暁の世界、願いの果て

蒼烏

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第2章 日常讃歌・相思憎愛

第1話 日常

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 1人男の視線が世界を追いかける。
 暗い部屋の中、モニターに浮かぶ少女の画像。
 見つめる瞳は怪しく光、口元がニヤリと歪む。
 心の歪みに生じた隙間を埋めるため、更に歪めた想いを重ねる。
 しかし、歪みは歪み。重ならないものは重ならないのである。その事実が更なる歪みを生み、現実との乖離を生む。
 この世界に絶望し、世界を憎みながら今日も変わり映えのない日常を過ごす。
 
 ――それでいいのか?――

 心の中で誰かが囁く。

 ――上手くいかない……思い通りにしたい――

 心の底からからの返答。

 ――本当はどうしたい――

 囁きは甘露を伴う。

 ――メチャクチャにしたい――

 理性の中で結論を出す。

 ――叶わないと知っていても?――

 ただの自問自答、何十、何百と繰り返してきた思考の迷路。

 ――叶わないのなら――

 導かれる結論は何時も同じ。

 ――彼女を――世界を――壊したい――
 
 変わらぬ日常への絶望、この世界への怨嗟えんさ、彼女への愛憎。
 今日もいつもの日常か始まる。

◇◇◇
 
「ほら伊緒いおれい、行くわよ」
「分かってるよ……行ってきます」
「行ってきます」

 よく晴れた5月のある日、5月なのにもう夏かと思わせる陽射しを受けながら、元気よく自転車で飛び出していく3人。そして、それを見送る大人が2人。
仁代星斗じんだいせいと躬羽珠代みはねたまよはそれぞれの子供達を見送り、自分達も各々の準備に取り掛かる。

「伊緒、今日もお弁当作ってなかったけど、また玲に作らせたの?」
「別に作らせた訳じゃ……」

 仁代家では2人の母親である仁代美夏じんだいみかが亡くなってから家事を父親である仁代星斗じんだいせいとを含めた3人で行なっている。
 料理も必要にかられ、皆が持ち回りでやっていた。
 高校生になり、お弁当を作らなければならなくなっても、3人で交代しながら朝昼晩の食事とお弁当を作っているのである。
 それでも何かと世話を焼いてくれる隣家の躬羽玲みはねれいやその母親の躬羽珠代みはねたまよに頼ってしまうこともあった。
 
「私が作るって言ったんだよ。今日はお母さん出かけるからお昼の準備要らなかったし。あ、真理ちゃんの分もちゃんと有るからね」
「やった!この間は私の分なかったからね!」

 玲は元々料理が好きである。イラストレーターとして不規則な生活を送る母親に変わって家の家事を取り仕切っている。
 今日は母親が友人と出かける為昼食の準備をしない代わりに、伊緒と真理の分のお弁当も作ってくれたのであった。
 そして先日、伊緒が抜け駆けして自分の分だけお弁当を作って貰ったことを根に持っていた真理が、喜びを溢れさせる。
 
「真理の分くらい作っても良かったんだけどね……玲が作ってくれるって言うから……」
「伊緒のご飯より玲のご飯の方がいいに決まってるじゃん。伊緒のは濃すぎ、体に悪い」
「いいじゃん、少しのおかずでご飯が進むから」
「私はそんなにご飯食べられないから!」

 何時もの如く些細な事で言い合いに発展する兄妹を後ろから自転車で追いかけながら笑顔で見守っている玲。
 
(今日も2人とも元気だなぁ)

 小学校の頃からの幼馴染であり、3人で居ることが当たり前の日常となっている。
 玲はそんな日常が堪らなく好きなであった。
 そんな日常に、新たに1人の女子生徒が加わる。

