ナッツに恋するナツの虫

珈琲きの子

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抱擁の意味

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「もしもし?」

 出なよ、と水谷に促されて、俺は電話に出た。しかし、ガタガタと向こうで音がするだけで、声は聞こえてこない。もしもし、ともう一度声を掛けてみるけど、物音すら聞こえなくなってしまった。通話は続いていて、時間だけが進んでいく。悪い予感しかしなかった。

「水谷、俺、栗栖ん所行ってくる」
「は?! ちょっと!」
「ごめん、早くしないと、ヤバいかもしれないから」

 腕を掴んで引き留めてくる水谷の手を半ば強引に払って、俺は「すみません」と聡一朗さんに声を掛けつつ玄関に向かった。

「辻井。一人で行かせないよ」
「……今それどころじゃない」
「だから?」
「…………」

 答えるのも億劫で、俺は黙った。靴紐を結ぶのに集中したい。今はただただ時間が惜しい。

「辻井君。東弥の所に行くんだよね?」
「はい」
「場所、わかるのかな?」
「……あ、」

 俺は足元から顔を上げて、聡一朗さんを見上げた。にっこりと笑っている表情から感情は読み取れない。

「俺なら探せるよ」

 そう笑顔で言うけど、もし聡一朗さんが栗栖を狂わせられるオメガの存在を知ったらどうなる? バレたらいけない相手だったら……。

「大丈夫です。俺、一人で探しますから」
「じゃあ、なおのこと外には出してあげれないな。東弥からお願いされてるからね」
「え……」
「栗栖には一つ借りがあるんだよ。辻井を世話することになった切欠」
「俺の……?」
「そう。だから君にできる選択はこの家にいるか、葵と俺を連れていくこと」

 どうしたらいい?
 この迷ってる時間でもし栗栖が誰かを襲ってたら?

「栗栖に何かあっても忘れてもらえますか? 絶対口外しないって約束してもらえますか?」

 俺が問いかけると、水谷と聡一朗さんは顔を見合わせる。聡一朗さんがフ、と笑って俺を振り返った。
 
「わかった。俺たちは君の護衛としてついていこう。その間、守秘義務を負うことにしてね。それでいいかな?」
「難しいことは分からないですけど、栗栖に不利にならないなら俺はそれでいいです」
「……面白いな、君は。——さ、こんなことしてる暇はないね」

 その一言で聡一朗さんの案内で駐車場に向かい、車に乗り込んだ。駐車場に止まっている数々の車の車種にも驚くことはない。コチラではこれが一般的であり、比較すること自体間違ってる。

「辻井君、携帯貸してくれる?」
「はい」
「少し触るよ」

 俺が頷くのと同時に聡一朗さんがトントンとタップして何かを操作する。ほんの数秒で俺のスマホを助手席の水谷に渡すと、「行くよ」とサイドブレーキを引いた。
 
「ここ……」

 水谷がスマホの画面を見て呟いたけど、どういうことなのかさっぱりわからず、俺は置いてきぼりを食らうばかりだ。

「あ、あの、俺」
「大丈夫。任せて」

 聡一朗さんは振り返って俺にウインクで答えた。
 車を走らせたのはほんの五分ほどで、着いたのは俺の人生と全く縁のない『クラブ』という場所だった。「すぐ後追うから」という聡一朗さんを車に残し車外に出るけど、一歩が出ない。

「ホントにここにいるのかよ」
「ほら、急いでるんでしょ」

 若干尻込みしながら、水谷の後に続く。両開きの扉を思い切り開けば、重低音が耳を襲った。その腹まで響く音に耳を塞ぐと同時に酷く甘い匂いが鼻を擽る。頭がくらくらとするような匂いだけど、水谷にただついていく。

「ちょっと黙ってくれる? 逆らえばソッコーで天国行きな」

 水谷のその一声でざわついていた周囲から一瞬で音が消えた。その場にいる全員が水谷の顔を見て、棒立ちのまま固唾を飲み口を噤んでいる。水谷って結構ヤバい奴なのかも……と一瞬そんな考えが頭をよぎるけど、気にしてる場合じゃない。

「栗栖、いるんでしょ」

 まるでモーゼの海渡りのようにさっと道が開き、その先の扉に真っ直ぐに続いていた。俺は引きつけられるようにその扉まで走り、戸を開け放った。その瞬間に先ほどうっすらと感じていた匂いが一気に濃度を増した。
 それと同時に目に入って来る光景。
 美少年に栗栖が圧し掛かっている。どこかで見たことのあるオメガ。そいつの栗栖を見上げる表情はうっとりとしたもので、まるで襲われることを望んでいるかのようだった。

「栗栖!」

 俺が声を上げた瞬間、オメガの服を掴んだまま耐え忍んでいるように見えていた栗栖の体がピクリとは反応する。ただ、反応したのは栗栖だけじゃなくて、オメガも当然俺に気付いて怒りを露わにした。

「おまえ! そのベータを捕まえろ!」
「何楽しそうなことやってんのかなぁ?」
「——水谷!? どうしてっ」

 水谷が俺に指示を出すように目線だけこちらに寄越した。それに従って俺は栗栖に駆け寄り、オメガから引きはがす。オメガは睨みつけてくるものの、俺を止めることも抵抗しようともしなかった。水谷のおかげらしい。

「栗栖、大丈夫か? ほら立てって」
「……ナツ、キ……」

 一刻も早くここから立ち去ろうと栗栖の腕を担ぐけど、思い通りには立ってくれず、そのまま——抱き締められた。唐突のことに呆気にとられたけど、じわりじわりと栗栖の少し高くなった体温が俺にうつって来て、栗栖の腕に抱かれているのだと実感した。不謹慎にも嬉しいと感じてしまった俺の心に拳骨をくらわして、栗栖をもう一度立たせようとする。でも、本人は動くつもりが全くないようだった。俺の力ではどうしようもない。微動だにしない栗栖が流石に不安になって顔を覗き込もうとするけど、それも遮られた。

「栗栖……?」
「……じっと、しろ」

 ぐっと引き寄せられて、栗栖が俺の肩に顔を埋める。首筋にかかる栗栖の吐息が熱い。ぞくぞくと背中を駆け上がるものがあるけど、俺はそれを必死に耐えた。

「な、早く逃げないと……」

 バクバクと高鳴る心臓を自分の声でごまかす。けど、「那月」と縋る様な声でもう一度呼ばれてしまえば、俺は肩の力を抜いて、恐る恐る栗栖の背中に腕を回すしかなかった。労わるような思いだった。
 電話を貰ってから、今まで栗栖は耐えてたんだ。あのオメガを襲わないように、必死に。俺にしたらたったの五分だけど、栗栖にはとてつもなく長い時間に感じられたかもしれない。しがみついてくる栗栖が何だか可愛く感じられた。

「お二人さん、イチャイチャしてないで、早くここから出るよ。いつまで経っても東弥のヒートが収まらない」

 ハッと顔を上げれば、聡一朗さんと黒いスーツの強面数人がその場を治めていた。こっち、と裏口らしきところに先導しながら聡一朗さんが上着を栗栖の頭に被せ、顔を寄せる。

「東弥、例のオメガはこちらで確保した。引き渡しはどうする?」
「……そっちに任せる。こっちに来たら殺処分だ」
「わかった。丁重に扱わせてもらう。あ、それと今回の件、ツケておくから」

 栗栖はチッと舌打ちした後、わかったと返し、それ以降は一言も発さなくなった。

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