168 / 378
第三章「皇女たちの憂鬱」 中編
第20話
しおりを挟む
宝大王は禊を止め、重臣を大殿に集め、百済への対応を協議させた。
会議は、百済救援を支持する中大兄と、それに反対する中臣鎌子が対立した。
鎌子は、中大兄の補佐兼監視役ではあったが、有間皇子事件の独善的な振る舞いに警戒感を強めていた。
また彼は、難波派の最後の重鎮でもあった。
その日の会議は、さらなる情報を収集し、正式な百済の救援要請を待つということで終わった。
その一ヵ月後、百済から、人質として倭国に派遣した余豊璋王子を王として迎え、新百済国を樹立したい旨と、併せて救援を請う使者が派遣されてきた。
全ては、大王の判断に託された。
宝大王は悩んだ。
―― 中大兄の言うとおり百済を救援すべきか?
それとも鎌子の意見を取るべきか?
「失礼致します。内臣殿が参上しました」
「内臣が?」
鎌子は、大殿に控えていた。
「何の用ですか、内臣?」
「畏れながら、百済救援の件で参上いたしました」
「百済救援の件とは……、そなたに何か良き案があるのですか?」
「はい、大王様、百済救援は我が国にとって好機となるでしょう」
「ほう、それで?」
「はい、宮内はいま、飛鳥派と難波派に分かれております。そして、地方には、未だ大和に従わぬ豪族たちが多くおります。百済救援は、この問題を一気に片付け、なお且つ、倭国を唐のような皇帝を中心にした強力な国家、即ち中央集権国家に変換させる好機になります」
鎌子の頭には、若き時代に蘇我入鹿とともに描いた国家像があった。
「中央集権国家?」
「この国の全てが、大王のもとに集約される。大王の意志が、この国の意志となる国家です」
「公地公民制のことか?」
「はい、確かに改新の詔で発した公地公民制は、近い将来の中央集権国家への基礎として考えていたのですが、十五年近く経って、未だに掌握し切れていないのが現状です。しかし、百済救援を口実にすれば、宮内だけでなく、各地の豪族たちを大王のもとに集結させることができます。そうすれば、大王は、この国で並ぶ者のない権力者となり、飛鳥への都城建設も十分可能になるかと……」
宝大王の片眉が、僅かに上がる。
都城建設に動かされたのだ。
「しかし、宮内も、豪族たちも纏まっていないのに、どうやって纏めるというのですか?」
「そのための百済救援です。唐・新羅軍が、百済の次は我が国を狙っているとなれば、群臣や豪族たちは如何するでしょうか? いままでのように対立していては、百済のように滅ぼされるでしょう。では、この国が滅んで一番困るのは誰でしょうか? 民でしょうか? いえ、誰も、国家財政の基盤となる民を殺したりはいたしません。むしろ必要でなくなるのは、民の上に立ち、奢侈な生活をしていた群臣や豪族たちです。国家に対して何の生産力を持たない彼らは、全て殺されるでしょう。そこを彼らに分からせれば良いのです。彼らも、馬鹿ではありません。己の利権を守るためには、例え意見が違おうとも、外部の敵に対して団結して戦うでしょう」
「なるほど、外部の圧力を利用して、国家を纏めようというのか?」
「はい」
「しかし、例え団結したところで、勝ち目はあるのか? 唐・新羅軍に勝つことは難しいと聴いておるぞ」
「勝つ必要はございません。と言うより、戦う必要はないのです。あくまで国を纏めるための口実ですから、百済救援も形だけ。百済が望むように、豊璋王子に僅かな援軍を付けて送り返せば良いのです。そうすれば、大国唐を敵に回すこともせずに済み、百済にも顔が立ちます。万が一にも、百済が復興すれば、恩義を着せて半島に影響力を持つことが可能となるでしょう」
「しかし、それでは、百済も黙っていないでしょう?」
「大王、もはや百済は滅びたのです。その滅びた国家に義理を立てて、何になりましょう? 百済の民より、我が国の民です。父親が、知らない国の土となって喜ぶ娘がいましょうか? 息子が、遠い国の雨に打たれて喜ぶ母がいましょうか? 夫が、西海の魚の餌となって喜ぶ妻がいましょうか? 大王、民です、我が国の民を一番にお考えください。百済救援は形だけでよいのです」
鎌子の言葉は激しい。
「内臣……、そなたの民に対する熱い思いは分かりました。そなたの弁を受けて、百済援軍を派遣します。ただし、あくまで形だけの救援軍ですが」
宝大王は、百済の要請に対し、援軍を派遣することの詔を発した。
会議は、百済救援を支持する中大兄と、それに反対する中臣鎌子が対立した。
鎌子は、中大兄の補佐兼監視役ではあったが、有間皇子事件の独善的な振る舞いに警戒感を強めていた。
また彼は、難波派の最後の重鎮でもあった。
その日の会議は、さらなる情報を収集し、正式な百済の救援要請を待つということで終わった。
その一ヵ月後、百済から、人質として倭国に派遣した余豊璋王子を王として迎え、新百済国を樹立したい旨と、併せて救援を請う使者が派遣されてきた。
全ては、大王の判断に託された。
宝大王は悩んだ。
―― 中大兄の言うとおり百済を救援すべきか?
