時期になると、花火の見える場所を探している。ミドリに花火大会の日にちを調べてもらって、当日は音が聞こえ始めたら、山の上に登ってみる。……でも、どうしても見えない。会場の近くにある山の方が、背が高いんだ」
クロにとって、花火というのはきっと特別なものなのだろう。
私は毎年、当たり前のように花火を見ていたから、それほど特別だとは感じていなかった。
小さい頃はもう少し楽しんでいた気もするけれど、ここ数年は、もはや見慣れた景色だと軽んじてしまっていたように思う。
だから今年は、夏祭りには向かったものの、花火よりも肝試しを優先してしまった。
山の中から花火が見えなくても、別にいいや、と思っていた。
「花火が見たくて、今年も見える場所を探しに行っていたから、オレは自分の体から離れていた。その間に、お前たちが肝試しに来て、事故に遭った。……あのとき、もしもオレがここにいたら、お前が転びそうになったときも、助けてやれたかもしれないのに」
言われて、私はハッとした。
クロは、私を助けられなかったことを悔やんでいるのだ。
黒地蔵を『呪いの地蔵』だなんて侮辱して、軽い気持ちで肝試しに来た私なんかのことを。
「クロは……優しすぎるよ」
思わず、涙があふれそうになった。
やがて山道は急カーブに差し掛かり、そこを抜けると、見覚えのある場所にたどり着く。
クロの体がある場所。
地元で有名な心霊スポット、『黒地蔵』だ。
「さあ、もう寝るぞ。ゆっくり休んで、また明日、ミドリに助けてもらおう」
クロに手を引かれながら、私の魂は黒地蔵の体の中へ吸い込まれていく。
途端に、ふわふわとした優しいまどろみに包まれる。
すごく、眠い。
夢の中に落ちるときの感覚だった。
(クロ……ありがとう)
どこまでも優しいクロ。
彼はいつだって、私の助けになろうとしてくれる。
そして、その右手は、とてもあたたかい。
彼の手の感触は、強くて、優しくて。
(あ……)
ふと。
小さい頃に、川で溺れたときのことを思い出す。
息ができなくて苦しくて、もうダメなんじゃないか——と諦めかけたとき、誰かが私の手を掴んで、強い力で川から引っ張り上げてくれた。
(あのとき川で助けてくれたのも、もしかしたら……)
また明日、クロに聞いてみよう、と思いながら。
やってきた睡魔の波に、私は飲まれていった。
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