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本編
覚悟
しおりを挟む刃傷事件の翌朝、雛菊は宗介を見送ると、ある目的のため遣り手の部屋を訪ねた。
昨晩の宴席へと菊花をあげたのは、いったい誰なのか?
この疑問を解決しなければ、花魁としての雛菊の立つ瀬がない。場合によっては、監督不行き届きとして妹花魁共々、降格もあり得るのだ。
しかも昨晩の酒宴の席には刃物が持ち込まれていた。刃物の持ち込みを厳しく制限、監視しているはずの引き手茶屋で起こった刃傷事件。客ではなく内部に協力者がいた可能性は高い。雛菊の命を狙った誰かが、内部に居たという証拠でもある。
あの刃傷事件を計画した主犯は、宗介が探している。しかし、女の勘が、この事件が単純なものではないと訴えていた。
もし万が一、あの男に刃物を渡したのが玉屋の誰か――、いいや、雛菊の身近にいる者であったなら、落とし前は自分でつけなければならない。
「遣り手、はいりんすよ」
声をかけ襖を開ければ、雛菊とは視線を合わせず、繕い物を続ける遣り手の姿が見えた。
「ど、どうなすったんだい。雛菊花魁」
「いやねぇ、昨晩の酒宴のことで、ちょっと聞きたいんす。菊花のことをね」
『菊花』の名に針を持った遣り手の手がわずかに震える。明らかに動揺を見せる遣り手に、雛菊は優しく問いかけた。
「宴席に菊花を揚げたのは誰でありんす?」
恐ろしくも優美な猫撫で声に、耐えかねたのか遣り手が畳に額を擦りつけ半狂乱に叫んだ。
「すまねぇ、すまねぇ!! 断りきれなかったんだ! 菊花が泣いて頼むから……、すまねぇ」
「そうかい……。 遣り手、菊花を連れて来ておくんなんし」
雛菊の言葉に、足元の台を蹴倒し立ち上がった遣り手が駆けていく。誰も居なくなった部屋で一人、これからやらねばならぬことを思い、雛菊は大きなため息を吐き出した。
♢
「菊花、ここに呼ばれんした理由はわかっているね?」
「あい……、姉さん」
上座へと座る雛菊の真向かい、畳へと座し両手をつく菊花を見据え、雛菊は煙管へと火をつける。
煙草が燃えるジッという音だけが響く部屋の中は、張りつめた空気が漂い、なんとも言えず居心地が悪い。
齢十七の菊花は、あと一年もすれば水揚げを経て、一人前の花魁として認められる。
(なにを、焦りんしょうしたかね……。あっちに似て負けん気の強い菊花のことだ。他の見習い遊女に馬鹿にでもされんしたか)
まだあどけなさの残る菊花の顔を見つめ、雛菊は心の中でため息をこぼす。
花魁が世話する振袖新造(水揚げ前の花魁)は、遊女として一人前と見なされない代わりに、姉花魁の庇護を受け生活をしている。
床に入らないのはもちろんのこと、姉花魁の許可なく座敷に上がることもない。それは、まだ未熟な振袖新造を様々な悪意から守るためでもあった。
「菊花、あっちが怒っている理由がわかりんすか?」
「勝手に座敷に上がり、姉さんの顔に泥をぬりんした」
「確かに、あっちの顔に泥をぬりんしたのは事実だ。でもね、許可なく座敷に上がったことを怒ってるんじゃない。菊花……、一人で座敷に上がれる遊女とは、どんな遊女のことだい?」
「一人前の遊女のことでありんす」
「そうさね、一人前の遊女、自分で全ての責任を取れる遊女のことさ。お前さんに、その覚悟はあったのかい。酒宴の席を放り出して逃げ出した菊花、お前に」
瞳を大きく見開き固まった菊花は、次の瞬間には畳へと臥し、泣き出した。
張り詰めていた緊張の糸が切れたのか、『申し訳ありません』と念仏のように唱えながら泣き伏す菊花の側へと寄った雛菊は丸く小さな背を撫でる。
「宴席に出ることも出来なかったお前の気持ちをくんでやれなかったあっちにも責任はある。ただな、庇ってやれるのも今だけ。ひとり立ちすれば、今以上に口さがない噂や甘い悪意に晒される。菊花、そんなものに負けん強さを持ちんさい。お前の代わりに宴席に残った、珠代花魁と鈴香花魁のような強さを」
「あい……」
絞り出すように発せられた言葉には、菊花の覚悟のようなものが感じられた。
♢
それから数週間後。
刃傷事件があった茶屋のお座敷の一つでは、見るも華やかな宴がもようされていた。
上座に座るは扇屋の珠代花魁と葵屋の鈴香花魁。そして、その横には雛菊が座し、二人の花魁に酌をしつつ、話に花を咲かせている。
吉原を代表する花魁の饗宴に、旦那衆の姿は見えない。そう、この酒宴の主人は、雛菊。
心をとしたもてなしに、雛菊の窮地を救った二人の花魁の顔も綻ぶ。
そして、美しくも粋な三人の花魁の饗宴に花を添えるは、あの事件をきっかけに花ひらいた菊花の優美な舞だった。
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