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第1章 異世界武者修行編
第126話 夏休み最後の日(1)
しおりを挟む建設機械のように鳴る蝉の声の目覚まし時計で瞼を開けると、そこは僕の自室だった。
当初、頭が上手く回転してくれなかったが、徐々に鮮明に僕が経験した出来事を思い出してくる。
(そうか、僕は帝都ハーリアに攻め込んで一度ベリアルにボロ負けした。そこで反則的なスキルを開発してベリアルに勝った。
そして――)
ベリアルとの今生の別れは骨に食い込むような寂寞感を僕に起こさせていた。それは生涯一人と会えない掛け替えない親友との別れのようで、ベッドの中で声を殺して泣いた。
……
…………
………………
散々泣きはらした後で自身の異常性について再認識する。
ベリアルはハーリア市民を虐殺しようとし、北斗の行為を助長させた張本人だ。怒りを覚えることはあっても、肯定的な感情を抱くことはあり得ない。
それにもかかわらず、僕はベリアルに対し親友にも似た感情を持ってしまっている。ベリアルとの決別に針を飲むような呵責の悲しみにとらわれてしまっている。
他にもいくつか異常な事が僕にはあるが、これ以上考えても不安になるだけで意味などほとんどない。ひとまずは考えないようにするのが先決だろう。少なくともこの狂わんばかりの喪失感がなくなるまでは――。
気を取り直して自前のパソコンでメールチェックでもすることにする。
パソコンを立ち上げると、今日が2082年9月2日(水曜日)であることが判明する。
どうやら、1日以上も寝ていたらしい。
明日からまた明神高校での生活が始まる。
倖月姉妹や倖月陸人とまた顔を合わせなければならないことを考えると正直気が重いが、それもあと少しだ。
僕との盟約により倖月竜絃は3年間で僕が主席になれば願いを一つ聞かなければならない。主席になった際の僕の願いは当然、『僕と沙耶に金輪際関わるな』だ。つまりは一度でも学年で主席になれば、明神高校など辞めてよいのだ。
そして明神高校の成績評価法は実技が60%、筆記が38%。教師の日常評価点は2%に過ぎない。
筆記は元々得意だったし、ステータスの上昇により記憶力、演算能力、並列思考能力は以前とは比べられない。確実に満点をとれる。
実技は基本、中間と期末の対外試合で決せられる。今の僕に明神高校で敵がいるとは思えない。今年は無理でも来年には主席をとることができるだろう。そうすれば、もう二度と倖月家と関わる必要はなくなる。
そう考えると明日からの憂鬱な日々も耐える事ができそうだ。
数日前にメールは一度チェックしている。それからたった数日しか経過していないのに引くくらいメールが来ていた。そしてその宛先の9割が楠恭沙耶。僕の妹からだ。
当初の数件は部活での何気ない報告だったが、僕がメールも返さず、電話にもでないから徐々に怒りの内容に変わり、その怒りも次第に泣きそうなくらいの不安に変わっていく。
最後は『住んでいる場所くらい教えろ、ばかぁ!!』というメールで止まっていた。僕はこの場所を沙耶には教えていない。倖月家に取り入ろうとする阿呆にいつ何時襲撃されるかわからなかったから。
この数日、色々あったとはいえ電話すらかけなかった。毎日しつこいくらい電話をしていた僕がいきなりでなくなれば心配性の沙耶のことだ。不安にくらいなる。兄さんに任されたっていうのに、僕はお兄ちゃん失格だ。
メールで生存確認をしつつ、電話を掛けるが出なかった。沙耶は一見大人しそうに見えるが、僕と兄さんと妹だけあり、やたらと行動力がある。あまり無茶をしていなければよいのだが……。
着替えてリビングへ入るが、今は午前10時。誰もいないと思っていたが、一人だけいた。アリスだ。
アリスはソファーで大の字で寝ていた。しかもおへそを出してだ。この子は自分が女の子いう自覚はあるのだろうか。ホント益々沙耶のようだ。
風邪をひくといけない。リビングにある箪笥からタオルケットを取り出してかけてやる。
次いでに冷蔵庫から朝食にできそうなものを取り出し料理を開始する。久々の調理は中々新鮮だった。
