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九皿目 エゴイズム幸福論

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 俺は涙を零して、泣き言を漏らした。

 誰も見ていない。
 誰にも届かない。

 そうでなければこんなに惨めな姿で冷えた床に丸くなり、アゼルを恋しがっていなかった。

 夜が明けたら、俺はまた笑って頑張るのだ。
 なにごともなかったかのように笑って、〝大丈夫だ〟と言うのだ。

 だけどこの先俺は──……俺との記憶がないほうが幸せそうなお前を見ながら、愛しい記憶を風化できるのだろうか。

 消えたまま進む時を。
 俺は俺のまま、ちゃんと笑って耐えられるのだろうか。

 もしも耐えられない、その時は。

 そうだな……。俺が死んでも胸が痛まないお前なら、俺も笑って手を離せる気がする。

 勇者でもない俺は元々、この世界にいらない生き物だったのだから。

 なるほど、なるほど。

「笑えるくらい、ハッピーエンドしかないじゃないか」

 ──笑えないのは俺だけだ。



 どれくらいかは、わからない。
 けれどそうやって、頭を抱えて一人で震えていた時だ。

 突然、後ろで閉じたはずの扉が──ガチャリと開いた。

(っ……ぁ……)

 ビク、と身体が震え、身を固くする。

 こんなところにこんな時間に訪れる人なんて、いないはずだ。
 それにそもそも俺の気配は今、消えている。

 俺がスキルを使う前に俺の姿を認識していなければ、ここにいることには気がつかない。どうしてバレたのか。

 ぼやけた頭で思案し、訪れることがありそうな候補を洗い出す。

 だけど、ここへくるまでに誰にも出会わなかった、俺の姿に気がつくとしたら──それは最後に出会った、アゼルだけだろう。

 いつもさみしい俺を見つけてしまうのは、俺を一人で泣かせないのは、アゼルだから。

(いや、だ……誰かにバレたら困る……弱い俺を見つけないでくれ…、)

 小さく丸くなったまま偶然は去ってくれと祈り、震えて呼吸を殺す。

 しかし確かに、俺はほんの少しだけ、淡い期待を抱いていた。

〝もしかしたら突然奇跡が起きて俺を思い出し、追いかけてきてくれたのかもしれない〟

〝そうでなくとも、僅かでも俺がいなくなって、寂しく思ってくれたのかもしれない〟

 都合のいいかもしれないを脳裏に描いて息を殺す俺を、グッと肩をつかんで引き寄せる大きな手。


「片方がいないと駄目になるのは、お前も同じだったんだなァ……シャル」

「っ、は……」


 ──その逞しい手の持ち主は、思いもよらない声だった。

 床で丸くなっていた俺をあっさりと抱き起こし閉じ込めるこの腕は、今日の夕暮れにも俺を温めた、優しい銀の竜のもの。

 傷つけないように優しく気遣うものなのに、求めていた、愛おしいものではない。

 その事実に胸が痛くてカタカタと震える俺を慰めるため、彼は膝をついて後ろから覆いかぶさる。

 守るように。包み込むように。
 少し痛いくらいの抱擁。

「こんなに見つけるのが難しい涙もねえぜィ?」

 この腕は──ガードヴァイン。
 俺が得た魔界で初めての、大切な友人。

 ガドは自分の涙で冷たく濡れた俺の頬を、ゆっくりと触れるだけのような柔らかさでなぞる。

 とめどなく溢れる涙を、労り、慈しみながら、優しい手つきで拭ってくれた。

 俺からガドの表情は見えない。

 だが、緩く膝を立てて縮こまる俺の足元へ、それすら包むように、長く靭やかな竜の尾がくるりと巻きついてそばに寄り添う。

 ガド。俺の大切な人の一人だ。



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