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第1章 異世界武者修行編
第97話 帝国検問(6)
しおりを挟む帝国の兵士達の気配が徐々に迫っているのを感じる。
「リー、俺が囮になる。お前は先に進め!
頼んだぞ! 祖国を守ってくれ!」
仲間の一人がリーの背中を叩くとその返答も待たずに飛び出していく。
ここで囮になれば待っているのは奴隷か死だ。それがわかっていながらも送りださなければならない。自分の無力さに情けないやら悔しいやらで、頭はぐしゃぐしゃだった。
しかし今のリーがここで足を止めれば仲間は無駄死にだ。それだけはリーは許せない。そう! 足を動かす以外にリーには道はない。
だからただ動かした。ひたすら動かした。
日の光を遮る高い樹木。エルフと異なり夜目が効かないヒューマンにはこの視界の悪さは致命的。更に、この山は方向感覚を狂わせる。そのおかげでどうにか逃げ延びている。
だがその樹木の迷宮も帝国軍の強化魔狼共を投入した数にものを言わせた山狩りで次第に追い詰められていく。
仲間も一人、一人減っていき、ついにリーに一人となってしまった。
体力の限界はとっくの昔に訪れている。鉛のように重い体に鞭打ち道なき赤茶けた坂道をひた走る。
前方から怒号がする。どうやら回り込まれたようだ。後ろからも馬鹿馬鹿しいほどの気配がする。
普通だったら絶体絶命。本来投降でも考えるべきところだろう。
だけど、リーは諦めたりはしない。今まで繋いでくれた仲間のためにも絶対に獣魔国へ到達してみせる。
そしてここを抜ければもう一度ステラに会えるのだ! あの愛しの顔を見れるのだ!
諦めてたまるものか!!
ヒュン!
右の脹脛に焼けるような痛みが走り転倒する。脹脛には弓が深々と刺さっていた。即座に矢を抜いて走りながら袖の布を千切り、足に巻く。
もはや方位指示の魔術道具に視線を向ける余裕すらない。ただ気配と声のする方から遠ざかるように逃げるだけ。
前方が明るい。やっと森を抜けるらしい。この森を抜けたらすぐ獣魔国の領土だ。そこに逃げ込めば帝国はもう手は出せない。
前方からは気配を感じない。リーは勝ったのだ。
この目と鼻の先は獣魔国。ワイアット戦士長の予想では獣魔国は国境付近に強力な番兵を放っているはず。そこで助けを求めれば任務は完了。
痛みすら麻痺した足を奮い立たせて森を抜ける。
しかし――そこは――。
崖だった……。
大波のように荒れる心を抑え込み、剣を多数の気配がする方向へ向ける。まだだぁ! 最後の瞬間まで諦めてたまるかぁ!!
「ひゃほ~、最後の一匹ゲット!!」
「ちっ、また男かよ。俺はやっぱ首都攻略の方がよかったぜぇ」
「そういうな。本作戦は男でも生死を問わず、一匹あたり50万ジェリーだぞ。捕縛したら100万ジェリー。破格すぎんだろ!」
馬鹿が。リーを手負いと見て油断するとは――。
リーはハイエルフ。指先一本動かせずともヒューマン数人屠るなど朝飯前だ。
高速で演唱を開始する。沈黙演唱はハイエルフとしてのリーの特殊能力。リーを捕縛した後の100万ジェリーの配分で揉め始めた帝国の兵士を尻目に魔法の演唱を完成させる。
(《土針》)
地の精霊を操作し地面を無数の針に変える。無数の針は弾丸の如く射出され、3人のヒューマンを串刺しにする。
「ぎぇ……」
潰れた蛙のような声を出して、三人は呆気なく絶命した。
絶命とほぼ同時に40代前半の髭面の男が8人の兵士を引き連れ現れる。
「馬鹿が、エルフ相手に気を抜きやがって!」
どうやら部隊長クラスのようだ。纏う雰囲気が他の一兵卒とは明らかに違う。
「距離をとって弓で両手両足を射抜け」
やはりエルフの弱いところも把握済みのようだ。
エルフの使用する魔法――精霊魔法は様々な点で一般魔法を遥かに凌いでいる。威力の点、演唱時間が短い点、何よりエルフなら誰でも使える点。
もっとも精霊魔法も万能ではない。長距離用の魔法の適正のない者が使用すると魔法の射程距離は一般魔法と比較しやや短い。
リーは純粋な前衛の魔法剣士タイプであり身体強化の魔法や射程距離が短いが強力な魔法のみに適正がある。
このヒューマンはリーを純粋な前衛タイプと判断しこのような命令にしたのだろう。
ヒュッ!
