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第1章 異世界武者修行編

第105話 英雄誕生(2) マリア

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  マリア・ランバートは北斗から距離を取りつつ油断なく自身のショートソードの剣先を奴へ向ける。
 自制できないほど震える怒りもマスターのおかげで綺麗さっぱり収まっていた。

 キョウヤ・クスノキ。グラム最強ギルド《妖精の森スピリットフォーレスト》のギルドマスターであり、娘達二人の恩人。そしてマリアを地獄から救ってくれた人。
 マスター――キョウヤはありとあらゆる意味で不思議な人だった。
 地球という異世界との交通をできるゲートを持つこと。
 他者の必要経験値・スキルポイントを50分の1にし、獲得経験値・スキルポイントを150倍にすること。
 スキル・魔術を自在に開発し、他者に分け与えることができること。
 おとぎ話のようなギルドハウスに、空飛ぶ船を作り出す技術力。
 数多くの高い戦闘能力や特殊技能を持つ仲間も持つこと。
 まだまだ挙げればきりがない。これらのどれを取ってもマスターと出会う前のマリアなら一笑に付していたことばかりだ。
 現にマスターが持つ力の一部を見ただけで義兄のワイアット・ランバートは妖精王と勘違いしてしまった。確かにマリアもマスターとの出会いがなければ妖精王のような超越的存在というくくりでしか見れなかっただろう。
 もっとも出会いと言ってもそれはマリアにとっては良い思い出では断じてなく、逆に最悪と言ってよいものだった。
 それはマリアの過去の悪夢への回帰。マリアは世界で最も愛する夫――バッカスを見殺しにしたのだ。しかも目の前の北斗とかいう人間の腐れ外道に愛を叫びながら。その事実を思い出してしまった。
 操られていた? 精神支配? 例えそうであっても夫はそんな事知りはしない。マリアを憎悪し死んでいったはずだ。そんな見当違いな恥知らずな考えを抱いていた。
 心が崩れかかっていたマリアをマスターはただそっと手を握って『マリアさんは悪くない』と言い続けてくれた。今から思い返すと顔から火が出る思いだが、このときのマリアにとってマスターの手の温もりほど心が落ち着くものはなかった。
 
 次の日、瞼を開けると右手に温もりがあった。マスターがマリアの手を握りながらベッドの脇に設置された椅子で眠っていた。一晩中、手を握っていてくれていた。そう考えるとなぜか心がポカポカ温かくなる。同時に昨日断続的に思い出していたバッカスの死の瞬間の光景は不思議にも頭をよぎらなかった。
 もっともマスターが視界からいなくなるとすぐに不安になり、あの悪夢の光景を思い出してしまうのだが……。
 そしてその日、マスターから事の真相を聞いた。バッカスはマリアのことを最後まで信じており、死の瞬間まで微塵もマリアの愛を疑いすらしなかったのだ。
その事実を聞いたとき体の中から無限に溢れてくる温かいものを押し隠すことができず、ただ感情に任せて泣き続けた。
 
 それから半年ぶりに愛する娘――ステラ、アリスと会い、強く抱きしめることができた。彼女達はすでにバッカスの死を知っていた。だからマリアは『ごめんなさい』とのみ彼女達に伝えるが、逆に二人に励まされてしまう。
 魔術師の誓約の宣誓をしてから、いくつかの魔術やスキルをマスターに貰い、娘達とグラムにある《終焉の迷宮》へ行きLvを上げる。
 ギルドの生活にも慣れ、念願の娘達との家族水入らずの生活を送れるようになったわけだが、ここでマリアにとって想定外な事態が起きる。
 マスターの存在だ。なぜか妙に気になる。傍にいるといつの間にか視線の先はマスターに向いていた。
 勿論、恋などという甘いものではない。マリアは39歳。エルフとしてはまだ若者にカテゴライズされるが、それでもそれなりの歳を生きている。さらに2児の母だ。娘と同年齢の少年に一目惚れなどあり得るはずはない。少なくともこの時までは間違いなくそうだった。
 おそらくこのときあったのはマスターに対する強烈な興味。
 この興味の対象はマスターの有する超常的力のような外面ではなく、彼を形成している内面。
 人間の十代などそれこそエルフにとっては幼児に等しい。通常、アリスほどの精神年齢が通常だろう。早熟気味の焔雫がいいところだ。しかしマスターから感じられる雰囲気は人間の十代とはとても思えない。むしろ数百年生きている長老会のハイエルフ達よりも老獪だった。元々好奇心が強いこともあり、マスターをひたすら観察する。

