36 / 63
35.聖女様が見つかったそうだ
しおりを挟む
「聖女様が見つかったそうだ」
貴賤も老若男女も問わず、国中がその話でいっぱいだ。
聖女がどのように選ばれるのか、どうやって聖女であると証明されるのか、そしてどのような存在なのか、知っている者はほとんどいない。
けれど神殿は彼女が聖女だと認定し、王族と同列に扱うとした。
とはいえ、まだ王家に入っていないアルテミスには、聖女の情報は噂程度にしか流れてこない。
プシケー・ゼピュロス。ゼピュロス男爵の長女。
それだけだ。どのような姿をし、どのような性格の女性なのかなどは、知らなかった。
望めば対面することも可能だったのだろうが、定められた役目をこなすこと以外に興味を失っていたアルテミスは、耳に入ってきた噂さえも、必要ないと判断すれば右から左へと流した。
それが、いけなかったのかもしれない。
寂しかった王城の庭園に薔薇が咲き乱れ春の訪れを告げる中、多くの貴族たちが招かれた舞踏会でその事件は起きた。
「アルテミス・フルムーン! 貴様との婚約を破棄する!」
会場の一角で第二王子クピードとその取り巻きたちが、一人の令嬢を睨み付けていた。
クピードの隣には、濃い紫色の髪をした小柄な少女が寄り添っている。ドレスから覗く首筋や手首は細く、簡単に折れてしまいそうだ。
薄い青色の瞳はにじむ涙で潤み、きらきらと輝いていた。
なるほど、こういう少女を小動物のようだというのかと、睨みつけられている令嬢――アルテミスは一人冷静に納得する。
それはさておき、王族であり婚約者でもあるクピードからの御指名である。
状況が分からなくとも対応しなければならない。手に持っていたグラスを近くにいた使用人に渡してから、クピードに体の正面を向けた。
「了承しました。婚約を破棄するのですね」
ドレスのスカートを摘むと、立て板に水を打ったように真っ直ぐな姿勢のまま、膝を軽く折って淑女の礼をする。
とはいえ、アルテミスとクピードの婚約は王家と侯爵家の取り決めであり、クピードが一方的に口にしたところで解消されることはない。
王家と侯爵で話し合うか、国王陛下からの下知があって、初めて解消される。
それを知らないクピードではないはずだ。何が目的なのか分からず、つい首を捻ってしまった。
膝を伸ばしてから、いったい何の茶番かと問うようにクピードを見ると、なぜか満足そうに口の端を上げている。
それ以上の反応が返ってこないので、もう用は終わったのだろうと判断したアルテミスは、クピードから離れようと動き出した。
「待て! 話はまだ終わっていない」
クピードが呼び止めたので足を止めたアルテミスだが、招待客たちからの好奇の視線が注がれる真っ只中に居続けるのは、気分の良いものではなかった。
早く終わらせてほしいと内心で祈りつつも、アルテミスは微笑を貼り付けた顔をクピードへと戻す。
「はい、何でしょう?」
「お前は婚約を破棄されても良いのか?」
訝しげに問われて、アルテミスの方が驚いてしまう。
婚約を交わしたとき、アルテミスには想い人がいてクピードを愛していないことは、彼も承知だったはずだ。そのことを面白がって、彼はアルテミスを婚約者に選んだのだから。
当時の記憶が甦り、何度も蓋をしたはずのオライオンへの想いが、蓋の隙間から染み出てくる。
心の内で苦痛に胸を掻きむしりながら、アルテミスはさらに重い蓋で抑え込む。ゆっくりと息を吐き出して、顔に貼り付けた微笑を整えてクピードを見る。
「ええ、構いませんわ。敢えて申し上げますなら、破棄ではなく解消とされるべきではないかとは思いますが」
アルテミスは感情を見せることなく冷静な声で答える。
クピードと、彼の体に寄りかかっている少女は更に体を密着させ、二人揃って顔をしかめアルテミスを睨み付けてくる。
貴賤も老若男女も問わず、国中がその話でいっぱいだ。
