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二人の間
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激しい波に船酔いをする。急いで、甲板に出て、海に乗り出す。何度、繰り返したか分からない。低気圧が来ると、海をグーッと押し上げるようにうねるのだ。理由を知ったところで、この船酔いが収まるわけではない。紅葉から酔い止めを貰ったが、その効果も虚しい。
「翠、水だ。」
「あ、ありがとう。琥珀。」
濡れ鼠になった翠の上は、雨が止む。琥珀が、翠の身を案じて傘を差し、紙コップに水を入れて持ってきてくれた。24本も骨があり折れにくい傘だ。気を抜けば、飛ばされていきそうな風。傘で受ける風の重さも相当だろう。
「琥珀は、戻って。風邪をひくといけないから」
「大丈夫だよ。レインコートも着ているし。それに、ペアがこんなに辛そうなのに戻れない」
琥珀は、傘を使っても雨が吹き込んできて大して意味がないことに気付く。
「ポンチョみたいなのとってくる。しばらく、ここから動けそうにないんだろ?傘じゃ意味もなさそうだ」
翠の唇の色は明らかにおかしな色になっている。翠は無言でコクッと頷く。琥珀は急いで、ポンチョを取りに行き、翠に着させる。
「ごめん」
「いいよ。こんなに波があるのに船酔いしないわけないよ。」
優しく背中を撫でる琥珀。蒼士と紅葉は雨の中、慌ただしく作業をしている。そっちの方が、気分が紛れるからだそう。つまり、二人も船酔いしそうな気配を感じているということだ。
「あ、忘れてた!こういうときにおすすめのグッズ持ってきたんだった」
「船酔いの時?」
「うん、ポンチョを持ってきたときに一緒に取りに行けば良かった」
琥珀は翠の側を離れると、自分の鞄のなかを探り回す。そして、メガネの縁の中に半分ほど着色された液体の入ったレンズのないメガネを見つける。
その奇妙なメガネと、パソコンをキーボードとパット部分に分けて、パットのみ持ってくる。ちなみにパットは、濡れても大丈夫。
「このメガネをつけて、10分くらいこのパットでなんか見といたらきっと楽になってくるよ」
「ダメだよ。そんなの。手元のものを見ていると余計に酔いやすくなる。」
「このメガネをかけたらそうじゃないから」
雨の日の甲板の端っこでパットを持つのは危険なため、一応、甲板の真ん中らへんに移動する。
翠はひたすらにパットを見続けた。奇妙なメガネをかけたまま。蒼士も紅葉も、メガネを二度見したが、取り上げたりするような輩ではない。船の揺れに応じて着色された青色の液体が動く。
乗り物酔いが起こる原因は、視覚情報と体の向きや、揺れ。体が受ける重力など諸々が脳で処理しきれなかったときに起きる現象であり、どれかの情報を整理することで乗り物酔いはマシになる。琥珀が翠に渡したメガネは、中に液体が入っており、それが視界に入ることで人工的に作り出された水平を脳が認識することで乗り物酔いが楽になる。というメカニズムだ。遠くを眺めるのも、あまり遠くの景色は動かないから効果があるとされている。
ここまで考えられたところで、ようやく感覚がまともになってきたことが分かる。
「ありがとう。ちょっと、マシになったよ」
翠はずっと側にいてくれた琥珀にメガネとパットを返す。
「ムリするなよ。また、しんどくなったら、いつでも、あたしに言って」
琥珀は翠の顔を見ながら、背中をパンパンと叩く。翠はほんのりと笑みを浮かべて
「わかった。次からは、そうさせてもらうよ。でも、琥珀もしんどかったりしたら遠慮なく言って。僕でよければ力になるから。」
琥珀は真面目な顔つきでそう言う翠に笑ってしまう。
( 僕でよければなんて、翠ほど頼りにしてる奴は居ないよ。)
絶対に本人には言えないけど。内心そう思う。
「あ、若干、雨が弱まってきた」
「そうだね。傘で間に合いそうな雨足に変わってきた」
1時間後 雨は止んだ。
「蒼士!」
「紅葉!」
「まさか、蒼士と戦うことになるとは!」
紅葉は、手にグッと力をいれる。
「なめるなよ!俺の力を!」
蒼士はじわじわと紅葉に手を伸ばす。そして、目を細める。慎重に慎重に右か左か左か右か左手を動かす。紅葉はニヤニヤが止まらない。
