DEAREST【完結】

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第76話 語り部

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「カモメ……」
 二人きりになった部屋にディーの高い声が響きました。
 カモメが薄く目を開きます。どうしたのと問い掛けるようにディーに微笑みました。
「助けてくれて……ありがと」
 カモメはきゅっとディーの手を握り返します。
「でも……そのせいで、カモメは……」
 ディーの目から一筋の涙が流れました。
「……違うよ」
「カモメ……」
「……だいじょーぶ」
 笑ってみせるカモメにディーも笑顔を返しました。
「ありがと……」
 カモメの熱い手をディーは祈るように両手で握りしめました。
「ディーくん……ちょっとだけ、話して欲しいんだけどね……」
「なに?」
「……『セナ』さん、の事」
 ディーの肩がピクリと震えました。眉をひそめてカモメの顔を見ます。
「何で、いいお父さんじゃなかったの……?」
「…………」
「……ディーくん」
「カモメ、あんまり喋らない方が……」
 苦しそうなカモメを見てディーが心配そうに言いました。
「じゃ……ディーくんが、しゃべって」
「…………」
 俯いたディーをカモメはじっと見つめながら話し出すのを待ちます。
「……あのね、おれね、魔物に襲われたことがあったの。お母さんといる時に」
「うん」
「お母さんね、魔物に……」
「うん」
 声を詰まらせるディーに、カモメは優しく相づちを打ちます。
「その時は、まだ、何が起こってるか分からなくて、ただ恐くて、おれ、動けなくて……」
 ぽろぽろと涙を落とすディー。
「そしたらね、お父さんが来たの」
 カモメの瞳に一瞬力が戻りました。さらに真剣に耳を傾けます。
「……お父さんは、お母さんを抱きしめて、すごくすごく泣いてて……」
「うん……」
「おれもいたのに、すぐそばに立ってたのに……お父さんは一回もおれの事見なかった……」 
 ディーは悔しそうに泣きながら片手で目を擦ります。もう片方の手はカモメと繋がったまま。カモメは何も言わずにその手を強く握ります。
「でね、お父さんは急にお母さんを抱っこして立ち上がったの。こっち向いて、やっとおれを見て『ついて来い』って。それだけ、それだけ言って、お母さんを連れて、病院に向かって歩き出したの……歩くの速くて、置いていかれないように、必死に走って……でも、お父さんは一回も後ろを見なかった」
 熱の苦しさも忘れカモメはディーの話を静かに聞いていました。何も言えずに。
「手を繋いでくれなくてもいい。抱っこもしてくれなくていい。ただ……抱きしめてくれるだけでよかったのに。すごく、怖かったから。ぎゅってして欲しかった……」
 泣きすぎてむせ返るディー。抱きしめて、頭を撫でてあげたいのに、今のカモメにはそれは叶いませんでした。
「お医者さんに聞いて、やっとおれは、お母さんが死んじゃったんだって分かって……今度は悲しくて、すごく悲しくて、いっぱい泣いたの。おっきい声で、そしたら、やっと、やっとお父さんがおれを見た。おれを、ぎゅって抱きしめた。思い出したように。『泣くな、ディー。大丈夫だ』って、意味不明なこと言いながら。それからね、お父さん、すっごく優しくなったの。ディーは可愛い、世界一だ、天使みたいだ。今までお母さんに言ってた事を、おれに言うようになった」
 ディーの声は冷たさを帯びていて。さっきまで泣きじゃくっていた子どもの声ではありません。
「おかしいよ。今まで、仕事とお母さんばっかりで、おれの事は全然構ってくれなかったのに。やたらと褒めてきて……だけど、おれには、もうお父さんしかいなかったから……お父さんに見捨てられたら、一人ぼっちになっちゃうから」
 再びディーの声が揺れ始めました。
 今度は静かに涙を流します。大人びたその表情にカモメは息をのみました。
「だから、泣いたの。赤ちゃんみたいに、ずっと泣いてた。お父さんにずっとしがみついて、離れないようにしたの。泣いて、甘えて、お父さん以外にはなつかない。そしたら、お父さんはおれ以外を見なくなったから」
 青い瞳も、声も、手も、すべてが冷たくて、カモメの熱を吸いとっていくようでした。
「これで、見捨てられない。あの時みたいに置いていかれない。そう、思ってたのに」
 ディーはそこまで言って押し黙ってしまいました。怒っているのか、悲しんでいるのか、手が微かに震えています。
「……ディーくん?」
 カモメが声をかけた後、しばらくしてディーが口を開きました。
「お父さんは、おれを置いて、一人で死んじゃった。止めたのに。すっごく泣いて、止めたのに。なのに、お父さんは『リサ』なんかをかばって死んじゃったんだよ! 結局お母さんに似てれば誰でもよかったんだ! おれの事なんか全然見てくれてなかった!」
 そう言ってディーは泣き出しました。いつものように大声で。ベッドに突っ伏して泣きわめくディーの髪を、カモメはそっと撫でました。だけど、その力が余りにも弱々しくて、ディーは気づかずに、ずっと泣き続けました。そんなディーの声は、廊下にまで響いていて。
「……セナが、死んだ?」
 部屋の前で扉にもたれるようにして座っていたタキの耳にも、しっかりと届いていました。
 冷たい床に座ったまま、タキは胸を強く押さえます。
「セナ……」
 押し寄せる不安に息が吸えなくなりました。すると暖かい手がタキに触れたのです。それは、フロルの手でした。フロルが隣に座ってタキを包み込むように抱いていました。
「フロル……」
 すうっと呼吸が楽になるのを感じたタキが、フロルの方を向いて名前を呼びます。
 フロルはリュックを背負ってそこで微笑んでいました。
「フロルも聞こえちゃった。ディーのお話」
「フロル、セナが」
「うん」
 フロルが再びタキを抱きしめてタキもフロルの背中に手を回しました。その時、タキはフロルのリュックに気づきました。
「……何でリュック?」
「んー……フロルが背負う事にしたの」
「何を?」
「秘密!」
 フロルはパッとタキから離れてふんわりとした髪を揺らして笑いました。
「フロル一人で背負うからいいの」
「訳分かんね……。なあ、俺ディーにどんな顔して会えばいい? あいつ、俺らに気つかって黙ってたのかな?」
「普通でいいよ。普通にしてよう」
「普通……」
「うん。フロル達は、何も聞いてない。いつも通りだよ」
 タキはぽろぽろと涙を流して頷きました。
「分かった……」
「うん! タキはいい子だね!」
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