魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第三十三章 神々の全面戦争

純白の黒

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篦鹿の角を生やした女神は人の姿となっても門を抜けられない。ガンガンと角を引っ掛けている。

「……本当に頭は悪いみたいね」

「なぁ、アルテミス……まだやるのか?」

「とぉは動かなくなるまでって言ってたでしょ。侵入者には違いないし、やるしかないのよ」

「…………そうだな。頭が悪くても、領地を侵したことに変わりはない」

休むことなく放たれる矢。痛いと言いながら、血を流しながら、角が邪魔をして中に入れないのに、それでも女神は手を伸ばし、門の中を目指す。

『痛い……痛い、痛い』

どうしてそこまでして中に入りたいのか分からない。首に刺さった触手さえなければ叫んで聞くことも出来るのに。

『お前さま……』

数百メートル離れているはずの女神と目が合う。真っ白い目に僕だけが映る。あの細い手は僕を求めている、あの透き通る声は僕を呼んでいる。

「……イホウンデー!」

「え? な、何?」

「ヘル君……?」

兄の手を払い、触手を引き抜く──目の前が赤く染まり、彼女の元に走ろうとした身体が横たわる。

『ヘル!? 何してるの! ヘルっ……すぐ治す、治すから……』

抉れた首が癒える。起き上がっても目眩はなく、体調は良好だ。
魔力奪取が途切れたことにより骸骨がカタカタと揺れて形を取り戻す。だが、蔦が絡まっていて蠢くだけで侵攻は進まない。

「…………新支配者殿? 悪いが、もう一度あの骸骨を止めてくれないか」

「黙れ人間! あの子への攻撃をやめろ!」

『ヘル? どうしたの、ヘル!』

「離せ! あの子を……」

『あの子って誰!』

「あの子は! あの子は、あの子、は…………あれ? にいさま……僕……何、してたっけ」

戦争中の神降の国に協力していて、襲来した神性は封印出来て、僕が今やるべきことは──えぇと、そうだ、骸骨の魔力を奪わなければ。

『ヘル、少し休んでて。あの骨は僕が壊し続ける。トール、ヘルの様子を見てて、見てるだけとかやめてね、しっかり対応して』

『分かった』

大きな手が肩を掴み、膝の裏を蹴られ、僕はその場に座り込む。
休む……どうして? 僕はどこも悪くない。

『……君達! あの鹿、多分ただの馬鹿じゃない、ヘルに攻撃したんだと思う。精神的なやつをね』

「精神攻撃してくる鹿の女神? 何それ……そんなのこんな近くに居たの?」

「……見続けるのは危険だな。この弓なら放てば当たる、目線を外して射るぞ、アルテミス」

「…………りょーかい」

精神攻撃? 誰が? 僕が受けた?
違う。僕の精神状態も身体と同じく良好だ。あの子はそんな真似出来やしない。あの子はただ……ただ、あの子?  あの子って……誰?

『上の弟、少し目を閉じろ』

「…………はい」

トールの言う通りに目を閉じると太腿に硬い何かがそっと当てられ、分厚いグローブが目を覆った。

『……混じってるな、浄化するぞ』

ピリピリと痺れるような感覚が目から全身にゆっくりと流れて爪先まで抜けて、目を覆っていた手がどかされると僕は今何を考えていたのかを完全に忘れていた。

「えっと……あれ?  あれ誰ですか?」

門に立つ白い人影は血を流していた。遠くて顔はよく見えないが華奢な女のように見える。長い髪を振って篦鹿の角を門にぶつけ、必死に中に入ろうとしている。

『敵だ、気にするな』

太腿に当てられていた槌がどかされ、足の横にドンッと重い音を鳴らして置かれる。トールが手を離していたら僕の足は潰れていたのではないだろうかと考え、薄ら寒くなる。

『お、前……さま…………ドコ?』

白い人影が歪む。足や髪、角、手の先から黒く染まり、骸骨を止めていた蔦が一瞬で枯れ、花びらが風に舞って茶色く乾き、粉々に崩れる。
骸骨共は散り散りになって目に入った人間を襲う──かと思われた。女から流れた血は黒い液体となり、触れた骸骨を白い粉に変えて取り込んだ。

