男ですが聖女になりました

白井由貴

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本編

10話

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「ラウルがあまりにも頑張って笑っているから、俺も気にしないようにしていたんだが……もう、限界だ」
「……リアム」

 抱きしめる腕が震えている。今リアムがどんな表情をしているかがわからないことが不安で、思わず彼の名前を呼んだ。しかし腕の力が緩められることはなく、それどころか腕に力が込められてしまう。苦しい、痛いと伝えるようにもう一度名前を呼ぶと、リアムの身体はびくりと大きく震えた。

「あ……すまない」
「ううん、大丈夫」

 声を震わせながらそう呟いたリアムは少しだけ腕の力を緩めてくれ、俺は苦しさから解放されてふうと息を吐き出した。顔を見上げると俺が想像もしていなかった表情を浮かべた彼の顔があり、俺はなんとも言えない気持ちになる。
 
 怒っているのかとか呆れているのかとか、そんな想像をしていたのに、まさか泣きそうな顔だなんて思わなかった。

「……何かあったのか?もし何かあるなら俺に言ってくれ……!ラウルの為ならいくらでも……っ」

 俺は静かに頭を左右に振った。
 リアムの目には大丈夫だと気丈に振る舞っているように見えただろうか。本当は俺自身が汚れ切っていることを知られたくないだけなのに、そう勘違いをしてくれていたらいいと思う自分に嫌気が差す。
 彼は何か言いたそうな顔で俺をじっと見ていたが、やがて大きな溜息を吐き出し、俺から身体を離して俯いてしまった。

「……俺は、そんなに頼りないか?」
「……え?」

 リアムが小さく何かを呟いた。俺はその言葉を聞き取ることができずに聞き返したが、リアムが答える事はなかった。

 嫌われてしまっただろうか。それともこれだけ心配してくれているにも関わらず何も言わない、何も教えない俺に呆れてしまっただろうか。
 けれどもどんなことがあっても、俺は本当のことをリアムに告げるつもりはない。もし知られてしまったとしたら――その時は恐らくリアムは会いにこなくなるだろう。汚れ切った俺の身体に嫌悪を示して離れていくに違いない。そうなればまたあの聖女の役目を果たし続けるだけの日々が続くだけだ。けれど、俺の我儘でしかないけれども、どうしてもリアムのこの温もりを離したくなかった。

「リアム殿下、迎えの方がお見えです」

 時間になったのか、部屋の扉がノックされる。外から掛かる声は聞き慣れたドミニクの声。リアムは顔を上げて扉の方を見つめたかと思うと、一瞬だけ俺の方に視線を向けて唇を噛み締めた。痛みを耐えるかのように歪んだその表情にまた胸が痛む。

 リアムは入る時に脱いだローブを羽織り、扉前まで早足で歩いて行く。そして取手に手を掛け、一瞬躊躇うようにぴたりと動きを止めたかと思えば、こちらを一度も見ることなく部屋から出て行ってしまった。

 後に残されたのは俺ただ一人。
 はあ、と大きく息を吐き出しながら背中からベッドへと倒れ込み、もう今は何もしたくないというように目を瞑る。それでも思い浮かぶのはリアムの泣きそうな表情。胸が締め付けられるような痛みに俺は耐えるように胸を鷲掴み、ドミニクが戻ってくるまで声を押し殺して泣き続けた。



 朝起きると瞼が重く腫れていた。
 昨夜散々泣いたからだろう。あの後部屋に戻っても泣き続ける俺にギョッとしたドミニクは、何かを察したように眉を下げて笑いながら俺の背を黙って撫でてくれた。一定のリズムで撫でられる刺激に落ち着いたのか、そのまま寝てしまったらしい。

 多分ドミニクは俺とリアムが身体を重ねていないことに気付いていると思う。でもドミニクは何も言わない。それどころか報告すらしていないのだろう。もししていたとすれば、俺達は確実にセックスをするかもう会えないかの二択になるはずだ。なのに何故、上の人達に報告しないのだろうか。
 