「ポーカーフェイスだよ紅葉」
琥珀は紅葉の背中側に回る。
「頑張れ!蒼士」
翠は、蒼士の横から蒼士の応援。
琥珀と翠はすべてのカードを揃えて真ん中にだし終えた。琥珀が一番に上がった。翠も後を追うように次のターンでエースを揃えて終える。そして、あっちに行ったり、こっちに行ったり忙しなくジョーカーが二人の手元を行き来する。
「こっち!」
思い切りトランプを紅葉の手から引き抜く。
「やったー!蒼士がまた、ババ引いた」
「性格の悪い奴。人の不幸を喜びやがって」
蒼士はたった二枚のカードを10回くらい、腕を後ろに回して切る。
「紅葉、きちんとババを引いてくれ!」
紅葉がゆっくりと手を動かす。こっちの人も表情筋がゆるゆるでジョーカーに手がかかりそうになるとニタニタ。反対に行くとこの世の終わりみたいな顔をする。
「紅葉、よく蒼士の顔見てごらん。そしたら分かるよどっちがジョーカーか」
「右?」
「琥珀に聞くなんて邪道だ!」
「作戦、作戦」
紅葉は右?と聞いて琥珀が頷いたことを確認して、右のカードを選ぶ。カードにはハートの7
「あっがりぃー!ヤッッッター!」
「ずるだろ、今のは!もう一勝負!」
「僕が相手するよ。上手いこと負けてあげるから。」
翠は悪意なく真面目に提案する。蒼士は普通に勝負していては絶対に勝てないと踏んだからだ。まず、圧倒的な引き運の悪さ。そして、すぐに顔に出る。互角な戦いをできるのは、紅葉くらいだ。
「本気で結構!翠。今のは、運が悪かっただけだから。」
そこから、ババ抜きを連続で三戦。蒼士の完敗である。
見かねた琥珀は、翠に耳打ちで負けるように指示をする。
「負けるって言ったんだから、負けてあげないと。蒼士、クールを装う時があるけど、かなりの負けず嫌いなんだから。これ以上負けると、不機嫌になるよ」
「わかっているけど、どうしても勝っちゃうんだもん。」
「翠、それ、蒼士にとったら超嫌みだからね」
「あ、紅葉。そう言うつもりでいった訳じゃなかったんだけど。」
蒼士の中に怒りにも似た感情がフツフツと沸き上がる。
「3人とも好き勝手言ってるなぁ」
「地獄耳だ。」
紅葉が蒼士をキッと見る。
「地獄耳でなくても、聞こえるワイ!同じ所にいるんだから。紅葉が勝負に応じてくれてもいいんだぜ」
自分が勝てる可能性のある人を選ぶ。あくまで、勝つための作戦。
「えー、勝ち逃げしたいから嫌だ」
紅葉はカンカンと梯子をのぼって操舵室に行く。
「一体、何歳だよ」
「逆にババ抜きごときで何歳なんだよ?」
紅葉から返された言葉に、反論の余地なし。
あ、そうそう、説明が無かったがなぜ、トランプでババ抜きをしていたのかというと、風呂順を決めるためだけだった。くだらんことだが、この船では大事なこと。ただし、ババ抜きで決めようと提案したのが運のつきだったかも。蒼士は後悔。
蒼士は最後にお風呂で、水をザッバーと海に流してお風呂終了。
その日の夜のことだ。琥珀が衝撃なことを言う。
イケメンゲームをする。最近、4人がはまっているゲームだ。4人とも割りとゲームが好きなので結構盛り上がる。ゲームといっても、ゲーム機の持ち込み、スマホの持ち込みは禁止されているので、昼間にやったトランプや、オセロと、イケメンゲームを含むオリジナルゲーム。
「イケメンゲームいいね」
琥珀はこのゲームの覇者である。紅葉の提案に琥珀はのる。
「次は負けないからな」
「まーだ、昼間のことを根に持ってるわけ?」
「当たり前だ」
「蒼士、そこはあっさり認めるんだね」
「だって、こんなところで意地張ったところで紅葉にバカにされて終わるから。分かるだろ?翠も」
微妙に同意しにくい。返答に困る。
「また、翠を困らせるようなこと言って」
紅葉が母さんに見えてくるような雰囲気だ。
「ハハ、そろそろ始めようよ。イケメンゲーム」
翠はゲームを早くしよう。と催促する。
イケメンゲームというのは、アニメや漫画、ドラマや映画でありそうなイケメンセリフをいかにさらりと言ってみせるかというゲームだ。決着方法は、1人の評価する人を決めてその人が10点満点で点数をつけ、2回チャンスがあるので、いい方の点数が高い人が勝ち。というシンプルな内容。
「僕が点数の人やるね」
「オッケー」
「じゃぁ、始めるよ。まず、蒼士から」
