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第2章 日常讃歌・相思憎愛
第2話 沈む心
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『これより神罰術式を発動します』
耶蘇光の化学の授業を受けながら、ボーッと外を眺めていた仁代伊緒は突然響いた声にビクッと体を震わせる。隣の席の躬羽玲も慌てて顔を上げる。
何か注意されたかと思っての行動だが、顔を上げた先には同じ様に辺りをキョロキョロとする光の姿があった。
そして光と伊緒達が見合った瞬間、悲鳴の様な声が響き渡る。
――キキキキギギギィィイ"イ"イ"イ"イ"エ"エ"エ"エ"ァァァァァァァァァァァァァ――
何者かの断末魔の様な声に思わず耳を塞ごうとする伊緒。その行動が間に合う前に翠の光が教室を満たす。
世界の宣言のもと、世界が翠の光に包まれた。
「誰の声だ――」
光も何が起きたか全く理解できず、生徒の状況を確認しようもする。
(何が……)
伊緒がそう思った瞬間。
『――術式発動を確認――人類へアクセスを開始――』
再度鳴り響く謎の声。突然の声に誰もが驚き、動揺する。
「うっぐ!!」
あまりの衝撃で机に突っ伏す伊緒。
隣の席にいる玲が視界に入る。玲も苦しそうに顔を歪めているのが見えた。
玲は伊緒に向かって右腕を伸ばす。伊緒も同様に手を伸ばして渾身の力を込めて玲の手を取る。
教室の中で生徒たちの悲鳴や絶叫が木霊する。
光も何かが起こっている事は分かったが、体が言うことを利かない。
辛うじて教壇にもたれかかり、教室を見渡すのみである。
机に突っ伏す生徒、床に倒れている生徒、椅子の上で海老反りになっている生徒。
皆一様に何かに苦しんでいるようだった。
『――術式深度50%、進行度50%――対象の変換を開始――』
「ぁぁぁぁあああああ”あ”あ”あ”あ”ー!!!」
必死に耐えていた玲が叫び、掴んだ伊緒の手をきつく握りしめてくる。
伊緒も自身の痛みに耐えながら必死に玲の手を掴んで離さない。
「――玲!!」
叫ぶ玲に向かって呼びかける伊緒。玲が薄らと目を開け、伊緒と視線を交わす。
痛みに涙を流し、それでも伊緒を見つめて無理に微笑む玲。
「――伊緒――くん――私は――」
玲が覚悟を決めたかの様に何かを伝えようと口を開くが、言葉が紡げない。
そんな光景を後ろの席から、絶望の海に沈む間際の雫が目にしていた。
(私も……私の手を……)
そう思って伸ばそうとした手は届くことなく空を切る。
(どうして……私は……私の手は……)
雫の眼から涙が零れ、意識が途切れる。
『――術式深度80%進行度80%――肉体の変換を開始――』
「「――ッ!!――」」
更なる衝撃で伊緒の思考は切れ切れになる。
(――ぁぁ、俺は……玲と……玲が……玲を……)
まとまらない思考の中で、伊緒は玲を想う。
玲もまた途切れ途切れの意識の中で、伊緒の手の温もりだけを頼りに何とか意識を保っていた。
(伊緒くん、伊緒……くん……伊緒……)
声を出す事すら叶わない2人は、お互いの存在を確かめ合うように聢と握り締め合う。
光は意識が飛びそうになりながらも、辛うじて生徒たちの様子を見ていた。
何もできないその眼前で、生徒たちが急激に変化し始める。
――メキメキメキ――
そんな音が聞こえてくる。
凡そ人体が出してよい音ではない。
教壇の目の前の生徒がみるみる変化し始める、その身体から枝葉が生えてくる|。
(何……だ……これは……)
教室中の生徒が一斉に芽吹きだす。
眼前で起こっている地獄のような光景を、助ける事もできずに見せつけられている。
つい一瞬前まで、授業を受けていた生徒。
退屈そうに欠伸を嚙み殺す男子生徒。
真面目に黒板に書いた事をノートへ書き写す女子生徒。
その者達が、みるみる樹木へと変化して成長していく。
(みんな……)
そしてハッとなって親友の息子とその友人の姿が見えないことに気が付く。