 寝起きの頭では答えを導き出せるはずもない。まずは泣きすぎで重い頭を何とかしようとベッドの端に腰掛けた時、控えめに扉を叩く音が聞こえ、思わず動きを止めた。

「やあラウルくん、おはよう。うわあ……ひっどい顔だね?」
 
 挨拶もそこそこに室内に入ってきたドミニクは、俺の顔を見るなりぴくりと頬を引き攣らせた。俺は声を出す気力もなくて、煩いと腫れた目でキッと睨みつけたが、ドミニクは引き攣った笑みを浮かべるだけで全く怯まない。それどころかベッドに腰掛けている俺の前に立ち、その場にしゃがみ込んで俺を見上げてきた。
 
「今日は一段と機嫌が悪いねえ……もしかしてリアム殿下のことかい?」
「……別に」
「そういえば腫れた目にも治癒魔法は効くから、やってご覧?」

 そう言われて自分の瞼に手を当てて治癒魔法をかけると、あれだけ重たくてほとんど開かなかった瞼が途端にすっきりとした。瞼と同じようにこの心も頭もスッキリすればいいのに。

「この後の予定だけど、今日からまた礼拝に参加するから身体を清めておいてね」
 
 長かった謹慎期間が今日でやっと終わる。久々の礼拝参加は、前回のこともあって正直あまり気乗りはしない。礼拝には怪我一つない状態で参加することが決まりらしいが、どこまでが本当なのかは俺にもわからない。

 昨日リアムがくれたクッキーの残りを一枚齧るが、何故か今日は味がしなかった。昨日リアムと一緒に食べた時は仄かではあったが確かに甘みを感じたというのに。甘みを感じないのではただの砂を噛んでいるのと同じように感じ、俺は用意された果実水で一気に胃へと流し込んだ。

 全身を清め、ドミニクに手伝ってもらいながら礼拝用の服とローブに身を包んだ俺は彼と共に部屋を後にする。
 しかし部屋を出てすぐ、ドミニクが歩みを止めた。

 さっと俺を止めるように出された腕。そのまま後ろに隠れていろと言わんばかりのその腕に、俺はドミニクの背に隠れるように身体を僅かに移動させた。目深に被ったフードで相手から顔が見えることはないだろうが、前回の礼拝時のことを思い出してしまって思わず腕を摩る。

「おや、ここにいらっしゃるとは珍しいですね?……クロヴィス殿下」

 いつもは飄々としているドミニクの声がやや強張っている気がする。クロヴィス殿下と呼ばれた人は、そんなドミニクを見て優しげな声音で親しげに挨拶を交わし始めた。しかしそんな穏やかそうな会話中でもドミニクからは未だ緊張が伝わってくるため、俺は彼の後ろで何とかやり過ごそうと息を潜める。

 暫く二人のやりとりが続いた後、不意にクロヴィス殿下が動く気配を感じてびくりと体が震える。カツン、カツンと音を鳴らしながらゆっくりとこちらに近づいてくる気配に体が強張った。

「ドミニク、これがリアムが気に入っているという聖女様かい?」

 楽しげな声が真横から聞こえ、俺の身体は強張ったまま動かない。今まで大聖堂内で会った殆どの人が俺を抱こうとしてきた、という経験が身体を硬直させている。
 
 目の前で背を向けて立っていたドミニクは、諦めたように溜息を零しながらこちらを向いて何かを話し始める。しかし何を話しているのかは、自分の呼吸と心臓の鼓動が煩くて殆ど聞こえなかった。耳の側で心臓が鳴っているのかと錯覚するくらいやけに心臓の音がはっきりと聞こえ、僅かに上がった息はうまく酸素を取り込めていないようで頭をくらくらとさせていく。

 ――聖女ラウル。

 リアムと似た声が俺の名前を呼ぶ。その声に呼ばれた瞬間、今まで異常を来していた頭が一気に覚醒した。

 気付けば俺は温かな腕に腰を支えられていた。どうやら足元がふらついてよろめいたところを、この温もりの主が受け止めてくれたようだ。お礼を言おうと僅かに顔を上げ、俺は息を呑んだ。

