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第1章 異世界武者修行編
第62話 鬼ごっこ(1)マティア
しおりを挟む2082年8月13日(木曜日) 22時22分 ???地区
(ふざけんな! あんなバケモノがいるなど聞いてねぇ! ペテロの野郎!! 帰ったらマジでただじゃおかねぇ!!)
マティアは上司であり本命令を出したペテロに悪態をつきつつも血城の街道をひた走る。ただあの黒髪の少年からできる限り遠ざかるために。
超高位の天使であり同化者であるライラがあの黒髪の少年を解析した結果、レベル自体は129の雑魚である事が判明した。
しかしマティアはそんなたわけた事を信じる気はさらさらない。あの黒髪の少年は《聖賢人》を蟻でも踏み潰すがごとく屠ったのだ。《聖賢人》のレベルは100後半台。100前半の者が打倒し得るはずは本来ないのだ。それを空から無数の刀剣を生じさせ串刺しにした。
あの刀剣は危険だ。一つ、一つが教会が保持する神具クラスの強度がある。そんな刀剣を無数に出現させ、あろうことか使い捨てにしているのだ。正気の沙汰ではない。
ただ一つはっきりしていることがある。あの黒髪の少年にとってあの神具すらも使い捨ての鉄の剣と同じ価値しかないという事実。それだけでライラの解析が誤りなのは間違いなのだが、さらにあの黒髪の少年の背後に出現した懐中時計。あれはヤバイ。確実に超越的な奇跡を体現したものだ。
そして何より敗北すればあの黒髪の少年に生殺与奪を握られる。
冗談ではない! 彼奴の目はマティア達を人間としてみなしていなかった。だからと言って蟲のような下等生物と見なしていたわけでもない。
人間でも虫を殺すときは嫌悪感を覚えることは多い。他者の命を奪う事に一定の感情が現れるのが通常なのだ。だがあの黒髪の少年が《聖賢人》を殺したとき彼奴の目には嫌悪感や罪悪感はおろか愉悦感も快楽も何の感情も浮かんではいなかった。
一番近いのは道端の石ころ。石ころに足を躓いて怒る奴はいても石ころを憎む奴はいない。それと同じだ。あの黒髪の少年はマティア達を石ころ以上には考えていない。そんな奴がマティア達をどうするかなど火を見るよりも明らかだ。今まで経験した拷問が子供のお遊びに思えるほどの地獄が待つことだろう。
(ライラ、あのバケモノとの距離は?)
(知らん。ここの領域全体が不自然に歪んでいるのだ。私の探索能力の全てが使用不能となっている)
答えるライラは僅かに震えていた。これも異常だ。ライラは天使の中でも上位に位置する智天使であり、戦闘に特化した天使でもある。特に戦闘狂であり目立ちたがり屋なライラは強者との闘いになると決まって身体を明け渡せと要求してくる。そのライラが今回妙に大人しい。いや違う。大人しいというより、怯えていると言った方が正解だろう。
(あのバケモノ、やっぱ、ペテロと同じ神格者か?)
