たましいの救済を求めて

手塚エマ

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最終章

第二話 柚希の告白

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「院長。南野さんに狙われてますね」

 面談が終了し、診断室で手書きのカルテを駒井に渡した。皮張りの肘掛け椅子に深く座り、カルテを受け取り、駒井が渋い顔になる。

「僕の立場なんて眼中にないんだろうね。精神科医がクライアントと付き合う訳がないだろう」
「相手の立場が眼中にないのが、課題なんでしょうね」
「そうだろうね」

 簡潔に申し送りを済ませ、診察室を出ようとした麻子を駒井が呼び止めた。

「次の羽藤君だけど」
「はい」

 羽藤の名前を聞くだけで、背筋に一本芯が通ったようになる。事務室に戻りかけた麻子は駒井の前に直立した。

「昨日の晩に、僕の家に来たんだよ」

 麻子は何を言い出すのかと、目を見張る。柚季は大人の男を嫌悪し、警戒する。そうなるに至る要因は明確だ。にも関わらず、駒井の自宅に出向くとは。
 驚きよりも信憑性しんぴょうせいを疑った。

「羽藤柚季は母親殺しなんてしてないと、言ってくれたよ。むしろ、殺されかけたのは彼の方だ」
「……先生、それは」
「面談室で話してもらうべきだと、わかっている。けれども彼には時間がないと言われたよ」

 時間がない。
 まさかの三文字が、麻子の額のあたりで閃いた。

「新興宗教の教祖は羽藤君にも未練はあった。だけど彼も十三歳だ。黙って大人のいいなりになる年齢でもなくなった。それに、精神科医の妻だった彼の母親の遺産を全部、巻き上げるつもりで、彼女にだけは特別な呪文もどきで除霊をしたり、何かと気にする素振りを見せたり。あの手この手で寄付をさせてたみたいでね。二年間で使い果たしてしまったらしい」

 駒井は麻子に丸いパイプ椅子への着席を促した。話は長くなりそうだ。

「そうなると掌を返してくるよね。信じた教祖に捨てられて、財産も全部吸い上げられて、この先、何のために生きればいいのかわからないといった、うつ状態だったと想定できる」
「だから……息子を道連れに?」

「道連れといった感覚だったかどうかは、わからない。彼女は死ぬまで息子を憎んでいたから」

 そこで駒井が、ひと息をつく。肘掛け椅子に一度深く背を預け、天井を仰ぐと、駒井が続けた。

「柚季君に睡眠薬を飲ませて車に乗せて、観光名所にもならないような、薄汚い湖の近くまで行ったそうだ。一度、エンジンを止めたんだろうね。その拍子に分身の柚季君が覚醒した。目の前は湖だ。追い詰められた顔をした母親が運転席に乗っている。咄嗟に窓を割れる金具を探したそうだ。すると、すぐに見つかった。金槌だ。脱出用の物じゃなかった。もしも羽藤君が騒いだら、撲殺したかもしれないと、本人は思ったようだよ。とにかく、エンジンを入れた母親が、車で湖に飛び込んだ。分身の羽藤君はシートベルトを外して窓を叩き割り、脱出した。その時、母親に足を掴まれた。それを蹴り飛ばした記憶だけが、主人格にも残ってしまった」

 それが羽藤柚季の真実だ。真相だ。

「羽藤君は、誰も殺してなんか、いないんだ。思わず蹴ってしまっていたのは、正当防衛。殺意じゃないよ」
 
 麻子に刻む込むように、一言一句、力を込めて駒井が伝える。麻子は唇を戦慄かせていた。両膝を痛いぐらいに掴んでいた。
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