「あ、雫。おはようー」
「雫さん、おはようございます」
「野口さんおはよう」

 加わったのは伊緒と玲と同じクラスの野口雫のぐちしずくである。伊緒、玲と同じ1年3組のクラスメイトであり、席も近い。
 
「ぁ……おはよう、ございます……」

 黒のおさげ髪の少女は伊緒の方を見て、さっと目を逸らしながら3人の後方へと位置取る。
 入学式当日にふとしたことから知り合い、その後も何かと伊緒と真理に振り回され、一緒に登校する仲となっていた。
 真理は3人とは別のクラスながらも、伊緒と玲が居るところによく現れる為、自然と真理から話をするようになっていたのである。
 
「ねえねえ聞いてよ雫。伊緒がまた私のお弁当作らないで玲に作らせたんだよ」
「人聞きの悪いこと言うな……作らせてないし……」
「玲さんのお弁当、美味しい、ですから」

 雫が辿々しく答え、その場を濁す。
 基本的に真理が賑やかに話をして、伊緒がそれに突っ込む、それを玲と雫が見守っているのが何時も構図である。

「ねえ聞いた?校庭の欅が伐採のされるって話」
「あぁ、何かそんな話してたような……」
「幹の中が腐って倒れるかも、って話だよね」

 真理が話題を変えて校庭の欅が伐採される話を始める。
 伊緒や玲も話は知っているようである。

「な、なんか、木を切ろうとしたら怪我人が出たって聞いたんだけど……」

 どうやら雫も知っているようである。

「そうそう、何か怪談話みたいだよね、ほらうちの高校の桜の木にもそんな話あったよね?」
「七不思議だっけ……くだらな……」

 話は欅の木から桜の木に移る、伊緒も学校の七不思議として真理から聞かされて知ってはいるようだ。
 
「うるさい……ほら1本だけ違う種類の桜があるじゃん、あの桜の木の下に女の幽霊が出るって話」
「着物を着た、若い女の幽霊って、話だね」

 学校の七不思議というありきたりな話題のため雫も話に混じり、暫し七不思議の話で盛り上がる。
 
 ネギ畑を抜けて高校の正門まで辿り着くと、そこには2人の教師が立っていた。

「あ!光さんだ!おはよぉ!」

 真理が自転車を立ち漕ぎしながら声をかけた教師の所まで飛んでいく。
 それを渋い顔で見つめる、すらりとした長身の男性教師が耶蘇光やそひかる、双子の父親である仁代星斗じんだいせいとの子供の頃からの親友であり、4人が通う県立深山高等学校の教員である。また、伊緒と玲、雫の担任でもある。

「おはようございます、学校では"先生"にしてくれないかな……」
「今更無理です!あ、賀茂先生もおはよございます」
「おはようございます。仁代さんあまり耶蘇先生を困らせないでください」
「はぁい」

 真理が挨拶したもう1人の教師は賀茂実道かもさねみち、光と同じく深山高校の教員であり、真理の担任である。穏やかな表情と言葉遣いで教え方も上手いと評判の教師である。

「先生、おはようございます」
「光さんおはよぉ」
「ぁ、おはよう、ございます……」

 真理に遅れて3人がそれぞれ挨拶をし、正門をくぐる。

「最近は遅刻しそうなこともなくて、いいことだ」
「あれは……もうやらないですよ……」

 光にからかわれ、慌てて弁明する伊緒とうつむいてもう訳なさそうにする雫。
 入学して間もない頃、自転車がパンクして遅刻しそうな雫を自身の自転車に2人乗りさせたのだが、光に見つかって4人で説教を受けたことがあったのだ。
 光は冗談を言いながら教室に向かうように促す。
 光に纏わりついていた真理以外が自転車を置きに向かって行く。