味噌汁に野菜炒め。ハムエッグ。まさにザ・朝食な料理を作り上げ、テーブルに置く。
御飯をよそっていると、背中に人の温もりがする。
「アリス?」
このリビングにはアリスしかいない。
「…………」
無言のアリスに怪訝に感じながらも、御飯の器を脇に置き、振り返る。
案の定アリスだった。
しかし僕の想像通りの快活なアリスのではなく、目尻に涙を溜めながらも不安そうに僕を見上げてくる。
泣き出す寸前の沙耶のようで嫌な予感が脳裏を霞めたが、子供をなだめる方法など僕には一つしか思いつかない。
頭に手を置きできるだけ優しく撫でてやる。こうしたら落ち着いてくれると思ったのだが、全く逆効果だった。
アリスは小さな子供のように顔を歪めて泣き出した。人がいないとは言え、流石に女の子に抱きつかれて泣かれるのは体裁が悪い。まあ今更とは言えなくもないが……。
アリスの背中を掌で軽く叩き落ち着けると、テーブルの席に座らせる。
まだ壮絶にしゃくりあげているアリスに冷蔵庫からオレンジジュースを取り出し、コップに注ぎアリスに渡す。
一気に飲み干してやっと落ち着いたようだ。
隣に座り、ハンカチで涙でグシャグシャな顔をふいてやるとさらに涙がジワ~と滲んできた。
流石の僕もこのアリスらしからぬ様子に不安になってきた。ステラやマリアさんに何かあったのだろうか。
「アリス、どうしたの?」
こんな時に焦って聞くのは逆効果だ。できる限り優しく問いかける。
「キャスちゃんが暗い顔をしているから理由を聞いたら、マスターが帝都に一人で攻め込んだって聞いて……戻ってきたけどずとって寝てて起きなくて……このまま……ずっと寝てるのかもしれないと思ったら不安で……ふあん……ぐすっ」
言葉が最後まで続かず再び泣きモードに突入するアリス。僕は大丈夫だというアピールのため、いつものように乱暴に頭を撫でる。
再度、僕の胸に顔を埋めて泣き出してしまう。
キャスさんには帝都戦直前に会った。いつも以上に行動の根拠が不明な思金神が彼女に僕の出撃を知らせたものだから、彼女にも過剰な心配をかけてしまったようだ。
背中を叩いて宥めていると、背後に気配がするので振り返ると僕が今一番会いたかった女性ステラがいた。
彼女はアリスと同様、目に涙を溜めていたが僕とアリスを見て目を丸くして硬直化している。暫く、身動ぎすらせず僕とアリスを眺めていたが、涙を袖でふくと僕らの対面のテーブルに静かに座る。
そしてその完璧な造形ともいえる美しい顔に微笑を浮かべながら僕とアリスに視線を向けてくる。
何の言葉もないステラに一抹の不安を覚えながらも恐る恐るその真意を訪ねる。
「ス、ステラさん……?」
「何でしょうマスター」
突如、氷のような微笑を浮かべてくるところなど、マリアさんそっくりだ。やはり、親子。そう思わずにいられない。
アリスもやっと人の気配を感じ取ったのか、僕に抱きつきながらも対面に座るステラに視線を向ける。ステラを視界に知れると、大慌てで僕から離れると全身真っ赤になって俯いてしまうアリス。
心なしか、それで僕とアリスを見るステラの無言の微笑が二割増しになったように思える。
「ステラ、も、もしかして怒ってる?」
「いえ、ステラ、怒ってないです」
(いや、絶対それ嘘でしょ!!)
アリスはそそくさとソファーへ行き、テレビをつけゴロンと猫のように寝転がった。
(彼奴――逃げやがった……)
笑顔のステラに見守られながらの食事。それは少し前までの僕が夢にまで見たことのはずなのに、居心地は最悪だった。
ステラの不自然な微笑が消え、やっと普段の彼女に戻る。
ひどく神妙な顔つきで僕の目を見つめてくる。
「マスター、ごめんなさい」
突然、頭を下げられた。近頃、理解不能な態度を取られることが多い。このステラも例に漏れない。
「ごめん? どういうこと?」
今日のステラは明らかに変だ。怒ったと思うと泣きそうな顔で謝る。
「…………」
ステラは俯き、膝に置いた手を震わせている。
両手に雫が落ちている。どうやら、泣きそうなのではなく、泣いているらしい。
そのステラの姿は、僕に胸が炙られるような焦燥感を起こさせる。
(一体、何なんだよ? 皆もっともわかりやすい反応を僕にとってくれ!)