(じゃろうな。それ以外であれ程の奇跡を体現し得るはずもない)
ライラもマティアの予想に同意する。もっとも予想というよりマティアは端から確信していた。
『神格者』は人の身でありながら、マティアが信仰する主に限りなく近づいた存在だ。
この『神格者』に至るにはいくつかの厳格な条件をクリアする必要がある。
第一――同化者同士の魂が混じり合い一つの生命体となること。
第二――『神』に至る試練を攻略すること。
第三――自身より絶対的な強者を屠る事。
このような厳しい条件を満たし至った『神格者』は他者と隔絶する程の能力を有する。
かつて『神格者』が山を素手で砕いたことがあった。
かつて『神格者』が一国の軍と魔術結社を完膚なきまでに殲滅した事があった。
かつて『神格者』が伝説級の兵器を量産し世界を混乱させた事があった。
神格を得ることは言うまでもなく神へと至る道。強さを真理と同等のものとして求める魔術師にとっても到達点であるのは間違いない。
だが五界の住人にとって『神格』を得ることは魔術師以上の意味を有する。というより、五界の住人にとって『神格』を得る事はその長い人生での唯一の目的と言っても過言ではない。これは魔術師が真理を求める事と似ているかもしれない。つまり魂に遺伝子レベルで組み込まれているものであり、理屈ではない。
あの黒髪の少年の存在の強度はその『神格者』以外考えられない。
超常的神剣を雨霰のように振らせる事。
あの圧倒的ともいえる威圧感。
そして何よりあの宙に浮く懐中時計。
どれを取ってもあのバケモノが『神格者』であることを強く示唆している。
それにしてもどういう訳だ? レベル242の筋力にものを言わせてマティア達は疾駆している。とうの昔にこの血城の城壁に到達してしかるべきだ。それがさっきから一向に周囲の風景に変化がない。
これは現実なのだろうか? まるで御伽噺の不思議な国にでも迷い込んでしまったような強烈な違和感がある。
(それにこりゃあどういう事だ? なぜ人っ子一人いねぇ?)
この血城には教会の戦闘部隊――《神の使い》、《大蛇》、《白蝶》、《聖剣》の兵隊がたっぷりいたはずだ。その姿が全く見えない。
あの黒髪の少年に皆殺しになっているならまだ納得がいく。それくらい奴なら訳がないはずだから。
しかし生存者どころか死体すらいない。その事実に恐怖が激しくマティアの胸の底で蠕動する。
(俺達はあのバケモノの腹の中か……)
(のようじゃな。マティア、覚悟を決めよ!
このゲーム――《鬼ごっこ》とやら自体がゲームマスターに明らかに有利に創られておる。おそらく逃げるのは不可能じゃろう)
この状況を鑑みればもはやそんな事は自明だ。《鬼ごっこ》のもう一つの条件である奴の殺害を成し遂げるしかこのふざけたゲームを抜ける方法はない。
はるか前方に青色の修道服達が視界に入る。
何時もは雑魚の集団など鬱陶しいという感想しか湧きはしないが、今は奴らの存在が砂漠の中で喉がカラカラに乾いた状況でのオアシスのように思える。
修道服の雑魚共に向けて地面を蹴る。
徐々に近づくにつれ修道服の雑魚達を肉眼でも捉えられるようになった。
そいつ等は――。
「っ!!? ゾ、ゾンビ化してやがる……」
そのゾンビ化された修道服達をみて雷に打たれたような震えが全身に荒い脈拍を伝える。
(マティア、マズいぞ! あのゾンビ、とんでもなく強いぞ! 全てレベル200はある。しかも其々よくわからん能力も持っている)
真面じゃない! あの黒髪の少年は絶対に真面じゃない!
人間が人間をゾンビ化する? そんな能力など聞いたことがない。少なくとも禁術クラスの術ではないと実現不可能だ。しかも《神の使い》の中には同化者も少なからずいた。それが同化者ごとゾンビ化する? 一体何の冗談だ!
更に、ゾンビ化した人間がレベル200を持つ。挙句の果てには特殊な能力のおまけつきらしい。全くもって普通じゃない! もう頭がおかしくなりそうだ!!
地面を混信の力で踏みつけブレーキをかけ反転すると頭に声が降って来た。あの黒髪の少年の声だ。
《ごめん。ごめん。説明していないルールがあったよ。
この楽しいゲームのキャストにそこのゾンビ君達も招待した。彼らは君達の息に含まれている成分に反応して攻撃してくる。逃れたければ息を止める事だね。
勿論、お決まりのゾンビ君に噛まれるとゾンビ化する効果は目下発動中だから気を付けてね。
じゃあ、楽しいゲームになることを祈ってる》
「ざ、ざけんじゃねぇ!! 何が楽しいゲームだ! 虚仮にしやがってぇ!!」
(お、落ち着け、マティア! 敵の思う壺じゃぞ!!)