それとも鎌子の意見を取るべきか?
「失礼致します。内臣殿が参上しました」
「内臣が?」
鎌子は、大殿に控えていた。
「何の用ですか、内臣?」
「畏れながら、百済救援の件で参上いたしました」
「百済救援の件とは……、そなたに何か良き案があるのですか?」
「はい、大王様、百済救援は我が国にとって好機となるでしょう」
「ほう、それで?」
「はい、宮内はいま、飛鳥派と難波派に分かれております。そして、地方には、未だ大和に従わぬ豪族たちが多くおります。百済救援は、この問題を一気に片付け、なお且つ、倭国を唐のような皇帝を中心にした強力な国家、即ち中央集権国家に変換させる好機になります」
鎌子の頭には、若き時代に蘇我入鹿とともに描いた国家像があった。
「中央集権国家?」
「この国の全てが、大王のもとに集約される。大王の意志が、この国の意志となる国家です」
「公地公民制のことか?」
「はい、確かに改新の詔で発した公地公民制は、近い将来の中央集権国家への基礎として考えていたのですが、十五年近く経って、未だに掌握し切れていないのが現状です。しかし、百済救援を口実にすれば、宮内だけでなく、各地の豪族たちを大王のもとに集結させることができます。そうすれば、大王は、この国で並ぶ者のない権力者となり、飛鳥への都城建設も十分可能になるかと……」
宝大王の片眉が、僅かに上がる。
都城建設に動かされたのだ。
「しかし、宮内も、豪族たちも纏まっていないのに、どうやって纏めるというのですか?」
「そのための百済救援です。唐・新羅軍が、百済の次は我が国を狙っているとなれば、群臣や豪族たちは如何するでしょうか? いままでのように対立していては、百済のように滅ぼされるでしょう。では、この国が滅んで一番困るのは誰でしょうか? 民でしょうか? いえ、誰も、国家財政の基盤となる民を殺したりはいたしません。むしろ必要でなくなるのは、民の上に立ち、奢侈な生活をしていた群臣や豪族たちです。国家に対して何の生産力を持たない彼らは、全て殺されるでしょう。そこを彼らに分からせれば良いのです。彼らも、馬鹿ではありません。己の利権を守るためには、例え意見が違おうとも、外部の敵に対して団結して戦うでしょう」
「なるほど、外部の圧力を利用して、国家を纏めようというのか?」
「はい」
「しかし、例え団結したところで、勝ち目はあるのか? 唐・新羅軍に勝つことは難しいと聴いておるぞ」
「勝つ必要はございません。と言うより、戦う必要はないのです。あくまで国を纏めるための口実ですから、百済救援も形だけ。百済が望むように、豊璋王子に僅かな援軍を付けて送り返せば良いのです。そうすれば、大国唐を敵に回すこともせずに済み、百済にも顔が立ちます。万が一にも、百済が復興すれば、恩義を着せて半島に影響力を持つことが可能となるでしょう」
「しかし、それでは、百済も黙っていないでしょう?」
「大王、もはや百済は滅びたのです。その滅びた国家に義理を立てて、何になりましょう? 百済の民より、我が国の民です。父親が、知らない国の土となって喜ぶ娘がいましょうか? 息子が、遠い国の雨に打たれて喜ぶ母がいましょうか? 夫が、西海の魚の餌となって喜ぶ妻がいましょうか? 大王、民です、我が国の民を一番にお考えください。百済救援は形だけでよいのです」
鎌子の言葉は激しい。
「内臣……、そなたの民に対する熱い思いは分かりました。そなたの弁を受けて、百済援軍を派遣します。ただし、あくまで形だけの救援軍ですが」
宝大王は、百済の要請に対し、援軍を派遣することの詔を発した。
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説
鵺の哭く城
崎谷 和泉
歴史・時代
鵺に取り憑かれる竹田城主 赤松広秀は太刀 獅子王を継承し戦国の世に仁政を志していた。しかし時代は冷酷にその運命を翻弄していく。本作は竹田城下400年越しの悲願である赤松広秀公の名誉回復を目的に、その無二の友 儒学者 藤原惺窩の目を通して描く短編小説です。
蒼穹(そら)に紅~天翔る無敵皇女の冒険~ 四の巻
初音幾生
歴史・時代
日本がイギリスの位置にある、そんな架空戦記的な小説です。
1940年10月、帝都空襲の報復に、連合艦隊はアイスランド攻略を目指す。
霧深き北海で戦艦や空母が激突する!