はじめの1人はハードル高めだ。蒼士は、若干の恥じらいを感じつつ、大きく深呼吸をする。
「これ、一回目は恥ずいんだよなぁ」
学校ではこんなことは100%しないような男だが、やるようになるんだから面白い。
「ほら、やってよ」
紅葉が蒼士を見て、ちょっと笑う。
「分かってる、分かってる。言うから、ちゃーんと聞いといてくれよ翠。
俺が絶対、守ってやるよ!」
蒼士が「聞いといてくれよ翠」と言ってから、間をとって放った言葉に、3人は腹を抱えて笑う。眉毛をグッと寄せて男らしい、逞しい顔つきを作っていると本人は満足しているみたいだが、それが逆に滑稽だ。まるで、困った子供が強がっているみたいで。
「何点だ?翠」
「う~ん、7.6点」
「相変わらず、細かいな翠の採点は。でも、まずまずの滑り出しだよなぁ。ほら、次は紅葉だ」
「少なくとも、蒼士よりはいい点数になるといいな。」
蒼士は若干の顔の火照りを残しながら、紅葉に早くするように言う。そして、わざとらしく足を組む。
「そういうのいいからさっさとやってよ!」
「ちょっといつもと雰囲気変えるね。」
「なるほど、点数のつけ概があるよ。」
翠はグッと体を前に乗り出す。
「フッ、私が神の最高傑作です」
紅葉も言っている途中に吹き出しかけた。上斜め 45度。おでこに手をあてるながら。自分がこんなことを思い付けるとは。蒼士は、大きな口を開けて笑っている。
「確かに、いつもとは一味違った台詞だね。点数は、 6.4。面白かったけど、イケメンセリフかと聞かれると微妙かも」
そういいつつも、翠も笑っている。紅葉の横で、蒼士はガッツポーズ。
「琥珀だよ、次」
琥珀は、肩をグーッと伸ばす。本領発揮するために。
「じゃ、いくよ」
「うん」
「琥珀、頑張れ!」
紅葉は琥珀を応援する。
「君は、十分可愛いよ」
思わずにやけてしまいそうな台詞をさらりと言ってみせる。聞いている自分が、にやけてしまう。
「フゥー、さっすが琥珀。」
紅葉は琥珀に拍手を送る。
「何点?」
蒼士は今の台詞なんかよりも、自分が勝てそうかどうかのほうが気になっている様子。
「琥珀の点数は、9.1」
「やった!」
琥珀は、ガッツポーズ。
「どーにかすれば、どーにかなりそうな点数だな。次は、俺の二回目かぁ」
「頑張れぇ、蒼士」
「なんか、紅葉に応援されたところでやる気が漲るわけじゃないんだよなぁ」
「ひねくれてんの?」
間髪入れずに紅葉が蒼士の言葉に反応する。その反射的な速度は、鋭い突っ込みで人気の芸人にも勝る。今となっては、見慣れた光景の一部だ。
「ま、見とけよ。」
「蒼士、どうぞ」
翠が手で合図をする。蒼士はさっきと同じように深呼吸をする。そして、なんでそうなるのか他の人にはわからない「眉寄せ」をする。眉間にシワを寄せると言うよりも、左右の眉毛の距離を近づける。
「俺の側から離れんな!」
四人では密になる広さの生活エリアに、蒼士の声が響く。
「おぉ、さっきよりいいんじゃない?」
「マジ?琥珀」
蒼士の台詞はだいたい、男らしい男が言いそうな台詞。「守る系男子」とでも言おうか。強引さの中に、ぶれない軸のある主役級の人物が咄嗟の時に吐く台詞。
紅葉の順番が回ってきて、爆弾発言を投下からのホームランを放ったところで、琥珀の順番が回ってくる。紅葉はさっきの失敗を生かすことができず、ナルシストな言葉をチョイス。もはや、どこで耳にした台詞なのかそれすらも、検討つかないレベル。琥珀に至っては、笑いすぎて、喉が乾いたと、ペットボトルに入れてある今日作った水を口に含む。
「これ、なんか味があるみたいに感じる」
「気のせいだろ?今日は味付け濃いめだったし」
紅葉の方を蒼士が見るので、紅葉は目を何となく逸らす。何となくなどではなく、意図的に逸らした。
今日の夕食は、翠がつり上げた魚をすり身にして鍋っぽい感じで食べたのだが、水を使う行程で、間違えて海水を使ってしまったのだ。完全なミスにより、その海水を捨てて作り直したのだが、具材やすり身には海水が染みており、食べれるような味にはならなかった。
「まだ口の中に残ってたからかなぁ」
琥珀は首をかしげる。
「海水浴の時ってちょっと味が変わって感じることあるしそれと同じじゃないかな?」
翠も蒼士とにたようなことを言う。聞いていると、申し訳なくなってくる。
「ごめんね、みんな」