頭にキンキン響くライラのヒステリックな声を無視して伝説級の武具である《聖槍》を右手に強く握り締める。
この武具はある遺跡から発掘された武具をライラの力によりマティア専用にカスタマイズしたものだ。
ただ魔改造し過ぎた結果、この覚醒した状態でなければ力を解放しただけで魔力切れを起してしまうという曰くつきなもの。
『槍よ。お前の真の力、俺に示せ!!』
右手に持つ聖槍にありったけの魔力を注ぎ込む。槍の先端が徐々に発光していく。この技の威力はすこぶる高いが槍に一定量の魔力を込める必要がある。故に接近戦では使いにくいがゾンビ共と一定の距離が開いている今なら使用可能だ。
「いけ、全てぶっ壊せぇ!!
《光槍爆雷》ぃぃ!!」
マティアが光りの槍を天に掲げる。槍の先端から生じた光が空へ浮かび雷を纏った光の球体を形成する。その球体から地鳴りを上げて殺到するゾンビ共に向けて数百もの光の雷が光速で落下する。
その光雷はゾンビ共――アンデッドの弱点たる『聖』属性であると同時に、数千度を超える超高温という物理的効果及び爆発という附属的効果もある。
当然のごとくゾンビ共は一瞬で蒸発し、さらにその聖なる光雷から発生した熱により地面、建物は軒並み焼き尽くされる。
《光槍爆雷》によりマティアの前方には半径十メートルにも及ぶ巨大なクレーターができていた。
いつみても出鱈目な威力だ。この威力故に通常《聖槍》の力の解放は禁止となっている。
今回のアンデッドの王たる吸血種の討伐のためにペテロから全性能の解放が特別に許可されたのだ。
肩で荒い息をしながらも霧散したゾンビ共を眺めつつ口角を上げるマティア。
だが――。
《あ~そうそう。まだ言ってなかったよね? ゾンビ君達はキャストだけどあくまでエクストラ。倒してもいくらでも蘇るようにしている。つまり倒しても無駄だよ》
蒸発し粒子の粒となったはずのゾンビ達の腕が、肢が、胴体が、頭部がゆっくりと蘇っていく。
《聖槍》でたかがゾンビが完全消滅できない? こんな馬鹿な事があってたまるか!
(マティア!!)
深い疑問と驚愕で頭がグッチャグチャになり、唖然と眼前の現実を眺めているとライラの悲鳴染みた声が聞こえてくる。同時に四方八方からゾンビ共が襲いかかって来た。
「くそぉ! 《千本光槍》!!」
《聖なるランス》の2つ目の能力――《千本光槍》を発動すると、聖槍は粒子状となりマティアの身体の表面に幾多もの小型の光槍を形成する。ハリネズミのようになったマティアは黄金の槍を今まさに襲いかからんとするゾンビ共に高速で飛ばす。ゾンビ共は無数の光の槍に貫かれ呆気なく蒸発し粒子に戻った。
凄まじい虚脱感がマティアを襲う。この《聖槍》は威力が高いが半端ではなく魔力を喰う。全力解放は後数回が限度だ。
槍に寄りかかり息を整えているとゾンビ共は再度復活を果たしマティアを睥睨する。
(…………)
滅したはずのゾンビ共に囲まれるという異常事態に頭が状況の把握を拒絶する。
(息を止めろ!!)
麻痺しかかっていた思考により、身体はライラの言葉通りに反応した。
マティアが息を止めるとゾンビ達は鼻先スレスレで停止し、当たりをキョロキョロと探し始める。
本当に息を止めるとゾンビ共は認識し得なくなるようだ。その事実に行き詰まりだと思っていた眼前にほっと灯りがともったような気持ちとなる。それはそうだ。マティアの身体能力なら数十分間息を止めても何ら活動に支障をきたさないから。
そんなマティアの思考を読んでいたように再度黒髪の少年の声が頭に響く。
《あ~補足だけど、この血城では細胞の酸素保持能力や視力・聴力等の知覚能力は通常の人間レベルまで落ちる。まあ精々彼らとの鬼ごっこを頑張ってよ》
(う、嘘だろ……?)