「大丈夫かい?体調が悪いのなら今からでも部屋に……」
「……リアム?」

 その名前を呼んだのは無意識だった。固まった空気が流れ、それを感じた瞬間に今まさに自分がしでかしてしまった事を全て理解し、全身から血の気が引く。慌てて謝罪するとともに、リアム殿下と言い直すと俺の腰を抱いていた腕がぷるぷると震え出し、俺は「あ、終わった」と思った。

 この人の敬称が『殿下』ということは恐らくは皇族だろう。そしてリアムも第三皇子という皇族だ。そんな人達に無礼を働いた俺は、最悪不敬罪にあたるとして処刑されるだろう。どうしようという不安とこれから自分の身に起こるだろう事に恐怖していると、目の前の綺麗な方はくすくすと笑い声を溢しながらドミニクを呼んだ。

「何この子、すごく可愛いんだけど」
「……そうなんです。聖女ラウルはすごく可愛いんですよ。殿下の弟君であるリアム殿下もその可愛さに御執心です」
「あの子があそこまで気に入る聖女はどんな子なんだろうと思って見に来たんだけど……うん、リアムの気持ちがわかったよ」

 何故か朗らかな雰囲気で交わされる二人の言葉に俺は混乱するしかなかった。たかが聖女が皇族を敬称なしで呼ぶなんてあり得ないのだと憤慨されて処されると思っていたのに、今は何故かフードがずれて顕になった俺の顔を見ながら二人して苦笑している。本当にどういうことかわからない。

「ラウルくん?大丈夫かい?」
「……っ、ひゃい!」

 混乱で訳がわからなくなっていたのか、それとも緊張からか盛大に舌を噛んでしまい、今度こそ顔色が青を通り越して白になっていく。その様子にまたしても二人は一瞬ぽかんとした後、身体を震わせながら笑い出してしまった。

 俺の頭は益々混乱を極めていたにも関わらず、取り敢えず礼拝の時間だからとフードを目深に被り直してから礼拝室に行くと、そこには既に大勢の人が集まっていた。時間ギリギリに入ってきた俺達に多くの視線が一気に集まり、体が硬直する。しかしそれはすぐに解かれた。
 目の前に立っているドミニクとその横に立っているクロヴィス殿下が沢山の視線から俺を隠してくれたらしいと知ったのは俺が自分の席に着いてからのことだった。

「さっきは大丈夫だったかい?あんなに一気に見られたら緊張しちゃうよね」

 小さな声で眉を下げながら心配そうにそう言われ、その時にやっと二人が俺を視線から守ってくれた事に気づいたのだ。俺はふるふると頭を横に振って感謝の言葉を述べると、クロヴィス殿下はあからさまにホッとしたような顔つきになって前を向いた。

「この帝国では皇族は礼拝には参加しない決まりがあるんだ。でも今日はどうしても来てみたくてお忍びで来ていてね、内緒にしてくれると嬉しいな。そうだなあ……良かったら私のことはルイスと呼んでくれ」
「……ルイス殿下?」
「殿下はいらないよ。今はただのルイスだからね」

 小声でそう話してくれたクロヴィス殿下――今はルイスさんか――は人差し指を唇に当てて悪戯っ子のように笑った。その表情がやはりリアムに似ていて、俺の胸はとくんと高鳴る。

 礼拝が進んでいくと、不意に周囲がざわつき始めた。何かあったのだろうかと周囲を見渡すが何も変わったことはない。今回は離れたところに座っているドミニクの方を見ようとして立ちあがろうとすると、隣から伸びてきた腕に肩を抱かれて引き寄せられた。驚いて顔を見上げようとするが、小さく呟かれたルイスさんの声に動きが止まる。

「……聖女だ」

 礼拝は聖女の役目の一つである。だから今ここに俺以外の聖女がいることに何ら不思議はないが、どうしてそんなにも声色が硬いのだろうか。
 しかしその疑問はすぐに解決した。

「聖女様を別室へお連れしろ!他の怪我人も全員だ!急げ!!」

 ――聖女を別室に移動?他の怪我人?

