誰かが彼にキスをした

ゆづ

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織川 ひかり

卑怯者

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 私の言葉を聞いて、陽向の目がさらに丸くなった。
「……なにそれ。どういうこと?」

 一瞬、余計なことを言ったと後悔した。
 だけど、これ以上は黙っていられない。

「昨日の夕方、ちょっと学校で用事があって家に帰るのが遅くなって……」
 私は慎重に言葉を選びながら続けた。

「七時ちょっと前くらいだったかな。髪の長い女の子が別棟から走って逃げていくのを見かけたの。多分それがひかりさんだったんだと思う」
「何でそれを黙ってたの?」
「……ごめん。私のいた位置からはその子の顔がはっきりとは見えなくて、ひかりさんだっていう確信がなかったから……言えなかったの」
 私は後ろめたくて目を伏せた。

 今の言葉は半分本当で、半分嘘だった。
 顔は見えなかったけど、あの子がひかりさんだって、私はほとんど確信していた。
 言えなかったのは私のエゴだ。
 彼女じゃなければいいなと思いたくて、他の人を疑う選択肢がなくなるまで知らないふりをしてしまった。

 だって犯人はひかりさんだよって言ったら事件はすぐに終わってしまう。陽向と私が一緒にいる理由がなくなる。
 ……少しでも長く陽向と一緒にいたかった。
 ギリギリまで言えなかった本当の理由は、やっぱりただのエゴでしかない。
 
 それに……きっと私は怖かったんだと思う。
 今朝、陽向が私を迎えにきた瞬間に昨日のことを言われるんだと直感した。
 彼女が泣いていた理由を知ったら、陽向がまたひかりさんのことを心配してしまう。二人が元鞘に戻ってしまう。それが怖くて、逃げたのだ。


 私は嘘つきで臆病な卑怯者だ。


 胸がズキズキと痛くて、まともに立っていられなくなりそうだった。
 もう終わりにしたい。
 この謎はもう終わりにしなくちゃいけない。
 苦しんでいる陽向のために。
 私のために。


「……ひかりさんに話を聞きに行こう、陽向」


 私はそっと顔を上げた。逆光の中で、陽向の凛々しい形をした眉がうっすらと見えた。
 
「きっと次で最後だよ。そこで真実が分かる」
「……分かった。でも、その前に──行きたいところがある」


 陽向が私の手をそっと引いた。
 私たちの頭上で、昼休み終了を告げるチャイムの音が静かに響いた。
 


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