DEAREST【完結】

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第121話 語り部

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「えぇ! ベルくん? え? な、何でここにいらっしゃるんですか?」
「コケシ? やっぱりカモメの事を知ってるの?」
「は、はい! こんな所でお会いできるなんてびっくりです!」
 そんな二人のやり取りを見て、ベルは眉間に軽くしわを寄せました。
「コケシ? あのー、ぼくこの変な髪型のお姉さんの事も覚えてないので勝手に盛り上がらないでください」
「コケシに変なんて言わないで! カモメのバカ!」
 ディーは両手でベルの頬をつねります。
「いったいなー!」
 ベルも負けじとディーの頬を両手でつねります。
「バカバカバカバカバカ!」
「バーカバーカ!」
 子どものような喧嘩を繰り広げる二人に、コケシはオロオロとしています。
「お、お二人とも、喧嘩はダメですよー」
 そこへ。
「ベル! あいつらは見つかったのか?」
 よく通る声が廊下に響きました。
 ディーの手がピタリと止まります。
「リサちゃん」
 ベルもディーから手を離し、どこか嬉しそうにそう呼んで立ち上がりました。
 こちらへ駆け寄るその姿に、ディーはひどく怯えた表情を見せます。
 そして、二人の目が合いました。
「……ディー」
 リサはさらにディーに歩み寄りました。コケシやベルの見守る中、リサはディーの目の前で足を止めます。
 すでに逸らされた目にリサは戸惑います。ディーはまるで叱られている子どものように俯いたまま。先程流した涙の跡が頬に残っていて。余計に話しかけるのをためらわせました。
「どしたの? リサちゃん」
 ベルがそう聞いても二人は黙ったままです。すると、何か言いたげなリサを見て、コケシがその場にしゃがみました。そして、ベルにも座るように手でサインを出します。
 ベルがしゃがむと、みんながリサを見上げる形になりました。そうなると、何だか一人立っているのが気まずくてリサもその場にしゃがみます。
 リサとディーの視線の高さが近づくと、ディーの表情が少し和らぎました。
「……ディー」
 リサが口を開きます。でも、言葉が続きません。迷うリサに、ディーは落ち着かない様子。リサはその場に膝をつきました。
 そして、本当にそっと、壊れ物を扱うようにディーを抱きしめたのです。
「……良かった、無事で」
 リサは、あの時言えなかった事を、あの時出来なかった事をしたのです。
 滝に落ちたと言ったディーを怒った事を謝るよりも、滝に落ちたディーを心配出来なかった事。良かったと言って、抱きしめられなかった事。自分が母にしてもらえなくて、して欲しかった事をディーにしてあげたのです。
 その手は恐る恐る触れているだけで、ナギのようにぎゅっと抱きしめているわけではありませんでしたが、それでも、それは精一杯のリサの愛情表現でした。
 ディーにとってリサは怖いお姉ちゃんでした。父を奪った憎む存在でもありました。ナギの愛情を独り占めした嫉妬の対象でもありました。そして、自分をもっとも嫌っている人物だと思いこんでいました。
 その『リサ』が、今自分を抱きしめてくれていて『良かった』と言ってくれました。つい先程、大好きだった人間に忘れられてしまったショックをやわらげてくれました。
 それでも、手を伸ばしていいのか、自分からも抱きしめていいのか、どうしたらいいのか分からずに、ディーはリサを押しのけてコケシに抱きついたのです。
「ディー……」
 リサの声にも背を向けたまま、もうベルの方も見ずに。
 ディーはコケシの元へ逃げました。
 今、ディーが一番大好きな人の所へ。
「ディーくん……」
 コケシは助けを求めるように抱きついてきたディーの髪を優しく撫でます。
「……ベルくん、私この先のステージで働いてるんです」
 コケシに急に話しかけられ、ベルは黙ったまま顔だけ向けました。
「そこでディーくんを落ち着かせてますね」
「うん」
「あなたも……落ち着いたら来てくださいね」
 コケシは、リサに優しく微笑みかけました。それを見てベルがリサの方へ視線を戻すと、リサは今にもこぼれ落ちそうなくらい目に涙を溜めていました。
「……了解。落ち着いたら連れてく」
 ベルは緩い敬礼をして見せます。コケシはニッコリ笑って会釈をすると、ディーの手を引いて歩いて行きました。


 真っ暗なステージのある部屋へと入って行く二人。昨日のようにステージにだけライトをつけて、二人は一番前の席に座りました。コケシは隣に座って、優しくディーの頭を撫でます。
「……何か、ごめんね。カッコ悪いとこ見せて」
「うふふふ」
「何で笑うの?」
 じとっとコケシを睨むディー。コケシは慌てて弁解します。
「お、可笑しくて笑ったんじゃありませんよ。何だか可愛らしくて」
 コケシはさらにうふふと笑います。
「何だか、ディーくんは愛されてますね」
「どこが? カモメだってあんなんだったし、リサは……」
 そこまで言って、ディーはまた下を向いてしまいます。
「カモメ……というのは、ベルくんですね。私も驚いちゃいました」
「カモメ、ひどいよね?」
「……いえ、忘れてしまった事には何か事情があるやも知れません。ただ、私の知っているベルくんとかけ離れていて」
 ディーは頷きます。
「うん。おれの知ってるカモメはね、いつも笑ってて楽しいお話いーっぱいしてくれるの」
「ええ、私の知っているベルくんもそうですよ」
 誰もいないステージを見ながら、二人は話し続けます。
「コケシも友達だったの?」
「はい。何年か前、首都に巡業で訪れた時にベルくんは母に向かって『弟子にしてください!』と言って、一緒について来ちゃったんですよ」
「そうだったんだ」
「ええ、ですがあーっという間にすべて覚えてしまって、急に」
「急に?」
「……急に、いなくなってしまって……」
「……そう。おれの時もだよ。急に、いなくなっちゃったの。本当に、急に、おれを置いて」
 止まっていた涙が、再び流れ出しました。
「おれを置いて、死んじゃったんだよ」
「死んじゃった……?」
「うん。確かにね、音は止まってたの」
 ディーは自分の手を胸に当てます。それを見て、コケシも自分の胸に手を当てました。
「お、音が……ですか?」
「うん。なのに、生きててくれて、すっっごく嬉しかったのに、なのにひどいよ!」
「ディーくん……」
「ひどいよ」
『アンジュちゃん』
 カモメの優しい声がディーの中で甦ります。ディーはそっと耳飾りに触れました。
『お礼』
 熱い手でそれをくれたカモメ。自分の耳についているそれに、先程のベルが気づいてくれていたのか分かりません。
 白い花のコサージュにも、鳥の刺繍にも、きっとベルは気づいていないのかもしれません。
 ディーはポケットの中の髪飾りを握りしめました。まるでこの髪飾りのように、以前の二人の関係は壊れてしまったのです。
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