 《森の神学校フォーレストセミナリー》の子供達を遠くから親のような豊かな心で見守るその姿。
 ギルドメンバーなら分け隔てなく接しその言葉に耳を傾けるその姿勢。
 精霊や妖精王すら引き付けるそのカリスマ。
 そしてお節介にも思えるほどの優しさ。
 ほんの数日に過ぎないのに次々とマスターの一面を知り、マリアの心は弾んでいた。
 ここまではいい。だが好奇心も度が過ぎると碌なことにはならない。それをマリアは知っていたはずなのに……。
 
 自身の危険な気持ちに気付いた切っ掛けは娘のステラの変容だった。
 ステラがバッカスの死を知ってから様子がおかしい。それはかなり前からマリアの耳にも入ってきた。観察してみると確かに普段のステラではない。あの優しい子が帝国兵を殺す旨の発言を公然とするようになってしまっていた。その姉の姿にアリスも悲しんでいる。
 全て北斗などという俗物に操られていたマリアのせいだ。このままではいけない。これ以上娘達を悲しませてはいけない。何度もステラと話そうと思ったが何を言っても言い訳にしか聞こえない感じがしてその一歩が踏み出せない。
 そんなマリアの葛藤の中、今朝マスターはステラに帝国戦の永久欠場を命じた。マスターの進退まで言われればステラは命に逆らえない。これでステラは救われた。マリアにどうすることもできなかったことをマスターは簡単に成し遂げてしまった。流石はマスターだ。感謝で胸がふさがれたような思いになりマスターの元へ行き感謝の言葉を述べる。
 しかしステラの涙の意味を水咲から囁かれてマリアのマスターに抱いていた感情は感謝から一転して否定的なものに変わる。それは初めてマスターに対して抱いた負の感情だった。その理由を考えたとき不意に自身の気持ちに気付いてしまう。
 信じられなかった。バッカスの死を悲しんでからそう日が経っているわけではない。しかもよりにもよって娘と同世代の子供に恋をするなどあり得るはずがない。
 しかし反面、一度気付いた気持ちは明確に形作ってしまう。今やマスターの顔が近づくだけで火がでるように顔が発火し、心臓が痛いくらいにバクンバクンと鳴り響く。
 もうごまかしがきかない。マリアはマスター―――キョウヤ・クスノキに恋をしている。
 とは言えマリアはバッカスへの愛を失ったわけではない。未だに大好きだ。そしてそれは死ぬまで絶対に変わりはしない。こんな中途半端な思いをマスターに向けるのは失礼だ。
 それに今回ステラを救っていただいた恩もある。マリアごときおばさんに思いを向けられていい気持はしないだろう。
 だからこの思いを打ち明けるつもりは一生ないし、マスターの恋を応援することに決めた。仮にそれが娘達でも彼女達にその意思がある限り、マリアは全力で道化を演じよう。

(あれほど憎いはずのバッカスを殺したかたきの前なのにこんな呑気な事を考えているだなんて……)

 その事実にマリアは軽い驚きを覚えていた。勿論、北斗が憎いことに変わりはしないが、その憎しみに支配されたりしない。要は心に余裕があるのだ。

(これもマスターが原因? まったくあの人は……)
 