「寒いのは苦手だよ」
「小説家になろう」と同時公開。
第四巻全23話
本能のままに
揚羽
歴史・時代
1582年本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反により亡くなる…はずだった
もし信長が生きていたらどうなっていたのだろうか…というifストーリーです!もしよかったら見ていってください!
※更新は不定期になると思います。
小童、宮本武蔵
雨川 海(旧 つくね)
歴史・時代
兵法家の子供として生まれた弁助は、野山を活発に走る小童だった。ある日、庄屋の家へ客人として旅の武芸者、有馬喜兵衛が逗留している事を知り、見学に行く。庄屋の娘のお通と共に神社へ出向いた弁助は、境内で村人に稽古をつける喜兵衛に反感を覚える。実は、弁助の父の新免無二も武芸者なのだが、人気はさっぱりだった。つまり、弁助は喜兵衛に無意識の内に嫉妬していた。弁助が初仕合する顚末。
備考 井上雄彦氏の「バガボンド」や司馬遼太郎氏の「真説 宮本武蔵」では、武蔵の父を無二斎としていますが、無二の説もあるため、本作では無二としています。また、通説では、武蔵の父は幼少時に他界している事になっていますが、関ヶ原の合戦の時、黒田如水の元で九州での戦に親子で参戦した。との説もあります。また、佐々木小次郎との決闘の時にも記述があるそうです。
その他、諸説あり、作品をフィクションとして楽しんでいただけたら幸いです。物語を鵜呑みにしてはいけません。
宮本武蔵が弁助と呼ばれ、野山を駆け回る小僧だった頃、有馬喜兵衛と言う旅の武芸者を見物する。新当流の達人である喜兵衛は、派手な格好で神社の境内に現れ、門弟や村人に稽古をつけていた。弁助の父、新免無二も武芸者だった為、その盛況ぶりを比較し、弁助は嫉妬していた。とは言え、まだ子供の身、大人の武芸者に太刀打ちできる筈もなく、お通との掛け合いで憂さを晴らす。
だが、運命は弁助を有馬喜兵衛との対決へ導く。とある事情から仕合を受ける事になり、弁助は有馬喜兵衛を観察する。当然だが、心技体、全てに於いて喜兵衛が優っている。圧倒的に不利な中、弁助は幼馴染みのお通や又八に励まされながら仕合の準備を進めていた。果たして、弁助は勝利する事ができるのか? 宮本武蔵の初死闘を描く!
備考
宮本武蔵(幼名 弁助、弁之助)
父 新免無二(斎)、武蔵が幼い頃に他界説、親子で関ヶ原に参戦した説、巌流島の決闘まで存命説、など、諸説あり。
本作は歴史の検証を目的としたものではなく、脚色されたフィクションです。
旅路ー元特攻隊員の願いと希望ー
ぽんた
歴史・時代
舞台は1940年代の日本。
軍人になる為に、学校に入学した
主人公の田中昴。
厳しい訓練、激しい戦闘、苦しい戦時中の暮らしの中で、色んな人々と出会い、別れ、彼は成長します。
そんな彼の人生を、年表を辿るように物語りにしました。
※この作品は、残酷な描写があります。
※直接的な表現は避けていますが、性的な表現があります。
※「小説家になろう」「ノベルデイズ」でも連載しています。
織田信長に逆上された事も知らず。ノコノコ呼び出された場所に向かっていた所、徳川家康の家臣に連れ去られました。
俣彦
歴史・時代
織田信長より
「厚遇で迎え入れる。」
との誘いを保留し続けた結果、討伐の対象となってしまった依田信蕃。
この報を受け、急ぎ行動に移した徳川家康により助けられた依田信蕃が
その後勃発する本能寺の変から端を発した信濃争奪戦での活躍ぶりと
依田信蕃の最期を綴っていきます。
三國志 on 世説新語
ヘツポツ斎
歴史・時代
三國志のオリジンと言えば「三国志演義」? あるいは正史の「三國志」?
確かに、その辺りが重要です。けど、他の所にもネタが転がっています。
それが「世説新語」。三國志のちょっと後の時代に書かれた人物エピソード集です。当作はそこに載る1130エピソードの中から、三國志に関わる人物(西晋の統一まで)をピックアップ。それらを原文と、その超訳とでお送りします!
※当作はカクヨムさんの「世説新語 on the Web」を起点に、小説家になろうさん、ノベルアッププラスさん、エブリスタさんにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる