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最終章
第三話 そういうことにしてもいい?
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二十時で羽藤の面談を終えたあと、羽藤は来週の面談予約も取りつけた。
少しは成果が出たことに、感謝しながら面接室を出ていった。
グレーのダッフルコートに腕を通し、待合室でソファに座り、清算の順番を待っている。カウンセリングは要さずに、駒井の診察と処方箋をもらうためだけに、通院する者も多くいる。夜の診察は、そのパターンの方が断然に多い。
麻子は事務室にいったん戻り、白衣を脱いだ。
麻子がデスクに向かう内、受付と清算業務を終らせた花房が戻って来た。三谷は帰り支度を始めている。
パソコンで時間を確認すると、九時半を回ったところだ。
「お先に失礼します」
という、三谷に麻子は「お疲れ様でした」という声掛けをする。すると、花房がレモンティーを麻子のマグカップに入れ、持ってきた。
「先生、良かったら」
「えっ? いいんですか? ありがとうございます」
このぐらいの時間帯に、疲労回復とカフェイン摂取のためにレモンティーを入れて飲む。それを花房が覚えてくれていたことに、麻子は胸を熱くした。
砂糖とスプーンは別途で添えられ、デスクに置かれる。
さすがに好みの味まで再現できない。そう考えたからだろう。
保育園に預けた三歳の娘さんのお迎えが気になるだろうに、そういった素振りを見せたことは一度もなかった。残業している同僚を気遣ってから、花房も帰宅した。
事務室には麻子しかいなくなった頃合いを、はかったように診察室から駒井が出て来た。
「長澤さん。今日は夕飯は、どうするの?」
「えっ?」
「十一時からの柚季君の面談をするつもりで待つんじゃないの?」
そのつもりでいた麻子は面食らい、口を噤んで駒井を見た。
「……ですけど、院長」
「面談のために残るなら、僕もいる」
「いいんですか?」
「だって、頼まれちゃったから」
駒井は甘えた声を出す。顔半分は笑っていて、半分は困っている。察して欲しいという顔だ。
「柚季君に長澤さんを頼まれたんだよ。あの人、図太く見えるし、気だけはホントに強いけど。めちゃくちゃ恐がりだし、寂しがりだし、甘えたがりだし。恋愛なんて諦めちゃってるところもあるけど。本心なんかじゃないんだよって。柚季君に言われた今の言葉。全部僕の言葉だから」
「……へっ?」
これから戦場に赴く兵士に、結婚しようと言ってるようなものだった。
「私、遠回しに何か言われるのって、嫌なんですけど」
「わかった。それじゃ、僕と付き合ってもらえませんか?」
「イヤです」
「そんなあ」
麻子はマグカップにスプーン一杯の砂糖を入れて、かき混ぜる。
「告白されたら、一度は断ることにしていますから」
「好きでも嫌いでも?」
「はい。断られたら、どんな反応するのかで、付き合うか付き合わないかを決めてます」
「長澤さんだから、そういうことが出来るんだよ」
「はい。そういうお試し行為をするような女ですけど」
「ですけど……の、先の言葉を聞いたことにしてもいい?」
食い下がるだけ食い下がる男でなければ、自分とは付き合えないと麻子は達観しているが、カウンセリングに関しても、駒井はとにかく食い下がる。そういうところが好ましい。麻子はレモンティーを一口飲んで、上目遣いに駒井を見た。
「そういうことにして下さい」
「本当に?」
いい歳をしたおじさんが、少年のように声を弾ませ、瞳に星を浮かばせた。
「だったら今日の夕飯は、うな重だ」
「特上にして頂けますか?」
「もちろんだよ!」
この年にもなると、思いが通じあったと同時に抱きしめ合ったり、キスしたりなど、こっ恥ずかしくて出来やしない。
いそいそと、デリバリーの電話をかける駒井を見ながら、柚季の笑顔を思い出す。
まったく大人は素直じゃねえから。
