ナッツに恋するナツの虫

珈琲きの子

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水谷夫夫

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「おじゃまします……あ、待てって」

 玄関に靴を脱ぐとさっさと奥に行ってしまった水谷の背中を慌てて追い掛けた。
 水谷の家もどこにでもある様なものではなく、一等地に建つ見るからにお洒落なマンションだった。やはりハイソサエティに属してるだけあって違う。
 しかもマンションの一室のはずがリビングが吹き抜けていて、二階もある。俺はポカンと天井を見上げた。

「なにアホ面晒してんの?」
「さらっと失礼なこと言うな!」
「——おかえり葵。お客さん?」

 はっと振り返れば、そこには階段を下りてくる男前。プリントTシャツにジーンズとラフな格好ながらその姿は眩しい。この人が水谷の婚約者だと瞬間的に理解した。

「ただいま。こいつが目つけられてるって奴」
「あ、ぅ……お邪魔してます。辻井那月って言います」

 酷い紹介のされ方だけど会釈をすれば、男前が目を細めて微笑んだ。

「ようこそ辻井君。俺は葵の夫の水谷聡一朗。いつも葵がお世話になってるね。葵は口が達者だから大変でしょ?」
「聡! 余計なこと言わないで!」
「わかったわかった」

 宥めつつ流れるように水谷を腕の中に迎えて、俺の目の前でいちゃつき始める聡一朗さん。なんか腹立たしいけど、美形が戯れるのを見るのはそんなに悪くない。でもなんか腹立たしい。複雑な気分だ。
 甘い雰囲気を纏っている二人を、確実に邪魔でしかない俺は眺めつつ、ふと思いついた。

「あれ? 結婚済み?」
「そー。大学に入る前には籍入れてたから、水谷なの」
「でも、一回栗栖に助けられたって」
「ああー、あの時は僕の我儘でまだ番になってなかったから。でももう発情期であんなふうにはならないよ」
「番……そっか、なら襲われるってことないのか」
「……なに、もしかして僕が襲われるからって思って帰れって言ったの?」
「薬飲んでたら大丈夫って分かってるけど、その……なんかあったら怖いじゃん。あの理性失くした感じ、思い出すだけでもヒヤっとする」
「辻井ってフェロモンにあてられたアルファ見たことあるの?」
「え……ぁ……」

 そう言えば、これって言っちゃいけないってあいつら言ってたような……。

「あー、っと、その、遠目で見ただけなんだけど、アルファの怪力さヤバそうだなーって」
「……まぁそうだよね。アルファ同士じゃないと押さえられないぐらいだし」
「二人とも立ったままじゃなんだから、座ったらどうかな? コーヒー淹れるよ」
「うん、じゃ、お願い」

 俺はお言葉に甘えて、ソファーに座り聡一朗さんの淹れてくれたコーヒーを頂くことにした。
 こんなところに住んでて、たぶん御曹司かそれなりの地位にある人に淹れてもらうなんて恐れ多いけど、最近場違いな所にばかり顔を出してるせいで、自分の立場が分からなくなる。たまにコチラ側にいるかのように感じるから、よろしくない。

「辻井君はオメガかな?」

 そう唐突に聞いてきたのは聡一朗さん。俺も水谷も呆気にとられながら、ぶんぶんと首を振った。

「何言ってんの、聡。こんな平凡なナリしてるんだからベータに決まってるじゃん」
「間違ってはないけど、水谷、一言余計」
「葵、そう言う発言は良くないよ。偏見を持たれるのを嫌がってたのは誰かな?」
「……そうだけど……わかった、これから気を付ける」

 少しむすっとしながらも水谷はあっさりとその言葉を受け入れた。流石聡一朗さん、大人だ。水谷も聡一朗さんの事が好きなんだなってひしひし伝わってくる。
 番ってこんなのなんだ。アルファとオメガの関係ってもっと欲に満ちてるものだと思ってたけど、こういうのなんかいい。
 
「ごめんね、辻井君。きっと君が優しいから、葵も甘えてる所があるのかもしれない」
「気にしないで下さい。俺、立派にベータとして生きてますし、水谷の本心じゃないってわかってますから」
「……そうか」

 聡一朗さんは俺の横に座る水谷をちらりと見てから、ゆったりと微笑んだ。なんて言うか、すごく幸せそうな笑み。そんな表情見たら顔が火照ってくるのは当然。別に聡一朗さんに恋してるわけじゃないけど、こっちまで胸が満たされるような気がした。

「助けたいって言った理由がわかったよ。よかったね、葵」
「……うん」

 水谷も頬を赤らめて俯きながらもじもじしている。普段ツンな様子とは程遠い様子に不覚にもキュンとしてしまったのは致し方ないことだと思う。じっと水谷の可愛らしい姿を見ていると、ゴボンとわざとらしい咳が聞こえて、俺は振り返った。相変わらずそこには笑顔な聡一朗さん。ただ、素敵な笑顔なんだけど、さっきと違って目が笑ってなかった。流石に見過ぎたらしい。
 俺はいそいそと水谷に向けていた体を戻し、コーヒーカップに手を付けた。

「さっきのことなんだけど——」
「あ、」

 聡一朗さんが話し出したところで、上着のポケットに入れていたスマホが振動する。どうぞ、という聡一朗さんの仕草で俺はスマホを取り出して、ディスプレイを眺めた。そこには久しぶりに見る文字。そして、横から興味津々で覗き込んで来た水谷が俺の代わりに読み上げた。

 ——栗栖、と。

 
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