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第三十三章 神々の全面戦争
穢れ
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結界が消えた。強い力によって割られたのではなく、解除された時のようにスゥッと薄まって大気に溶けた。
『……え? 何で……』
兄は呆然と結界があった虚空を見つめている。バアルを閉じ込めている結界はまだ消えていないことから、城壁の外で何かが結界を解いたということになる。
「門を押さえろ!」
アポロンが叫ぶ。
「逆だ、開けろ!」
王が叫ぶ。
「何を言ってるんですか父上!」
「馬鹿! 門を閉めたら奴らは門を破壊する、門を開ければ大人しく入ってくる、あの門の再建にどれだけの時間と金がかかる? 開けて一箇所に集中させて叩く方が効率が良い」
「……で、ですが、あの数を漏らさず倒すなんて無理です。再生しますし……」
「まぁそこは……なぁ?」
王の視線が僕に向く。分かっているだろうとでも言いたげに口だけで笑って、顎をしゃくる。
「…… 寄 越 せ 」
門からゾロゾロと入って来ていた骸骨共は動きを止め、繋ぐ筋肉のない骨らしくバラバラに崩れた。
数が多い、吸い取る魔力の質も悪い。例えるなら──そう、軽く茹でただけの鶏の脂身に濃いだけの味付けをされて口に押し込まれるような、それが皿に山盛りあるような、その皿が次々と持ってこられるような、そんなものだ。
「にいさまっ……」
だから僕は兄に頼る。不味い鶏の脂身を火にくべる。
『…………ぁ、あぁ、ヘル……おいで』
結界が解けたことに呆然としていた兄は僕の呼びかけに驚いたようで、僕の意図を察せずに両手を広げる。
「にいさま、魔力……」
一瞬戸惑ったような顔をして、ようやく気付いて僕の首に触手を巻き付ける。動脈に刺さった先端は血の流れを滞らせることなく魔力だけを吸い取る。
「……とりあえずあの骸骨は心配ないみたいだけど……どうなってるのよ、何で結界解けたのよ。大口叩いておいて大したことなかったってわけ?」
『うるさいな……黙ってろよ無能』
「はぁ!? 誰が無能よ!」
『…………君、今回何かした?』
アルテミスは返事に詰まる。弓での攻撃はしたものの効果はなく、船やバアルへの対応は全て兄と僕、それに王だ。
「アルテミスは何もしていないがアルテミスは無能じゃない! ほらこんなに可愛い!」
「黙ってなさいよにぃ! にぃの方が何もしてないじゃない、アタシは弓使ったし見張りしたりした!」
アポロンも見張りはしていたが……僕が口を挟むべきではないか。巻き込まれたくはない、魔力を奪うのに集中しよう。
「とっっても有能で可愛いヘルの方がいいに決まってるだろ?」
黙っていたのに巻き込まれた。
「何を言う、見ろこの女神の如き美貌を!」
『目が悪いね、君。僕の弟の方が可愛いいよ』
「にぃはウザいけどアタシこいつには勝ってる! それだけは言える!」
アルテミスには是非兄や自分の兄を批判する方に傾いて欲しい。どうして僕が勝ち負けに巻き込まれなければならないのか甚だ疑問だ。
「確かに我が妹アルテミスは素直じゃない……でも幼い頃はいつも後をついてきて「お兄ちゃんと結婚するー!」とか言ってたんだ!」
「そんなこと言ってない! 記憶改竄してんじゃないこの馬鹿にぃ!」
『…………そういうの言われたことないな』
「当たり前でしょ男兄弟なんだから!」
結界が割れた一大事だと思っているのは僕だけなのだろうか。骸骨も動かないし、それ以上は何も入ってこないし、結界を解いた何かが居るなんて実は大したことではないのだろうか。無意味な騒ぎの真ん中に立たされていると感覚が麻痺してくる。
「お兄ちゃん大好きー、結婚する、が口癖でな……」
『…………ごめんなさい、許してください、が口癖だったなぁ』
「アルテミスが待つ部屋に帰るといつも抱きついてきて……」
『…………部屋に帰ったら隅っこに隠れてたなぁ、ガタガタ震えてさ……』
「出かけた時なんて手を繋いで離さなくて……」
『…………出かけなかったなぁ』
首に触手が巻き付き刺さっている今、僕は身動きが取れない。首を回すことも出来なくて、大声も出せないからヘルメスを呼べない。
「全部嘘! 全部嘘なのよこの馬鹿にぃが言ってることは!」