僕の心の悲鳴は当然のごとく無視され、ステラはハラハラと泣き続けた。
アリスのような子供の慰め方なら沙耶で知っているが、ステラのような同世代の女性に対する宥め方など僕が知るはずはない。僕は情けなくも終始そんなステラを眺めることしかできなかった。
……
…………
………………
「次からはステラに一言ご相談ください」
「はい……」
数分後、再び僕は怒られていた。泣きはらした後やっとステラは普段の強く優しい彼女に戻った。まあ、強がっているだけもしれないが。それでも僕は笑顔の彼女が好きなんだ。それは少し前までの僕らに戻ったようで妙にテンションが上がった。
ステラから僕が寝ていた間の報告を受ける。
まずは獣魔国について。
帝国皇帝が倒れたことにより帝国の有力諸侯――トビアス・ヤクシャナさんと事前に締結していた条約が効力を発生した。さらに大国たるフリューン王国、エルフ国ミューと同盟関係を結んだことにより、聖常教会は獣魔国に布教を許した。これにより、獣魔人は正式に人間種にカテゴライズされることになる。これで獣魔人を面と向かって迫害する勢力はこの西側領域にはいなくなった。
予定通り、このことをもってキャスさん、ロブさん、ルーガさんは《妖精の森》への加入が正式に認められた。
次が祝勝会について。
本来今日はギルドハウスの建築の完成と帝国戦の勝利の祝勝会の予定だったが、ギルドハウスの施工の遅れを理由に延期となったそうだ。
仮にも僕の命のギルドハウスの施工を思金神が誤って遅らせるなど考えづらい。他に理由があるとみて間違いはない。
この度、ビショップとかいうクソに改造された少年と母親について。
《改造憑依》は人間の生態をまるで異なる生物へと変える術であり、不可逆性の代名詞だ。
だがステラの報告ではさほどの苦難もなく問題は解決したらしい。
即ち、次のような方法だ。
思金神は少年とその母親を《神王軍化》により使徒化し、さらに《使徒進化》により少年と母親を高位人間まで進化させた。
高位人間への進化は新たな生まれ変わりに等しい。今までの人間と身体の構造を根本的に変革させる。この現象を利用し、人間の際に改造された少年と母親の身体を一度リセットし、高位人間の身体へ導いたわけだ。
進化など地球でもこの異世界アリウスでもそう簡単に為せるものではない。しかし、僕らの《神王軍化》はこの理すらも容易に捻じ曲げ、《改造憑依》の不可逆性を打破した。
少年と母親は以後、《妖精の森》に加入し、《森の食卓》、《森の美容院》、《森のブティック》の何れかに所属することになる。
兎も角、ビショップとかいう屑にはそれ相応の地獄を見てもらう。一応、思金神にも『徹底的にやれ!』との命をだしている。
まあ思金神は僕の現身であり願望器。僕の命の有無にかかわらず、とびっきりの絶望をあの外道に与えることになるだろう。
話はいつの間にか報告から《終焉の迷宮》へと移る。気付くとアリスも僕らの話に混ざっていた。
「じゃあさ、じゃあさ! 今すぐ最後の試練の攻略に行こうよ!」
明日から僕は《明神高校》、アリスは近隣の《黎峰中学校》へ通うことになる。
要は今日が一つの区切りなのだ。《終焉の迷宮》は事実上僕らの冒険の始まりだった。ならば、その終わりもまた今日この日に終わらすべきだ。
「そうだな。今日は一つの節目か、迷宮探索も悪くない」
「ステラも賛成です。久々のマスターとアリスとの冒険ですし……」
アリスがニヤけた顔でステラの耳元で囁く。例のごとく、真っ赤に発火したステラにより肘鉄をくらい悶絶するアリス。
(この姉妹、進歩がない……でもなんかほっとする)
もっとも、この関係が仮初のものだとは僕にだってわかっている。彼女達と僕の関係は数日前からガラリと変わってしまった。もう二度とあの頃には戻れない。そんな事は頭のいい彼女達なら理解しているはずだ。ステラもアリスも必死で自己の役割を演じているのだろう。
なら僕も演じよう。例えその役割が滑稽な道化だとしても――。
応援ありがとうございます!
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