3人の弓から矢がリーに向けて放たれる。
それをリーは全て剣で叩き落とす。当たり前だ。ここで打ち抜かれれば万が一にもこの包囲網を突破する手段を失う。それはダメだ。リーは死ぬ瞬間まで諦めるわけにはいかない。
薄ら笑いを浮かべてヒューマン共を睨みつける。
隊長格のヒューマンから僅かにあった余裕が消える。剣を鞘から抜くと剣先をリーに油断なく向ける。
「気が変わった。此奴は危険だ。この場で殺す。
急所に向けて一斉に矢を射ろ! 一本でも当たれば致命傷だ」
最悪だ。対応を間違った。このまま射られて《沈黙演唱》で殺すべきだった。
ヒューマンの隊長が右腕を上げる。8人の帝国兵が矢をつがえリーに標準を固定する。さすがのリーもこの数の弓をすべて叩き落とすのは無理だ。
万事休すというところだろう。だが最後まで足掻いてやるさ。
最後の突撃をかけるべく剣先を帝国兵に向け身を屈める。
隊長格が腕を振り下ろす瞬間、リーは地面を渾身の力で蹴り上げ隊長格との距離を一気に詰める。同時に狙いがそれた弓が肩や左腕に刺さるが構いはしない。
剣を上段から袈裟懸けに隊長格に向けて豪速で振り下ろす。
剣は風を切り裂きながらも隊長格に迫る。筋力を上昇する魔法的付をした上でのリーの渾身の攻撃だ。剣で受けようとも両断する自信はある。
隊長格は口元を歪めて不敵な笑みを浮かべていた。強烈な悪寒がする。だがもう遅い。剣は止まらない。
「は~い。残念~~」
剣が隊長格に到達する直前、リーの右脇腹に拳がズドンと衝撃音を響かせながらめり込んだ。数メートルも体が持ち上がり地面に叩き付けられる。受け身も取れず数秒間息ができず、次いで気が狂わんばかりの凄まじい痛みが全身を襲う。
血が口から留めなく溢れてくる。アバラが折れて内臓に刺さったのかもしれない。要するに致命傷という奴だ。しかも――。
「……白……服……?」
煌びやかな白服を着た黒髪の目が細い青年がリーの腹部を踏みつける。
痛みにより自然と悲鳴が漏れる。
「無駄な努力ご苦労様ぁ~、うちらの参謀とれると思ったぁ?」
「う……ちの参謀……? まさか……貴様らは……?」
「ご明察の通り~。僕らは帝国軍。名前はありましぇ~ん」
帝国軍最強は勇者北斗だ。
しかしそれはあくまで表向きに過ぎない。真の最強は他にいる。それが斥候が命を賭して掴んだ情報。そしてその最強の部隊の名が《ロイヤルガード》。狂ったような白服をカラーとする狂気の集団。
ただ個々が勇者北斗を超える部隊などあるはずがないと長老会の馬鹿どもは一蹴した。
だが実際に白服の幼女により10人ほどのハイエルフの精鋭が皆殺しとなっており、戦士長達はその存在を認め、厳重注意を呼び掛けていたのだ。
「《ポーン》。無駄話はいい。守備は?」
「雑魚北斗じゃないんだしさ。この北東方面に逃げ込んだ鼠は全員捕えたにゃりよ。
ただなぜか中部と南東方面の奴らとは連絡が取れないがよぉ」
「ふ、南東方面には《ナイト》がいる。末席に過ぎんお前なら兎も角、《ナイト》なら問題はあるまい」
「あ~、それひでぇぜえ《キング》っちぃ!」
奴らは仲間を捕えたと言っていた。なら仲間の当面の命の心配はいらないようだ。
もっとも、リーは別枠であろうが。
「あ~? 君もしかして安心しちゃってたりするぅ?」
嫌な予感がする。これ以上は聞いてはいけない。そんな気がする。
「どういう……意味だ?」
「俺っち優しいから教えてあげるよ。
男は狂戦士化の実験。女は兵士達のストレス発散に有効利用――」
「っ!!?」
別に《ポーン》の言葉に意外性があるわけではない。捕縛されればそうなる可能性は十分すぎるほど予想できたことだ。
だが予想できるのと納得できるのはまた別の話。脳の毛細血管が線香花火のようにぷつぷつと破裂していくような感覚に襲われる。
「あら~、怒ったぁ? 怒っちゃったぁ? でも無理なんだなぁ~、君半死半生だものぉ~」
《ポーン》は片足に力を込める。
「~~っ!!」
神経に五寸釘を打ち付けたような想像を絶する痛みに声にならない悲鳴を上げる。同時にコポコポと口から大量の血液が流れ出す。意識も大分朦朧としてきた。
「ねぇ、これ殺していいんだよねぇ?」
「構わん。そいつは危険だ。直ちに殺すべき――」
《キング》はリーから視線を外し森の方角を凝視する。その顔一面に濃厚に浮かんでいたのはこの者には決して似つかわしくない感情。即ち――。
「《ポーン》、全力でこの場を離脱するぞ!! 足手纏いは全て捨てていけ!!」
「はぁ? 《キング》ちゃん、何訳の分からん事言って……ひっ!!?」
《ポーン》が森に視線を向け悲鳴を上げる。流石のリーも理解できた。
森の中に居る。おそらく、いや確実に《キング》や《ポーン》などとは比較にならない怪物が――。
あまりの強力な魔法力により空が青色に染まり、空の景色が歪んでいる。異常だ。こんな異常見たこともない。
《キング》は近くにいた兵士の胸倉を右手で軽々と掴むと無造作に森の方向へ投げつけ、後方の崖へ跳躍する。
弾丸のような速度で一直線に飛ばされた兵士が森へ消えたとき、我に返った《ポーン》も離脱しようとするが――。
「散々、やりたい放題やって逃げるつもり? いえ、逃げられるつもり?」
《ポーン》の背後には一人の美しい女性が佇んでいた。
(嘘……だろ?)
