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37・森の中①
しおりを挟む獣がゆっくりと歩き出す。
「あっ……どこに、」
どこに行くのか。
どこへ向かうのか。
動かなければ、そう言ったのは僕だ。
だけどホセの歩みは、まるで行き先がわかっているかのように迷いなく思えたので少しびっくりしてしまった。
僕の体に巻き付いたままの尻尾で優しく促され、それにそのまま支えられるようにして僕もまた歩き出す。
どこへ。
でも何処かへ行かなければ。
そう、僕自身が口にしたように、ここでじっとしていても仕方がないのだ。
ここには何もない。
ただの森。
どこかもわからなければ、食料も水もなかった。
今は陽が高いようだけれど、だからと言っていつまでも明るいというわけでもないだろう。
陽が落ちるときっと良くない。その辺りは砂漠でも同じこと、夜は昼よりもずっと危険なのだろうことは確かだった。
急に、森の中。
(こういう場合はどうすればいいんだろう……)
僕には何もわからなかった。動いた方がいい、とは言っても、僕には何か具体的な考えがあるわけでもなくって。
当然、直前まで部屋で寛いでいただけなので身に纏っているのは胸元も大きく開いた、心もとない薄い部屋着。
素足で過ごす習慣ではなかったので、編み上げの薄いものであれ、靴を履いているのだけが救いだろうか。
歩くのに全く適してはいないが、何も履いていないよりはましなはず。
とても大きな狼のような獣にしか見えないホセが、何かを持っているようにも見えない。やはり、
(なら、歩くしか、ない)
それともじっとしていたら誰かが助けに来てくれるとでも言うのだろうか。
それはいったい誰が。フォルか、それとも。
否、ホセは結局歩き出した。
そうである限り、ここにきて誰かが来るということでもないのだろう。
もし助が来ることがわかっていたら、ホセは動こうとしなかったはずだ。
もしくはホセにもそう言ったこと含め何もわからないのか。
ホセが促すままに足を進めた。
当然まったく早くはない、ゆっくりと。いつも、あの集落やあの屋敷の庭を散歩していたのと同じように。
違うのは傍らに寄り添うホセの姿。
そして周囲の、濃く香る木々の香り。
僕を包み込む、ホセの番の匂いを押しのけてまで届く草の息吹。
土と、あとは多分微かに漂うこれは……獣の気配。
勿論、ホセ以外の、獣だ。
突然、鳥の羽ばたく音と、葉の揺れる音とが響き渡り、僕はびくとホセに身を寄せた。
「な、何っ……?」
聞いたこともない獣の声がして、ざわざわと辺りの空気が震えている。
よくわからない恐怖が、俺を襲った。
ここは生命の気配が何だか濃すぎるのだ。
森だからだろうか、それとも先程までいたのが砂漠だから、余計にそう感じているのかもしれない。
砂漠は、少なくとも此処よりはずっと、生命の気配が乏しかった。
それはあの集落でも、大領主邸への旅の間でも。なんなら、初めて気が付いた砂漠の只中、ただ周りにあるのは砂だった。
フォルの屋敷に庭は流石に少しばかり樹々などがあり、そんなこともなかったけれど、それだって此処とは全然違う。
あまりにも濃い生命の気配。
それが、今の俺にはひどく恐ろしい。
俺に巻き付いたままのホセの尻尾の力が強くなる。
ぎゅっと包み込んでくれる。だけど、それほど警戒しているという風でもない。
ならきっと、聞こえてきた羽音の通りに、近くで鳥が羽ばたいただけなのだろう。
しばらくすると、辺りはまた、先程と同じ程度の静けさを取り戻した。
「は、あぁ……な、んだったん、だろ……」
知らずつめていた息を吐いて、小さく呟く。
僕が落ち着いたのを見てか、ホセが止めていた歩みを再開しだした。
促された僕も歩き出す。
どれぐらい歩き続けたのだろう。
段々と、僕は足に痛みを感じ始めていた。
はぁはぁと息が切れる。
多分、僕があの砂漠の只中で、はたと気が付いてから、こんなに歩いたのは初めてだ。
足が重かった。
なんとなく大きく膨らんだお腹を擦って、気遣わしげに僕の様子をうかがいながら幾度も幾度も歩みを緩めるホセに甘え、休憩を挟みながらそれでも可能な限り歩き続けた。
まったく立ち止まってしまうようなことはない。
そうしたら今は、なんだか歩けなくなりそうで怖くて。
ホセは行き先がわかっているのだろう、迷っている様子は見せず、だけど、僕を放って先に行くというようなことも勿論なく。
僕は半ば彼に包み込まれたまま、ゆるゆるとただ足を動かし続けた。
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