紅葉はペコッと謝る。
「あたしも一緒にやってたのに、気づかなかったんだし、気にしないで」
琥珀が席に戻ってくる。そこで、琥珀の様子がおかしいことに翠は気がついた。
「顔、赤いけど大丈夫?琥珀」
「大丈夫、大丈夫」
確かに、若干赤い気もするが、昨日は暑かったし、甲板に出てる時間も長かったから。と言えば、それくらいな感じ。琥珀は元より日焼けしているから、あんまり日焼けは目立たない。しかし、本人いわく火照るし、ちょっとピンク色になると言っていた。
「そっか。じゃぁ、次は琥珀から」
琥珀は、静かに目を4秒くらいつぶる。
そして、何を思ったのか、二段ベッドの下の方に腰を掛けている翠に近づくと、琥珀は翠に抱きつく。フワッと琥珀の香りが顔を覆う。肩に琥珀の顔を置き、優しく包み込まれてしまった翠。人生で経験したことのない感覚。自分も琥珀に手を回す。そんな、ことが出来るわけもなくされるがまま。翠は押し倒されそうになるがベッドに手をつき、どうにか耐える。ベットがキシッとわずかに音をたてる。
思わず、蒼士と紅葉は目を見開く。その二人以上に、驚いたのは他でもない翠。
「ちょっ、琥珀?こんなことをしても点数は上がらないよ」
「そこかよ!」
蒼士の言葉に同感だ。翠は、自分の右肩に置かれた琥珀の顔を横目で見る。体は微動だにしない。
「翠、」
「な、何?」
紅葉と蒼士は固唾を飲んで見守る。
「好きだ」
琥珀の声だけが、船内にゆっくりと響く。池に投じられた小石が作る波紋のように、ゆっくりと、それでいて確かな存在感を示す。一番近くで声を聞いた翠は、紅葉や蒼士が感じるドキドキとは別の意味でドキドキしていた。
「琥珀、気を確かにして」
その、翠の言い方でおかしいことに気がついた。
「琥珀、大丈夫?」
琥珀の肩を叩いて声をかける。
「寝てる?」
紅葉は耳を澄ます。すると、微かに寝息が聞こえる。
「翠、琥珀を支えながら自分の体を抜いて、このままここに寝かせるから。」
「う、うん。そうだね」
翠と紅葉はソーッと琥珀をベッドに寝かせる。それと同時くらいに、蒼士が二人に向かって、ペットボトルを見せる。
「これで、琥珀はあんな感じになったんだ。本みりん」
本みりんをペットボトルに移し変えて持ってきたのが悪かった。琥珀は、水と勘違いして飲んでいた。味が変だと言ったのに、4人とも気がつかなかった。今日は、午前中雨が降っていたので、水がいつもよりも多くあり、勘違いをしたのだろう。しかも運悪く、琥珀はお酒に弱かった。
「何か、病気とかそんなのじゃなくて安心したと言うべきかなぁ。」
「明日には、良くなっているかな」
「まぁ、未成年といえども小学生とかそんなんじゃないし、多分」
「一応、報告いれとくね」
「担当委員会にだな。頼む、紅葉」
一応、連絡をして本人の様子を伝えたところ、そのままにしてあげてください。ということだった。
「今日の夜の運転はは、3人で回そう。初めは、俺と紅葉が、時間が来たら、俺と翠。その次は、翠と紅葉。」
「それがいいね。賛成だよ。」
初めは、紅葉と蒼士。紅葉が舵を握り、蒼士が双眼鏡を覗く。
「琥珀、大丈夫ってことなんだよな。担当委員の人はそういってたんだよな。」
「うん、そのまま寝かせてって言ってたよ」
「そうか」
蒼士も安心しているようだ。
「しっかしなぁ、まさか、琥珀が翠の事を好きだなんて一ミリも分からなかった」
紅葉はうっすら気づいていた。翠の事を気にかけていると言うか、距離が近いと言うか。
「酔った勢いで言ったのかもよ。イケメンゲームしてたし」
気づいていたとしても、あやふやに言うのが無難。蒼士はデリカシーに欠けた発言を意図せず、ポロッと言う男だから。
「それでも、そんな簡単に、好きとかって言う言葉なのか?」
「酔ったことないし知ーらない」
「俺なら、心に決めた人にしか言えないな」
サラッと自然にそんなことを言える男だったのか。顔には出さないが紅葉はちょっぴり驚いた。
「まぁ、蒼士は冗談でもそんなこと言えなさそうだもんね」
「なんだよそれ。でも、これキッカケで二人の距離が近づいたら面白いよな」
「面白いって…」
確かに、心のなかではリアル青春ドラマを間近で見れるのかな?と思ったが、そんな話があるわけないと自分で否定する。でも、もしかすると、もしかするのか?