「照れ屋さんだなぁアルテミスは」
「黙りなさい妄想変態オタクシスコン! っていうかアンタ! 何したら子供にそんな口癖付けられるわけ!? 隅っこに隠れて震えてたって……何、何なのアンタ! 何してたのよ!」
『…………だって……ヘル、何も出来なかったから。ムカついて……反省はしてるよ』
「え……? ホントに何してたわけアンタ……えっ、ちょ……ヘル? アンタ……何されてたわけ?」
アルテミスは少し屈み、僕に視線を合わせた。
「僕はにいさまが大好きです、あなたと違ってちゃんと言えます。それより骸骨どうするか早く決めてください、魔力奪うの疲れるんですよ」
「…………首の、大丈夫なの?」
「触らないでくださいね。ズレたりしたら血が吹き出しますから」
納得が行っていないような表情をしていたが、僕を薄気味悪く思ったらしくアポロンの腕を引いて王の元に歩いた。妙な口論も上手く納まったなと安堵していると、不意に後ろから抱き締められる。
『……お兄ちゃんのこと、好き?』
「大好きだよ」
『…………本当に?』
そんなに疑うなら心を読めばいいのに、兄はこの質問だけは真実を知ろうとしない。
「うん、嫌いになったことない。本当だよ? 本当に……嫌いになれなかった。何されても……」
『どうして?』
「………………にいさましか居なかったから」
『……今は違う』
「そうだね、でも……もう、無理。今更変われない。僕はにいさまが大好きで、怖くて、手が頭の上に来たら殴られるって思うし、撫でられたらすっごく嬉しい」
抱き締める力が強まる。酸素が追い出されて、吐息が漏れる。けれど、背後で兄の息を殺した泣き声が聞こえて、苦しいと言う気にはなれなかった。
「……大丈夫だよ、にいさま。気にしないで。にいさまは何にも悪くない、仕方なかったんだよ、僕が出来損ないだったんだから」
僕が出来損ないでなかったら、兄が僕を虐待しなかったらどうなるのか、僕は知っている。
「…………僕は、あれで良かったんだ」
優しいまま、魔法だけの天才のまま、人間として死んでいく。
「だからねにいさま、もう気にしないで」
あの日々は必要だった。そう思わなければ僕の精神は保てないし、証拠も出来てしまった。
けれど許すことは出来ない。兄にどうなって欲しいとも思わないけれど、虐待の日々は確かな苦痛だ。今も夢に見る最悪の日々だ。過去の傷跡ではなく今もなお僕を蝕む毒だ。
『ヘル……ごめ──』
「謝らないで、僕は怒ってないし恨んでもない。泣かないで、僕は大丈夫」
謝罪は受け付けない。反省も後悔も認めない。
改心したのなら一生苦しむといい。
『…………ありがとう、ヘル』
そう、そうだ、その罪悪感を一生抱えろ。不死身の体で僕のために生き続けろ。
それが僕を虐げた罰だ。
「何……何よアレ! また神性!? いい加減にしてよっ!」
アルテミスの恐怖混じりの怒声で我に返る。僕は今……とても酷いことを考えていたような。
粘着質な思考を振り切って視線を上げれば積み重なった骸骨に絡みつく蔦やそこに咲く花が目に入る。死を体現する白骨の上に青々とした生が芽吹いていた。
「……父上、アレは……」
「まともな神性だなー。信仰者が居なくて弱ってはいるけど、分裂とかはしてないちゃんとした神様だ」
『……私がまともじゃないってんですかクソ小バエ!』
新たな生の土台となった死を踏む蹄。真っ白な篦鹿。その腕の集合体のような白い角は門の幅よりも大きく広がり、その巨体は城壁の中に入って来ることはない。
「角引っかかってる?」
「……頭は悪そうだな。なら勝ち目はある。アルテミス、アポロン、弓を構えろ」
王の両隣に並び、金と銀の弓を構える。
「動かなくなるまで続けろ」
放たれた二本の矢は鹿の首に突き刺さり、鹿は悲痛な鳴き声を上げる。
「……ま、待ってよアルテミスさんアポロンさん!」
僕の声に二人は一瞬手を止める。
「…………動かなくなるまで、続けるんだ」
だが、再び矢を放つ。
「王様! やめてください、まだ何も……」
「結界を破壊して中に入ろうとしている、十分攻撃の理由になるだろう」
「でもっ……誰も殺してない! まだ何もしてない!」
「誰かが殺されてから対応するのか? これが国を守るってことなんだ、動物愛護は無害な動物だけにやってくれ」
白い巨体が萎み、篦鹿の姿は華奢な女のものになる。肌も、髪も、角も、瞳すらも、纏う布も、全てが白い美しい女神だ。
