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出会ゐ

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「あぁ……、なんでもねぇ。独り言だ」

 スッと表情を戻し、いつもの調子で気障ったらしく笑う宗介の姿に雛菊もまた安堵していた。
 あのまま、頭の中に浮かんだ疑問を目の前の男にぶつけてはいけない気がした。聞いたら最後、すべてが終わってしまうのではないかと思わせる何かが、雛菊に待ったをかけた。

「何だったか、おめぇとの出会いか?」
「あ、あい。そ、そうでやす」
「まぁ、隠すもんでもねぇし。このまま女に主導権握られて喜ぶ助平と思われんのも癪だ。命を助けてもらった礼に教えてやんよ」

 そう言って宗介が話し出した昔話は、雛菊の記憶にないものだった。

 宗介と雛菊の出会いは数年前に遡る。当時、雛菊の水揚げ(遊女が初めて客を取る行事)翌日に開かれた祝宴に宗介が呼ばれていたのがきっかけだった。
 雛菊の水揚げを買って出た紀伊国屋の大旦那と宗介は昔からの顔馴染みだった。若かりし頃の生意気な宗介を気に入り、大旦那は事あるごとにちょっかいという名の援助をしていたらしい。
 今は大店として栄えている越後屋だが、宗介と大旦那が出会った頃は、簪や櫛など小物を売る小売店に過ぎなかった。
 宗介は越後屋を大店にするため、大旦那に頼み込み、商売のノウハウを学んだという。
 大旦那の下、メキメキと頭角をあらわした宗介は代替わり後、数年で江戸一番の呉服問屋へ越後屋をのし上げた。初めて雛菊と出会った宴席も、宗介が大店の主人と世間に認められてから初めての宴席だったという。

「初めて見た雛菊は、人形みてぇな面して座ってたよ。口元ひとつ綻ばさねぇすました顔して座るおめぇに、皆、夢中だった」

 当時のことが雛菊の脳裏をよぎる。あの時は、必死だったのだ。値踏みするような男達の視線にさらされ、それでも負けまいと気を張っていた。
 水揚げが終わったばかりの雛菊に、他の旦那衆へと愛想を振りまく余裕などなかった。それだけは覚えている。

「宗介さまも、あっちに夢中だったでやすか?」

 茶化して言った雛菊の言葉に、宗介は不機嫌そうに言葉を紡ぐ。

「いんや、ちっとも。綺麗な人形に興味なんざあるかよ」
「……そうで、ありんすか」

 宗介の言葉に、なぜか雛菊の心が沈む。しかし、その理由がわからず雛菊は困惑するしかない。

「ただな……、おめぇが一瞬だけ見せた笑みに盃を落としちまった」
「はっ? 盃を落とした?」
「あぁ、じじいにだけ向けた笑みを欲しいと思った。おめぇの目に、誰もいなきゃ別に良かったんだ。だが、あん時、おめぇの目に写っていたのは、じじいだけだった。それに、嫉妬したんだよ」

 寝転び天井を見上げていた宗介が横を向く。そんな宗介の背を見つめ雛菊は沈んだ心が、ふわふわと浮くようなこそばゆい感覚をおぼえていた。

「そりゃ……、馴染みは特別でありんすから」
「そうさな。だから、おめぇの馴染みになりたかった。ただ一人、俺だけが」

 がばっと起き上がった宗介が立ち上がり、雛菊の元へとにじり寄る。背後から抱きしめられ耳元で囁かれた言葉に心臓が大きく跳ね、身体に火がともる。

「雛菊……、おめぇに惚れてんだ。どうしようもねぇくれぇに」
「よしてくんなんし。もう、朝でござりんす。廓遊びは終いでやんす」

 高鳴る鼓動を誤魔化し笑みを浮かべた雛菊は逃げをうつ。しかし、逃がしまいとする宗介に押し倒され、雛菊は天井を見上げていた。
 真剣な眼差しの宗介が雛菊の頬を撫で、畳へと散らばった髪を一房掴み口づけを落とす。愛しい者へと口づけるような、その仕草に雛菊の心臓が跳ねる。
 どんどんと熱を持つ身体とは裏腹に、雛菊の頭ではガンガンと警鐘が鳴り続く。

(騙されてはダメ。これは宗介の手のうちなのだから……)

「宗介さま、嘘はいけんせん。あっちとは契約を結んだ仲。ただ、それだけでありんす」

 宗介から放たれる熱い視線から目を逸らす。しかし、それを許さないとでも言うように頭を抱えられ、固定されてしまえば、宗介から目を逸らすことも出来なくなった。

「契約か……、確かに、おめぇと契約を結んだ。ただな、最初っから俺の気持ちは変わんねぇ。雛菊、おめぇを身請けするって言った言葉は嘘じゃねぇ」
「はっ? あれは、あっちと馴染みになるための方便じゃ……」
「いんや、違う。おめぇを身請けするために、馴染みになったが正しい。まぁ、契約はおめぇを繋ぎ止めるための策って――、あぁぁ格好つかねぇ」

 雛菊を離し上体を起こした宗介が、バツの悪そうな顔して胡座をかく。

「ほんと、おめぇの前だと格好悪りぃ男になっちまう」

 ざんばら髪をさらに掻き乱し俯く宗介の耳がわずかに赤く染まっている。そんな姿を見てしまえば雛菊だってほだされてしまう。
 そして、信じてしまう。宗介の言葉を。

「あぁぁ、ちくしょう!! 雛菊、俺の気持ちは本物だ。今回の事件が解決したら、もう一度、おめぇに申し込む。身請けをな!!」

 そう言って立ち上がった宗介が襖を開け出ていく。その姿を唖然とした面持ちで眺めていた雛菊だったが、階下から聞こえた『旦那、お帰りかい』と騒ぐ若い衆の声に我に返った。

「……身請けでありんすか」

 宗介の言葉を反芻するように呟いた雛菊の声が、こころなしか晴れやかだったことに気づく者は誰もいなかった。
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