生活エリアでは、翠が薄いタオルケットを琥珀にかけていた。柔らかいさわり心地のタオルケットで、色は水色。お腹回りに掛けてあげたそれは、空気をまとい優しく、琥珀の体に馴染んでいくようだ。
「おやすみなさい。」
返事はないが、翠はうっすらと笑顔を浮かべた。琥珀の整った横顔が、いつにもまして輝きを帯びている。そんな風に感じるのだ。
「翠、水だ。」
「あ、ありがとう。琥珀。」
濡れ鼠になった翠の上は、雨が止む。琥珀が、翠の身を案じて傘を差し、紙コップに水を入れて持ってきてくれた。24本も骨があり折れにくい傘だ。気を抜けば、飛ばされていきそうな風。傘で受ける風の重さも相当だろう。
「琥珀は、戻って。風邪をひくといけないから」
「大丈夫だよ。レインコートも着ているし。それに、ペアがこんなに辛そうなのに戻れない」
琥珀は、傘を使っても雨が吹き込んできて大して意味がないことに気付く。
「ポンチョみたいなのとってくる。しばらく、ここから動けそうにないんだろ?傘じゃ意味もなさそうだ」
翠の唇の色は明らかにおかしな色になっている。翠は無言でコクッと頷く。琥珀は急いで、ポンチョを取りに行き、翠に着させる。
「ごめん」
「いいよ。こんなに波があるのに船酔いしないわけないよ。」
優しく背中を撫でる琥珀。蒼士と紅葉は雨の中、慌ただしく作業をしている。そっちの方が、気分が紛れるからだそう。つまり、二人も船酔いしそうな気配を感じているということだ。
「あ、忘れてた!こういうときにおすすめのグッズ持ってきたんだった」
「船酔いの時?」
「うん、ポンチョを持ってきたときに一緒に取りに行けば良かった」
琥珀は翠の側を離れると、自分の鞄のなかを探り回す。そして、メガネの縁の中に半分ほど着色された液体の入ったレンズのないメガネを見つける。
その奇妙なメガネと、パソコンをキーボードとパット部分に分けて、パットのみ持ってくる。ちなみにパットは、濡れても大丈夫。
「このメガネをつけて、10分くらいこのパットでなんか見といたらきっと楽になってくるよ」
「ダメだよ。そんなの。手元のものを見ていると余計に酔いやすくなる。」
「このメガネをかけたらそうじゃないから」
雨の日の甲板の端っこでパットを持つのは危険なため、一応、甲板の真ん中らへんに移動する。
翠はひたすらにパットを見続けた。奇妙なメガネをかけたまま。蒼士も紅葉も、メガネを二度見したが、取り上げたりするような輩ではない。船の揺れに応じて着色された青色の液体が動く。
乗り物酔いが起こる原因は、視覚情報と体の向きや、揺れ。体が受ける重力など諸々が脳で処理しきれなかったときに起きる現象であり、どれかの情報を整理することで乗り物酔いはマシになる。琥珀が翠に渡したメガネは、中に液体が入っており、それが視界に入ることで人工的に作り出された水平を脳が認識することで乗り物酔いが楽になる。というメカニズムだ。遠くを眺めるのも、あまり遠くの景色は動かないから効果があるとされている。
ここまで考えられたところで、ようやく感覚がまともになってきたことが分かる。
「ありがとう。ちょっと、マシになったよ」
翠はずっと側にいてくれた琥珀にメガネとパットを返す。
「ムリするなよ。また、しんどくなったら、いつでも、あたしに言って」
琥珀は翠の顔を見ながら、背中をパンパンと叩く。翠はほんのりと笑みを浮かべて
「わかった。次からは、そうさせてもらうよ。でも、琥珀もしんどかったりしたら遠慮なく言って。僕でよければ力になるから。」
琥珀は真面目な顔つきでそう言う翠に笑ってしまう。
( 僕でよければなんて、翠ほど頼りにしてる奴は居ないよ。)
絶対に本人には言えないけど。内心そう思う。
「あ、若干、雨が弱まってきた」
「そうだね。傘で間に合いそうな雨足に変わってきた」
1時間後 雨は止んだ。
「蒼士!」
「紅葉!」
「まさか、蒼士と戦うことになるとは!」
紅葉は、手にグッと力をいれる。
「なめるなよ!俺の力を!」
蒼士はじわじわと紅葉に手を伸ばす。そして、目を細める。慎重に慎重に右か左か左か右か左手を動かす。紅葉はニヤニヤが止まらない。
「ポーカーフェイスだよ紅葉」
琥珀は紅葉の背中側に回る。
「頑張れ!蒼士」
翠は、蒼士の横から蒼士の応援。