 そろそろ始めよう。せっかくマスターと《妖精の森スピリットフォーレスト》の仲間達がこの舞台を設定してくれたのだ。万が一にも失敗は許されない。
 マスターに造ってもらった小剣ショートソード――『リジル』を握る手に力を入れる。
 この『リジル』は《神王の指輪》の分類では《混沌》LV11の武具。今着ている緑のローブもマスターから頂いた《神級》Lv10の防具。
 《終焉の迷宮》で修業をできたのはたった数日過ぎない。いくら多くの戦闘系のスキルや魔術を所持していても使いこなせなければむしろ把握の邪魔になるだけだ。
 そこでスキルは《混沌》第6階梯の身体能力向上スキル《超縮地》と《混沌》第8階梯の剣術スキル《修羅道》、さらに精神系の耐性スキル。魔術は【終の樹術Ω】のみを所持している。
 ステータスも装備もスキル・魔術も全てマリアが上回っている。唯一の懸念は奴のする腕輪――《竜王の腕輪》の【竜王化】だけだ。

「マリア、最後のチャンスだ。僕と一緒に来い!
 僕と来れば全てが手に入る。金も権力も、人でさえも!」

「くどい! 貴様と同じ場所で息をするだけで私は鳥肌が立つ」

 マリアの侮蔑の言葉に顔が般若面のように鋭くとがる北斗。

「僕が大人しくしていればつけ上がりやがって! 僕に逆らったらどうなるか、お前の体にたっぷりと教育してやる!」

 北斗も鞘から聖剣を抜き放ちマリアに剣先を向けてくる。
 計画では北斗と当初は互角の競り合いをしてその後、派手な技で北斗を追い詰め圧倒する。北斗が能力向上の腕輪を持っていたおかげで本作戦は比較的上手く運びやすくなった。
 
 さあ開戦だ。
 ゆっくりと数歩踏み出し北斗との間合いを一気に縮める。
 瞬きをする間もなく眼前に現れたマリアに北斗は指先一つピクリとも動かすこともできず目を大きく見開く。

(ちゃんと構えて! これでは計画を遂行できない)

 一呼吸置き、上段に構えた『リジル』を北斗の脳天目掛けて振り下ろす。

 ギイイィンッ!!

 必死の形相で両腕に握る聖剣で辛うじて受けるがその衝撃を殺しきれず地面に片膝をつく。
 マリアは間髪入れずに一撃を放った勢いのまま体を独楽こまのように回転させ、遠心力のたっぷり乗った左回し蹴りを北斗の右頭部へお見舞いする。

 ドンッ!!

 北斗に着弾し爆音を上げつつも弾丸のような速度で遥か後方へ吹き飛んでいき結界の壁に叩きつけられる。

(え? これ……)

 誰も一言も言葉を発せず唖然と目の前の光景に目を奪われている。そしてそれはこの静寂を作り出したマリアも同じ。

 想定外だ! マリアはかなり手加減をして一連の攻撃をした。そもそもマリアはあくまでゆっくりと北斗へ足を踏み出したはずだ。ステータスが大幅に向上した北斗ならマリアの動きに反応くらいしてしかるべきだ。それがピクリとも反応できずに、マリアが動きを鈍らせる必要に迫られた。
 さらにたたらを踏ませようと軽く脛で蹴っただけで北斗が百メートル以上も飛んで行ってしまった。
 仮に渾身の力で蹴っていたらおそらく北斗の上半身は破裂していたことだろう。それほどの差があった。

 北斗は起き上がり、憤怒で血走った眼をマリアに向ける。その高い鼻はグシャリッと潰れ血がダラダラと流れている。

「マリアぁ!! この僕にぃ! ぶっ殺す!」

 聖剣を掲げた北斗が獣のような咆哮をあげてマリアに襲いかかる。まるでコマ送りのような北斗の動きに混乱しながらもマリアはそれをただ受け続けた。
 こうして舞台は計画とは真逆に驀進する。

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