ソーダ色の夏

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「おやすみ、友希」
「バイバイ」
「また明日、この時間に電話をするね。」
「うん」
パソコンの画面ごしに、小1の翠の妹が手を振っている。うん、安定に可愛い。翠もデレッとしている。夕食終わりのこの時間。ゆっくりと動く船に一時の安らぎを与えてくれる。妹の姿が見えなくなると、どこか寂しげな表情の翠。妹の友希と入れ違いのように、55くらいの歳で髪を後ろに束ねた女性が画面に映る。
「いつも、ありがとうございます。」
画面の右端の自分の顔が映るカメラに、頭頂部が見える。
「いえいえ、頑張ってくださいね。あ、そうそう、友希ちゃん、今日、絵を描いていて何でも夏休みのポスターだそうで。」
「見てみたいです」
おばさんは、乾かしている最中だというポスターを慎重に持ってくる。
「友希がこんな絵を、なんと言うか恥ずかしいです」
そこには、どこで覚えたのやら、各国のお金の単位がかかれている。€(ユーロ)とか$(ドル)とか₩(ウォン)とか£(ポンド)とか。そして、画用紙の真ん中で翠と友希と思われる人物が笑ってる。
「ハッハッハ、可愛いじゃないの。明日、褒めてあげて。友希ちゃん、毎日のように 翠はいつ帰ってきそう? って聞いてくるんですから」
「そうですか、ご迷惑をおかけしてしまって申し訳ありません。友希には、大体の日数を伝えたんですけどね。」
「ご迷惑だなんて、そんな。翠くんも良いお兄ちゃんしてるんだなって安心、安心。じゃぁ明日もよろしくね。」
「ハイ、こちらこそお願いします。おやすみなさい。」
「ハイハイ~、おやすみ」
パソコンを閉じる。グーッと伸びをする。
「友希ちゃんって本当に可愛いね」
紙皿の廃棄を終えた紅葉がそう言う。
「絵も上手だった。」
琥珀も頷いて、あの絵について褒める。
「いや~、でも、もっと稼がなくっちゃって、僕は思ったよ。友希の頭にも常にお金があるんだって思うとやっぱ、不自由な生活させてるのかな?って」
頭をポリポリと掻く。やっぱり、両親がいなくなってから寂しいだろうしなぁ。せめて、友希にはその時らしいことをして欲しいんだよな。そんな想いが兄として心のどこかにある。
「そういえば、何で、翠は妹と二人暮らししてたの?あ、紅葉。交代の時間だぜ」
急に声がしてふと振り替えると蒼士がいた。心臓に悪い男だ。紅葉は催促されるがまま操舵室に行く。
 翠は渋々話し始めた。
「僕は母を中3の時に、父を五年前に亡くしていてね。母が死んで初めの頃は、友希と親戚の家をたらい回しにされて、高校に入学してからは親戚の家も居られなくなって、友希はまだ幼いから預かるって親戚が出てきたんだけど、友希が僕と一緒じゃないと嫌だ!と反対するから、僕と友希、二人で暮らし始めたんだよ。」
シンと船内は静まる。数秒の沈黙を破るように琥珀が口を開く。
「そういうことだったんだね」
「お母さんも、生活が苦しくて保険とか入ってなかったみたいだし、自分は必ず入ろうって思ったよ。友希の為にも。」
「俺が翠の立場だったら耐えられないな。それなのに、翠は勉強をして、凄いよなぁ」
「貧乏だからって現実逃避するためにタバコ吸ったり、物を盗んだり、グレたりしても結局は自分の首を締めるだけ。だったら職場での信頼を得るためにも、真面目に勉強をして1つの分野でも詳しくなればそれはお金に繋がる道になるかもしれないし、学校でも成績優秀を維持していたら困ったときは本気で先生が解決策を考えてくれる。それに勉強をしている間は、空腹も紛れるしね。」
笑い顔を作る翠だが、この人物の真髄に触れることができたような気持ちになる。同い年の翠が蒼士にはやけに逞しく見える。
「琥珀も翠も凄すぎだよ」
声が知らぬ間に漏れていた。
 「蒼士は?蒼士はどうして、大学だけじゃなくてこんな旅にまで行こうと思ったの?あたしは親と離れて羽を伸ばしたかったから。翠は、妹のためでしょ。」
「俺は、最終的には紅葉が行くって言ったから。それに、なんかこういう冒険をしてみたくてさ。二人に比べたら大した理由はないけど。」
言っていて恥ずかしくなるくらいに安直な理由だった。それでも、二人はバカにすることなく「そっかぁ」と相槌をうつ。
「紅葉も、好きなんだな。こういうの。冒険みたいな」
琥珀が膝に手をついて前のめりになる。
「う~ん どーだろなぁ。多分、嫌いってことはないと思うんだけど。面白そうだしどう?みたいな感じで俺の事を誘ってきてさ。」
まぁ間違いではない。
「へぇ~」
「琥珀、なんだよその含みありげな相槌。」
「紅葉って、蒼士の事が好きだったりして!」
琥珀が蒼士のことを指差す。
「な、何でだよ。」
「こんな冒険紛いなことに誘うってことは、蒼士のことをそれなりに信頼してるってことでしょ?」
「言っとくけど、紅葉はまず俺の事を恋愛対象として認識してないから。そこはしっかり念押ししとく。」
蒼士の大正解。紅葉は蒼士のことを恋愛対象とは見ておらず、単なるお友達。幼馴染だからこそ恋愛対象とはかけ離れている。何でも言えてしまうがため誤解されるケースも、多いが。
「そうそう、僕、蒼士に紅葉の事で聞きたいことがあるんだけどさ」
「恋愛ネタ以外なら答える。」
「恋愛は関係ないよ。あのさ、何で、紅葉は数学を勉強しないのかなって。いつ見ても数学以外の教材をしているから。」
太平洋の上と言えども、大学が決まっていると言えども、高校生である以上勉強との縁は切っても切れない。世界で一番よく切れるナイフでも切れないだろう。そんなわけで、船内でも誰かが勉強中というのはよく見る光景だ。
「翠、そんなに紅葉に興味があるのか?」
翠の爪先に琥珀の爪先がぶつかる。正確に言うならば、琥珀が翠の爪先にぶつける という表現になるだろう。そんな机の下の出来事など、蒼士は汁ほども知らない。
「い!」
「翠?大丈夫か?」
「僕は大丈夫。ごめん琥珀。足が当たっちゃったみたいで」
翠は鈍感なのか?どこからどう見ても琥珀が当てに行ったけど。
「んで何だっけ?」
「紅葉が何で、数学をしないのかって話だろ?」
「そうだった、そうだった。悪いな翠、俺も知らない。苦手なんじゃない?」
「そういうものなのかい?」
「数学が苦手な人は多いからな。紅葉も、その一人なんだよ多分」
 本当は、何で紅葉が数学を嫌うのか知っているけど言いづらくて適当な理由をつけてしまった。

 確か、あれは小6の時だ。
紅葉は本当に算数(数学)の良くできる子だった。小6にして高校レベルの問題をスラスラと解いていた。
「解いてみれば?」
無茶振りをされて、どうにかして解こうと頑張ったことを覚えている。確か、連立方程式だったかな。結局、先生に手取り足取り教えてもらって解いたけど紅葉に負けた気がして悔しかった事を鮮明に覚えている。
 とにかく、紅葉は数学に本気で向き合っていた。好きだったのだろう。それも、常人を大きく上回るくらいに。ハーフ成人式の時の将来の夢には「数学者になる!!」と、書かれている。
 紅葉は、数学を駆使して自殺を止めたことがあった。「だから、生きた方が良い」どう証明したのかは分からない。でも、確かにその人その時は思い止まった。小学校からの帰り道、二人で帰っていたときの出来事だったから忘れないのだろう。
 それから、数日後、その人は自殺をしたそうだ。どこで知ったのかは思い出せない。それでも、まだ、信じられない。
「頑張ってみるよ。もう一回」
笑顔でそう言った人物が死んだんだ。紅葉はそれが相当なショックだったらしい。正義感が人一倍強いから尚更。それから、紅葉は数学から目を背けるようになった。
「結局、何の役にも立てなかった。人はさ、簡単にどんな式も、証明も覆せちゃう。だったら、きっと意味なんてないんだよ。数字にも答えにも。」
吐き捨てるように蒼士に言った。返す言葉も無いまま、役に立たなかったのは自分だ。と思うようになったけど、それを打ち明けたところで紅葉は楽にならないことくらい知っていた。
 紅葉は、それから弱音を絶対に吐かなくなり数学を完全に捨てた。紅葉の中で、数学への信頼が崩れた。「ここのxはこれだから、こっちの式に当てはめて。そしたら、この式は成立するって証明できるでしょ!」あんなに笑顔で言ってったのに。
 中学に入ってから数学が始まったけど、数学の授業の前は決まって保健室にいた。「数学、受けなくて良いのか?テストだってあるんだ」「そこで、点をとる」 本当に学年で唯一の満点を紅葉はとってしまった。先生らは、ノートも一切とらないくせに満点という結果に驚きを隠せなかった。それでも、どれだけ褒められても、評価されても、数学はもう一度好きにはなれなかった。それが今も続いているという状況だ。


  翌朝 蒼士はいつも通りの時間に起床する。二段ベッドの下に寝ているので、頭を打たないようにソーッと体を起こす。翠と琥珀が見張り、操縦をしている。
「おはよ」
「な、何で、起きてるんだ?」 
蒼士の顔は、お化けでの見たような顔だ。全くコイツは人をなんだと思っているのだ。
「蒼士、おはよう でしょ」
「お、おはよう、夢か?紅葉が起きてる」
紅葉は、とにかく二度寝が大好きな人で毎朝のように、朝御飯の直前になって目覚まし時計との勝負に決着をつける。
「寝ぼけてんの?」
「いや、しっかり目は覚めた。朝から勉強とは感心、感心。なんの教科?」
「数学」
スウガク こんな言葉が紅葉から出てくる日がもう一度来るとは。
「おぉぉ!紅葉、凄いよ!」
蒼士がやけに興奮している。
「蒼士、昨日さ琥珀たちに、紅葉は数学が苦手って言ったでしょ。聞こえてたんだからね。」
「だって、それは」
「気なんて使わなくて良いから。蒼士の想像は何となくわかるけどそれは、完全に思い違い。数学っていうのは難題にぶつかったら何日も考えないといけないからやってなかっただけだし。」
「ほへー、やっぱ紅葉は凄いな。俺が唯一敗けを認めてるだけあるわ」
「なにそれ」
クスッと紅葉は笑う。
「じゃ、今日は俺が朝飯作るわ。紅葉はそのまんま数学、やっといてくれよ」
「ありがと、優しいね。蒼士は」
「優しいとか関係ないでしょ。当たり前だよ」
フッと鼻で笑う。蒼士は干物を取りに出る。
「蒼士ー、おはよー」
「琥珀、おはよー!レアなことが起こったぜ、紅葉が起きてる」
甲板に出て、操舵室の方を見上げる。
「そーなんだ、今日は蒼士が朝御飯作るの?」
「紅葉は今、勉強中だからな。もうすぐ出来るし、降りてきて」
「りょーかーい」
操舵室と甲板までの直線距離は大したことないが、結構、声は聞き取りづらい。

 すぐに琥珀は降りてきた。翠も。あっという間に、朝御飯をたいらげて、また、1日が始まってしまった。甲板に出て今日の予定を確認する。
「今日は、10時頃から雨が降るとの予想がされている。だから、プールの用意を、俺と翠が。濡れたら困る物。洗濯物とか乾燥させてるのを中に入れるのを、紅葉と琥珀。」
自然と蒼士がリーダー的な役割を担う。
「はーい」
「よし、今日も頑張ろう!」
社会から切り離された太平洋の上。寄せ集めだけど、手を取り合いどーにかして頑張っている。皆、事情とか理由はバラバラでも今は、4人という1つの集団として生活している。少しは、変わってきただろうか。紅葉はそんなことを感じつつ、中央に出された3人の手に自分の手を重ね、「オー!」という蒼士の掛け声に合わせて手を上げる。


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