琥珀と翠はすべてのカードを揃えて真ん中にだし終えた。琥珀が一番に上がった。翠も後を追うように次のターンでエースを揃えて終える。そして、あっちに行ったり、こっちに行ったり忙しなくジョーカーが二人の手元を行き来する。
「こっち!」
思い切りトランプを紅葉の手から引き抜く。
「やったー!蒼士がまた、ババ引いた」
「性格の悪い奴。人の不幸を喜びやがって」
蒼士はたった二枚のカードを10回くらい、腕を後ろに回して切る。
「紅葉、きちんとババを引いてくれ!」
紅葉がゆっくりと手を動かす。こっちの人も表情筋がゆるゆるでジョーカーに手がかかりそうになるとニタニタ。反対に行くとこの世の終わりみたいな顔をする。
「紅葉、よく蒼士の顔見てごらん。そしたら分かるよどっちがジョーカーか」
「右?」
「琥珀に聞くなんて邪道だ!」
「作戦、作戦」
紅葉は右?と聞いて琥珀が頷いたことを確認して、右のカードを選ぶ。カードにはハートの7
「あっがりぃー!ヤッッッター!」
「ずるだろ、今のは!もう一勝負!」
「僕が相手するよ。上手いこと負けてあげるから。」
翠は悪意なく真面目に提案する。蒼士は普通に勝負していては絶対に勝てないと踏んだからだ。まず、圧倒的な引き運の悪さ。そして、すぐに顔に出る。互角な戦いをできるのは、紅葉くらいだ。
「本気で結構!翠。今のは、運が悪かっただけだから。」
そこから、ババ抜きを連続で三戦。蒼士の完敗である。
見かねた琥珀は、翠に耳打ちで負けるように指示をする。
「負けるって言ったんだから、負けてあげないと。蒼士、クールを装う時があるけど、かなりの負けず嫌いなんだから。これ以上負けると、不機嫌になるよ」
「わかっているけど、どうしても勝っちゃうんだもん。」
「翠、それ、蒼士にとったら超嫌みだからね」
「あ、紅葉。そう言うつもりでいった訳じゃなかったんだけど。」
蒼士の中に怒りにも似た感情がフツフツと沸き上がる。
「3人とも好き勝手言ってるなぁ」
「地獄耳だ。」
紅葉が蒼士をキッと見る。
「地獄耳でなくても、聞こえるワイ!同じ所にいるんだから。紅葉が勝負に応じてくれてもいいんだぜ」
自分が勝てる可能性のある人を選ぶ。あくまで、勝つための作戦。
「えー、勝ち逃げしたいから嫌だ」
紅葉はカンカンと梯子をのぼって操舵室に行く。
「一体、何歳だよ」
「逆にババ抜きごときで何歳なんだよ?」
紅葉から返された言葉に、反論の余地なし。
あ、そうそう、説明が無かったがなぜ、トランプでババ抜きをしていたのかというと、風呂順を決めるためだけだった。くだらんことだが、この船では大事なこと。ただし、ババ抜きで決めようと提案したのが運のつきだったかも。蒼士は後悔。
蒼士は最後にお風呂で、水をザッバーと海に流してお風呂終了。
その日の夜のことだ。琥珀が衝撃なことを言う。
イケメンゲームをする。最近、4人がはまっているゲームだ。4人とも割りとゲームが好きなので結構盛り上がる。ゲームといっても、ゲーム機の持ち込み、スマホの持ち込みは禁止されているので、昼間にやったトランプや、オセロと、イケメンゲームを含むオリジナルゲーム。
「イケメンゲームいいね」
琥珀はこのゲームの覇者である。紅葉の提案に琥珀はのる。
「次は負けないからな」
「まーだ、昼間のことを根に持ってるわけ?」
「当たり前だ」
「蒼士、そこはあっさり認めるんだね」
「だって、こんなところで意地張ったところで紅葉にバカにされて終わるから。分かるだろ?翠も」
微妙に同意しにくい。返答に困る。
「また、翠を困らせるようなこと言って」
紅葉が母さんに見えてくるような雰囲気だ。
「ハハ、そろそろ始めようよ。イケメンゲーム」
翠はゲームを早くしよう。と催促する。
イケメンゲームというのは、アニメや漫画、ドラマや映画でありそうなイケメンセリフをいかにさらりと言ってみせるかというゲームだ。決着方法は、1人の評価する人を決めてその人が10点満点で点数をつけ、2回チャンスがあるので、いい方の点数が高い人が勝ち。というシンプルな内容。
「僕が点数の人やるね」
「オッケー」
「じゃぁ、始めるよ。まず、蒼士から」
はじめの1人はハードル高めだ。蒼士は、若干の恥じらいを感じつつ、大きく深呼吸をする。
「これ、一回目は恥ずいんだよなぁ」
学校ではこんなことは100%しないような男だが、やるようになるんだから面白い。
「ほら、やってよ」
紅葉が蒼士を見て、ちょっと笑う。
「分かってる、分かってる。言うから、ちゃーんと聞いといてくれよ翠。
