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微睡みと悪夢

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 隣に人の気配を感じて、エフィは醒めきらない眼をぼんやりとそちらに向けた。

「起こしたか」

 優しい手が頭を撫でてくれる。
 その感覚が気持ちよくて自分から頭を擦りつけると、その手は離れていってしまった。

「今日も早く戻れそうだから……嫌でなければ、この部屋で待っていてほしい」
「ん……」
「なんだ、寝ぼけただけか」
「寝ぼけてなんかいないわ、ヴィル」

 今、起きたところなだけよ。
 無意識のうちにしたふるまいをごまかすようにエフィが言うと、ヴィルは軽く笑って、エフィの額に口づけを落とした。

「ゆっくり体を休めてくれ。行ってくる」
「いってらっしゃい。ここでいい子にして待ってるわ」
「……ああ」

 出かけるというから何の気無しに投げた言葉に、ヴィルはなんだか妙な顔をしていた。

(そうか。わたくし、昨日、ヴィルに抱かれて、今日は彼を送り出して――)

 部屋の扉が閉まって彼の姿が見えなくなってから、やっと実感が湧いてきて、なんだか面映い気持ちになった。
 物語の中ではよく見かけるけれど、世の中の新婚夫婦は本当にこんなやりとりをするのだろうか。そうだったらいいな、と思った。
 エフィはそっと、彼が残していったシーツの温もりを撫でた。

『わたくしとヴィルが結婚すればいいのよ! そうしたら、いじっぱりなお父さまもきっと、素直にヴィルのことをすごいって言うようになるわ!』

 ありえないことを無邪気に夢見ていたかつての自分は、今から思えばどうしようもなく愚かしかった。それでも、その『もしも』を思い浮かべると、今でも『いいなあ』と声が出る。

「……ヴィルのお嫁さんに、なりたかったなあ」

 最初からわたくしには無理な夢だったけれど。
 固くつむった瞼を伝って、目尻に流れた涙は、音も無くシーツに落ちた。


 微睡みの中で、昔の夢を見た。

『お父さま、ヴィルが遠くに行くと聞きました! どうして……!』

 その日起きたら、ヴィルがいなくなっていたのだ。
 王女付きの侍女たちに彼の行き先を聞いても、みんな言葉を濁すばかりで答えてくれなかった。一人が『陛下の命です』と口を滑らせたから、それだけを頼りにエフィは国王への謁見を願ったのだ。

『何だ、こいつは』

 久しぶりに会う『父』は不摂生で赤黒くなった顔を、不機嫌そうに歪めた。
 第一王女のエフェリーネ殿下です、と侍従が囁くのが聞こえた。
 もしかしてお父さまはわたくしのことを忘れてしまったのかしら、それとも知らないふりをするくらい怒っていらっしゃるのかしら、と不安に思った瞬間、国王はあからさまに表情を変えた。

『ああ、第一王女か!』
『お父さま……?』
『よくやった、エフェリーネ』

 なんだ、お父さまは怒ってなんかいなかった。
 普段全然会わなくても、やっぱり親子だもの。
 ほら、久しぶりに娘に会ったことを、こんなに喜んでくださってる――。

『お前のおかげで、あの忌々しいリーフェフット家を滅ぼせる!』

 悪夢ゆめの中で、下卑た声が高らかに笑った。


 帰ってきたヴィルのことを、エフィは約束通りに寝台で待ち受けることになった。

「ごめんなさい……」

 色めいた意味ではなく文字通りの寝台の住人、体調不良者として、ではあるが。
 ヴィルが出かけてからしばらくして、身を起こそうとしたエフィは、あえなく寝台に沈んだ。腰には力が入らず、ばたついた脚も空を切る。
 昨夜長く押さえつけられていた太腿や膝の裏にも鈍い痛みがあるし、彼を受け入れたところにはまだ何か挟まっている気がする。
 満身創痍の体では、歩くどころか、寝台から降りることもままならなかった。

「……今日は、ごめんなさい」

 いま抱かれたら、本当に壊れてしまう。
 危機感を抱いて震えたエフィに、ヴィルは嫌がるどころか『そうだろうな』と納得のいったような顔をしていた。

「昨日は無理をさせたからな。大丈夫だ、元から抱く気はない。……ただ、隣にいてもいいか?」
「ええ」

 寝台の傍らについているという意味かと頷くと、ヴィルは文字通りエフィの隣に――シーツの間に体を滑り込ませてきた。
 腕で体を引き寄せられてから、大きな手が確かめるようにエフィの額や頬を撫でた。

「なに?」
「熱もある」

 なんだ、病状を確かめたかっただけだったのか。
 昨夜から、彼を見るとどきどきして、まともに顔を見られないのだ。距離の近さに他意がないと分かって、エフィは胸を撫で下ろした。……ほんの少し、残念な気持ちにもなったけれど。

「それはいつものことよ。一晩休めばすぐに治るわ」
「昔も、はしゃぎすぎると夜に熱を出していたな」
「ええ。その度にあなたが看病してくれたわね」

 ヴィルは不本意に忠誠を誓わせられた王女に対しても優しくて、『昼間に庭を走りまわって疲れたから』などという自業自得の理由で熱を出しても、傍についていてくれた。

(最後に、こうやって頭を撫でてくれたのは、確か……離宮行きの直前だったわ。何日も前から楽しみにしすぎて)

 その離宮は、当代から五代前の国王が後に王妃となる令嬢と出会った思い出の場所だという王家の避暑地で、夏でも涼しい高原にあった。
 綺麗な泉や一面の花畑、美しい鳥の姿が見られると聞いて、あの時のエフィは胸を躍らせていた。行ったことも無いのに、そこには、美しくて楽しいものしか無いような気がしたのだ。
 熱を出して『わたくしを置いていかないで』と泣きべそをかいた時ヴィルは少し呆れつつも、『元気になったら行けますからね』と慰めてくれた。

『ほんとに? 寝てる間に行っちゃったりしない?』
『殿下を置いていくわけないでしょう。安心して休んでください。ほら、目を閉じて』
『うん……』

 彼の言葉通りに目をつぶっていると、子どもの意識は長く続かず、知らぬ間に眠りに落ちていた。
 起きた時には熱も無事に下がっていて、予定通りに出発できると、またはしゃいだ。
 エフィはそこで想像していたよりもさらに美しいものを見て、楽しい時を過ごし、そして――。

『お前のおかげで、あの忌々しいリーフェフット家を滅ぼせる!』

 ひゅっ、と聞こえた耳障りな音が、自分の喉が鳴らした音だとは、エフィはすぐには気づかなかった。
 わなわなと震える体を、ヴィルに抱きとめられる。頼もしいけれど、今は彼にだけは頼りたくなかった。弱々しく手を払いのけたエフィを、ヴィルは訝しむように見た。

「エフィ、どうした?」
「リヴィシェーンの離宮の……あの時は本当に、ごめんなさい」
「お前は悪くない。それに、もう全て済んだことだ」
「いいえ、わたくしが悪いのよ」

 エフィが悪い。それに、まだ何も済んでなんかいない。
 現にヴィルは今も独りじゃないか。彼が奪われたものを取り返せていないのに、終わりにしていいわけがない。

『お前のおかげで』

「――わたくしが、あなたの家族を奪ったんだもの」
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