それはリーが今一番会いたかった女性。愛しの幼馴染――ステラ!
「来るなぁ!! バケモノォォ!!!」
恐怖で声を震わせながら振り向き様に右手に持つ剣をステラの脳天に高速で振り下ろす《ポーン》。風を切って迫る斬撃はステラの頭頂部スレスレで停止した。
「へ? ば、馬鹿な……掴ん……だ?」
《ポーン》の素っ頓狂な声色を聞き、リーにもステラが剣先を親指と人差し指で掴んでいるのを認識し得た。
先ほどの《ポーン》の剣筋は早かった。剣が得意なリーでさえも視認し得るのがやっとだったのだ。それを避けるのではなく指で掴むなど悪い冗談だ。
ステラが指に力を入れると剣はグニャリと粘土細工のようにねじ曲がる。
「ひっ!!?」
地べたに尻餅をつく《ポーン》。ステラは《ポーン》に目もくれずリーに近づき上半身を起こすと真紅の液体を口に含ませてくる。
体が発火するかのように熱くなり、今まであった気が狂わんばかりの痛みが嘘のように消えていく。気が付くとリーの体には傷一つ無くなっていた。
「リー、まだ寝ていて。無理に動いては駄目」
「お前らぁ……なっ!?」
《ポーン》は他の兵士達に助けを求めるも、ステラの魔法力に当てられ全員が気絶して地面に伏していた。
女性は《ポーン》に近づくと右手の掌を《ポーン》に向ける。
「た、頼む! 助けてくれ! 俺は命令されてやっただけだ!」
「…………」
《ポーン》の必死の命乞いにステラにあった最後の感情である憤怒が消える。だがそれはステラが許したわけでは決してない。彼女は《ポーン》を同じ人間と思うのを止めたんだ。
このままでは駄目だ。彼女は落ちてしまう。昔の優しい彼女が死んでしまう。
そう考えると体は自然に動いていた。鉛のように重たい体を《ポーン》と女性との間にすべり込ませる。
「ステラ、止めろ。もう此奴に戦意はない」
「リーもう少し待ってて。すぐに終わらせて医務室に運ぶから」
噛み合わない言葉。本来の優しい彼女なら絶対にしないような魂さえも氷結されるような視線で《ポーン》を眺める。ここまでステラに我を忘れさすほど事を《ポーン》達帝国はしたということだろう。
――その事実に涙が出るほど憤激した!
――涙が出るほど悔しかった!
――何より彼女にこんな姿をさせる自分の無力が涙ができるほど許せなかった!
「阿呆がぁ!! 此奴の命が欲しかったら大人しく俺に殺されろ!」
《ポーン》がリーの首筋に剣を押し付けるが、その剣を持つ手首がズルッとスライドして地面に叩き付けられ血飛沫を上げる。
「ぎゃあああ!! 俺の手があぁぁ!!」
右手に透き通った槍を持つ金髪の目つきが悪い男性が《ポーン》の脇で侮蔑の視線を向けていた。
「ステラの嬢ちゃん、戦場に出るのは命令違反のはずだぜ。このドアホウは俺にまかせな」
金髪の目つきが悪い青年は《ポーン》の後ろ襟首を掴むとステラの返答を待たずに姿を煙のように消す。
ステラは暫し立ち尽くしていたが、弾かれたようにリーに近づき抱きしめてくる。
その今にも泣きだしそうな顔を視界に入れやっと普段の優しい彼女に戻ったことに安堵しリーはその意識を手放した。
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