俺が絶対、守ってやるよ!」
蒼士が「聞いといてくれよ翠」と言ってから、間をとって放った言葉に、3人は腹を抱えて笑う。眉毛をグッと寄せて男らしい、逞しい顔つきを作っていると本人は満足しているみたいだが、それが逆に滑稽だ。まるで、困った子供が強がっているみたいで。
「何点だ?翠」
「う~ん、7.6点」
「相変わらず、細かいな翠の採点は。でも、まずまずの滑り出しだよなぁ。ほら、次は紅葉だ」
「少なくとも、蒼士よりはいい点数になるといいな。」
蒼士は若干の顔の火照りを残しながら、紅葉に早くするように言う。そして、わざとらしく足を組む。
「そういうのいいからさっさとやってよ!」
「ちょっといつもと雰囲気変えるね。」
「なるほど、点数のつけ概があるよ。」
翠はグッと体を前に乗り出す。
「フッ、私が神の最高傑作です」
紅葉も言っている途中に吹き出しかけた。上斜め 45度。おでこに手をあてるながら。自分がこんなことを思い付けるとは。蒼士は、大きな口を開けて笑っている。
「確かに、いつもとは一味違った台詞だね。点数は、 6.4。面白かったけど、イケメンセリフかと聞かれると微妙かも」
そういいつつも、翠も笑っている。紅葉の横で、蒼士はガッツポーズ。
「琥珀だよ、次」
琥珀は、肩をグーッと伸ばす。本領発揮するために。
「じゃ、いくよ」
「うん」
「琥珀、頑張れ!」
紅葉は琥珀を応援する。
「君は、十分可愛いよ」
思わずにやけてしまいそうな台詞をさらりと言ってみせる。聞いている自分が、にやけてしまう。
「フゥー、さっすが琥珀。」
紅葉は琥珀に拍手を送る。
「何点?」
蒼士は今の台詞なんかよりも、自分が勝てそうかどうかのほうが気になっている様子。
「琥珀の点数は、9.1」
「やった!」
琥珀は、ガッツポーズ。
「どーにかすれば、どーにかなりそうな点数だな。次は、俺の二回目かぁ」
「頑張れぇ、蒼士」
「なんか、紅葉に応援されたところでやる気が漲るわけじゃないんだよなぁ」
「ひねくれてんの?」
間髪入れずに紅葉が蒼士の言葉に反応する。その反射的な速度は、鋭い突っ込みで人気の芸人にも勝る。今となっては、見慣れた光景の一部だ。
「ま、見とけよ。」
「蒼士、どうぞ」
翠が手で合図をする。蒼士はさっきと同じように深呼吸をする。そして、なんでそうなるのか他の人にはわからない「眉寄せ」をする。眉間にシワを寄せると言うよりも、左右の眉毛の距離を近づける。
「俺の側から離れんな!」
四人では密になる広さの生活エリアに、蒼士の声が響く。
「おぉ、さっきよりいいんじゃない?」
「マジ?琥珀」
蒼士の台詞はだいたい、男らしい男が言いそうな台詞。「守る系男子」とでも言おうか。強引さの中に、ぶれない軸のある主役級の人物が咄嗟の時に吐く台詞。
紅葉の順番が回ってきて、爆弾発言を投下からのホームランを放ったところで、琥珀の順番が回ってくる。紅葉はさっきの失敗を生かすことができず、ナルシストな言葉をチョイス。もはや、どこで耳にした台詞なのかそれすらも、検討つかないレベル。琥珀に至っては、笑いすぎて、喉が乾いたと、ペットボトルに入れてある今日作った水を口に含む。
「これ、なんか味があるみたいに感じる」
「気のせいだろ?今日は味付け濃いめだったし」
紅葉の方を蒼士が見るので、紅葉は目を何となく逸らす。何となくなどではなく、意図的に逸らした。
今日の夕食は、翠がつり上げた魚をすり身にして鍋っぽい感じで食べたのだが、水を使う行程で、間違えて海水を使ってしまったのだ。完全なミスにより、その海水を捨てて作り直したのだが、具材やすり身には海水が染みており、食べれるような味にはならなかった。
「まだ口の中に残ってたからかなぁ」
琥珀は首をかしげる。
「海水浴の時ってちょっと味が変わって感じることあるしそれと同じじゃないかな?」
翠も蒼士とにたようなことを言う。聞いていると、申し訳なくなってくる。
「ごめんね、みんな」
紅葉はペコッと謝る。
「あたしも一緒にやってたのに、気づかなかったんだし、気にしないで」
琥珀が席に戻ってくる。そこで、琥珀の様子がおかしいことに翠は気がついた。
「顔、赤いけど大丈夫?琥珀」
「大丈夫、大丈夫」
確かに、若干赤い気もするが、昨日は暑かったし、甲板に出てる時間も長かったから。と言えば、それくらいな感じ。琥珀は元より日焼けしているから、あんまり日焼けは目立たない。しかし、本人いわく火照るし、ちょっとピンク色になると言っていた。