「何……? 何か黒くなってない?」

「嫌な予感がするな……父上、どうしますか?」

「…………入ってくることはない、続けろ」

放たれた金の矢が女の喉元に突き刺さる。矢が金の光となって大気に溶けると女の首から黒い液体が吹き出し、地面を汚した。

『痛い……痛イ、いタい、イタい、痛い痛イ痛い痛いィっ!』

白い身体が一瞬で黒く染まり、長く伸びた黒髪が生き物のようにのたうち回り、黒く溶けた足は長く長く固まり女の身長を二倍以上にまで伸ばした。

「ひっ……何、何なのよ!」

「父上! 逆効果……なのでは? この弓が死や疫病を与えるのは人間だけです、神性にどう作用するか……」

神性? なのか……アレは。その割に冒涜的な見た目をしている。
全身が黒く、液体が滴り、伸びた足には蹄があり、手は人間のような形のまま、髪は触手となってのたうち、篦鹿の角は人の腕の集合体となりゆっくりと指の曲げ伸ばしを繰り返している。
異形という言葉がこれほど似合うものはない。だが、人の形に見える太腿から上、角を入れない頭まで。遠くて顔はよく見えないが、その身体はよく締まっていて艶やかだ。性と芸術を両立させる完璧な女体と言える。

「…………異界の雷神殿、申し訳ございませんが、今一度お力を貸してもらっても?」

『構わんが……』

「…………が?」

『少し遅かったな』

細長い足でふらふらと後退し、角をぶつける。その行為は今までと変わらないものだったが、城壁は角が当たった部分だけサラサラと砂のように崩れ、何の抵抗もなく女神を中に入れた。

「い、今まで何ともなかったのに……!」

「アルテミス! 後ろに下がれ!」

アポロンがアルテミスを後ろに庇う。それと同時に女神が跳躍し、アルテミスの背後に着地した。

「きゃあっ!?」

女神は膝を折って屈むと振り向いたアルテミスの顔を掴み、透き通るような美しい声でこう尋ねた。

『……崇める神は?』

「へ……?」

『崇める神は、誰?』

金の矢が女神の眉間に命中する。だが、身体を覆う液体に流され、女神の身体に損傷はない。

『誰? 崇メる、神、ダれ?』

黒い身体を覆う黒い液体は地に落ちるとタイルをサラサラと砂に還した。どういう効果なのかは分からないが、人が触れて安全なものではない。
アルテミスの顔の皮膚はボロボロと剥がれ始めている。

「……アっ、アルテミス! アルテミスよ、月と狩猟の女神! 当たり前でしょ!?」

『………………異教』

落ち着きなくのたうち回っていた髪がピタリと静止する。しかし次の瞬間、髪はアルテミスの両手首に巻き付き、それぞれ反対の方向へ引っ張った。

「ひっ!? 痛いっ……やだ、ちぎれる…………にぃ! 助けてにぃに! 助けてぇっ!」

「ア、アルテミス……父上! 弓が効きません、何か手は!」

「……人間じゃ無理だなー、なぁ、雷神殿」

髪を引きちぎるグローブ、顎を捉え空中に吹き飛ばす槌……やはり、彼は強過ぎる。

『そうだな』

「アルテミスっ! アルテミス、平気か? アルテミス……」

手首は皮膚と肉が削り取られたようになっており、僅かに骨が見えた。だが、血はさほど流れていない。それは顔も同じらしく、その顔を見られたくないようで、アルテミスは俯いて髪で顔を隠していた。

『……どけ』

トールはアポロンをどかして槌をアルテミスの頭に優しく触れさせる。その途端に手首の傷が癒えて、アルテミスはバッと顔を上げた。その顔はいつも通りの美しいものだった。

『腐蝕、枯凋、いや…………とにかく、この水には触れないことだな』

姿勢を戻したトールの背後に女神が落ちてくる。うにうにと動く篦鹿の角のような腕の集合体、蛇のようにのたうつ髪、長く伸びた脚、今まで見てきた異形の中でも群を抜いて気味が悪い。

『こっちでは大した力が出せない。少し長引く。巻き込まれたくなければ下がっていろ』

『イ、界の、神? 異教……』

『……随分と他を嫌うな。何かあったのか?』

『…………私、の…………ドコ?』

『まぁ、興味は無い。とりあえず潰れてくれ』

トールの跳躍は雷のような素早さで、振り下ろされる槌と女神の頭がぶつかる音、そしてその頭が地面にめり込む衝撃も雷のようだった。
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