そんな風に茶化して見ている笑い顔。余計なお世話と、言い返せたらと麻子は思う。
言い返すことが出来るなら。
少しは成果が出たことに、感謝しながら面接室を出ていった。
グレーのダッフルコートに腕を通し、待合室でソファに座り、清算の順番を待っている。カウンセリングは要さずに、駒井の診察と処方箋をもらうためだけに、通院する者も多くいる。夜の診察は、そのパターンの方が断然に多い。
麻子は事務室にいったん戻り、白衣を脱いだ。
麻子がデスクに向かう内、受付と清算業務を終らせた花房が戻って来た。三谷は帰り支度を始めている。
パソコンで時間を確認すると、九時半を回ったところだ。
「お先に失礼します」
という、三谷に麻子は「お疲れ様でした」という声掛けをする。すると、花房がレモンティーを麻子のマグカップに入れ、持ってきた。
「先生、良かったら」
「えっ? いいんですか? ありがとうございます」
このぐらいの時間帯に、疲労回復とカフェイン摂取のためにレモンティーを入れて飲む。それを花房が覚えてくれていたことに、麻子は胸を熱くした。
砂糖とスプーンは別途で添えられ、デスクに置かれる。
さすがに好みの味まで再現できない。そう考えたからだろう。
保育園に預けた三歳の娘さんのお迎えが気になるだろうに、そういった素振りを見せたことは一度もなかった。残業している同僚を気遣ってから、花房も帰宅した。
事務室には麻子しかいなくなった頃合いを、はかったように診察室から駒井が出て来た。
「長澤さん。今日は夕飯は、どうするの?」
「えっ?」
「十一時からの柚季君の面談をするつもりで待つんじゃないの?」
そのつもりでいた麻子は面食らい、口を噤んで駒井を見た。
「……ですけど、院長」
「面談のために残るなら、僕もいる」
「いいんですか?」
「だって、頼まれちゃったから」
駒井は甘えた声を出す。顔半分は笑っていて、半分は困っている。察して欲しいという顔だ。
「柚季君に長澤さんを頼まれたんだよ。あの人、図太く見えるし、気だけはホントに強いけど。めちゃくちゃ恐がりだし、寂しがりだし、甘えたがりだし。恋愛なんて諦めちゃってるところもあるけど。本心なんかじゃないんだよって。柚季君に言われた今の言葉。全部僕の言葉だから」
「……へっ?」
これから戦場に赴く兵士に、結婚しようと言ってるようなものだった。
「私、遠回しに何か言われるのって、嫌なんですけど」
「わかった。それじゃ、僕と付き合ってもらえませんか?」
「イヤです」
「そんなあ」
麻子はマグカップにスプーン一杯の砂糖を入れて、かき混ぜる。
「告白されたら、一度は断ることにしていますから」
「好きでも嫌いでも?」
「はい。断られたら、どんな反応するのかで、付き合うか付き合わないかを決めてます」
「長澤さんだから、そういうことが出来るんだよ」
「はい。そういうお試し行為をするような女ですけど」
「ですけど……の、先の言葉を聞いたことにしてもいい?」
食い下がるだけ食い下がる男でなければ、自分とは付き合えないと麻子は達観しているが、カウンセリングに関しても、駒井はとにかく食い下がる。そういうところが好ましい。麻子はレモンティーを一口飲んで、上目遣いに駒井を見た。
「そういうことにして下さい」
「本当に?」
いい歳をしたおじさんが、少年のように声を弾ませ、瞳に星を浮かばせた。
「だったら今日の夕飯は、うな重だ」
「特上にして頂けますか?」
「もちろんだよ!」
この年にもなると、思いが通じあったと同時に抱きしめ合ったり、キスしたりなど、こっ恥ずかしくて出来やしない。
いそいそと、デリバリーの電話をかける駒井を見ながら、柚季の笑顔を思い出す。
まったく大人は素直じゃねえから。
そんな風に茶化して見ている笑い顔。余計なお世話と、言い返せたらと麻子は思う。
言い返すことが出来るなら。
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