2人は他の生徒と違い、お互いに手を握り合って机に突っ伏して倒れていた。
その後ろの席の雫も同様に樹木になっていないのが見える。
だが、それも眼前の生徒の枝葉が成長し全てを覆い隠してしまった。
◇◇◇
一方その頃、隣の2組の教室内でも響いた世界の声により、生徒たちが次々と樹木へと変化していた。
(っち!……一体……どうなってるんだ)
数学の問題を生徒たちに解かせ、加茂が生徒たちの間を縫って見回りしていた最中に突然響いた声。
加茂は丁度真理の机の横まで来ていたが、そこで身動きを取ることができなくなってしまった。
真理の机に手をかけ、どうにか身体を支えている加茂。
周りの生徒たちが次々の樹木へを変わっていく中で、目の前の女子生徒だけが人間の形を保っていた。
「先、生……」
真理は顔を上げることもできず、机に突っ伏したまま小さく呟く。
それでも真理の拳は強く握られ、必死にこの状況に耐えているのが見て取れる。
「仁代……さん……」
加茂もどうにか言葉を口にするが、まともに会話をすることはできそうにない。
翠の光が溢れる教室の中で、賀茂が確認できる範囲に人間の形を保ったままの生徒は真理と、海老反りになりながは悶えている男子生徒が1人。
(このままでは……木に……)
そんな想いを思い浮かべながら、何とか生き残る方法はないかと思考を巡らす。しかし、何の手段も思いつくはずもなく、ただただ襲いくる痛みと不快感に耐えることしかできない。
『――術式深度90%――魂の変換を開始――」
「――ふぅぐっ!――」
賀茂は脂汗を浮かべながら、身体の中の奥底を捏ねくり回される様な不快感に耐える。
眼下の真理もまた、握った拳を震わせながらこの状況を耐え忍んでいる。悲鳴を上げないだけ、物凄い胆力だろう。
椅子の上で海老反りになっている男子生徒は既に意識が無いのか、声を上げることはない。ただ木になることなく、そこに存在していた。
「……た…………て……」
小さな虫の鳴くような声で真理が何かを囁く。
賀茂も真理が何を言っているのか聞き取れず、再度聞き直す。
「何……です……か」
「……たす……けて……」
言葉として聞こえた、真理が助けを求めている。
そう理解し、手を差し伸べようとした時。
「……助けて……光さん……」
真理の確かな声が聞こえた。
伸ばしかけた手が止まり、賀茂の中の時も止まる。
◇◇◇
(伊緒……くん……玲ちゃん……)
光は見えなくなった2人に呼びかけようとするが、声が出ない。
(……魂……変換……身体の……内側……が……)
光も魂が何なのか分からない。しかし、自分が何かに書き換えられているような不快感がある事は分かる。
光自身に抗う術はない、しかし己の中の何かが抗っている。
「……真理……ちゃん……」
ここに居ない親友の長女の名前を呼ぶ。
親友との約束を守るために、今すぐ駆け出したい。隣のクラスを今すぐにでも確認しに行きたい衝動が膨れ上がる。
(みんな……無事で……)
遂に光は思考することすら叶わなくなる。
『――術式深度100%進行度99.9999%――霊樹は霊子の生産を開始します――』
先程まで教室内を埋めていた翠の光の放流が引いていく。
代わりに生徒たちだったものから翠色の光がふわりふわりと沸き立ち始める。
光は急激に収まっていく不快感から解放され、停止していた思考が戻ってくる。
「……一体どうなって……」
目を開け、光が目にした光景は一面の森であった。
「なっ!……」
絶句する光。ほんの少し前まで授業をしていた時の眺めと一変し、生徒が座っていた場所には1本1本立派な樹が生えていた。
鈍った思考の中で、謎の声が言っていたのは「霊樹」と「霊子」という言葉。
それがどういう意味のものかは分からないが、何を示しているのかは理解できる。
翠色の光を放っている葉。今尚伸び続けている枝と幹、床にどっしりと張り付いた根。
そしてその周りを漂う翠色の光。
「…………」