 どういうことかわからずに内心首を傾げていると、いつの間にか隣に来ていたドミニクが俺とルイスさんをそっと礼拝室の外へと連れ出した。他の人は騒ぎの中心に気を取られているようで誰にも気付かれることなく出られた事にホッとしていると、外に出るまでずっと黙ったままだった二人が険しい顔で何やら話しだした。

 二人の話をまとめると、さっきの騒ぎは礼拝中の礼拝室に大怪我を負った聖女が飛び込んできたのが始まりだったようだ。その聖女は第二皇子とともにノイン地下迷宮に探索に出掛けていた聖女だったようで、礼拝室の外には怪我をした騎士達で溢れていたそうだ。
 ただ聞く限りではその探索隊の隊長である第二皇子はおらず、礼拝は中止となり、今は聖女や騎士達の回復を待って第二皇子について聞き出す必要があるとのことだった。

 そして今まさに怪我をした聖女以外の聖女達に、聖女の役目の一つである治癒の役目を行うよう指示が来たらしい。

「ラウルくん、君には大怪我をしている聖女様を治してほしいとの上からの指示だ。頼めるかい?」

 こくりと頷くと、ドミニクも一つ頷いた。
 するとその光景を見ていたルイスさんは何かを考えるような仕草をした後、徐にドミニクに真剣な眼差しを向けた。

「私も同行させてもらうよ。今後の動きを決めるためにも、回復した聖女に話を聞がなければならないからね。それに……弟が今どうなっているのかわからない状況で、私だけがのんびり休むわけにはいかないだろう?」
「殿下……わかりました。では二人ともこちらへ」

 第二皇子が弟、ということはもしかしてルイスさん――クロヴィス殿下は第一皇子なのだろうか。
 そう考えると第三皇子であり、第一皇子であるクロヴィス殿下の弟であるリアムと顔や仕草が似ている事に説明がつく。いや寧ろ何故今まで気づかなかったのだろうか。一度気づいてしまえばもう、顔や仕草が少し似ているという程度ではなく、そっくりといっても過言ではない程だった。

 ドミニクの後に続いて大怪我を負った聖女が運び込まれた別室に入った途端、今までに嗅いだことのない生臭いような鉄臭い匂いが鼻をついた。
 胃の中のものが競り上がってくるような感覚に、思わず手で鼻と口を覆う。これが大量の血の匂いであることに気付いたのは、血だらけの聖女が横たわる寝台を視界に入れた時だった。近付くにつれ匂いは濃度を増していき、それに伴って吐き気も増していく。

「う……おえぇ……っ」

 寝台まであと一歩というところで、俺の意思とは関係なく身体はえずいた。胃が引き攣ったような感覚の後、びちゃ、びちゃと音を立て、俺の口から出た胃液が真っ白な床に吐き出される。一度嘔吐したにも関わらず、まだ体は吐き足りないというように胃のむかつきは治らない。

 吐き気を無理矢理にでも治めるようにぐっと唇を噛み締め、白いローブの袖で乱暴に口元を拭う。いつのまにか前屈みになっていた身体を起こして前を見据えると、こちらをじっと見つめる目と目があった。
 薄く開かれた瞼から覗く翡翠色の瞳は、俺の様子を窺うように僅かに揺れている。大丈夫かとそう聞くような優しげな相貌に気付いた瞬間、ふと吐き気が消えていった。自分の体に起こった不思議な現象に目をぱちくりとさせながら自分の手を見る。そしてもう一度寝台に目を向けると、聖女は既に目を閉じていた。

 慌てて寝台に駆け寄り、すぐに一番大きいと思われる傷に手を翳して治癒魔法を発動させる。幹部が淡く輝き、徐々に傷口が塞がっていくのを感じながら、血の気のない聖女の顔を見ながら言いようのない不安を感じていた。
 
 寝台に横たわる聖女は女性のようだった。俺と同じホワイトブロンドのセミロングの髪は大量の血で汚れ、俺と同じ白い服やローブは大量の裂け目と血でもはや見る影もない。
 本来であれば見知らぬ女性の服を脱がせることは躊躇われるのだが、緊急事態ということもあり、ドミニクとルイスさんにも手伝ってもらいながら、ただの布切れの方がまだマシなほどにぼろぼろの衣服を脱がせていく。

 全身が見えるようになった頃、俺たちはその光景に揃って息を呑んだ。


 
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