上 下
580 / 909
第三十三章 神々の全面戦争

穢れ

しおりを挟む
結界が消えた。強い力によって割られたのではなく、解除された時のようにスゥッと薄まって大気に溶けた。

『……え?  何で……』

兄は呆然と結界があった虚空を見つめている。バアルを閉じ込めている結界はまだ消えていないことから、城壁の外で何かが結界を解いたということになる。

「門を押さえろ!」

アポロンが叫ぶ。

「逆だ、開けろ!」

王が叫ぶ。

「何を言ってるんですか父上!」

「馬鹿! 門を閉めたら奴らは門を破壊する、門を開ければ大人しく入ってくる、あの門の再建にどれだけの時間と金がかかる? 開けて一箇所に集中させて叩く方が効率が良い」

「……で、ですが、あの数を漏らさず倒すなんて無理です。再生しますし……」

「まぁそこは……なぁ?」

王の視線が僕に向く。分かっているだろうとでも言いたげに口だけで笑って、顎をしゃくる。

「…… 寄 越 せ 」

門からゾロゾロと入って来ていた骸骨共は動きを止め、繋ぐ筋肉のない骨らしくバラバラに崩れた。
数が多い、吸い取る魔力の質も悪い。例えるなら──そう、軽く茹でただけの鶏の脂身に濃いだけの味付けをされて口に押し込まれるような、それが皿に山盛りあるような、その皿が次々と持ってこられるような、そんなものだ。

「にいさまっ……」

だから僕は兄に頼る。不味い鶏の脂身を火にくべる。

『…………ぁ、あぁ、ヘル……おいで』

結界が解けたことに呆然としていた兄は僕の呼びかけに驚いたようで、僕の意図を察せずに両手を広げる。

「にいさま、魔力……」

一瞬戸惑ったような顔をして、ようやく気付いて僕の首に触手を巻き付ける。動脈に刺さった先端は血の流れを滞らせることなく魔力だけを吸い取る。

「……とりあえずあの骸骨は心配ないみたいだけど……どうなってるのよ、何で結界解けたのよ。大口叩いておいて大したことなかったってわけ?」

『うるさいな……黙ってろよ無能』

「はぁ!? 誰が無能よ!」

『…………君、今回何かした?』

アルテミスは返事に詰まる。弓での攻撃はしたものの効果はなく、船やバアルへの対応は全て兄と僕、それに王だ。

「アルテミスは何もしていないがアルテミスは無能じゃない! ほらこんなに可愛い!」

「黙ってなさいよにぃ! にぃの方が何もしてないじゃない、アタシは弓使ったし見張りしたりした!」

アポロンも見張りはしていたが……僕が口を挟むべきではないか。巻き込まれたくはない、魔力を奪うのに集中しよう。

「とっっても有能で可愛いヘルの方がいいに決まってるだろ?」

黙っていたのに巻き込まれた。

「何を言う、見ろこの女神の如き美貌を!」

『目が悪いね、君。僕の弟の方が可愛いいよ』

「にぃはウザいけどアタシこいつには勝ってる! それだけは言える!」

アルテミスには是非兄や自分の兄を批判する方に傾いて欲しい。どうして僕が勝ち負けに巻き込まれなければならないのか甚だ疑問だ。

「確かに我が妹アルテミスは素直じゃない……でも幼い頃はいつも後をついてきて「お兄ちゃんと結婚するー!」とか言ってたんだ!」

「そんなこと言ってない! 記憶改竄してんじゃないこの馬鹿にぃ!」

『…………そういうの言われたことないな』

「当たり前でしょ男兄弟なんだから!」

結界が割れた一大事だと思っているのは僕だけなのだろうか。骸骨も動かないし、それ以上は何も入ってこないし、結界を解いた何かが居るなんて実は大したことではないのだろうか。無意味な騒ぎの真ん中に立たされていると感覚が麻痺してくる。

「お兄ちゃん大好きー、結婚する、が口癖でな……」

『…………ごめんなさい、許してください、が口癖だったなぁ』

「アルテミスが待つ部屋に帰るといつも抱きついてきて……」

『…………部屋に帰ったら隅っこに隠れてたなぁ、ガタガタ震えてさ……』

「出かけた時なんて手を繋いで離さなくて……」

『…………出かけなかったなぁ』

首に触手が巻き付き刺さっている今、僕は身動きが取れない。首を回すことも出来なくて、大声も出せないからヘルメスを呼べない。

「全部嘘! 全部嘘なのよこの馬鹿にぃが言ってることは!」

「照れ屋さんだなぁアルテミスは」

「黙りなさい妄想変態オタクシスコン! っていうかアンタ! 何したら子供にそんな口癖付けられるわけ!? 隅っこに隠れて震えてたって……何、何なのアンタ! 何してたのよ!」

『…………だって……ヘル、何も出来なかったから。ムカついて……反省はしてるよ』

「え……? ホントに何してたわけアンタ……えっ、ちょ……ヘル? アンタ……何されてたわけ?」

アルテミスは少し屈み、僕に視線を合わせた。

「僕はにいさまが大好きです、あなたと違ってちゃんと言えます。それより骸骨どうするか早く決めてください、魔力奪うの疲れるんですよ」

「…………首の、大丈夫なの?」

「触らないでくださいね。ズレたりしたら血が吹き出しますから」

納得が行っていないような表情をしていたが、僕を薄気味悪く思ったらしくアポロンの腕を引いて王の元に歩いた。妙な口論も上手く納まったなと安堵していると、不意に後ろから抱き締められる。

『……お兄ちゃんのこと、好き?』

「大好きだよ」

『…………本当に?』

そんなに疑うなら心を読めばいいのに、兄はこの質問だけは真実を知ろうとしない。

「うん、嫌いになったことない。本当だよ? 本当に……嫌いになれなかった。何されても……」

『どうして?』

「………………にいさましか居なかったから」

『……今は違う』

「そうだね、でも……もう、無理。今更変われない。僕はにいさまが大好きで、怖くて、手が頭の上に来たら殴られるって思うし、撫でられたらすっごく嬉しい」

抱き締める力が強まる。酸素が追い出されて、吐息が漏れる。けれど、背後で兄の息を殺した泣き声が聞こえて、苦しいと言う気にはなれなかった。

「……大丈夫だよ、にいさま。気にしないで。にいさまは何にも悪くない、仕方なかったんだよ、僕が出来損ないだったんだから」

僕が出来損ないでなかったら、兄が僕を虐待しなかったらどうなるのか、僕は知っている。

「…………僕は、あれで良かったんだ」

優しいまま、魔法だけの天才のまま、人間として死んでいく。

「だからねにいさま、もう気にしないで」

あの日々は必要だった。そう思わなければ僕の精神は保てないし、証拠も出来てしまった。
けれど許すことは出来ない。兄にどうなって欲しいとも思わないけれど、虐待の日々は確かな苦痛だ。今も夢に見る最悪の日々だ。過去の傷跡ではなく今もなお僕を蝕む毒だ。

『ヘル……ごめ──』

「謝らないで、僕は怒ってないし恨んでもない。泣かないで、僕は大丈夫」

謝罪は受け付けない。反省も後悔も認めない。
改心したのなら一生苦しむといい。

『…………ありがとう、ヘル』

そう、そうだ、その罪悪感を一生抱えろ。不死身の体で僕のために生き続けろ。
それが僕を虐げた罰だ。

「何……何よアレ! また神性!? いい加減にしてよっ!」

アルテミスの恐怖混じりの怒声で我に返る。僕は今……とても酷いことを考えていたような。
粘着質な思考を振り切って視線を上げれば積み重なった骸骨に絡みつく蔦やそこに咲く花が目に入る。死を体現する白骨の上に青々とした生が芽吹いていた。

「……父上、アレは……」

「まともな神性だなー。信仰者が居なくて弱ってはいるけど、分裂とかはしてないちゃんとした神様だ」

『……私がまともじゃないってんですかクソ小バエ!』

新たな生の土台となった死を踏む蹄。真っ白な篦鹿。その腕の集合体のような白い角は門の幅よりも大きく広がり、その巨体は城壁の中に入って来ることはない。

「角引っかかってる?」

「……頭は悪そうだな。なら勝ち目はある。アルテミス、アポロン、弓を構えろ」

王の両隣に並び、金と銀の弓を構える。

「動かなくなるまで続けろ」

放たれた二本の矢は鹿の首に突き刺さり、鹿は悲痛な鳴き声を上げる。

「……ま、待ってよアルテミスさんアポロンさん!」

僕の声に二人は一瞬手を止める。

「…………動かなくなるまで、続けるんだ」

だが、再び矢を放つ。

「王様! やめてください、まだ何も……」

「結界を破壊して中に入ろうとしている、十分攻撃の理由になるだろう」

「でもっ……誰も殺してない! まだ何もしてない!」

「誰かが殺されてから対応するのか? これが国を守るってことなんだ、動物愛護は無害な動物だけにやってくれ」

白い巨体が萎み、篦鹿の姿は華奢な女のものになる。肌も、髪も、角も、瞳すらも、纏う布も、全てが白い美しい女神だ。

『…………痛い』

矢が刺さった痕に弱々しく手を当て、呟く。小さく短い言葉は何故かハッキリと耳に届いた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