「そっか。じゃぁ、次は琥珀から」
琥珀は、静かに目を4秒くらいつぶる。
そして、何を思ったのか、二段ベッドの下の方に腰を掛けている翠に近づくと、琥珀は翠に抱きつく。フワッと琥珀の香りが顔を覆う。肩に琥珀の顔を置き、優しく包み込まれてしまった翠。人生で経験したことのない感覚。自分も琥珀に手を回す。そんな、ことが出来るわけもなくされるがまま。翠は押し倒されそうになるがベッドに手をつき、どうにか耐える。ベットがキシッとわずかに音をたてる。
思わず、蒼士と紅葉は目を見開く。その二人以上に、驚いたのは他でもない翠。
「ちょっ、琥珀?こんなことをしても点数は上がらないよ」
「そこかよ!」
蒼士の言葉に同感だ。翠は、自分の右肩に置かれた琥珀の顔を横目で見る。体は微動だにしない。
「翠、」
「な、何?」
紅葉と蒼士は固唾を飲んで見守る。
「好きだ」
琥珀の声だけが、船内にゆっくりと響く。池に投じられた小石が作る波紋のように、ゆっくりと、それでいて確かな存在感を示す。一番近くで声を聞いた翠は、紅葉や蒼士が感じるドキドキとは別の意味でドキドキしていた。
「琥珀、気を確かにして」
その、翠の言い方でおかしいことに気がついた。
「琥珀、大丈夫?」
琥珀の肩を叩いて声をかける。
「寝てる?」
紅葉は耳を澄ます。すると、微かに寝息が聞こえる。
「翠、琥珀を支えながら自分の体を抜いて、このままここに寝かせるから。」
「う、うん。そうだね」
翠と紅葉はソーッと琥珀をベッドに寝かせる。それと同時くらいに、蒼士が二人に向かって、ペットボトルを見せる。
「これで、琥珀はあんな感じになったんだ。本みりん」
本みりんをペットボトルに移し変えて持ってきたのが悪かった。琥珀は、水と勘違いして飲んでいた。味が変だと言ったのに、4人とも気がつかなかった。今日は、午前中雨が降っていたので、水がいつもよりも多くあり、勘違いをしたのだろう。しかも運悪く、琥珀はお酒に弱かった。
「何か、病気とかそんなのじゃなくて安心したと言うべきかなぁ。」
「明日には、良くなっているかな」
「まぁ、未成年といえども小学生とかそんなんじゃないし、多分」
「一応、報告いれとくね」
「担当委員会にだな。頼む、紅葉」
一応、連絡をして本人の様子を伝えたところ、そのままにしてあげてください。ということだった。
「今日の夜の運転はは、3人で回そう。初めは、俺と紅葉が、時間が来たら、俺と翠。その次は、翠と紅葉。」
「それがいいね。賛成だよ。」
初めは、紅葉と蒼士。紅葉が舵を握り、蒼士が双眼鏡を覗く。
「琥珀、大丈夫ってことなんだよな。担当委員の人はそういってたんだよな。」
「うん、そのまま寝かせてって言ってたよ」
「そうか」
蒼士も安心しているようだ。
「しっかしなぁ、まさか、琥珀が翠の事を好きだなんて一ミリも分からなかった」
紅葉はうっすら気づいていた。翠の事を気にかけていると言うか、距離が近いと言うか。
「酔った勢いで言ったのかもよ。イケメンゲームしてたし」
気づいていたとしても、あやふやに言うのが無難。蒼士はデリカシーに欠けた発言を意図せず、ポロッと言う男だから。
「それでも、そんな簡単に、好きとかって言う言葉なのか?」
「酔ったことないし知ーらない」
「俺なら、心に決めた人にしか言えないな」
サラッと自然にそんなことを言える男だったのか。顔には出さないが紅葉はちょっぴり驚いた。
「まぁ、蒼士は冗談でもそんなこと言えなさそうだもんね」
「なんだよそれ。でも、これキッカケで二人の距離が近づいたら面白いよな」
「面白いって…」
確かに、心のなかではリアル青春ドラマを間近で見れるのかな?と思ったが、そんな話があるわけないと自分で否定する。でも、もしかすると、もしかするのか?
生活エリアでは、翠が薄いタオルケットを琥珀にかけていた。柔らかいさわり心地のタオルケットで、色は水色。お腹回りに掛けてあげたそれは、空気をまとい優しく、琥珀の体に馴染んでいくようだ。
「おやすみなさい。」
返事はないが、翠はうっすらと笑顔を浮かべた。琥珀の整った横顔が、いつにもまして輝きを帯びている。そんな風に感じるのだ。
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