バケモノの言葉通り数分と経たずに苦しくなって来る。それは遥か昔に経験したマティアがまだ人間だった頃の懐かしい息苦しさ。
(何から何まで彼奴の掌の上ってわけかよ……)
息を止めつつ地面を蹴って近隣の家に入り、そのクローゼットの中に入り、肺に空気を入れる。
あの黒髪の少年は兎も角、ゾンビ達は視認してマティアを認識していた。ならこうして隠れるのもそれなりに効果はあるだろう。
体感時間では10分は経った。なら後20分ほど隠れていればマティア達の勝利だ。
1分でもいい。この場をやり過ごせればそれだけマティア達の勝利に近づく。
ポタリッ!
クローゼットの暗闇の中、マティアの頬に水滴が落ちる。
(雨漏りかぁ?)
余程動揺していたのだろう。そんな間抜けな事を考えてしまった。だが今日は晴天だ。夜空には雲一つなかった。何よりここは1階だ。雨漏りなどあるはずがない。
ギギッと頭を上に持ち上げ、眼球をクローゼットの天井に固定する。
「っ!!?」
あまりの悍ましさと恐怖で全身から急速に血の気が引くのを感じる。
(ざ、ざけんじゃねぇ!!)
数匹のゾンビがクローゼットの天井に張り付きマティアに真っ赤な眼光を向けている。
落下してくるゾンビから逃れるため転がるようにクローゼットから出るが、部屋内はゾンビで埋めつくされていた。
悲鳴を必死でのみ込み、《聖槍》――《千本光槍》を発動し殲滅する。
(マティア。間違いない。ゲームマスターとやらは我等の位置を正確に把握しゾンビ共を動かしている。
つまり――)
「なるほどな。《鬼ごっこ》とはそういう事か……俺達は目隠し状態、バケモノはフルの監視カメラ付きでのゲームというわけか」
とは言え、シモンと合流していない今、黒髪の少年に闘いを挑むなど愚の骨頂だ。やるならシモン達と合流後、マティア達の最大戦力で一気に打倒するべきだ。
最悪といえるほどバケモノに有利な条件ではあるが勝機はある。それはこのふざけたゲームとやらの参加者がマティアとシモンの二人だけではない事だ。
《12聖天》の長――ペテロは血の吐息攻略に先立ちマティアとシモンに吸血種の討伐を命じた。そして保険のためにある女を補佐につけたのだ。
その女は《12聖天》の恥晒し。マティアは過去の経緯から吸血種には邪悪で残忍な生物程度の認識しか持ち合わせてはおらず、吸血種を屠るのに躊躇いなど一切ない。だが人間ならばそうではない。それが仮に罪人であろうと無駄な虐殺などしない。それはシモンも同様だ。
だがあの糞女は違う。彼奴はただの快楽殺人主義者。過去に《教会》の上層部からある邪悪な魔術を研究した結社の壊滅を命じられた際、あの女は結社の構成員の魔術師はおろかその家族を含めて皆殺しにした。しかもその殺し方は死を見慣れた《教会》きっての戦闘部隊《神の使い》をして反吐を吐かせたほどだ。
こんな罰当たりな奴をなぜ《ペテロ》が《12聖天》に迎え入れたのかは不明だ。《ペテロ》のやることはいつもその意図している所がわからないことが多いが、大抵時が経つと筋が通っていたことが判明するのが通常だ。それがあの糞女を《12聖天》を加えたことに関しては未だにその意図が予想すらできない。
とは言え、この胸糞の悪い外道女は途轍もなく強く、今のマティア達にとって生き残るための重要なファクターだ。
何より黒髪の少年はマティア達を舐めている。いや遊んでいると言った方が正解か。そこに付け入るスキがあるはずだ。
マティアは家を出て十数分間の逃亡劇を開始する。
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