「仁代さんも遅刻しないように」
「はーい、じゃあまた後で」

 わざとらしく先生呼びで答える真理に光が苦笑しながら答える。
 
「担任は賀茂先生でしょ」
「はーい、大人しく教室行きまーす」

 苦笑しながらも、優しげな目で見送る光。そんな光に一瞬目をやり、張り付いた笑顔で真理を見送る賀茂。

「賀茂先生、いつもうるさくてすみません」
 
 光が賀茂に向き直り、すまなそうに頭をかきながら謝罪を口にする。
 
「いえ、聞いていた通りですから、問題ありません。クラスではよく気を利かせてくれてますから」
「そうですか、それなら良かった」

 光は真理の担任が自分でない事で賀茂に迷惑がかかるだろうと、入学前から先に謝っていたのだ。それでも日々賀茂に迷惑がかからないように気を遣っていた。

「さて、時間まであと少しですね。ここは大丈夫ですから、耶蘇先生は先に戻って授業の準備をなさってください」
「宜しいですか?ちょっと今日は準備があるのでお任せします。あとはよろしくお願いします」

 光が申し訳なさそうに正門から離れ、賀茂が1人で最後まで登校する生徒を見守ることになる。
 光を見送る目の奥にはある種の光が混じる。
 登校するから生徒達や他の教師にも気付かれない小さな光。

「おはようございます」
「――おはようございます」

 生徒が賀茂に挨拶をしてくるが、一瞬だけ賀茂は挨拶が遅れる。
 生徒は若干怪訝な表情をするも、いつもの愛想のいい笑顔の賀茂を見て特に気にすることもなく通り過ぎて行く。

「ふぅ……」

 賀茂は1つ大きく息を吐くと表情を整える。そこには何時通りの笑顔が張り付いた賀茂が居た。

 ◇◇◇

 教室について伊緒と玲、雫は1年3組へ、真理は2組へと入って行く。

「おはようございます」
「おはよ……」
「ぁ、おはよう、ございます」

 3人が教室へと挨拶をしながら入っていき、窓際の自分の席に着く。

「よ、おはよう。今日もご一緒に登校か?」

 伊緒が席に着くと、すぐ前の席に座っていた男子生徒が伊緒に話しかけてくる。

「……まぁ、隣の家だし……」
「そらそうか?まぁいいや。それよりさ、部活の件考えてくれた?」

 ここ数日、伊緒はこの男子生徒から熱心な部活への勧誘を受けていた。
 何がそこまでさせるのか分からなかったが、この男子生徒には伊緒が魅力的に見えたようだ。

「いや……一応考えたけど……やっぱりやめとくよ……悪い……」
「だめかー!お前絶対運動神経いいはずなんだけどなー、体育とかあれ絶対サボってるだろ」
「まぁ……いや……そんな事、ないよ?」

 運動部らしい男子生徒には伊緒が体育の授業で力を抜いている様に見えたらしい。
 事実伊緒はそこそこになるように力を抜いて体力テストをやっており、見事にばれていたのである。

「何でそんなことするかなー、勿体無いなー」
「あー……目立ちたく、ないじゃん?」
「何で疑問形なんだよ……そういやお前最初の自己紹介以外ホント、静かだな。まあ双子ってだけで目立ってるけど」

 以外と見られていたことに若干の驚きを受けつつも、伊緒は初日の自己紹介で言った言葉を思い出す。

「”空を飛びたい”だっけ?あれは笑えたんだけどなー」
「最初くらいは、ね」
「ふーん。まあまた誘うから気が変わったら部活来てみてくれよ」

 そう伊緒を部活に誘いつつ、男子生徒はまた別の男子生徒に声を掛け始める。
 伊緒は窓の外に目をやり空を眺める。笑いながら答えていたがその目にはそんな感情は一欠片も乗っていない。

(あの時と同じ目だ……)

 後ろから伊緒の様子を見ていた雫には、入学式の日に見た伊緒の目と同じに見えた。

(何か言えたら……)

 雫の心にそんな気持ちが浮かんで沈む。
 あの日沈んでしまった、沈めてしまった気持ちを持ち出しては駄目だと自分に言い聞かせる。
 
「伊緒くん……」
「……大丈夫……」
 
 隣の席に座る玲が小声で話しかける。伊緒も玲には優しい笑みを見せ、再度窓の外に目をやり空を眺める。
 玲の一言で伊緒の目から負の感情が消える。そこには憂いや悲しみは無く、只々羨望だけが宿っていた。

「ぁぁ……空飛べたらな……」

 伊緒が誰にも聞こえない様な小声で呟く。雫の耳にはえらくはっきりと聞こえた気がした。そしてたった一言が言えなかった自分に嫌気がさす。

 (あぁ……こんな世界……沈んでしまえばいいのに……)
 
 ◇◇◇

 その頃、真理は1年2組の教室で1時限目の授業の準備を手伝っていた。
 科目は化学。光が担当する教科である。
 普段から積極的に他の教科の手伝い等をする真理だが、光の担当する化学に関して人一倍気合いが入っているのが他の生徒からもよく分かる。
 持ち前の明るさと真面目さ、人付き合いの良さでクラスの生徒からも何か言われる事もなく嬉々として教材を運び込み、配布していく。

「真理ちゃん毎回だと疲れない?手伝うし、他の人にも割り振っていいんだよ」
「大丈夫!光さんの授業の分は私がやるから!他の教科も別に苦じゃないし、手伝えるなら手伝いたいしね」

 真理としては光の事でやれるとは何でもやりたいと思っているし、そもそも教師から手伝って欲しいと言われて断る理由もないのである。
 困っている人を助ける、或いは人の役に立つ。
 それは父親である星斗や母親である美夏から小さい頃から言われてきた教えであり、真理にとって当たり前の事なのであり、そこに裏も表もない。それは普段の行動や言動にも現れるため「優等生ぶっている」等のねたみやひがみが向けられることはない。

「あ!光さんだ!準備しといたよ!」

 ただ、真理の光に対する熱量に関しては、快く思わない者もいる。

「……ちっ……」
「ん?どうかしましたか賀茂先生?」
 
 小さく洩れる舌打ち。
 振り向く光に加茂はにこやかな表情を向けている。

「耶蘇先生、何かありましたか?」
「いえ……」

 加茂と光の歩く後ろから男子生徒が2人を追い抜いて行く。どこか苛立たし気な表情の男子生徒は足早に2組の教室へと吸い込まれていった。
 1時限目の授業の為に2組の教室へと入って行く賀茂、光も3組の教室へと入って行く。
 何時もの学校生活。変わり映えなのいい日常の1日を告げるチャイムが鳴る。

◇◇◇

 1時限目の終わりを告げるチャイムが鳴り、暫しの業間休みも伊緒は相変わらず窓の外を眺めている。
 目線の先にあるのは空ではなく校庭に向けられていた。
 そこには欅の木を取り囲んでいる作業員の姿があり、その手にはチェーンソーが握られている。
 高所作業車も用意され、伐採の準備が進んでいるようだ。
 その先に植えられている桜の木目をやる。既に花の季節は終わっており、緑の新緑が青々と茂っている。
 その中に一際大きな桜の木の根本を見ながら伊緒は今朝の話を思い出していた。

(あの桜が七不思議の桜だっけ……卒業できなかった女子生徒の幽霊が出るとか何とか……)

 よく校庭や土手に植えられている桜はソメイヨシノであり、エドヒガンとオオシマザクラの交雑種であり樹齢もそこまで長くなく、60年から70年と言われている。
 伊緒が見ていた大きな桜はエドヒガンと呼ばれる桜であり、各地に巨木や古木が存在する種類の桜である。
 深山高校の校庭に植えられているエドヒガンはこの場所の高校ができる以前からあったもののようで、今伐採されようとしている欅も同様である。
 1人ボーッとそんなことを考えながら休み時間を過ごしているとすぐに始業のチャイムが鳴り、光が教室へと入ってくる。

「席に着けー授業始めるぞー」

 光の掛け声と共に化学の授業が始まる。
 
「それでは授業を始めます」

 隣の2組でも賀茂が数学の授業を始めたようである。
 午前中の授業がゆったりと進む中、突然声が響いた。

『これより神罰術式を発動します』

 日常が終わる。
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