『…………痛い』
矢が刺さった痕に弱々しく手を当て、呟く。小さく短い言葉は何故かハッキリと耳に届いた。
『……え? 何で……』
兄は呆然と結界があった虚空を見つめている。バアルを閉じ込めている結界はまだ消えていないことから、城壁の外で何かが結界を解いたということになる。
「門を押さえろ!」
アポロンが叫ぶ。
「逆だ、開けろ!」
王が叫ぶ。
「何を言ってるんですか父上!」
「馬鹿! 門を閉めたら奴らは門を破壊する、門を開ければ大人しく入ってくる、あの門の再建にどれだけの時間と金がかかる? 開けて一箇所に集中させて叩く方が効率が良い」
「……で、ですが、あの数を漏らさず倒すなんて無理です。再生しますし……」
「まぁそこは……なぁ?」
王の視線が僕に向く。分かっているだろうとでも言いたげに口だけで笑って、顎をしゃくる。
「…… 寄 越 せ 」
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数が多い、吸い取る魔力の質も悪い。例えるなら──そう、軽く茹でただけの鶏の脂身に濃いだけの味付けをされて口に押し込まれるような、それが皿に山盛りあるような、その皿が次々と持ってこられるような、そんなものだ。
「にいさまっ……」
だから僕は兄に頼る。不味い鶏の脂身を火にくべる。
『…………ぁ、あぁ、ヘル……おいで』
結界が解けたことに呆然としていた兄は僕の呼びかけに驚いたようで、僕の意図を察せずに両手を広げる。
「にいさま、魔力……」
一瞬戸惑ったような顔をして、ようやく気付いて僕の首に触手を巻き付ける。動脈に刺さった先端は血の流れを滞らせることなく魔力だけを吸い取る。
「……とりあえずあの骸骨は心配ないみたいだけど……どうなってるのよ、何で結界解けたのよ。大口叩いておいて大したことなかったってわけ?」
『うるさいな……黙ってろよ無能』
「はぁ!? 誰が無能よ!」
『…………君、今回何かした?』
アルテミスは返事に詰まる。弓での攻撃はしたものの効果はなく、船やバアルへの対応は全て兄と僕、それに王だ。
「アルテミスは何もしていないがアルテミスは無能じゃない! ほらこんなに可愛い!」
「黙ってなさいよにぃ! にぃの方が何もしてないじゃない、アタシは弓使ったし見張りしたりした!」
アポロンも見張りはしていたが……僕が口を挟むべきではないか。巻き込まれたくはない、魔力を奪うのに集中しよう。
「とっっても有能で可愛いヘルの方がいいに決まってるだろ?」
黙っていたのに巻き込まれた。
「何を言う、見ろこの女神の如き美貌を!」
『目が悪いね、君。僕の弟の方が可愛いいよ』
「にぃはウザいけどアタシこいつには勝ってる! それだけは言える!」
アルテミスには是非兄や自分の兄を批判する方に傾いて欲しい。どうして僕が勝ち負けに巻き込まれなければならないのか甚だ疑問だ。
「確かに我が妹アルテミスは素直じゃない……でも幼い頃はいつも後をついてきて「お兄ちゃんと結婚するー!」とか言ってたんだ!」
「そんなこと言ってない! 記憶改竄してんじゃないこの馬鹿にぃ!」
『…………そういうの言われたことないな』
「当たり前でしょ男兄弟なんだから!」
結界が割れた一大事だと思っているのは僕だけなのだろうか。骸骨も動かないし、それ以上は何も入ってこないし、結界を解いた何かが居るなんて実は大したことではないのだろうか。無意味な騒ぎの真ん中に立たされていると感覚が麻痺してくる。
「お兄ちゃん大好きー、結婚する、が口癖でな……」
『…………ごめんなさい、許してください、が口癖だったなぁ』
「アルテミスが待つ部屋に帰るといつも抱きついてきて……」
『…………部屋に帰ったら隅っこに隠れてたなぁ、ガタガタ震えてさ……』
「出かけた時なんて手を繋いで離さなくて……」
『…………出かけなかったなぁ』
首に触手が巻き付き刺さっている今、僕は身動きが取れない。首を回すことも出来なくて、大声も出せないからヘルメスを呼べない。
「全部嘘! 全部嘘なのよこの馬鹿にぃが言ってることは!」
「照れ屋さんだなぁアルテミスは」
「黙りなさい妄想変態オタクシスコン! っていうかアンタ! 何したら子供にそんな口癖付けられるわけ!? 隅っこに隠れて震えてたって……何、何なのアンタ! 何してたのよ!」