再び止まりかけた思考を無理矢理に動かし、光は最後に見た3人の生徒の元に向かう。
「――伊緒くん!玲ちゃん!野口さん!」
今すぐ隣の教室へ飛び出したい衝動もある。しかし光も生徒の命を預かる教師である。まず、確認すべきはこのクラスの生徒達。
伸びる枝葉を掻き分け、窓際の一番後ろの席を目指す。
樹々は怪しく翠色の光を生み出し、霊子の光が光を覆う。
制服を着たもの、ペンを持ったままのもの、床に転がるもの。そこに誰が居たか、手に取るように分かってしまう。
「伊藤……鈴木……田中……」
――非常時に生徒を守らねば――
もしもの時の訓練や知識はある。だが、今この状況はその想定を遥かに超えている。
光にできる事は、直前まで人の形を保っていた3人の安全確保である。
焦る気持ちを落ち着かせて歩みを進める。霊樹になってしまった生徒を掻き分け、その度に人間だった時の姿を思い浮かべてしまう。それでも気持ちだけで前へと進み、3人の席に辿り着く。
そこには机の上に突っ伏して倒れる3人の姿があった。
「おい!生きてるか!伊緒くん!」
伊緒と玲は手を繋いだまま倒れており、2人とも意識はないようだ。
「玲ちゃん!……くそ!」
光は慌てて2人の呼吸を確認しようとする。そして2人背中が上下している事に気が付き口元へ手を当てる。
「――はぁぁ」
安堵の溜息を吐き、2人が呼吸している事を確認すると、すぐさま後ろの席で倒れている雫も同様に呼吸の確認をする。
「よかった……」
3人の生存者が居た。その事が光の冷静さを取り戻させる。
そして、改めて周囲を見渡す。
「一体どうなってるんだ……みんな木になっているのか……」
そして思い出す謎の声。
”神罰術式”に”肉体の変換”と”魂の変換”そして、薄らと記憶にある謎の声が発していた”霊樹”と”霊子”という言葉。
何が何だか分からないが、己と生き残っている3人以外は皆”霊樹”とやらに変えられてしまったのだろうか。
そう考え、更なる生存者が居ないか教室内を確認していく。
1人1人の状態を、誰か樹になっていな者はいないか確認していく。しかし自身を含め、4人以外に人間の形を保っている者は見つからない。
受け持ちの生徒の確認をしながら光の表情はどんどん厳しいものになっていく。
(皆んなは生きているんだろうか……それとも……)
現状、樹になってしまった生徒に声をかけても反応はなく、呼吸や脈拍も無い。手触りは樹木のそれであり、生きているのか死んでいるのかの区別さえもつかない。
そして想定後の非常事態故に、今この教室を出るべきか否かの判断に迷う。
(外は安全なのか……このままここに留まるべきか……他の教室も確認するべきか……)
光は今後の行動を思案しつつ、伊緒達の意識が戻らないか再度確認する為3人の所まで森を掻き分ける。
「……光さん」
ガサガサと霊樹の森を掻き分けて現れた光を見て、伊緒が呟く。伊緒は未だ意識の戻らない玲と雫の前で2人を守る様に立っていた。
「伊緒くん!よかった……意識が戻ったんだね」
「光さん……これは……何ですか……何が……」
明らかに混乱し、動揺している伊緒。
「僕も分からない……他のみんなは……木になってしまってる……」
「……木?」
「ああ、この木が全部、3組の生徒だ」
「……ぇ」
伊緒は思考が追いつかない様子で、言葉を失う。
それでも何とか現状を把握しようと、一面森と化した教室を見渡す。床に散らばるノートやペン、人の形をした樹木、制服が纏わり付き人の顔に見える樹皮、そこから伸びる枝葉から翠色の光が沸き立っている。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
伊緒は叫び声を上げ一歩後ずさると、自分の椅子につまずき座り込む。
そして気を失う直前まで聞こえていた謎の声が脳裏に蘇る。
「あの時、変な声が聞こえて……そこから気持ち悪くてなって……動けなくて……玲の……手を握る事しかできなくて……」
そこまで言葉にして、ハッとした表情となり目を見開く。
「――玲!」
叫びながら振り返る伊緒。まだ意識のない玲が机に突っ伏しており、伊緒は声をかけ続ける。
「――玲!玲!起きろ!」
声だけでは気が付かない玲に対し、伊緒は肩に手をやりゆすって起こそうとする。
光も同じ様に目を覚ましていない雫のことを起こそうと声をかける。
「野口さん。野口さん」
「……ぅ……先、生……私は……」
「よかった……どこか痛い所とかないですか?」
ゆっくりと顔を上げて光の顔を見る雫。
まだ顔色は良くないが意識はしっかりとしているようだ。
雫が光を見上げた後、周囲を見渡してその光景に驚きの表情を浮かべる。そして目の前の席で伊緒が玲を起こそうと必死になっている姿が目に入る。
雫の心の底にぬるりと湧いて出る黒い感情。
意識せず雫の口角が僅かに上がる。
自身の行動に驚く雫。
(私は……何を……)
必死に玲に呼びかける伊緒を、目で追いかけている雫。
「……んっ……伊緒……くん……」
「――玲!」
玲の手を握って安堵の表情を浮かべる伊緒。
そんな伊緒の顔を見て玲の口角がまた上がり、そして下がる。
――あの顔が、あの感情が、私に向くことはない――
(分かっていたこと。出会った時から知っていた事。それでも……)
玲の心が深く深く、沈んでいく。
――ぁぁ、やはりこの世界は沈んでしまえばいい――
沈みゆく心の中で、雫は願った。
耶蘇光の化学の授業を受けながら、ボーッと外を眺めていた仁代伊緒は突然響いた声にビクッと体を震わせる。隣の席の躬羽玲も慌てて顔を上げる。
何か注意されたかと思っての行動だが、顔を上げた先には同じ様に辺りをキョロキョロとする光の姿があった。
そして光と伊緒達が見合った瞬間、悲鳴の様な声が響き渡る。
――キキキキギギギィィイ"イ"イ"イ"イ"エ"エ"エ"エ"ァァァァァァァァァァァァァ――
何者かの断末魔の様な声に思わず耳を塞ごうとする伊緒。その行動が間に合う前に翠の光が教室を満たす。
世界の宣言のもと、世界が翠の光に包まれた。
「誰の声だ――」
光も何が起きたか全く理解できず、生徒の状況を確認しようもする。
(何が……)
伊緒がそう思った瞬間。
『――術式発動を確認――人類へアクセスを開始――』
再度鳴り響く謎の声。突然の声に誰もが驚き、動揺する。
「うっぐ!!」
あまりの衝撃で机に突っ伏す伊緒。
隣の席にいる玲が視界に入る。玲も苦しそうに顔を歪めているのが見えた。
玲は伊緒に向かって右腕を伸ばす。伊緒も同様に手を伸ばして渾身の力を込めて玲の手を取る。
教室の中で生徒たちの悲鳴や絶叫が木霊する。
光も何かが起こっている事は分かったが、体が言うことを利かない。
辛うじて教壇にもたれかかり、教室を見渡すのみである。
机に突っ伏す生徒、床に倒れている生徒、椅子の上で海老反りになっている生徒。
皆一様に何かに苦しんでいるようだった。
『――術式深度50%、進行度50%――対象の変換を開始――』
「ぁぁぁぁあああああ”あ”あ”あ”あ”ー!!!」
必死に耐えていた玲が叫び、掴んだ伊緒の手をきつく握りしめてくる。
伊緒も自身の痛みに耐えながら必死に玲の手を掴んで離さない。
「――玲!!」
叫ぶ玲に向かって呼びかける伊緒。玲が薄らと目を開け、伊緒と視線を交わす。
痛みに涙を流し、それでも伊緒を見つめて無理に微笑む玲。
「――伊緒――くん――私は――」
玲が覚悟を決めたかの様に何かを伝えようと口を開くが、言葉が紡げない。
そんな光景を後ろの席から、絶望の海に沈む間際の雫が目にしていた。
(私も……私の手を……)
そう思って伸ばそうとした手は届くことなく空を切る。
(どうして……私は……私の手は……)
雫の眼から涙が零れ、意識が途切れる。
『――術式深度80%進行度80%――肉体の変換を開始――』
「「――ッ!!――」」
更なる衝撃で伊緒の思考は切れ切れになる。
(――ぁぁ、俺は……玲と……玲が……玲を……)
まとまらない思考の中で、伊緒は玲を想う。