聖女がどのように選ばれるのか、どうやって聖女であると証明されるのか、そしてどのような存在なのか、知っている者はほとんどいない。
けれど神殿は彼女が聖女だと認定し、王族と同列に扱うとした。
とはいえ、まだ王家に入っていないアルテミスには、聖女の情報は噂程度にしか流れてこない。
プシケー・ゼピュロス。ゼピュロス男爵の長女。
それだけだ。どのような姿をし、どのような性格の女性なのかなどは、知らなかった。
望めば対面することも可能だったのだろうが、定められた役目をこなすこと以外に興味を失っていたアルテミスは、耳に入ってきた噂さえも、必要ないと判断すれば右から左へと流した。
それが、いけなかったのかもしれない。
寂しかった王城の庭園に薔薇が咲き乱れ春の訪れを告げる中、多くの貴族たちが招かれた舞踏会でその事件は起きた。
「アルテミス・フルムーン! 貴様との婚約を破棄する!」
会場の一角で第二王子クピードとその取り巻きたちが、一人の令嬢を睨み付けていた。
クピードの隣には、濃い紫色の髪をした小柄な少女が寄り添っている。ドレスから覗く首筋や手首は細く、簡単に折れてしまいそうだ。
薄い青色の瞳はにじむ涙で潤み、きらきらと輝いていた。
なるほど、こういう少女を小動物のようだというのかと、睨みつけられている令嬢――アルテミスは一人冷静に納得する。
それはさておき、王族であり婚約者でもあるクピードからの御指名である。
状況が分からなくとも対応しなければならない。手に持っていたグラスを近くにいた使用人に渡してから、クピードに体の正面を向けた。
「了承しました。婚約を破棄するのですね」
ドレスのスカートを摘むと、立て板に水を打ったように真っ直ぐな姿勢のまま、膝を軽く折って淑女の礼をする。
とはいえ、アルテミスとクピードの婚約は王家と侯爵家の取り決めであり、クピードが一方的に口にしたところで解消されることはない。
王家と侯爵で話し合うか、国王陛下からの下知があって、初めて解消される。
それを知らないクピードではないはずだ。何が目的なのか分からず、つい首を捻ってしまった。
膝を伸ばしてから、いったい何の茶番かと問うようにクピードを見ると、なぜか満足そうに口の端を上げている。
それ以上の反応が返ってこないので、もう用は終わったのだろうと判断したアルテミスは、クピードから離れようと動き出した。
「待て! 話はまだ終わっていない」
クピードが呼び止めたので足を止めたアルテミスだが、招待客たちからの好奇の視線が注がれる真っ只中に居続けるのは、気分の良いものではなかった。
早く終わらせてほしいと内心で祈りつつも、アルテミスは微笑を貼り付けた顔をクピードへと戻す。
「はい、何でしょう?」
「お前は婚約を破棄されても良いのか?」
訝しげに問われて、アルテミスの方が驚いてしまう。
婚約を交わしたとき、アルテミスには想い人がいてクピードを愛していないことは、彼も承知だったはずだ。そのことを面白がって、彼はアルテミスを婚約者に選んだのだから。
当時の記憶が甦り、何度も蓋をしたはずのオライオンへの想いが、蓋の隙間から染み出てくる。
心の内で苦痛に胸を掻きむしりながら、アルテミスはさらに重い蓋で抑え込む。ゆっくりと息を吐き出して、顔に貼り付けた微笑を整えてクピードを見る。
「ええ、構いませんわ。敢えて申し上げますなら、破棄ではなく解消とされるべきではないかとは思いますが」
アルテミスは感情を見せることなく冷静な声で答える。
クピードと、彼の体に寄りかかっている少女は更に体を密着させ、二人揃って顔をしかめアルテミスを睨み付けてくる。
応援ありがとうございます!
1
お気に入りに追加
1,009
1 / 4
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる