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第三章「皇女たちの憂鬱」 中編
第19話
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宝大王は、水面に映る自分の顔を見つめていた。
随分、皺が増えた。
髪も殆ど白くなったし………………
彼女は、まもなく七十を迎えようとしている。
若い時は、何でもなかった大殿の上がり降りが、いまでは息を切らしている。
頭も靄がかかったようで、どうもはっきりとしない。
―― やはり、年なのね………………
彼女は、そっと顔に手を当てる。
「あの人は、いまの私の顔を見て、誰だか分かるかしら……?」
彼女の独り言は、傍に控えていた采女にもはっきりと聞こえた。
「はい?」
「いえ、独り言です。では、始めて……」
采女は、宝大王の言葉に従い、亀形の水槽から水を汲み上げ、宝大王の頭に水をかけた。
ここは東山の北の麓 ―― 周囲を石敷きで取り囲まれた水流施設。
彼女は、ここで毎日のように禊をする。
そこには、彼女と采女の二人しかいない。
辺りには、石敷きの床に、水が飛び散る音が響き渡る。
その静寂を打ち破るように、男の大声が響いた。
「大王、早急に宮へお戻りください!」
「大王様は、ただいま禊の最中です、ご静粛に!」
采女の声が、石畳に反響する。
「百済が! 百済が滅びました!」
宝大王は、静かに目を開けた。
当時の半島情勢は、新羅・高句麗・百済の三国の三つ巴状態であり、これに大国唐が半島での勢力拡大を狙い、触手を伸ばしていた。
特に唐にとっては、北方を犯される高句麗の制圧が死活問題で、高句麗封じ込めのため、同じく北方から高句麗の侵略を受けやすい新羅との関係を強くしていた。
高句麗もこれに対抗するため、百済や韎鞨と同盟関係を結んでいる。
そして百済は、新羅・唐に対抗するため高句麗だけでなく、古くから友好関係にあった倭国と深い関係を保っていた。
半島の三国が、このような微妙な均衡で保たれていたのなら問題はなかったのだが、新羅に親唐家の武烈王政権が誕生することにより、緊張の糸が切れ、事態は一挙に流動化していく。
事の発端は、六五五年に高句麗・百済・韎鞨連合軍が新羅の北境を侵したことから始まるのだが、新羅が唐に救援を求めたために、唐が一気に半島経営に着手、戦火は半島全土に広がった。
六六〇年七月十八日、唐・新羅連合軍に追い詰められた百済の義慈王は降服、ここに約六百年年 ―― 三十一代に渡った百済王朝は幕を閉じることとなる。
百済滅亡の正式な知らせが倭国に齎されたのは、二ヵ月後の九月五日のことであった。
随分、皺が増えた。
髪も殆ど白くなったし………………
彼女は、まもなく七十を迎えようとしている。
若い時は、何でもなかった大殿の上がり降りが、いまでは息を切らしている。
頭も靄がかかったようで、どうもはっきりとしない。
―― やはり、年なのね………………
彼女は、そっと顔に手を当てる。
「あの人は、いまの私の顔を見て、誰だか分かるかしら……?」
彼女の独り言は、傍に控えていた采女にもはっきりと聞こえた。
「はい?」
「いえ、独り言です。では、始めて……」
采女は、宝大王の言葉に従い、亀形の水槽から水を汲み上げ、宝大王の頭に水をかけた。
ここは東山の北の麓 ―― 周囲を石敷きで取り囲まれた水流施設。
彼女は、ここで毎日のように禊をする。
そこには、彼女と采女の二人しかいない。
辺りには、石敷きの床に、水が飛び散る音が響き渡る。
その静寂を打ち破るように、男の大声が響いた。
「大王、早急に宮へお戻りください!」
「大王様は、ただいま禊の最中です、ご静粛に!」
采女の声が、石畳に反響する。
「百済が! 百済が滅びました!」
宝大王は、静かに目を開けた。
当時の半島情勢は、新羅・高句麗・百済の三国の三つ巴状態であり、これに大国唐が半島での勢力拡大を狙い、触手を伸ばしていた。
特に唐にとっては、北方を犯される高句麗の制圧が死活問題で、高句麗封じ込めのため、同じく北方から高句麗の侵略を受けやすい新羅との関係を強くしていた。
高句麗もこれに対抗するため、百済や韎鞨と同盟関係を結んでいる。
そして百済は、新羅・唐に対抗するため高句麗だけでなく、古くから友好関係にあった倭国と深い関係を保っていた。
半島の三国が、このような微妙な均衡で保たれていたのなら問題はなかったのだが、新羅に親唐家の武烈王政権が誕生することにより、緊張の糸が切れ、事態は一挙に流動化していく。
事の発端は、六五五年に高句麗・百済・韎鞨連合軍が新羅の北境を侵したことから始まるのだが、新羅が唐に救援を求めたために、唐が一気に半島経営に着手、戦火は半島全土に広がった。
六六〇年七月十八日、唐・新羅連合軍に追い詰められた百済の義慈王は降服、ここに約六百年年 ―― 三十一代に渡った百済王朝は幕を閉じることとなる。
百済滅亡の正式な知らせが倭国に齎されたのは、二ヵ月後の九月五日のことであった。
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