御機嫌ようそしてさようなら  ~王太子妃の選んだ最悪の結末

Hinaki
恋愛
令嬢の名はエリザベス。 生まれた瞬間より両親達が創る公爵邸と言う名の箱庭の中で生きていた。 全てがその箱庭の中でなされ、そして彼女は箱庭より外へは出される事はなかった。 ただ一つ月に一度彼女を訪ねる5歳年上の少年を除いては……。 時は流れエリザベスが15歳の乙女へと成長し未来の王太子妃として半年後の結婚を控えたある日に彼女を包み込んでいた世界は崩壊していく。 ゆるふわ設定の短編です。 完結済みなので予約投稿しています。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

〈完結〉この女を家に入れたことが父にとっての致命傷でした。

江戸川ばた散歩
ファンタジー
「私」アリサは父の後妻の言葉により、家を追い出されることとなる。 だがそれは待ち望んでいた日がやってきたでもあった。横領の罪で連座蟄居されられていた祖父の復活する日だった。 十年前、八歳の時からアリサは父と後妻により使用人として扱われてきた。 ところが自分の代わりに可愛がられてきたはずの異母妹ミュゼットまでもが、義母によって使用人に落とされてしまった。義母は自分の周囲に年頃の女が居ること自体が気に食わなかったのだ。 元々それぞれ自体は仲が悪い訳ではなかった二人は、お互い使用人の立場で二年間共に過ごすが、ミュゼットへの義母の仕打ちの酷さに、アリサは彼女を乳母のもとへ逃がす。 そして更に二年、とうとうその日が来た…… 

『異世界庭付き一戸建て』を相続した仲良し兄妹は今までの不幸にサヨナラしてスローライフを満喫できる、はず?

釈 余白(しやく)
ファンタジー
HOT 1位!ファンタジー 3位! ありがとうございます!  父親が不慮の事故で死亡したことで最後の肉親を失い残された高校生の小村雷人(こむら らいと)と小学生の真琴(まこと)の兄妹が聞かされたのは、父が家を担保に金を借りていたという絶望の事実だった。慣れ親しんだ自宅から早々の退去が必要となった二人は家の中で金目の物を探す。  その結果見つかったのは、僅かな現金に空の預金通帳といくつかの宝飾品、そして家の権利書と見知らぬ文字で書かれた書類くらいだった。謎の書類には祖父のサインが記されていたが内容は読めず、頼みの綱は挟まれていた弁護士の名刺だけだ。  最後の希望とも言える名刺の電話番号へ連絡した二人は、やってきた弁護士から契約書の内容を聞かされ唖然とする。それは祖父が遺産として残した『異世界トラス』にある土地と建物を孫へ渡すというものだった。もちろん現地へ行かなければ遺産は受け取れないが。兄妹には他に頼れるものがなく、思い切って異世界へと赴き新生活をスタートさせるのだった。 その他、多数投稿しています! https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/398438394

凡人がおまけ召喚されてしまった件

根鳥 泰造
ファンタジー
 勇者召喚に巻き込まれて、異世界にきてしまった祐介。最初は勇者の様に大切に扱われていたが、ごく普通の才能しかないので、冷遇されるようになり、ついには王宮から追い出される。  仕方なく冒険者登録することにしたが、この世界では希少なヒーラー適正を持っていた。一年掛けて治癒魔法を習得し、治癒剣士となると、引く手あまたに。しかも、彼は『強欲』という大罪スキルを持っていて、倒した敵のスキルを自分のものにできるのだ。  それらのお蔭で、才能は凡人でも、数多のスキルで能力を補い、熟練度は飛びぬけ、高難度クエストも熟せる有名冒険者となる。そして、裏では気配消去や不可視化スキルを活かして、暗殺という裏の仕事も始めた。  異世界に来て八年後、その暗殺依頼で、召喚勇者の暗殺を受けたのだが、それは祐介を捕まえるための罠だった。祐介が暗殺者になっていると知った勇者が、改心させよう企てたもので、その後は勇者一行に加わり、魔王討伐の旅に同行することに。  最初は脅され渋々同行していた祐介も、勇者や仲間の思いをしり、どんどん勇者が好きになり、勇者から告白までされる。  だが、魔王を討伐を成し遂げるも、魔王戦で勇者は祐介を庇い、障害者になる。  祐介は、勇者の嘘で、病院を作り、医師の道を歩みだすのだった。

異世界に転生した俺は農業指導員だった知識と魔法を使い弱小貴族から気が付けば大陸1の農業王国を興していた。

黒ハット
ファンタジー
 前世では日本で農業指導員として暮らしていたが国際協力員として後進国で農業の指導をしている時に、反政府の武装組織に拳銃で撃たれて35歳で殺されたが、魔法のある異世界に転生し、15歳の時に記憶がよみがえり、前世の農業指導員の知識と魔法を使い弱小貴族から成りあがり、乱世の世を戦い抜き大陸1の農業王国を興す。

処理中です...