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1巻

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「お、お邪魔します……わ、わあ……」

 部屋の中に入ったテレサは、再び声をあげてしまう。廊下からは死角になっていて見えなかったのだが、壁際に大きな本棚があり、そこには見たこともないような古くて分厚い本がぎっしりと詰まっていたからだ。ただ、背表紙を見た限りではなんの本なのかさっぱりわからなかった。

「何これ……異国語……?」
「その並びにあるのは古代語の本」
「へ、へえ。古代語……な、なるほどね……」

 魔術師が唱える呪文に使われている言語というやつだろうか。テレサにはまったく読めなかったが。
 エリオットは本棚の上のほうを指さした。スッと長く伸びた綺麗な指に、一瞬見惚れてしまう。

「上の段にあるのが、異国語の本」
「……えっ? あ、ああ。はい。はいはい、異国語の本ね」

 テレサは慌てて上のほうに視線をやる。読めないけれど、使われている文字には見覚えがある。たしかに異国語の本のようだ。それからもう一度エリオットの手を見る。大きくて美しい手だが、騎士団長の手としてはいただけないと思う。

「あなたはここにある本、全部読んだわけ?」
「全部じゃないけど、だいたいはね」

 エリオットは、中央にある大きなテーブルに向き直る。そこには蒸留装置のようなものが置いてあり、彼は装置にかけられていたビーカーを手に取った。それは淡いピンクの光を放っていて、ビーカーが揺れるとピンクの光も幻想的に揺れる。

「わ、綺麗!」

 ついつい口をついて出てしまったセリフだが、テレサはエリオットを褒めに来たのではない。偵察をしに来たのだと、本来の目的を思い出した。

「それ、魔法で作ったわけ? 何かの薬?」

 そういえばマルコムはエリオットに怪我を治してもらったと言っていた。怪我の治療に使うものなのだろうか? それともこの液体を武器にかけると強化されるとか……? テレサが質問を口にすると、エリオットは頷いた。だが彼の答えはテレサが考えもしないことだった。

「いま、悪党を無力化させる魔法薬の開発をしてるんだ」
「悪党を、無力化……?」
「うん」

 エリオットは手にしているビーカーを揺らした。ともなって、ぽわぽわとした淡い光がテレサの周囲を舞うように揺れる。思わず見入りそうになる。

「巡回に出るとき、騎士たちは必ず二人以上で行動してるけど、それでも人手が足りなくなる場合はあるだろう?」
「え、ええ。まあ」

 相手も二人以上だったり、意外にすばしっこかったりして、応援を呼んでいるうちに逃げられてしまうことがある。捕まえたとしても激しく暴れられて、なかなか縄をかけられないことも多い。

「そこで悪党に魔法薬をかける。すると……」
「すると……?」
「魔法薬をかけた騎士から悪党が逃げようとすれば、身体の力が抜けて動けなくなる……そういう効果のあるものを作りたいんだ。完成したら、小瓶に入れて持ち歩けるようにしたいと考えてる」
「へえ……」

 そんな便利な薬があったら、捕まえる側は気力体力を削られることもないし、怪我のリスクもぐっと減るだろう。
 なるほど。エリオットは騎士と同じように鍛錬たんれんしたりはしないが、魔術師なりのやり方で騎士団に貢献しようとしているのだ。たしかにこれは魔術師の騎士団長にしかできないことかもしれない。
 ちょっと感心しそうになったが、テレサは心の中で「違う違う!」と唱えた。
 自分はまだエリオットを認めたわけじゃない。

「ま、まあ、わりと便利なんじゃない? そんな薬が作れたらの話だけど」
「まだ開発段階だけど、そのうち完成するよ」
「ふ、ふうん。ずいぶんと簡単そうに言うのね」
「そうだね。君たち騎士にとっては難しそうに思えるかもしれないけれど」
「…………」

 なんだろうその言い方は。
「君たち騎士はバカだから理解できないかもしれないけれど、優秀な魔術師にとっては難しいことじゃないんだ」とでも、そう言いたいように聞こえる。
 思えば、エリオットはテレサを簡単にこの部屋に招き入れた。しかも彼の説明はすごくわかりやすかった。まるで大人が職場見学にやってきた子どもに説明しているみたいで、魔法に縁のないテレサでもなんとなくわかるような気がして、ちょっとだけ興味を持つことができたのだ。それこそ職場見学にやってきた子どものように。
 ……もしかして私、めちゃくちゃバカにされてる?
 そう気づいたら、カーッと頭に血が上ったような気がした。