玲もまた途切れ途切れの意識の中で、伊緒の手の温もりだけを頼りに何とか意識を保っていた。
(伊緒くん、伊緒……くん……伊緒……)
声を出す事すら叶わない2人は、お互いの存在を確かめ合うように聢と握り締め合う。
光は意識が飛びそうになりながらも、辛うじて生徒たちの様子を見ていた。
何もできないその眼前で、生徒たちが急激に変化し始める。
――メキメキメキ――
そんな音が聞こえてくる。
凡そ人体が出してよい音ではない。
教壇の目の前の生徒がみるみる変化し始める、その身体から枝葉が生えてくる|。
(何……だ……これは……)
教室中の生徒が一斉に芽吹きだす。
眼前で起こっている地獄のような光景を、助ける事もできずに見せつけられている。
つい一瞬前まで、授業を受けていた生徒。
退屈そうに欠伸を嚙み殺す男子生徒。
真面目に黒板に書いた事をノートへ書き写す女子生徒。
その者達が、みるみる樹木へと変化して成長していく。
(みんな……)
そしてハッとなって親友の息子とその友人の姿が見えないことに気が付く。
2人は他の生徒と違い、お互いに手を握り合って机に突っ伏して倒れていた。
その後ろの席の雫も同様に樹木になっていないのが見える。
だが、それも眼前の生徒の枝葉が成長し全てを覆い隠してしまった。
◇◇◇
一方その頃、隣の2組の教室内でも響いた世界の声により、生徒たちが次々と樹木へと変化していた。
(っち!……一体……どうなってるんだ)
数学の問題を生徒たちに解かせ、加茂が生徒たちの間を縫って見回りしていた最中に突然響いた声。
加茂は丁度真理の机の横まで来ていたが、そこで身動きを取ることができなくなってしまった。
真理の机に手をかけ、どうにか身体を支えている加茂。
周りの生徒たちが次々の樹木へを変わっていく中で、目の前の女子生徒だけが人間の形を保っていた。
「先、生……」
真理は顔を上げることもできず、机に突っ伏したまま小さく呟く。
それでも真理の拳は強く握られ、必死にこの状況に耐えているのが見て取れる。
「仁代……さん……」
加茂もどうにか言葉を口にするが、まともに会話をすることはできそうにない。
翠の光が溢れる教室の中で、賀茂が確認できる範囲に人間の形を保ったままの生徒は真理と、海老反りになりながは悶えている男子生徒が1人。
(このままでは……木に……)
そんな想いを思い浮かべながら、何とか生き残る方法はないかと思考を巡らす。しかし、何の手段も思いつくはずもなく、ただただ襲いくる痛みと不快感に耐えることしかできない。
『――術式深度90%――魂の変換を開始――」
「――ふぅぐっ!――」
賀茂は脂汗を浮かべながら、身体の中の奥底を捏ねくり回される様な不快感に耐える。
眼下の真理もまた、握った拳を震わせながらこの状況を耐え忍んでいる。悲鳴を上げないだけ、物凄い胆力だろう。
椅子の上で海老反りになっている男子生徒は既に意識が無いのか、声を上げることはない。ただ木になることなく、そこに存在していた。
「……た…………て……」
小さな虫の鳴くような声で真理が何かを囁く。
賀茂も真理が何を言っているのか聞き取れず、再度聞き直す。
「何……です……か」
「……たす……けて……」
言葉として聞こえた、真理が助けを求めている。
そう理解し、手を差し伸べようとした時。
「……助けて……光さん……」
真理の確かな声が聞こえた。
伸ばしかけた手が止まり、賀茂の中の時も止まる。
◇◇◇
(伊緒……くん……玲ちゃん……)
光は見えなくなった2人に呼びかけようとするが、声が出ない。
(……魂……変換……身体の……内側……が……)
光も魂が何なのか分からない。しかし、自分が何かに書き換えられているような不快感がある事は分かる。
光自身に抗う術はない、しかし己の中の何かが抗っている。
「……真理……ちゃん……」
ここに居ない親友の長女の名前を呼ぶ。
親友との約束を守るために、今すぐ駆け出したい。隣のクラスを今すぐにでも確認しに行きたい衝動が膨れ上がる。
(みんな……無事で……)
遂に光は思考することすら叶わなくなる。
『――術式深度100%進行度99.9999%――霊樹は霊子の生産を開始します――』
先程まで教室内を埋めていた翠の光の放流が引いていく。
代わりに生徒たちだったものから翠色の光がふわりふわりと沸き立ち始める。
光は急激に収まっていく不快感から解放され、停止していた思考が戻ってくる。
「……一体どうなって……」
目を開け、光が目にした光景は一面の森であった。
「なっ!……」
絶句する光。ほんの少し前まで授業をしていた時の眺めと一変し、生徒が座っていた場所には1本1本立派な樹が生えていた。
鈍った思考の中で、謎の声が言っていたのは「霊樹」と「霊子」という言葉。
それがどういう意味のものかは分からないが、何を示しているのかは理解できる。
翠色の光を放っている葉。今尚伸び続けている枝と幹、床にどっしりと張り付いた根。
そしてその周りを漂う翠色の光。
「…………」
再び止まりかけた思考を無理矢理に動かし、光は最後に見た3人の生徒の元に向かう。
「――伊緒くん!玲ちゃん!野口さん!」
今すぐ隣の教室へ飛び出したい衝動もある。しかし光も生徒の命を預かる教師である。まず、確認すべきはこのクラスの生徒達。
伸びる枝葉を掻き分け、窓際の一番後ろの席を目指す。
樹々は怪しく翠色の光を生み出し、霊子の光が光を覆う。
制服を着たもの、ペンを持ったままのもの、床に転がるもの。そこに誰が居たか、手に取るように分かってしまう。
「伊藤……鈴木……田中……」
――非常時に生徒を守らねば――
もしもの時の訓練や知識はある。だが、今この状況はその想定を遥かに超えている。
光にできる事は、直前まで人の形を保っていた3人の安全確保である。
焦る気持ちを落ち着かせて歩みを進める。霊樹になってしまった生徒を掻き分け、その度に人間だった時の姿を思い浮かべてしまう。それでも気持ちだけで前へと進み、3人の席に辿り着く。
そこには机の上に突っ伏して倒れる3人の姿があった。
「おい!生きてるか!伊緒くん!」
伊緒と玲は手を繋いだまま倒れており、2人とも意識はないようだ。
「玲ちゃん!……くそ!」
光は慌てて2人の呼吸を確認しようとする。そして2人背中が上下している事に気が付き口元へ手を当てる。
「――はぁぁ」
安堵の溜息を吐き、2人が呼吸している事を確認すると、すぐさま後ろの席で倒れている雫も同様に呼吸の確認をする。
「よかった……」
3人の生存者が居た。その事が光の冷静さを取り戻させる。
そして、改めて周囲を見渡す。
「一体どうなってるんだ……みんな木になっているのか……」
そして思い出す謎の声。
”神罰術式”に”肉体の変換”と”魂の変換”そして、薄らと記憶にある謎の声が発していた”霊樹”と”霊子”という言葉。
何が何だか分からないが、己と生き残っている3人以外は皆”霊樹”とやらに変えられてしまったのだろうか。
そう考え、更なる生存者が居ないか教室内を確認していく。
1人1人の状態を、誰か樹になっていな者はいないか確認していく。しかし自身を含め、4人以外に人間の形を保っている者は見つからない。
受け持ちの生徒の確認をしながら光の表情はどんどん厳しいものになっていく。
(皆んなは生きているんだろうか……それとも……)
現状、樹になってしまった生徒に声をかけても反応はなく、呼吸や脈拍も無い。手触りは樹木のそれであり、生きているのか死んでいるのかの区別さえもつかない。
そして想定後の非常事態故に、今この教室を出るべきか否かの判断に迷う。
(外は安全なのか……このままここに留まるべきか……他の教室も確認するべきか……)
光は今後の行動を思案しつつ、伊緒達の意識が戻らないか再度確認する為3人の所まで森を掻き分ける。
「……光さん」
ガサガサと霊樹の森を掻き分けて現れた光を見て、伊緒が呟く。伊緒は未だ意識の戻らない玲と雫の前で2人を守る様に立っていた。
「伊緒くん!よかった……意識が戻ったんだね」
「光さん……これは……何ですか……何が……」
明らかに混乱し、動揺している伊緒。
「僕も分からない……他のみんなは……木になってしまってる……」
「……木?」
「ああ、この木が全部、3組の生徒だ」
「……ぇ」
伊緒は思考が追いつかない様子で、言葉を失う。
それでも何とか現状を把握しようと、一面森と化した教室を見渡す。床に散らばるノートやペン、人の形をした樹木、制服が纏わり付き人の顔に見える樹皮、そこから伸びる枝葉から翠色の光が沸き立っている。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
伊緒は叫び声を上げ一歩後ずさると、自分の椅子につまずき座り込む。
そして気を失う直前まで聞こえていた謎の声が脳裏に蘇る。
「あの時、変な声が聞こえて……そこから気持ち悪くてなって……動けなくて……玲の……手を握る事しかできなくて……」
そこまで言葉にして、ハッとした表情となり目を見開く。
「――玲!」
叫びながら振り返る伊緒。まだ意識のない玲が机に突っ伏しており、伊緒は声をかけ続ける。
「――玲!玲!起きろ!」
声だけでは気が付かない玲に対し、伊緒は肩に手をやりゆすって起こそうとする。
光も同じ様に目を覚ましていない雫のことを起こそうと声をかける。
「野口さん。野口さん」
「……ぅ……先、生……私は……」
「よかった……どこか痛い所とかないですか?」
ゆっくりと顔を上げて光の顔を見る雫。
まだ顔色は良くないが意識はしっかりとしているようだ。
雫が光を見上げた後、周囲を見渡してその光景に驚きの表情を浮かべる。そして目の前の席で伊緒が玲を起こそうと必死になっている姿が目に入る。
雫の心の底にぬるりと湧いて出る黒い感情。
意識せず雫の口角が僅かに上がる。
自身の行動に驚く雫。
(私は……何を……)
必死に玲に呼びかける伊緒を、目で追いかけている雫。
「……んっ……伊緒……くん……」
「――玲!」
玲の手を握って安堵の表情を浮かべる伊緒。
そんな伊緒の顔を見て玲の口角がまた上がり、そして下がる。
――あの顔が、あの感情が、私に向くことはない――
(分かっていたこと。出会った時から知っていた事。それでも……)
玲の心が深く深く、沈んでいく。
――ぁぁ、やはりこの世界は沈んでしまえばいい――
沈みゆく心の中で、雫は願った。
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なるとし
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鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。
特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。
武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。
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とおおおおんでもないヤンデレだった……
第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
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この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
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しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
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