ナッツに恋するナツの虫

仲間外れ

「水谷、栗栖が……」

　水谷と勇士の後を追って食堂へ向かっているとスマホが栗栖からの着信を告げた。丁度いいとあの日の事を聞こうとすれば、有無を言わせず「水谷に代われ」との命令が下され、俺は水谷を窺った。　

「栗栖？」
「ん、水谷にって」
「……わかった」

　スマホを差し出せば、眉間にしわを寄せたまま水谷は受け取り、俺を遠ざけるように数歩離れた。
　アルファとオメガしか分からない事情があるんだと思う。俺は間違いなくベータで栗栖に出逢わなければ、あちら側の世界を垣間見ることもなかった。けど、どうやってもその壁を越えることはできないし、越える度胸もない。
　水谷の背中を見守っていると、ほんの一分ほどで通話を切り、俺にスマホを返してきた。

「く、栗栖、なんて？」
「辻井にはぜーんぜん関係ない話だったよ。残念でしたー」
「何だよそれ。関係ないなら水谷に直接聞けばいいのに。あいつホントわけわかんねー」
「じゃあ、無視すればいいのに」
「え……ま、まぁそうなんだけど、断れないって言うか……あいつたまに優しいし……」
「はぁ？　栗栖が優しい？　辻井ってベータだし全く旨味がない相手でしょ？　そんなのヤりたいから餌撒いてるだけに決まってんじゃん」
「みーずーたーにー。おまえな、そう言うことはオブラートに包んで言えよ。薄々は俺だって感じてるし！　でも俺が優しくされてるって感じてるんだからそれでいいだろ」
「辻井君には栗栖が王子様かなんかに見えてんのかなー？　あいつはまだしも、あいつの周りはかなりクズいから気をつけなよー」
「……残念ナガラ体験済ミデストモ……」
「あ、そうなの？」
「そうだよ、完全におもちゃだよ」
「まー、そーだよねー。僕もそう思う」
「あのな！　そういう時は『そんなことないよ』ぐらい言えよ！」
「ごっめーん、僕嘘つけないしー」
「こっの！」

　俺が拳を上げれば、「辻井に殴られるー」と言いつつ駆けだす水谷。見目がいいし、一見弱そうに見えるから、端から見れば俺の方が悪者でしかなく……。じっとりとした眼差しを浴び、俺は慌てて水谷の後を追った。



　この日電話があったきり、栗栖からの連絡はぱったり途切れた。前も連絡が来なくなったことはあったし、またその内呼び出しがかかるだろうと思ってたけど、その日は半月経っても来なかった。
　水谷とは毎日のように一緒にいたけど、かのオメガのグループも俺に何かしてくるということはなく、平和な日常がただ過ぎていった。

「捨てられたねー」
「うっせ！」
「良かった良かった。僕もそろそろ辻井の子守りに飽きて来たところだし」

　水谷はそう毒吐きながらもいつもとは違い、立て肘でダルそうに溜息を吐いた。頬が若干上気してるようにも見えて反射的に水谷の額に手を当てると、はらわれることはなかったが水谷の俺を見る目つきが悪くなった。

「なにこの手」
「いや、熱でもあるのかと思って」

　じっと俺の顔を見ていた水谷はなぜか「おまえさぁ……」と呆れ顔で息を吐くと俺の手を退けて前髪を掻き上げた。

「……発情期ってわかる？」
「ああ……うん、まぁ。オメガ特有のやつだろ？　薬は？　飲むんだろ？」
「飲んでるけど多少は表に出てくるの」
「大丈夫かよ。見るからにしんどそうだし……なぁ、たぶん俺大丈夫だから帰れよ」

　オメガって言うのは不便だと思う。不便って言う言葉が適切かは分からないけど、ずっと薬を持ち歩いてるって言うし、一歩間違えれば襲われることもある。あの栗栖を見れば発情期のフェロモンにあてられたアルファも可哀想だとは思うけど、基本的に華奢なオメガは抵抗できずにただ強姦される。
　俺でさえ何もできずに犯されたわけだし。栗栖だったからよかったものの、相手が全く知らない人間だとしたらって考えただけでゾッとする。

「甘いな、辻井って」
「甘い？」
「そ、甘い。……でもそれが良いのかも」
「なに？　何がいいんだよ」
「なーんにもない。さ、お言葉に甘えて帰るけど、辻井も一緒だよ」
「んん？　一緒？　何が？」
「まだ一人にできないってこと。勇士にノート任せて帰るよ、ほら」
「帰るって……どこに？」

　俺の手を引いて立たせた水谷は、にこっと美しさを全面に出した笑みを顔に湛えて俺に言った。

「僕の家に決まってるでしょ」