「あ、あのねえ。あなたねえ……仮にも騎士団長なのに、そういう――」

 心構えで団員に接していいわけ? そう言おうとしてエリオットに詰め寄ったのだが、落ち着いた様子で彼は口にした。

「そこ、段差があるよ」
「えっ? うわあっ⁉」

 彼の言葉はほんの少し遅かった。足を踏み外したテレサはがくんとつんのめるようにエリオットに激突する。

「おっと」

 ふわっと石鹸の香りが漂ったかと思うと、彼はテレサが転ばないように支えてくれていた。けっこうな勢いでぶつかってしまったのだが、エリオットがよろめいたりすることはなかった。それに彼の胸は見た目よりもずっと広い――

「あ、ああありがと……」

 彼の意外なたくましさにテレサは動揺し、ぎくしゃくとしながら身体を離した。そのとき、自分の肩のあたりが濡れていることに気づく。

「ん? 何これ……」
「ごめん。薬、かかっちゃった」

 彼はそう言いながら空っぽのビーカーを蒸留装置の傍に戻す。
 そうだ。彼はピンクの液体が入ったビーカーを持っていたのだ。テレサがぶつかった際――あるいは彼がテレサを支えるときに――中身がこぼれてしまったのだろう。
 エリオットは中身のないビーカーとテレサを見比べる。非常に険しい表情だった。

「これは……まずいな……大丈夫?」
「貴重な薬だったんでしょう? ごめんなさい……」
「いや。貴重っていうか……開発段階の薬だよ」
「ああ、そうそう。ええと、なんの薬だっけ?」
「悪党を無力化させる薬……大丈夫? 痛いとか、具合が悪いとかはない?」

 彼は心配そうにこちらを見つめている。普段の彼は世間を斜めから見ているようなどこか冷めた表情で、そこがテレサの反発心を煽っていた。だが真剣なまなざしのエリオットに、彼がものすごく美男子だということに気づいてしまった。意図せぬ接触に続いてそんな表情を見せられてはますます動揺するではないか……
 無力化って、もしかしてこういうこと……?
 一瞬そう思ったが悪党をこんな気分にさせてどうする。それに痛くもないし、具合が悪くもない。
 テレサはいまの気分をごまかすように濡れた部分に触れた。制服に染み込んだ液体は、皮膚にも伝わってきている。

「へ、平気。濡れたところが気持ち悪いだけ。私、着替えてくる!」
「待って。しばらくじっとして様子を見たほうがいい」

 エリオットは引きとめようとしたがテレサは手をひらひらと振った。

「大丈夫よ。第一私、悪党じゃないしね!」
「あっ、おい……」

 彼の制止を振り切るようにして、テレサは研究室をあとにしたのだった。


「着替え、着替え……」

 テレサは火照った頬を手で扇ぎながら、大股で廊下を進む。急ぎ足なのは、早く着替えたいからである。エリオットが意外とたくましかったとか、よく見るとかなりの美男子だったとか、しかもけっこう自分好みだったとか、そういうことで焦っているわけではない。決して。
 階段に辿り着いたが、まだ顔が熱い気がする。テレサは制服のシャツの胸元をつかむと、ばたばたと風を入れるようにして扇いだ。
 一段目の階段に足をつくと、くにゃりと膝が折れる。

「あっ……あれ……?」

 壁に手をついて身体を支えながら、テレサは首を傾げた。
 おかしい。地下の空気はひんやりしているのに、顔は熱くなるばかりだ。いや、顔どころか身体中が火照っている。それに、足の間がムズムズしているような。

「な、何、これ……?」

 もう一段上ろうとしたが、ついに身体を支えきれなくなって、テレサは階段に手をついた。

「ぅああ……」

 身体に力が入らないくせに、足の間のムズムズはやたらと主張している。しかも、下着が潤うような感覚まであった。

「はぅ……」

 ムズムズをどうにかしたくて空いたほうの手でその場所を押さえようとしたが、一度でもそこに触れてしまったら、獣じみた行動に出てしまうような気がした。何よりここは詰所つめしょの地下である。すぐ近くにはエリオットが、一階には騎士団の皆がいる。こんな場所でおかしなことをするわけにはいかない。
 テレサはなけなしの理性をかき集め、膝を擦り合わせるようにした。片手を階段について、前のめりになって、膝をもじもじさせているいまの自分は、きっとものすごく滑稽だ。
 早く一人になりたい――そう思うのに、身体が動かない。うような姿勢のままなんとか階段を上ろうとすると、足の間のムズムズはジンジンに変化した。

「ふっ……うぅ……」

 再度片手を下腹部に伸ばしかけたとき――

「テリー‼」

 研究室のほうからエリオットの声がして、靴音が近づいてくる。彼はテレサのもとまでやってくると、ぼそりと呟いた。

「やっぱり……これは、まずいな……」

 そう。自分は非常にまずい状態だ。よくわかっているではないか。それがわかっているのなら、こっちに来ないでほしい。早く一人にしてほしい。
 テレサはいまの気持ちを目で訴えようとして、階段にいつくばったままエリオットを見あげた。だがテレサの気持ちは伝わらなかった。

「立てる?」

 彼はテレサの肘をつかんで起きあがらせようとしたのだから。
 エリオットを振り切りたいが力が入らない。それに服と肌の擦れる感触が、じれったい刺激となってテレサの全身を駆け抜ける。足の間の潤いは増す一方だ。

「う、うぁあ……」

 テレサは膝をもじもじさせたまま、再び座り込みそうになる。
 エリオットはテレサの肘を支えたまま無言でいたが、やがて口を開いた。

「それ……トイレを我慢してるんじゃないよね?」

 たしかにいまの自分はそう見えるかもしれない。テレサはなんとか「違う」と答える。答えたあとで「じゃあなんて説明するの? 『漏れそう』ってことにしといたほうがよかったんじゃない?」と思った。でも、だんだんと考えるのが面倒くさくなってきた。とにかく早く一人になって、獣みたいに振る舞いたい――考えられるのはそれだけだ。
 するとエリオットはふうと小さく息を吐き、それからテレサを自分の肩に担ぎあげた。

「えっ……?」
「……解呪薬かいじゅやくはまだない……けど、抜けば楽になると思う。一時的にだけどね」
「んっ……く、……」

 ひょっとして、このおかしな症状はエリオットの薬がかかったせいなのだろうか?
 でも「抜けば楽になる」ってなんだろう? ……薬を抜くってこと? 「解呪薬かいじゅやくはまだない」って言ってなかった?
 朦朧とした頭にいくつか疑問が浮かんだが、身体が揺れるたびにすべての産毛が逆立つような快感が走る。

「は、あぁん……っ」

 おかしな声が出た。

「テリー。もうちょっとだけ、我慢して」

 エリオットは足早に廊下を進み、どこかの部屋の扉を開けた。そしてテレサを前方に放り投げるようにした。

「ふあっ……⁉」

 テレサの身体は何か柔らかいものの上でぼよんと弾む。
 ベッドだ。エリオットはベッドにテレサを放り投げたのだ。

「ここは僕の仮眠室。一人にしてあげるから、さっさと抜いちゃって?」
「……え? ぬ、抜く……ど、どうやって……?」
「僕は廊下に出てるから抜き終わったら呼んで。そうだ、ハンカチはこれを使って。ベッドは汚さないでくれよ」
「……抜く……?」

 一人になれるのはありがたい。しかし「抜く」とはいったい。彼は懐から取り出した白いハンカチを差し出しているが、薬を「抜く」ために必要なものなのだろうか? でもテレサには薬の抜き方なんてわからない。「抜く」としたら、それは薬の製造者であるエリオットの役目なのでは……?
 彼に言いたいことはいろいろあったが、いまのテレサには自分の考えを言葉にして他者に伝える余裕がなかった。ただ荒い息を吐きながら、エリオットを見つめる。

「は、早く抜いてぇ……」
「えっ……?」

 エリオットは素早く身を引き、何かおかしな顔をした。まるで珍しい生き物を見ているみたいな、そんな表情だ。そして彼は言う。

「なんで僕が」
「な、なんでって……抜き方なんてわからないもの……っ」
「え? わからないだって……? 抜いたことないの……?」
「あっ、当たり前……」

 当たり前でしょう。魔法薬なんてこれまで縁がなかったんだから。そう続けたかったが、足の間にある小さな突起がズキンズキンと主張してくる。切なくて苦しい。早く「抜いて」もらわないと、頭がおかしくなってしまいそうだ。
 テレサは両膝を擦り合わせる。少し動いただけなのに身体中に震えが走り、した穿きがさらに濡れたのがわかった。

「は、はぁう……は、早く、なんとかしてぇ……」

 助けを求めるようにエリオットのほうへ手を伸ばす。唾を飲み込んだのだろう、彼の喉が小さく上下した。

「……満足に動けないみたいだから、脱がせるところまでは手伝うよ」

 なんと「抜く」ためには服を脱がなくてはならないらしい。上着だけ? それとももっと……? どこまで脱がなくてはいけないのか少し気になったが、早くどうにかしてほしくてテレサは荒い呼吸を繰り返しながら頷いた。
 エリオットは面倒くさそうにテレサのベルトを外していく。衣服が肌に擦れる感触も、エリオットの手が身体に当たる感覚も、すべてが刺激となって足の間の突起に訴えかけてくる。

「あっ、あん……は、早くしてぇ……」
「……あのさ、テリー。君、もうちょっとビシッと振る舞えないの? ある程度は個性として受け止めるけど……騎士だし、何より男だろ?」
「ふあっ……ぁあん……?」

 いま、なんだかとんでもないことを言われたような……? エリオットの言葉をどうにかして反芻しようとしたとき、ウエストのあたりに解放感があった。

「よし、ベルトが外れた。下ろすよ」

 彼はテレサのした穿きの紐を手早く解くと、それをズボンと一緒にひと息に引き下ろし、そして目をいた。

「え…………お、女⁉」

 やっぱりとんでもない勘違いをされていたらしい。ここは彼にひとこと言ってやるべきかもしれないが、いまはそれどころではない。

「女……? 嘘だろう……」
「おっ、お願い……は、早く抜いてぇ……‼」

 テレサは呆然と立ち尽くしている彼に向かって叫んだ。

「え? いや、けど……」
「あ、あなたが抜いてくれないと、私、私……お、おかしくなっちゃう……っ」

 そう口にしたと同時に、ぽろりと涙がこぼれた。エリオットの視線がテレサの顔と、丸出しになっている下腹部を往復する。彼は意を決したようにベッドに片手をつき、空いたほうの手でテレサの太腿に触れた。

「じゃあ、僕がやるけど……これはあくまでも『応急処置』だからな……」

 そう言って指を足の間に忍ばせる。

「あっ……あんっ……ぬ、抜いて、抜いてぇ……」
「いや、女は……」

 抜くって言わないんじゃないかな。彼はそんなことを呟きながらぬかるんだ部分に触れた。途端にひときわ大きな刺激に襲われ、テレサは仰け反って叫んだ。

「ひっ、あっ……ああーーー‼」

 でもまだ足りない。全然足りない。疼いている部分をエリオットの手に押しつけるようにして腰を揺らす。

「……くそ……こんなはずじゃ……」

 エリオットは不本意そうにもごもごと口にしたあと、指を使いはじめた。それはつるつると滑るようにテレサの襞の間を行き来する。

「ああうっ……そ、それ……もっと……‼」
「……これ?」

 彼の指にほんの少し力がこもる。

「ん、うんっ……ああんっ」
「……これがいいの?」
「んっ……い、いい……っ」

 泣きたいわけじゃないのに、涙がぽろぽろとこぼれる。いや、自分は泣きたいのかもしれない。気持ちがよすぎて。
 テレサの身体が小刻みに震え出したとき、エリオットはきゅっと突起を摘まんだ。

「あっ…………‼」

 その瞬間、テレサは解放された。苦しみから逃れて、ずっと目指していた場所に辿り着いた気がする。見えるのは薄暗い部屋の天井。聞こえるのは自分の血が身体を巡る音。なのに「ここが楽園か」とすら思えた。
 でも瞬きを繰り返しているうちに楽園は遠のいていった。

「ん……」

 テレサは気だるげに視線だけを動かす。エリオットと目が合った。彼は大きく息を吸い込み、ばっと顔を逸らす。そしてやけくそ気味にベッドの縁に腰かけ、がっくりと項垂れた。
 その行動はどういう意味よ。そう問いたかったが、彼の背中からは狼狽とか後悔とか困惑とか、そういったものが伝わってくる。
 なんだか居た堪れなくなって彼の背中から視線を外したとき、テレサは自分のズボンがした穿きごと、膝下まで下がっていることに気がついた。彼が向こうを向いているうちに衣服を整えようと起きあがる。しかし腿の内側は体液でべとべとに汚れていた。エリオットのハンカチがシーツの上に落ちていたので、それを使って拭う。そして考えた。
 先ほど、彼は「抜けば楽になる」と言ってハンカチを差し出していた気がする。いまのテレサは気が狂いそうなほどの苦悶から解放され、楽な気分になっている。
 ……もしかして「抜く」って、自慰のことだったのだろうか?
 ……だとしたら、自分でできたんじゃない?
 それを、エリオットにさせてしまった――
 そこに思い当たると、猛烈に顔が熱くなった。
 制服のズボンを引きあげ、ベルトを締め直す。非常に、非常に気まずい。ベルトの金具が立てるカチャカチャという音が、シーンとした部屋にやけに響いていた。



   僕たちは離れられない


 まさか。
 まさかテリーが女だったなんて――
 はじめは、この部屋から飛び出して少しでもテリーから離れたところへ行こうと思った。でも、それはできない。距離を取ってしまったらまた同じことが起こるだろうからだ。そこで咄嗟にベッドに腰かけてしまったわけだが、腰を下ろしたあとで「当初の予定どおり、廊下に出て扉のところで待っていればよかったのでは?」と気がついた。しかしほんとうにそうしてしまったら、気まずさが増してテリーと顔を合わせづらくなる気もした。
 結局彼女に背を向けて座ったまま、エリオットは大きく息を吐き、どうしてこんなことになったのかを考えた。
 背後で人の動く気配がして、ごそごそと服を着る音がする。思わず後ろの様子を想像しそうになった。
 頭の中のイメージを追い払うようにぶるぶるっと首を振り、もう一度考える。
 エリオットに異動命令が下り、この第七騎士団へやってきて三週間ほどが経つだろうか。魔術の研究ばかりやってきた自分に騎士たちを纏めあげろなんて、無茶な命令だと思った。騎士たちは魔術師たちのことを「ひ弱ながり勉野郎」と決めつけているし、魔術師たちは魔術師たちで騎士たちのことを「脳筋集団」と見下しているのだから。もちろん自分だってそう思っている。それなりに高い水準の教育を受けないと騎士にはなれないはずなのに、トレーニングを重ねているうちに脳みそまで筋肉に支配されてしまうのだろうか? 騎士たち彼らはなんというか、短絡的で直情的で、後先考えずに行動することが多い気がする。とにかく、魔術師と騎士は基本的に相容れない存在なのである。
 そして案の定、第七騎士団の団員たちはエリオットに反抗的だった。エリオットがバセット侯爵家の嫡男であるためか直接ケンカを売ってくるような輩はいなかったが、彼らが自分を見る目は「さてさて。がり勉お坊ちゃんに何ができるんですかねぇええ?」と雄弁に語っていた。
 だが反抗的とは言っても、所詮は脳筋たちである。エリオットがちょっとした魔法で武器を強化したり道具を修理したりしてやると、少年のように瞳を輝かせながら「魔法ってすげえ!」と言い態度を改める者が続出した。はっきり言ってチョロかった。
 そんなチョロい脳筋集団の中でも「自分は魔術師が団長だなんて認めない!」という態度を保っている者たちはいた。マルコムとスコット、そしてテリーだ。
 テリーのことはとりわけ印象に残っていた。彼は……いや、彼女は皆から「ヒョロガリ」とからかわれているスコットよりもさらに華奢で色白で、美少年としか言い表しようがなかったからだ。
 テリーは鮮やかな赤い髪の毛をうなじの少し上で纏め、緑色の瞳はいつも何か物申したそうにエリオットを観察していた。言葉遣いや仕草は女々しさを極めている。それなのにほかの団員たちはテリーを「おかま野郎」と揶揄することもなくごく自然に受け入れており――……
 そこでおかしいと思うべきだった。エリオットは第七騎士団に女騎士がいるなんて微塵も考えちゃいなかったのだ。だからテリーのことを「自分に反抗的な、やたらと華奢で女々しい騎士」だと思い込んでしまっていた。
 テリーがこの地下の研究室へ見学――と、本人は言っていたがおそらくは偵察に近い意味があるのだろう――にやってきたとき、エリオットは少し驚いたがチャンスだとも考えた。テリーがなぜ自分に頑なな態度をとるのか、分析してみようと思ったからだ。
 話しているうちにわかってきたことはいくつかあった。テリーは魔法に関してはまったくの無知だ。異国語や古代語も勉強したことがないようだった。でも魔法によって発生する淡い光は美しいと思っているらしい。素人にもわかるように説明しながらちょっとした魔法を使って光のイリュージョンを見せてやれば、案外すぐに靡いてくるのでは? などと考えながらテリーを観察していたら、わかったことがもう一つあった。
 テリーの輪郭は滑らかに美しい曲線を描いており、まつげがものすごく長いということだ。脳筋たちの中にこんなに繊細なつくりの男がいたら、ヘンな気を起こす奴がいるんじゃないか……? そんな可能性に思い至ったとき、あの事故が起きたのだ。


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