『…………だって……ヘル、何も出来なかったから。ムカついて……反省はしてるよ』
「え……? ホントに何してたわけアンタ……えっ、ちょ……ヘル? アンタ……何されてたわけ?」
アルテミスは少し屈み、僕に視線を合わせた。
「僕はにいさまが大好きです、あなたと違ってちゃんと言えます。それより骸骨どうするか早く決めてください、魔力奪うの疲れるんですよ」
「…………首の、大丈夫なの?」
「触らないでくださいね。ズレたりしたら血が吹き出しますから」
納得が行っていないような表情をしていたが、僕を薄気味悪く思ったらしくアポロンの腕を引いて王の元に歩いた。妙な口論も上手く納まったなと安堵していると、不意に後ろから抱き締められる。
『……お兄ちゃんのこと、好き?』
「大好きだよ」
『…………本当に?』
そんなに疑うなら心を読めばいいのに、兄はこの質問だけは真実を知ろうとしない。
「うん、嫌いになったことない。本当だよ? 本当に……嫌いになれなかった。何されても……」
『どうして?』
「………………にいさましか居なかったから」
『……今は違う』
「そうだね、でも……もう、無理。今更変われない。僕はにいさまが大好きで、怖くて、手が頭の上に来たら殴られるって思うし、撫でられたらすっごく嬉しい」
抱き締める力が強まる。酸素が追い出されて、吐息が漏れる。けれど、背後で兄の息を殺した泣き声が聞こえて、苦しいと言う気にはなれなかった。
「……大丈夫だよ、にいさま。気にしないで。にいさまは何にも悪くない、仕方なかったんだよ、僕が出来損ないだったんだから」
僕が出来損ないでなかったら、兄が僕を虐待しなかったらどうなるのか、僕は知っている。
「…………僕は、あれで良かったんだ」
優しいまま、魔法だけの天才のまま、人間として死んでいく。
「だからねにいさま、もう気にしないで」
あの日々は必要だった。そう思わなければ僕の精神は保てないし、証拠も出来てしまった。
けれど許すことは出来ない。兄にどうなって欲しいとも思わないけれど、虐待の日々は確かな苦痛だ。今も夢に見る最悪の日々だ。過去の傷跡ではなく今もなお僕を蝕む毒だ。
『ヘル……ごめ──』
「謝らないで、僕は怒ってないし恨んでもない。泣かないで、僕は大丈夫」
謝罪は受け付けない。反省も後悔も認めない。
改心したのなら一生苦しむといい。
『…………ありがとう、ヘル』
そう、そうだ、その罪悪感を一生抱えろ。不死身の体で僕のために生き続けろ。
それが僕を虐げた罰だ。
「何……何よアレ! また神性!? いい加減にしてよっ!」
アルテミスの恐怖混じりの怒声で我に返る。僕は今……とても酷いことを考えていたような。
粘着質な思考を振り切って視線を上げれば積み重なった骸骨に絡みつく蔦やそこに咲く花が目に入る。死を体現する白骨の上に青々とした生が芽吹いていた。
「……父上、アレは……」
「まともな神性だなー。信仰者が居なくて弱ってはいるけど、分裂とかはしてないちゃんとした神様だ」
『……私がまともじゃないってんですかクソ小バエ!』
新たな生の土台となった死を踏む蹄。真っ白な篦鹿。その腕の集合体のような白い角は門の幅よりも大きく広がり、その巨体は城壁の中に入って来ることはない。
「角引っかかってる?」
「……頭は悪そうだな。なら勝ち目はある。アルテミス、アポロン、弓を構えろ」
王の両隣に並び、金と銀の弓を構える。
「動かなくなるまで続けろ」
放たれた二本の矢は鹿の首に突き刺さり、鹿は悲痛な鳴き声を上げる。
「……ま、待ってよアルテミスさんアポロンさん!」
僕の声に二人は一瞬手を止める。
「…………動かなくなるまで、続けるんだ」
だが、再び矢を放つ。
「王様! やめてください、まだ何も……」
「結界を破壊して中に入ろうとしている、十分攻撃の理由になるだろう」
「でもっ……誰も殺してない! まだ何もしてない!」
「誰かが殺されてから対応するのか? これが国を守るってことなんだ、動物愛護は無害な動物だけにやってくれ」
白い巨体が萎み、篦鹿の姿は華奢な女のものになる。肌も、髪も、角も、瞳すらも、纏う布も、全てが白い美しい女神だ。
『…………痛い』
矢が刺さった痕に弱々しく手を当て、呟く。小さく短い言葉は何故かハッキリと耳に届いた。
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